どーでもいい知識その③ 宇宙の星は点滅しない
割と衝撃の事実かも知れない今回のタイトル。
この辺りはまだ合っている……はずです。
まだ核融合の話とか出て来てないし。
「ヒトには二つの種族がある」
ナレーションの合間に切り出し、ディゲルは人工の星空を見上げた。
途端、切れ長の瞳を埋め尽くしたのは、記号のような名前しかない星々。
ミーハーな半平とは違い、有名な天体にはあまり関心がないらしい。
密やかに瞬く星団は、普段、人々の営みが生んだ光に隠れている。深い闇によって白日の下に晒されなければ、生涯存在に気付くことはないだろう。
「即ち人間。そしてもう一つが、私やハイネさまのような〈詐術師〉だ」
「種族が違う……!?」
思わず立ち上がり、半平は客席後方を眺めた。
機材の放つ薄明かりが、中央のハイネを照らしている。
青く染まった雪肌は、まるで古城の亡霊だ。
本当にいるのか?
何もせずに見ていても、別の世界へ消えてしまわないか?
オカルトじみた不安感に急き立てられ、半平は隈無くハイネを観察する。
首には薄く血管が浮き、胸は呼吸に合わせて上下している。
だが二本の足まで確かめても、胸騒ぎが鎮まることはなかった。
「外見的、生物学的違いは皆無だ。人間と同様に眠り、食事を摂り、交われば子供も産まれる。安心したかな?」
小悪魔っぽく笑い、ディゲルは半平の顔色を探る。
「へえへえ、安心しましたよ。かわいい女の子産んでもらわなきゃ、明るい家族計画が狂っちゃいますもの」
半平は唇を尖らせ、乱暴に腕を組む。
背もたれに背中をぶつけると、左右の座席までもが大きく震えた。
先ほどは意味もなく顔を近付け、今回は変にハイネとの仲を勘ぐる――。
どうしてこうディゲル・クーパーと言う少女は、他人を小馬鹿にするのだろうか。
ともあれ、やられっぱなしでは面白くない。
ここは一発、ガツンとやり返してやろう。
「ホントに違いがないか、確かめさせてもらえたらありがたいんスけど」
半平はディゲルの胸をガン見し、ニヤリと笑う。
「君も頑固な男だなあ」
呆れたように首を振り、ディゲルはワンピースの第一ボタン、第二ボタンと外していく。たちまち閉じていた胸元が開き、お椀型の膨らみが覗く。白くて、ふわふわで、雪見だいふくみたい。
「おお、今日は水色だったか!」
ディゲルはなかなか深い谷間を覗き込み、なぜか歓声を上げる。
「やめて! そんなもの見せないで!」
堪らず悲鳴を上げ、半平はディゲルの手を押さえた。
ともかく力の限り首を振り、第三ボタンを外そうとする彼女を止める。
ああ、頸椎と頭が分離しそうだ。遠心力ってすごい。
「その目で確かめなくていいのか? 何なら触ってもらっても構わないんだぞ?」
大いにすっとぼけ、ディゲルは半平をからかう。
見えなそうで絶妙に見える笑みが、模範的な余裕の表情が、悔しさを募らせていく。
出来るなら、ディゲルの胸を揉んでやりたい。
そりゃもう、クーパー靱帯が断裂するほど揉みしだいてやりたい。
幾ら何でも本当に触られたら、彼女だって平静を保ってはいられないはずだ。
だが印刷物でも映像作品でもない肌色への免疫は、ないに等しい。そんなピュアボーイが女体に触れたら、鼻からの出血で意識を失ってしまうだろう。
無論、風呂上がりの姉と遭遇したことは何度もある。
三親等以内であれ、ディゲルであれ、身体の材料は同じだ。
――が、違う。違うのだ。
肌色の眩しさが、黒鉛とダイヤモンドばりに。
「外見も生態も同じってんなら、何が人間と違うわけ?」
深く息を吸い、半平は乱れた呼吸を整える。
「〈詐術師〉と人間の間に線を引くのは、偏に〈詐術〉だ」
ディゲルは外れたボタンを放置し、アポロを口に放り込む。
目の毒なので、早くボタンを留めてもらいたい。
それが半平の本音だ。
本音――なのだが、その一方で横目に谷間を凝視し、脳裏に焼き付けている自分がいる。男子って悲しい生き物だ。
「サジュツ?」
「嘘を本当にする反則技さ」
嘘を本当にする?
不可解な発言に、半平は眉を寄せる。その矢先、ふわっと風船が浮くような音が鳴り、スクリーンの映像が上昇を始めた。
そそくさと街並みがドームの底へ沈み、濃紺の大空が座席を囲む。
そのまま半平たちは幾多の雲を突き抜け、ついにはオーシャンブルーの球体を見下ろした。どうやら座席に腰を下ろしたまま、大気圏を突破してしまったらしい。
無限に広がる宇宙には、大量の星が散りばめられている。
漆黒の空間と煌びやかな光とのコラボは、壮大な蒔絵とでも言ったところか。輝きの飽和した天の川に手を伸ばせば、いくらでも星を掬い取れるような気がする。
そんなわけないだろう
大人ぶった心の声が窘めてきても、半平の腰は浮いたままだ。
民俗学的な品物が展示された二階から、船と網を持って来たい。
「本当は恒星って、絶え間なく輝いてるんです」
初耳の情報を切り出し、ハイネは半平の目を周囲の星に誘導する。
確かに彼女の言う通り、宇宙空間の恒星は瞬かない。
つまり、普通のライトのように輝き続けている。
地上で見るより力強い反面、儚さや詩的な雰囲気はない。
「私たちの目には波風がないように見える大気も、実際は煙のように揺らめいています。この揺らめきが星から届く光をねじ曲げて、切れ切れにしてしまうんです。結果、地球上から眺める星は、瞬いているように見えてしまいます。原理としては、水中の物体がゆらゆら見えるのと同じですね」
説明を続けるだけ、ハイネの声は朗らかさを取り戻していく。
最初の内は無理矢理絞り出していた笑みも、大分自然になってきた。
ディゲルは天体観測を開催する理由を、半平をリラックスさせるためだと言っていた。でも本当はハイネを慣れた環境に置き、落ち着かせるのが狙いだったのかも知れない。
「以前、目目森博物館のプラネタリウムは、一万五〇〇〇個の星を表示するのが限界でした。でも二〇〇七年に改修が行われて、現在はなんと三六万個の星を一度に映し出せるんですよ!」
ハイネは珍しく得意がり、荒い鼻息をマイクに乗せる。次の瞬間、宇宙空間にマウスっぽいポインタが出現し、天の川の周囲を旋回し始めた。
「やれやれ、少しは空気を読んでくれたまえよ。これではロマンティックなムードが台無しだ」
無邪気に跳ね回るポインタに、ディゲルは頭を抱える。
だが、その横顔はどこか安堵しているようにも見えた。
「〈詐術師〉は〈黄金律〉を騙し、都合のいい嘘を現実にする。それが〈詐術〉だ」
「おーごんりつ? 私立とか市立とかの仲間?」
「物理法則に従い、森羅万象の運行を司っている存在のことさ。君ら人間の言葉で形容するなら、カミサマと言ったところかな」
「カミサマ、ねえ」
不信感丸出しの声に、光学式投影機の駆動音が続く。
途端に母星の周囲を漂っていた座席が、地球から離れ始めた。
半平たちはしばらく宇宙空間を放浪し、密集した星々に突入する。その瞬間、無数の煌めきが座席を包囲し、ドーム内を眩く照らした。目を休ませようにも逃げ場のない景色は、宝石箱の中に飛び込んだかのようだ。
ひゅっ、ひゅっ……。
甲高い風切り音を響かせながら、正面から背後に星が流れ去っていく。
いや、動いているのは星ではない。
座席のほうが、猛スピードで星のトンネルを駆け抜けているのだ。
勿論、空気のない宇宙空間で、音が鳴るわけがない。
これ見よがしに鳴り響く風音は、疾走感を出すための演出だろう。
恐るべき座席は、光を超えるスピードで半平たちを運んでいく。トンネルを潜り抜けた先に待っていたのは、水溜まりほどになった銀河だった。




