②喪黒福造的な打診
「さて、和やかなティータイムはこのくらいにしようか」
にわかに表情を引き締め、ディゲルは半平の顔を覗き込む。
「今回の一件に付いて、君なりに気になることを聞かせてくれたまえ」
「気になること、っスか……」
思わず溜息を吐き、半平は両手で顔を擦る。
「出来るなら、あんま思い出したくないんスけどね。一応、殺されかけたんで」
「理解は出来るが、承服はしかねる。一刻も早く状況を把握しておかんと、第二、第三の被害が出ることにもなりかねん」
「第二、第三の被害って、まだあんなのがいるってこと……?」
「ああ、存在したとしても不自然ではない。少なくとも、我々の常識ではな」
ディゲルはテーブルに身を乗り出し、半平の瞳を見つめる。
「君の発言には、多くの人命が懸かっている。今後も平和な毎日が続くか、それとも街が炎に包まれるのか――どちらになるかは、君次第だと知ってくれたまえ」
「俺の言葉に、みんなの命が……」
反射的に呟くと、重い何かが背中にのし掛かる。
途端に瞳が痙攣し、自然と左横に向かう。
柔らかな笑みを返してくれるはずのハイネは、強張った顔を下に向けていた。
夢中になっていた仕事を離れたせいで、秘密を知られたことを思い出してしまったのだろうか。ともあれ、一心に床を睨む様子を見る限り、今までのやり取りは聞こえていなかったに違いない。
「なぁに、気負う必要はない。ただ見たことを話してくれればいい」
優しく励まし、ディゲルは半平の肩を叩く。
正直、逃げ出したい気分だが、口を開く以外に道はなさそうだ。
役に立つ情報を話せれば、ハイネの顔も明るくなるかも知れない。
怪物と遭遇してから、およそ一時間――。
大分落ち着きを取り戻したつもりだったが、予想以上に頭の回転が鈍い。
トンネルに入って以降の記憶は、細切れになっている。
判りやすく言うなら、バラバラになった映画のフィルム。
場面場面を語ることは出来るが、時系列順に話すことが出来ない。
考えてみれば、当たり前の話だ。
殺されかけた経験を、一時間程度で冷静に話せるはずがない。
いっそ順番など無視して、気になる点を挙げていってしまおうか?
だがそれはそれで、伝えるべき情報の取捨選択が難しい。
気になることはないか、とディゲルは訊いた。
しかし半平にしてみれば、何が気になるどころの話ではない。
ガラス片ごと石を握る暴漢にしろ、怪物にしろ、光弾にしろ、今日生まれて始めて見た。むしろ今晩目撃した事柄の中で、気にならないもののほうが珍しい。
嘘偽りなく質問に答えるなら、煙の臭いまで話すことになる。
雑多な情報は、ディゲルを混乱させてしまうかも知れない。
しばらく記憶を見つめ直し、重要そうな事柄だけをピックアップすべきだろうか?
いや、今の沼津半平は、とても冷静とは言えない状態だ。
的確に物事の重要性を計れるとは、到底思えない。
それ以上に人間界で培ってきた判断基準が、〈詐術〉の世界でも適切な保証はない。
人間にとってはたわいもない出来事が、限りなく重要な可能性もある。
人の命が懸かっている以上、勝手な判断はしないほうがいい。
少しでも引っ掛かったことなら、包み隠さずに話すべきだ。
半平は深く頷き、自分の結論に太鼓判を押す。
それから深呼吸で気持ちを落ち着け、長く結んでいた口を開いた。
何度となく「え~」や「あ~」を挟みながら、こと細かに状況を説明していく。学ランの表情やトンネル内の臭いにまで言及していった結果、怪物の登場シーンに辿り着くまでに二〇分近く掛かってしまった。
「怪物の姿はどうだったかね? 何かに似ているとは思わなかったか?」
「ああ、そっくりだったっスね。サウマ……」
「大佐、いらっしゃいますか?」
唐突にノックが響き、男性の声が半平の言葉を遮る。
せっかく、元魚屋ならではの見解を話そうとしたのに……。
「ああ、入りたまえ」
「失礼します」
軽く頭を下げ、スーツ姿の男性が部屋に入る。
小柄な白人で、年齢は五〇歳前後と言ったところか。
ジャケット、スラックス、ネクタイ、何れも黒、黒、黒で、サングラスまで掛けている。「BOSS」のCMに出て来そうな顔と言い、〈詐術師〉と言うより宇宙人を取り締まりそうだ。
「たった今、斎木美佳の処置が完了しました」
男性はディゲルの前に直立し、毅然と報告する。
「梶原勇はまだ病院か。目覚め次第、奴にも記憶操作を施せ」
「ハッ!」
男性は敬礼し、足早に部屋を出た。
病院の話が出たところから見て、「梶原勇」は学ランか茶髪のことだろう。その前に出て来た「斎木美佳」は、夜道で遭遇した女子高生に間違いない。
出会ったばかりの相手とは言え、無事と聞けばよかったと思う。
しかし、素直に歓声を上げる気にはならない。
「記憶操作、ねえ」
一六年間、〈詐術〉の「さ」の字も聞かなかった以上、何らかの隠蔽工作は行っていると予想していた。だが報道規制や証拠隠滅ならまだしも、他人様の頭の中を弄くっているとは……。
「な~るほど、やけに色々教えてくれると思ったら、そーゆーことっスか」
「そーゆーこと、とは?」
「俺の記憶も消しちゃう気なんでしょ。気が付いたら、お家のベッドでおねんねしてる、みたいなカンジ?」
戯けた口調で皮肉り、半平はソファに寝そべってみせる。
〈詐術〉の存在が世間に知られたら、大騒動が起きるのは理解出来る。
だが理解は出来ても、不快感は拭えない。
「万全を喫するなら、君の考えている方法がベストだ」
一度肯定し、ディゲルはハイネを窺う。
「しかしだな、君はハイネさまのご友人だ。出来るなら、無粋な真似はしたくない」
ハイネは小さく頷き、ディゲルに賛同する。
ようやく顔が上がったが、まだ半平の目を見ようとしない。
「そこで、だ。今宵知った事実を口外しないと、誓いを立ててもらえないか? 口約束でいい。『誰にも話さない』と宣言さえしてくれれば、今後一切、私たちは君に手出しをしない」
「ぬわあ~」
奇声を上げ、半平は髪を掻き回す。
涼しい顔で、随分とまた無理難題を言ったものだ。
釘を刺されなければ、黙っている自信があった。と言うか、「仮面のヒーローが実在する」なんて吹聴した日には、いい病院を紹介されてしまう。
だが「言わないでくれ」と告げられたことで、状況は一変してしまった。
「するな」と言われたことほどしたくなるのは、人間の性だ。つるの恩返しも浦島太郎も喪黒福造の客も、「駄目!」と言われなければタブーを犯さなかった。
そう、「内緒」と前置きされた話ほど、他人に教えたくなるものはない。
ディゲルも知らないはずはないだろうが、もしや高度な嫌がらせだろうか。
沼津半平は秘密を抱える窮屈さに耐えられるのか?
絶大な快楽をもたらす暴露に、一生手を出さずにいられるだろうか?
深く考えるだけ、「はい」と言う答えが遠ざかっていく。




