⑤愛の力は偉大
作品は完成させてから投稿しているのですが、後から読み返すと反省することもしばしば。
この辺りはちょっと、地の文が多すぎたかも知れません。
どうも作者のキャラたちは、クドクドと考え込む傾向があるようです。
「そもそも、俺にハイネのことをどーこー言う権利はねーよ」
半平は努めて軽く言い放ち、胸の中で深く頷く。
そう、例え記憶どころか命を奪っていたとしても、自分に糾弾する権利はない。人殺しが他人の行為を批判するなど、目くそ鼻くそ以外の何でもないではないか。
「ふうむ……」
ディゲルは顎に手を当て、感慨深げに頷く。
今まで成り行きを見守るばかりだった彼女だが、何か思うところがあるようだ。
「脅迫より愛が効果的な場合もあるということか」
ブッダが悟りを開いた時は、今のディゲルみたいな目をしていたに違いない。
「ちょっちょっちょい待ち! ストップ! 何でそーなんだよ!」
半平は猛然と立ち上がり、手を首を振り、振り、振りまくる。
派手に火照った顔は、テーブルの一輪挿しを真っ赤に染めていた。
氷山の名前を与えられた白薔薇が、今にも蒸発してしまいそうだ。
「あ・い?」
三歳児のように聞き返し、ハイネは首を傾げる。
「そうやってまた何も知らない顔をする。相変わらず悪女だよ、あなたは」
ウンザリしたように吐き捨て、ディゲルはハイネの背中を小突く。
これ見よがしに唇を尖らせてはいるが、意外に眼差しは優しい。
ハイネの表情が明るくなったことで、彼女の心も軽くなったのだろうか。
「ともかく、これで我々の望みは果たされたわけだ」
ディゲルは一口紅茶を飲み、半平に目を向ける。
「長々引き留めてアイムソーリーだったね。もうお引き取り頂いて構わん。って言うか、さっさと帰れ。私も忙しい身でね。これ以上、腹立たしいラヴコメ……じゃねーや、若造のじゃれ合いに付き合っている時間はねえ」
ディゲルは素っ気なく言い放ち、しっしっと半平を追い払う。
たぶん……って言うか、絶対、若い二人が羨ましいに違いない。
しかし、なぜ僻むのだろう?
アラサーならともかく、彼女もまだ一〇代のはずだ。
「館長」などと言う仰々《ぎょうぎょう》しい肩書きがあると、同年代の男子に敬遠されてしまうのだろうか。
「さんざん圧迫面接しといて、その言い草? とんだブラック企業だよ、〈3Z〉さんは」
軽く毒突き、半平は席を立った。
う~んと伸びると、肩が腰がバキバキ! っと鳴る。長々座りっぱなしだったのは勿論、変に頭を使ったのがよくなかったらしい。
真実を抱えている責任と、いかに向き合うのか?
今後、ハイネとどう接するべきか?
秘密を知った自分の近くにいて、家族は安全なのか?
家に帰ったところで、宿題は山積みだ。
どれも「おいおい答えを出せばいい」などと、悠長に構えていられる問題ではない。本来なら、早急に結論を出すべきだ。三日三晩くらい寝なくてもいい。
それでも、今は布団に入りたい。
今日は女子と料理した。トンネル内を全力疾走した。凶悪犯と取っ組み合いした。単独でもカロリーを全焼させるイベントが、隅田川花火大会ばりの大盤振る舞いだった。
溜まりに溜まった疲労感は、全身を砂袋のように重くしている。
そして肉体より酷いのが、精神の磨り減りぶりだ。
ただでさえ怪物や骸骨のせいで混乱していたところに、〈詐術〉と言う追い打ち。トドメに人間と〈詐術師〉の関係性なんて、小難しい話まで考えてしまった。
酷使された脳細胞は、頻繁に目の奥を疼かせている。呼応して、チカチカと瞬く視界は、気絶へのカウントダウンかも知れない。
客観的に見て、冷静に判断を下せる状況ではない。
仮眠でもいいから、一度頭を休ませるべきだろう。
気持ちをリセットすれば、思いも寄らないアイデアが湧く可能性もある。これほど神経が昂ぶった状態で眠れるかどうかは、また別の問題だが。
「はぁ~、風呂入るのかったりぃなあ」
半平は重い身体を引きずり、出口へ向かう。
ようやくドアノブを掴むと、身体が扉にへばり付いた。
ああ、ずっとこのままへばり付いていたい……。
「ああ、そうだ」
唐突に声を発し、ディゲルは手を叩く。
「なんスか~? もしかして、ご自慢のザッハなんとかをおみやげにもたせてくれるとか?
半平はだら~んと肩を垂らし、じと~っとディゲルを睨む。
この期に及んで、まだいたいけな少年を苦しめようと言うのか。
もうウンザリだ。これ以上、頭も肉体も使いたくない。
「これは私のとっておきだ。これ以上、葛飾区民なんかにくれてやるものか」
苦々しげに言い放ち、ディゲルはテーブルの上のザッハトルテを掻き集める。
どうやら何があっても、食料を独り占めするつもりらしい。
こういうことをする奴は、大概、ゾンビに喰い殺される羽目になる。
「そんなことより、君は高校にも通わず、定職にも就いていないと聞く」
「……無遠慮に痛いトコ付いてくるっスね」
思わず目を逸らし、半平は頭を掻く。
ディゲルの発言は事実だが、居心地のいい指摘ではない。
「若者がぶらぶらしているのも、世間体が悪いだろう? どうだ、よかったら我々の手伝いをしてみないか?」
「アンタたちの手伝い?」
「なぁに、簡単なお仕事さ。ただ殴り、蹴り飛ばし、撃ち抜けばいい。今宵見た怪物のような輩をな」
「あの怪物と、戦う?」
反射的に苦笑し、半平は首を左右に振る。
「出来っこねーって、俺みてーな腰抜けに」
沼津半平は怪物の姿を思い返すだけで、膝を震わせる臆病者だ。
その上、いついかなる時も自分の身を守ることしか頭にない。
「腰抜け、とはな。随分と謙遜するじゃないか」
「いやいや、謙遜とかじゃねーし。ただの事実だし」
「しかし斎木美佳に助けを求められた君は、一も二もなく駆け出したと聞いたぞ? 見るからに揉め事を抱えている人間と関わるなど、誰にでも出来ることではない」
「ハイネにしろディゲルさんにしろ、〈詐術師〉ってのは他人を高く評価しすぎじゃないスか?」
呆れ果て、半平は溜息を吐く。
秘密結社の構成員にしては、二人とも人がよすぎる。
「確かに、俺はトンネルへ走った。けど、それは事故とか事件が起きたって思ったから。間違っても、怪物と戦うためじゃない」
もし事前に、怪物が登場することを知っていたら?
初対面の斎木美佳は勿論、ハイネさえほっぽり出して、部屋に逃げ帰っていただろう。今頃は布団を頭から被って、ぶるぶる震えていたはずだ。
そう、普段はお節介を焼いていても、自分の身が危うくなることには絶対手を貸さない。徹底した偽善者ぶりは、人一人殺した時から何も変わらない。
「事件や事故の現場に向かえるだけでも、充分、勇敢だと思うがね」
「修羅場に慣れてるだけっスよ。俺、消防団の見習いだし」
半平は胸を張り、力こぶを浮かせて見せる。
「しかし、残念だ。我ながらなかなかの妙案だと思ったのだがな。懐に引き入れてしまえば、好きなように目を配れる。不確実な口約束に頼る必要もない。君も大好きなハイネさまと、四六時中一緒にいられるし」
ディゲルは肩を竦め、背もたれにもたれ掛かった。
一見すると残念そうだが、顔の下半分はあるオノマトペを漂わせている。
ニヤニヤ、と。
「だから、そんなんじゃねーって言ってるし!」
半平は絶叫し、ディゲルの方向に頭を突き出す。
なぜ彼女は、精も根も尽き果てた少年に激しいアクションを強いるのだろう? 葛飾区民に何か強い恨みでもあるのだろうか。
「では、心から言えるか? 何も惜しいことはないと」
「モチのロン! 部屋にチョコの噴水がある上司なんて、真っ平ゴメンだっての!」
言い切った矢先、半平の脳裏に声が漏れる。
……いや、惜しい。
彼等の仲間になれば、死ねたかも知れないのに。
見る見る後悔が膨れ上がり、半平の眉間にシワを寄せていく。
だが同時に期待感が湧き上がり、唇の端から薄ら笑いが漏れた。
半平は目を閉じ、怪物を思い浮かべる。
そして自然と震える唇を噛み締め、質問を投げ掛けた。
お前は、俺を殺してくれるのか?
ぐらあ!
脳内に轟いた咆哮が、イエスかノーかは判らない。
ただ、光の弾を頬張ったその口は、燦燦と輝いている。
あれはきっと、迷宮の出口から差し込む陽光だ。彷徨っても、彷徨っても、出られなかった無罪と言う迷宮が、ようやく終わろうとしている。
ブロック塀を融かす光弾は、人殺しに相応しい最期をもたらしてくれるだろう。




