どーでもいい知識その⑥ 赤い星は冷たい
「恒星はO・B・A・F・G・K・M・L・T……って言うように、幾つかの種類に分けられます。これを『スペクトル型』って呼びます」
恒星の光をプリズムに通すと、七色により分けることが出来るらしい。
透明なようにしか見えない太陽光が、実は多くの色を含んでいる――。
太陽も恒星の一つであることを踏まえるなら、構造色の講義を受けた時に聞いた話だ。
「七色に分けられた光には、所々に『吸収線』って言う黒い線が現れます。恒星の大気に含まれる元素が、光を吸収することで、暗い部分が出来るんです」
ハイネは浅く息を吸い、説明を続けていく。
「吸収線は星によって、様々な現れ方をします。ただ、星の性質によって規則性があって、スペクトル型を決める時の指針になっています」
同じスペクトル型に分類される星には、「同じ色に見える」と言う特徴があるそうだ。
「人間の目にはOやBの星は青白く、Aは白く、Fは薄い黄色に見えます。Gは黄色、Kは橙、Mの星は赤ですね。LとTに関しては肉眼で捉えることが出来ません」
ハイネによると、恒星の色は表面温度を示しているらしい。
「一般的なイメージに反して、高温なのは青い星や白い星のほうです。現にAに分類されるシリウスは、一万度前後にも達します。逆に赤い星は温度が低くて、Mのアンタレスは四〇〇〇度程度しかありません」
Mより低温のLとTは、褐色矮星に用いられる。
褐色矮星は恒星でも惑星でもない特殊な天体で、核融合を行わない。つまり、アンタレスは核融合を行う星としては、最も冷たいことになる。
「加熱した時の色が温度を示しているのは、星に限った話ではありません。金属や炎の場合も、熱くなった時の色は表面温度を現しています。ほら、鉄を熱すると、だんだん白っぽくなっていくでしょう?」
なぜ実際は冷たい赤色に対し、世間は熱いイメージを持っているのか?
それはたぶん、日常生活の中で、一番よく見掛ける炎の色だからだろう。家を丸焼けにする炎が低温だとは、何ともまた宇宙のスケールを感じてしまう。
「今はG――黄色い太陽も、約七〇億年後には赤色巨星になります。現在一四〇万㌔の直径は、一億五〇〇〇万㌔前後まで肥大化。太陽に近い水星、金星は赤色巨星に呑まれて、蒸発してしまいます。地球の末路には諸説あるんですけど、よくてマグマに覆われた灼熱地獄です。空の半分以上を、巨大な太陽が占拠するようになります」
悲しげに語り、ハイネは目を伏せる。
対照的にディゲルは歯を覗かせ、半平のほうに身を乗り出した。
紅蓮の恒星に照らされた顔は、不気味な以上に凶暴だ。
「我々〈詐術師〉は、君らがサイエンスフィクションでしか触れられなかった技術を現実にしてきた。見ただろう? 骸骨の鎧――いや、〈シュネヴィ〉の力を」
「……〈シュネヴィ〉――それがアレの名前か」
その名を唱えた瞬間、頭の中一杯に汽笛が轟く。
汽笛?
いいや、怪物の断末魔だ。
〈シュネヴィ〉の繰り出したキックは、軽々と天地を揺さ振った。
強烈な震動は半平をシェイクし、咄嗟に噛み締めた奥歯を擦り合わせる。妙に口の中がじゃりじゃりするのは、粗挽きされたエナメル質のせいだろう。
近くにいただけで、この有様なのだ。
実際に靴底を叩き込まれた怪物がどうなったかは、言うまでもない。
天井まで飛び散った肉片を掃除するのは、さぞ骨が折れることだろう。
「あれを基準にされても困る。何しろ、〈シュネヴィ〉は中も外も特注品だからな。とは言え、侮られるのも心外だ。我々と君らの技術力には、一世紀以上の開きがある」
「カミサマを騙せたから?」
「その通り。嘘に嘘を重ねて、自分たちに都合のいい現象を押し通してきた結果だ。間違っても、知性に開きがあったわけではない」
ディゲルは頷き、自分たちの小狡さをせせら笑う。
「だが経緯はどうあれ、〈詐術師〉の技術力が人間の比ではないのは事実だ。拳銃も手榴弾も、〈シュネヴィ〉には通用せん。金属ガラス製の装甲はおろか、禍苦禍苦死禍鹿の革で出来たボディスーツにさえ傷を付けられないだろう」
ディゲルはアポロの箱を掲げ、半平に見せ付けるように握り潰す。
「そう、我々はその気になれば、いつでも人間の領地をぶんどれた。ではなぜ今までお行儀よく、世界の裏側に留まってきたのか? 君らの代表と我々を統率する組織の間で、相互不干渉の条約が締結されていたからだ」
足下にアポロの箱を投げ捨て、ディゲルは首を振る。
「だが、組織が全ての〈詐術師〉を管理出来ているわけではない。そして高度な文明を持てば、絶対に愚か者が現れる」
「愚か者?」
「先人の努力の結晶である技術を、己の力と勘違いする連中のことさ」
「確かにネット使ってると、自分が全知全能になった気がしてくっけど」
「なら、君はまだマシな部類だ。『なった気になる』だけなのだからな」
ディゲルは冷たく目を細め、スクリーンを見上げた。
ごご……ごごご……。
にわかに土石流のような音が響きだし、客席と言う客席を揺する。同時にアンタレスが激しく震えだし、表面の流れが時化たように荒くなっていく。
「地震!?」
思わず叫び、半平は腰を浮かせる。
「動くな」
ディゲルは静かに命令し、半平を席に引き戻す。
「下等な人間に地上が支配されているのはおかしいと、〈詐術師〉の中の愚か者が息巻いたとする。息巻くだけなら、立ち飲み屋の常連客と大差ない。ある意味では平和的でもある」
ディゲルは目を閉じ、憂鬱そうに息を吐く。
「だが、彼等は思想を正当化していく過程で、徹底的に人間を調べ上げている。行動に出るのだよ、負けるはずがないと確信してね。馬鹿馬鹿しさを承知で言うなら、始めるのさ。世界征服をな」
突如、激しく脈動していたアンタレスが静止し、ドーム内が静まり返る。
紅蓮の輝きは次第に青白くなり、鋭さを増していった。
すぅぅぅ……。
穴の空いた風船が萎むような音。
実際に萎んでいるのは、スクリーン中央の巨星だ。
見る見るアンタレスが収縮し、青白いピンホールに変わる。
刹那、閃光が爆ぜ、スクリーンを真一文字に断った。
空気を注ぎすぎたチューインガム。
そう、ガム。
ふてぶてしく視界を塞いでいたアンタレスが、宇宙の心臓にも見えた巨星が、たかがおやつのように破裂したのだ。
破壊的な輝きが客席に押し寄せ、半平の視界を真っ白く塗る。目を閉じても全く緩和されない明るさは、眼球そのものが太陽になってしまったかのようだ。
今まで最大級の光と確信していた稲妻も、目の前の輝きに比べたら豆電球でしかない。まともに見ようものなら、失明どころか視神経を焼き切られるだろう。
俊足の光に一足遅れて襲来したのは、未だかつて聞いたことのない爆音。
いや、鼓膜どころか骨格を軋ませるその波を、「おと」と形容してもいいのだろうか。全身の皮膚は勿論、内臓さえ圧迫する威力は、濁音も付かない二文字を完全に超越している。
反響に反響を重ねた振動が乱れ飛び、四方八方から半平を殴打する。頭が視界が滅茶苦茶に揉まれると、低く曇った耳鳴りがあらゆる音を掻き消した。規格外のボリュームが、聴覚を麻痺させたらしい。
耳に水が入ったような感覚に、半平は思わず頭を叩く。そうこうしている内に輝きが弱まり、真っ白だった視界がフルカラーに戻った。
アンタレスの消えたスクリーンに、玉虫色の破片が広がっていく。
花火そっくりの光景は実に艶やかだが、素直に見惚れることは出来ない。
何しろ、アンタレスは太陽の七二〇倍も大きいのだ。
あの破片一つ一つに地球を焼き尽くす力があるのは、疑いようもない。




