③真実と言う名のガンマ線
今回は少しだけ、星の蘊蓄を語っています。
赤色巨星や超新星爆発の詳細は、第七章をご覧下さい。
次回は久々に番外編。
目目森博物館のモデルになった施設を紹介します。
「たぶん、大丈夫だと思うけど……いやでも、俺、お調子者だし……」
半平は苦悶し、ソファの上をイモムシのように転がる。
途端にディゲルは前傾し、テーブルに両肘を着いた。
静かな笑みとは裏腹、眼差しは冷たい。
「沼津半平くん、だったかな」
「え? 俺、名前……」
思わず声を裏返し、半平はまばたきを繰り返す。
記憶が確かなら、名前は告げていないはずだ。
「お父上は中堅商社に勤めるサラリーマン。母親は週末を除き、自宅から徒歩一〇分のスーパーでパートをしている。上の姉君は、六月に二人目を出産されるそうだね。少子高齢化に悩まされるこのご時世に、頼もしい限りだ」
「何で、ウチのこと知ってんだよ……」
呆然と呟き、半平はハイネに視線を向ける。
自分が話していない以上、彼女が教えたとしか考えられない。
だが瞳に映ったハイネは、間抜けに口を空けていた。
彼女は何も話していない、確実に。
だとするなら、ディゲルは自分で沼津家の内情を調べ上げたのだろう。
何せ、不都合な情報を隠蔽する力を持つ組織だ。
一般人の素性を調べることくらい、お茶の子さいさいに違いない。
家族を話題に出したのは、遠回しでレトロな脅迫。
そう、彼女は警告したのだ。
秘密を漏らしたら、身内に制裁を加えるぞ、と。
成る程、人並みに情を持つ相手なら、これ以上ない脅し文句だ。
思慮深く丁寧なやり口には、腹が立つほど感心してしまう。
「繁殖能力だけは高いんだよ、貧乏人は」
沸き上がる怒りに声を低くし、半平はディゲルを睨み付けた。
たちまち右手が拳を編み、噴火寸前の火山のように震えだす。
ディゲルが男だったら、完全に殴り飛ばしていた。
「俺以外に手ぇ出してみろ、タダじゃ済まさねぇぞ……!」
「王様の耳がロバの耳だと知った床屋が何をしでかしたか、君もご存知だろう?」
ディゲルは涼しげに言い放ち、ティーカップを口へ運ぶ。
悔しいが、予想通りの反応だ。
日常的に怪物と対峙しているディゲルが、少し脅した程度で怯むわけもない。
「知っているかね? 超新星爆発で滅ぶのは、元凶の赤色巨星だけではない。爆発と共に放たれるガンマ線――放射線の一種は、数十光年先まで届き、生物の遺伝子を傷付ける。仮に地球が巻き込まれれば、一瞬で死の星だ」
にわかに眉を寄せ、ディゲルは表情を厳めしくしていく。
「君が知った事実には、君自身の命はおろか、現行の世界を一気に終わらせかねない重さがある。人間一人の命と比べることさえ、馬鹿げた重みがな。はっきり言おう。君の口を封じるだけで秘密が守れるなら、安いものだ」
冷徹に宣告し、ディゲルは半平を見つめた。
道端のチリを眺めるような眼差しは、声の代わりに告げている。
お前には何の価値もない、と。
彼女の言葉は脅しではない。
半平が秘密を漏らす素振りを見せたなら、迷わずに始末するだろう。
確信した瞬間、膝が笑いだし、荒々しかった鼻息が萎んでいく。
本能的に下がると、少し浮かせていた腰がソファに沈んだ。
勿論、家族に手を出そうとしたことは許せない。
だが、それ以上に恐ろしい。
「言いわけはしないさ。こんな私にも美意識はあるからな」
ディゲルは自身を冷笑し、がさつに足を投げ出す。
「世の安定を標榜して、不都合な情報を隠蔽する? 権力欲に取り憑かれた共産主義者どもと、何が違う。だがな、人類の全てが理性的なわけではない。肌の色が違うだけの同類を、虫けらと考えている連中がいるのもまた事実なのだ」
やりきれなそうに溜息を吐き、ディゲルは首を振る。
「異文化への恐怖と無理解は、常に残酷な結果を招いてきた。特に〈詐術師〉はあのような怪物を作り出し、更には打ち倒す力を持つ種族だ。我々に危害を加えるつもりがあろうがなかろうが、人間に危機感を抱かせやすい」
ディゲルは半平に手を伸ばし、頬の直前で止める。
「君らと接触するにあたっては、臆病にならざるを得ないのだよ。一度、〈詐術師〉への畏れが暴発すれば、双方に甚大な被害が出る。それだけは絶対に避けねばならん。〈詐術〉を使っても、時間は戻せないのだから」
どんな批判でも甘んじて受けようと言うのか、ディゲルは切腹を控えた武士のように背筋を伸ばした。「神妙」と言う言葉を体現した面持ちには、筋の通った反論さえ野暮に思わせる力がある。
人間の自分が人間を弁護出来ないのは悔しいが、ディゲルの言う通りだ。
全ての人間が善人ではない。
肌の色や宗教が違う相手を人と思わない連中は、現実に存在する。
そしてまた、人間は自分にはない力を持つ相手に恐怖を抱く。
丸腰では、拳銃を持った相手には勝てない。
突出した知恵は、凡人には及びも付かない策略を生み出す。
保身に駆られ、恐怖の対象を排除した話は、世界中にありふれている。
それこそ神話の時代から、人類は自分より優れたものを排除してきた。
人間同士でも、この有様だったのだ。
〈詐術師〉の存在が知れ渡れば、大騒動になるどころでは済まない。
拳銃より遥かに危険な力は、計り知れない恐怖を呼び、計り知れない恐怖はパニックを呼ぶ。下手をすれば、〈詐術師〉と人間の全面戦争だ。
「……アンタの言うことは理解出来た。たぶん、アンタは絶対的に正しい」
「ほう、若輩者にしては物分かりがいいな。だが納得しているにしては、まだ何か言いたげじゃないか」
「ああ、最後に一つだけ聞かせてくれ」
半平は深呼吸し、やけに騒がしい鼓動を整える。
今から放つ一言は、自分の中のハイネ像を根底から覆すかも知れない。
だがそれでも、彼女の意思を確かめておきたかった。
「ハイネも同じ意見なのか?」
「はい。決めたのは私です。私が皆さんの記憶を操作するように指示しました」
潔癖なハイネは、一切、逃げ道を作らない。
バカ正直に半平と目を合わせ、はっきりと自分の行いを告げる。
「お腹がぺこぺこで倒れてた私は、人間さんにパンをもらった。神社の境内で凍えてた私は、家に泊まりなさいって言ってもらった。信じたい。私、信じたいです。こんな人でなしに差し伸べてくれた手を、あの温かさを」
ハイネは顔を歪め、つっかえつっかえ訴え掛ける。
まさか言葉を発するのに、激痛が伴うとでも言うのだろうか。
「けど、それは私の体験。私の感想に過ぎない」
突如、ハイネは項垂れ、膝小僧を握り締める。
「みんなにはみんなの体験が、感想がある。私がこうだって思うだけで、みんなの今を、日常を壊すのはとても身勝手なこと」
声を絞り出し、ハイネは顔を上げる。
その瞬間、半平の目に映ったのは、同意を求めるような照れ笑いだった。
「気持ち悪いですよね、私。私以外を言いわけにして、私を正当化しようとしてる。ただ不都合な真実を隠してるだけなのに」
無理に明るく振る舞うハイネは、酷く痛々しい。
何も言うことが出来なくなった半平は、逃げるように目を伏せる。
すぐさま絨毯が視界を埋め尽くし、室内を重い沈黙が包み込んだ。
場違いな笑顔は、半平へのアピールなのかも知れない。
そう、彼女は訴えている。
遠慮せずに自分を責めてくれ、と。
だがどれほど望まれても、彼女を批判する気にはならない。
ハイネの言葉からは、葛藤が滲み出ていた。
彼女は好き好んで、他人の記憶を弄っているわけではない。
だからと言って、軽々しく慰めの言葉を口にしてもいいのだろうか?
ロクに考えもせずに肯定してしまうのは、逆に失礼な気がする。
真摯な態度に報いるためには、もっと考えなければならない。




