②取調室のロボット
「まだ、あの少年のことで思い悩んでいるのか?」
ディゲルは背中を曲げ、呆れたように首を振る。
「心配するな。ヤツはあなたにぞっこんだよ。その証拠に人間でないことをカミングアウトした後も、顔を真っ赤にしていたではないか」
「そうですね。半平さん、優しい人ですもんね」
ハイネは重い口角に力を込め、笑みを作る。
無理矢理上げた顔はすぐに下がり、再びスマホと見つめ合った。
確かに真実を知った後も、半平はハイネの手を握ってくれた。
だが、ハイネは無条件には喜べない。
ディゲルに言った通り、彼は優しい人だ。
お年寄りに興味のない話を聞かされても、きちんと相づちを打っている。
年下の子供に懐かれるのも、面倒見がいいためだろう。
今回も自分を傷付けないように、本心を押し殺してくれたのかも知れない。
彼が一目散に逃げ出さなかったからと言って、今後も駄菓子屋で世間話出来る保証はない。
せめて電話を掛けろ……! 彼に謝れ……!
ハイネはスマホを見つめ、今にも泣き出しそうな鏡像を叱咤する。
だが液晶の上に浮かせた手は、ピクリとも動かない。
秘密を明かしてから、二四時間以上経った。
非常識の雨霰に混乱していた半平も、状況が呑み込めてきたはずだ。
冷静になった彼は、怒りに身を震わせているだろう。
電話を掛ければ、確実に非難される。よくも騙してくれたな、と。
いや、知り合ってからずっと、彼を欺いていたのだ。叱責されるのは当然だろう。
むしろ小狡いハイネは、半平が糾弾してくれることを望んでいる。
罰を受ければ、少しだけ胸が軽くなるから。
本当に怖いのは、無言。
呼び出し音だけが、延々と続く未来。
半平が電話に出てくれなければ、「拒絶」が確定する。
彼と言葉を笑顔を交わすことが、二度と出来なくなってしまう。
詐欺師が無視されないとでも思っているのか?
そもそも、対応を求めるのが図々しい。
今さら謝罪しても、無視されるのが当然だ。
ハイネはスマホに映った自分を睨み付け、電源を入れるように促す。
だがやはり、液晶の鏡像は命令を聞かない。
それどころか、そそくさと目を背け、スマホをポケットにしまい込む。これ以上、非難されるのに耐えられなかったのだろう。
「やれやれ、変なところで乙女チックだな、あなたは。普段は吉牛だの二郎だのデスバレーだの、平然と『おひとりさま』するくせに」
困ったように笑い、ディゲルは講義を始める。
「そんなに難しく考えるな。男なんてのはな、『流出』や『無修正』と聞いただけで、集中治療室のベッドからも跳ね起きてくる生き物だ。ぱんつの一つも見せてやれば、足立区からだって走ってくるさ。葛飾区に入る頃には、骸骨の仮面も怪物も忘れているよ」
「だったら、秘蔵の勝負ぱんつを出しちゃうんですけどね」
ハイネは先ほど以上に重くなった口を開き、何とか歯を見せる。笑い声を搾り出すのに四苦八苦していると、背後のベッドから布団の乱れる音が聞こえた。
「光……」
消え入りそうな声で呟き、安藤は目を見開く。
途端に彼の肩が震えだし、その拳は固く布団を握る。
大渦のようなシワは、彼の抱える恐怖を雄弁に物語っていた。
「光……そう、光だ。俺、光る何かに襲われた」
「光……!?」
突発的な衝撃が体内を駆け抜け、ハイネの頭を強か殴打する。
瞬間、荒っぽく脳が揺れ、幾つかの記憶が目の前に飛び出した。
透明な妊婦。
光る霧。
夜の街に降り注ぐマリンスノー。
入れ替わり繰り返し過去の光景が頭を過ぎり、理解力の乏しいハイネにヒントを与えていく。
答えは、一つだ。
反射的に地面を蹴り、ハイネは自分の身体を弾き飛ばした。
医務室のドアに体当たりを喰らわせ、廊下に飛び出す。
原色のツナギに身を包んだ隊員たちは、揃って立ち尽くしていた。呆然とハイネを見る目は、頻りに問い掛けている。一体、何事だ!?
驚かせてしまったのは申しわけないが、質問に答えている時間はない。
ハイネは隊員たちの間を駆け抜け、すり抜け、廊下を突き進んでいく。突き当たりの取調室に到着すると、金庫然としたドアが立ち塞がった。
ハイネはポケットのスマホを掻きだし、認証端末に叩き付ける。すぐさまSuicaをタッチしたような音が鳴り、端末の画面が青く染まった。
電話帳ほども厚みのあるドアが、金属製の敷居を滑っていく。
やがて完全にドアが開くと、机に俯せていた係官が跳ね起きた。
「ご、ご苦労さまです!」
係官はあたふたパイプ椅子から立ち上がり、ハイネに敬礼する。
頬に涎の跡が残っているところを見ると、随分いい夢を見ていたらしい。
「ご苦労さまです」
ハイネは軽くお辞儀し、部屋に入る。
ひとまず壁に寄り掛かり、息を整えていると、閉まったばかりのドアが開いた。
「い、一体、どうしたのかね?」
ディゲルはよろよろと取調室に入り、両膝に手を着く。
たちまち彼女の額から汗が滴り、コンクリ製の床を濡らした。
どうやら、急に走り出した自分を、慌てて追って来たらしい。
「すみません」
ハイネはとりあえず謝罪し、室内を見回す。
無論、〈3Z〉の取調室は、犯罪者を逃がさないように作られている。
だが狙いを見抜かれた「彼女」が、どんな行動を取るかは判らない。
万が一に備えて、もう一度、部屋の様子を確認しておくべきだ。
広さは六畳前後だろうか。
壁も床もコンクリで出来た空間は、監獄以上に閉塞的なムードを漂わせている。
換気用の窓は小さく、子供も出入り出来そうにない。
しかも、特殊合金製の金網が填められている。
サイの目状に切り分けられた陽光は、やけに黄色い。
徹夜明けのハイネは、日差しに過敏になっているのかも知れない。
天井の四隅には、半球型の監視カメラが設置されている。
一見、死角があるように思えるが、壁にも多数のカメラが仕込まれている。
室内の係官がうたた寝している間も、モニター室の監視員が目を光らせていたはずだ。仮に「彼女」が脱走する手段を隠し持っていたとしても、小細工する余地はない。
小さく頷き、ハイネは正面に目を向ける。
秘密結社の一員キモは、パイプ椅子に座らされていた。
〈3Z〉の用意したツナギには、管理用の番号が貼られている。
連日の取り調べで、疲労が溜まっているのだろう。
ゴムで束ねた髪は萎び、肌にも張りがない。
落ち窪んだ瞳は、下半分をクマに縁取られている。
それでいて背筋はまっすぐで、両足も綺麗に揃えられていた。
疲れを気にも掛けないような佇まいには、礼儀正しさを通り越し、無機質ささえ感じてしまう。「ロボット」と極端な単語が頭に浮かぶのは、多少なり彼女に敵意を抱いているせいだろうか。




