どーでもいい知識その② 明るすぎると星は見えない
まずは基礎的な知識から。
この辺りの話は、星に詳しくない方でも知っていると思います。
「すまないが、操作を頼めるかね」
ハイネに話し掛けながら、ディゲルは客席後方を見た。
放送室を大袈裟にしたような機材が、朧気に光を放っている。
「私ごときがあなたに指図するなど心苦しいのだが、ご存知の通り、機械はからっきしでね。満足に扱えるのは鉄砲くらいなものさ」
ディゲルは自嘲し、降参するように両手を上げる。
「構いませんけど……」
ハイネは口ごもり、半平を窺う。
彼女が口を噤んでしまってから、まだ一時間は経っていない。
それなのに、もう何年も声を聞いていなかった気がする。
懐かしさと共にこみ上げてきたのは、感動と感激。
漂流中に船を見付けた気分、と言ったら大袈裟すぎるだろうか。ただ、心底彼女の声を求めながら、願いが叶うことを絶望視していたのは事実だ。
「なぁに、さほど難解な話ではない。少しばかりお星さまがキラキラしていたところで、理解の妨げにはならないよ。むしろ慣れ親しんだあなたの声が聞こえていたほうが、気も休まると言うものだ」
ディゲルは投げやりに言い、ポケットから出したキットカットを頬張った。
丁度、スクリーンには、飲食禁止を意味するイラストが表示されている。ハンバーガーや紙コップには×が付いているが、チョコはオッケーらしい。
「じゃあ……」
ハイネはまだ少し納得の行かない顔で、客席後方に向かう。
それから一通り機材をチェックし、パソコンの前に腰を下ろした。
「ほら、何をぼんやりしている。君もさっさと座りたまえ」
ディゲルはど真ん中の席に陣取り、隣の椅子を叩く。
女子の隣に座る? これから暗くなるのに?
何となく抵抗を感じてしまうが、口答えしても面倒そうだ。ここは黙って従ったほうがいいだろう。
「チョコ、食べるかね?」
横に座った半平に、ディゲルはアポロを差し出す。
「飲・食・禁・止!」
半平は眉を吊り上げ、アポロを押し返す。
「堅苦しい男だ」
鬱陶しげに吐き捨て、ディゲルはピンクと黒、ツートンカラーのロケットを口へ発射する。もうどちらが館長だか判ったものではない。
人目に触れたらマズい光景を、闇に葬ろうとでも言うのだろうか。
徐々にドーム内の照明が落とされ、非常口の灯りが消える。
ドーム内が暗闇に包まれると、スクリーンもまた濃紺に染まった。
静かに機械音を鳴らしながら、R2―D2似光学式投影機が土台を回していく。続けてデメキンっぽいレンズから光が伸び、スクリーンに夜景を映した。見慣れた建物があるところから見て、博物館の屋上から眺めた街並みだろう。
ぽつぽつと瞬いているのは、消え入る寸前の星々だろうか。
いつか見たホームページには、光学式投影機は星の描写に秀でていると書いてあった。
しかし半平の目に映る星々は、死にかけのホタルのように弱々しい。
街灯の盛られた地上と比べて、空はあまりに暗い。
目目森博物館では光学式投影機の他に、デジタル式投影機を使用している。
こちらの担当はCGで、六台もの機器が使われていると言う。複数の投影機を併用することで、臨場感溢れる映像を生み出しているそうだ。今のところ、実感は得られないが。
「灯り、落としますね」
壁面に内蔵されたスピーカーから、ハイネの声が響く。
多くのプラネタリウムでは、解説を録音で済ませている。
そんな中、生でナレーションを行っているのは、目目森博物館のいいところだ。同じプログラムでも、解説者の違いによって異なる気分を味わうことが出来る。
「ああ、頼む。この景色は辛気臭くて堪らん」
ディゲルが許可を出した途端、すうっと街の灯りが揮発していく。
やがて地上から光が消え、濃紺だった視界が真っ黒く染まった。
瞬間、天空から降り注ぐ光。
スクリーン全体が煌々と瞬き、透き通った輝きが客席を取り囲む。思わず目を細め、半平は空を見上げた。
ついさっきまで死にかけのホタルだった星々が、新鮮なサバのように煌めいている。過剰に星を蓄えた天の川は、今にも氾濫を起こしそうだ。
南の空にはオリオン座のベテルギウス、おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオン。いわゆる「冬の大三角形」だ。
天頂にはふたご座のカストルとポルックス、西にはおうし座のアルデバランに、ぎょしゃ座のカペラも見える。
北の空を照らしているのは、おおぐま座の尻尾で、ひしゃく型の北斗七星。
こぐま座の尻尾である北極星も、負けず劣らず勇壮な輝きを放っている。さすがは方角の指標となり、大航海の水先案内人を務めた星だ。
先ほど推理した通りなら、スクリーンに映っているのは、博物館を中心とした東西南北だ。屋上に登れば、ドーム内と寸分違わない光景を目にすることが出来る。
――はずなのだが、現実には東京の葛飾区で、これほど沢山の星を見ることは出来ない。まともに天体観測したいなら、田舎に行く必要がある。
とは言え、田舎の空に多くの星が浮いているわけではない。
刺々しく伸びるビル群も、なだらかな山々も、見上げる宇宙は一緒だ。
原因は遥か彼方の銀河ではなく、地上にある。
他でもない人間だ。
空気の澄んだ田舎とは違い、都会の大気は排気ガスや工場の煙で曇っている。宇宙と地上の間に煙幕が掛かっていると言えば、判りやすいかも知れない。
星々の放つ輝きは、淀んだ大気によって減衰していく。
結果、地上に辿り着く頃には、肉眼で捉えられなくなってしまう。
例外的に光が強ければ、人間にも視認することが出来る。
ただ生憎、激しく輝く一等星は、数が限られている。
また夜の都会には、人工の灯りが溢れかえっている。
家々は勿論、コンビニや自販機も一晩中光を絶やさない。道路に目を向ければ、忙しくヘッドライトが行き来している。
暗闇には光の円を描く懐中電灯も、日差しの下では目立たない。
同様に強い輝きがあると、光の弱い星は掻き消されてしまう。
田舎に無数の星が浮いているのは、街灯もまばらだから。都会でも人々が節電に励んでいた時期は、いつもより多くの星が空を彩った。
「今はこんなにはっきり見えるオリオン座ですが、夏頃になると見えなくなってしまいます。丁度、さそり座と入れ替わるように、星空から消えてしまうんです」
ハイネは苦笑し、呆れたように続ける。
「狩人のオリオンさんは、サソリに殺されてしまいました。だから、未だにサソリが出て来ると、怖がって隠れてしまうんです」
オリオン座のトリビアを皮切りに、ハイネは星の説明を行っていく。
故事や神話を語る口振りに、緊張の色は見られない。
緩急の付け方も絶妙で、ぐいぐいと観客の心を引き込んでいく。
しっかりした滑舌と言い、解説員の仕事が始めてでないのは間違いない。
もしかしたら、普段は目目森博物館で働いているのだろうか。
考えてみれば、半平はハイネのプライベートをほとんど知らない。
海外旅行の目的は、勇気が足りずに訊けなかった。
だがその他の事柄に関しては、気にならなかったと言うしかない。昼間からスーパーに居ることも、学校に通っていないことも、質問しようとは一度も思わなかった。
ニートの半平は、無意識に自分を基準にしていたのだろうか? それとも、彼女の持つ神秘的な雰囲気が、世間一般との違いに目を行かなくした?
いや、下手に日常生活の話題を出し、質問を返されるのを恐れていたのかも知れない。
神秘性の欠片もない沼津半平は、絶対に世間一般との違いを質問される。
どうして高校に通っていないんですか、と。




