③「魔法使い」には使えない魔法
今回、名前だけ出て来るミツクリエナガチョウチンアンコウは、一番名前が長い魚(日本語の名前で)です。彼等の驚くべき生態は、後々本編で紹介します。
〈詐術師〉はほぼ例外なく、〈詐術〉を使える。
その性質上、〈詐術〉を使うには、騙す相手である〈黄金律〉を認識出来なければならない。人間が〈詐術〉を使えないのは、〈黄金律〉を知覚出来ないためだ。
対して〈詐術師〉は、生まれ付き〈黄金律〉の存在を感じることが出来る。
とは言え、どこにあってどんな姿をしていると、詳細に語れるわけではない。空気や重力のように何となく、同時に間違いなく「ある」と感じられるだけだ。
一方で〈詐術〉を使う際には、漫然と〈黄金律〉に語り掛けることが出来る。
カミサマと対話するからと言って、変に意識を集中させる必要はない。
行為としての難易度は、呼吸と同じくらいだ。
カミサマを認識することが出来る〈詐術師〉は、自然界において特筆すべき存在だ――。
そんな風に誤解されがちだが、実のところ、人間以外の全生物は〈黄金律〉を認識している。ただ、嘘を作るだけの知能がないため、〈詐術〉を使うことは出来ない。
実際に〈詐術〉を使う際には、二つのものが必要となる。
まず最初に、カミサマを騙すための嘘。
そして二つ目が、〈魂〉だ。
全ての生物は、「生きていると言う証明」を宿している。
この「生きていると言う証明」を、〈詐術〉の世界では〈魂〉と呼ぶ。
全ての生物は、常に〈魂〉から声を発している。
いや、絶えず〈黄金律〉に訴え掛けていると言うべきだろう。
自分は生きている、生きているぞ、と。
生物が生きていられるのは、この訴えに〈黄金律〉が耳を傾けているからだ。
万が一、訴えを棄却されれば、どんな生き物も生きてはいられない。
極端な話、脳が破壊されても、人間は生きていられる。
しかし〈魂〉を失えば、その瞬間に死が確定する。
〈詐術〉の世界において、〈魂〉の声は〈発言力〉と呼ばれる。
実を言うと、〈詐術〉に不可欠なのは〈魂〉ではない。
本当に必要とされるのは、声に過ぎない〈発言力〉のほうだ。
「生きている」と受け入れさせていることからも判る通り、〈発言力〉には〈黄金律〉に「働き掛け」、主張を「認めさせる」性質がある。〈詐術〉を使う際には、まず「働き掛ける」力で〈黄金律〉に接触し、嘘を本当と「誤認」させている。
嘘の作り方は、〈詐術師〉によって千差万別だ。
今はコンピューターを使うのが主流だが、紙に書いている〈詐術師〉も少なくない。記憶力に優れているなら、一から暗唱する手もある。
最終的に〈発言力〉を流せるなら、媒体に制限はない。
〈シュネヴィ〉の開発者に到っては、チラシの裏を愛用していた。
こと〈詐術師〉が相手である場合、丸腰でも油断はならない。
いつ嘘を暗唱し、火を水を稲妻を放ってもおかしくはないのだ。
にもかかわらず、キモには人間用の手錠しか填められていない。「魔法」を使えば簡単に逃げ出せそうだが、勿論、そう上手くはいかない。
〈詐術〉に使う嘘には、非常に高い完成度が求められる。
何しろ、全宇宙を司るカミサマを騙そうと言うのだ。
生半可な嘘では、一蹴されてしまう。
〈黄金律〉に見抜かれないレベルの嘘を作るためには、どうしても時間が必要となる。
ライター程度の火を点けるのにも、一日掛かり。
戦いに使えるほどの炎を出すとなると、月単位、あるいは年単位の大仕事になる。嘘の文章量にしろ、とても暗唱出来るレベルではない。
タバコを吸うのに一日も待つなら、棒と板で火を起こしたほうが圧倒的に速い。そこで普通、〈詐術〉を使う時には、〈偽装〉が用いられる。
〈偽装〉とは予め嘘の書き込まれた道具で、〈発言力〉を注ぐだけで特定の〈詐術〉が使えるようになっている。
簡潔に説明するなら、「魔法の封じられた道具」とでも言うべきか。
とは言え、〈詐術師〉の世界ではごくごくありふれた品で、一〇〇均でも売られている。形状も多種多様で、ステレオタイプな本や杖は勿論、空飛ぶ竹トンボなんかも存在する。
ハイネの卒塔婆〈DXシュネヴィドレッダー〉も、〈偽装〉の一種だ。骨製の首輪〈ソーサイジョー〉に装填することで、〈シュネヴィ〉を実体化する機能を持つ。
〈詐術師〉の九九㌫は、〈偽装〉を用いないと〈詐術〉を使えない。
嘘の作り方を習うなら、人間界の大学院に相当する学校に通う必要がある。
そもそも〈偽装〉の開発者にでもならない限り、一生、嘘を作ることはないだろう。市販の〈偽装〉をやりくりするだけで、何不自由のない生活が送れるのだから。
井戸より水道、洗濯板より洗濯機と、楽なほうが世間に浸透していくのは、〈詐術師〉も人間と一緒だ。そして大半の人は、エアコンの原理なんか気にしない。部屋が涼しくなれば、オールオッケーだ。
ハイネがボディチェックした限り、キモは〈アックマーカー〉しか持っていない。念には念を入れ、体内も検査してみたが、不審物は見付からなかった。
〈アックマーカー〉は栞型の〈偽装〉で、使用者の〈魂〉に第二の〈印象〉を書き込む力を秘めている。
森羅万象は呼び名に付随する形態や能力、つまり「イメージ」を持つ。
例えば「バッタ」と聞いた時、多くの人は複眼や優れたジャンプ力、赤いマフラーを想像するだろう。
〈詐術〉の世界では、この「イメージ」のことを〈印象〉と呼ぶ。
道具や無生物の場合、概要を決めるのは製作者、あるいは自然現象だ。
対して生物の外観や能力は、〈魂〉に書き込まれた〈印象〉に準じている。
決定権を持つのは〈黄金律〉で、対象の〈印象〉を読み取り、最適な形を見繕っている。
人間が頭に胴体、手足を持つのも、〈印象〉に「五体」と言う情報が記されているためだ。役割に則した表現をするなら、〈印象〉とは「生命の設計図」であると言える。
〈アックマーカー〉によって第二の〈印象〉を書き加えることは、「設計図の改竄」を意味する。
〈黄金律〉が不正に気付けば、何ら問題はない。しかし精巧に作られた嘘は、改竄された設計図を正しいように思い込ませてしまう。
結果、〈黄金律〉は〈アックマーカー〉の使用者を、元の〈印象〉と第二の〈印象〉が混じり合った姿に変貌させてしまう。ついこの間、〈シュネヴィ〉が戦った〈アンテラ〉も、ヒトのキモとミツクリエナガチョウチンアンコウがごちゃ混ぜになった姿だ。
〈アックマーカー〉によって誕生した怪人は、〈筆鬼〉と呼ばれる。
彼等の戦闘力は、野生動物はおろか近代兵器に匹敵する。目目森博物館程度なら、一時間で瓦礫の山にするだろう。
とは言え、過度な警戒は不要だ。
道具には必ず、使用するための手順がある。
例えばテレビを点けるためには、電源を入れなければならない。
電話を掛けたいなら、まずボタンを押すべきだ。
〈偽装〉も道具と同じで、使うためには特定の手順を踏む必要がある。
〈アックマーカー〉の場合、胸に刺さった栞を引き抜かない限り、絶対に発動しない。胸に手を運べないようにするだけなら、後ろ手に手錠を掛けるだけで充分だ。




