どーでもいい知識その① 葛飾区には凄いプラネタリウムがある
一応、ここから第二話です。
次回からいよいよ星の蘊蓄が始まります。
登場人物
沼津半平
→16歳の少年。
高校を一学期で中退し、現在はニートをやっている。
ハイネ・ローゼンクロイツ
→自称15歳の少女。
奇妙な卒塔婆を使い、ゴーストライターシュネヴィに変身する。
葛飾区立目目森博物館は、沼津家から一五分ほどの場所にある。
そこから五分ほど直進すれば、眉毛の繋がったお巡りさんで有名な町だ。
環七沿いにはショッピングモールがあり、週末は多くの家族で賑わっている。ヤニクロやシネコンも入っていて、ハイネも世話になることが多いと言う。何でもヒーローが銀幕を飾る度に、大量の諭吉を注ぎ込んでいるそうだ。
博物館の前は、上水路を記念した親水公園になっている。
小川のような水路は、南北三㌔に渡って涼やかな水音を鳴らしている。
そよ風が水辺の草木を揺らす様子は、都会の尾瀬とでも言ったところか。夕涼みには絶好のスポットで、夏場には子供のプール代わりにもなっている。
幸い公園には等間隔で、屋根の付いた休憩所が用意されている。
何かと日焼けに敏感な奥さま方も、怯える心配はない。淑女の皆さんが井戸端会議に集中している間は、ちょんまげを結った銅像が子供たちを見守っている。
博物館もまた老若男女に親しまれている場所で、校外学習にも使われている。
週末には誰でも参加出来る天体観測も催されていて、半平も何度か行ったことがある。大砲まがいの望遠鏡は迫力満点で、アームストロング船長の足跡を砲撃したくなった。
建物は三階建てで、面積は大型スーパー程度。
さすがに上野の国立科学博物館などと比べてしまうと、こぢんまりした印象は拭えない。展示物も古い農具や、区内で出土した土器が中心だ。
反面、直径一八㍍、傾斜角一五度のドームは、ザ・SFなムードを漂わせている。玄関前に置かれた巨大な銀玉も、なかなか近未来的だ。キューブリックが目にしたら、モノリスの代わりに採用していただろう。
巨大UFOにも似たドームは、見掛け倒しではない。
内部に足を踏み入れた来館者は、もれなく星の海へ旅立つことになる。
目目森博物館が誇るプラネタリウムによって。
大人三五〇円、小中学生一〇〇円で楽しめる宇宙旅行は、区外からも好評を博している。
ただでさえお手頃価格だが、この程度で驚いてはいけない。
何と中学生以下に限り、土曜日は無料で観覧することが出来る。
下町のプラネタリウムと言えば、スカイツリーが有名だが、あちらは遥かに高い。中学生以上一五〇〇円、子供九〇〇円と、沼津家のような低所得者を、門前払いする価格設定になっている。
所詮は東京のスラム葛飾、区立のプラネタリウムと侮ることなかれ。
「ジェミニスターKatsushika3」と名付けられたシステムは、全宇宙の三次元地図「デジタル・ユニバース」を内包している。あのアメリカ自然史博物館が、「宇宙と言えば」なNASAの協力を得て開発した代物だ。
一般的なプラネタリウムでは一〇〇〇光年先を映すのが限界のところ、目目森博物館のそれは宇宙の果て、一三七億光年先まで描き出せると言う。
半平がエントランスホールに通された時、腕時計の針は一一時を回ろうとしていた。
目目森博物館の閉館時間は午後五時で、今日は天体観測も開催されていない。
来館者用の照明は落とされ、最低限の常夜灯だけが館内を照らしている。当然、周囲は薄暗く、目を凝らしても全域を見渡すことは出来ない。
「ナイト・ミュージアム」と言えば何かと愉快なイメージがあるが、現実には肝試しだ。
暗闇に浮かぶ非常灯は、どこからどう見ても人魂。
葬式の花輪ほどもある熊手は、巨大な影と化している。
黒々した塊がぬっと見下ろす様子は、海坊主に他ならない。
昼間訪れた時には全く意識しなかったが、館内には独特の臭いが漂っている。
カビと土がない交ぜになったような趣は、「太古の香り」とでも形容したところか。
秒針が一歩進むごとに、半平の身体は文明の臭いを失っていく。
意味もなく募る心細さは、独り無人島に放り出されたかのようだ。
エントランスホールの天井は吹き抜けで、二階の踊り場には「フーコーの振り子」が吊られている。
普段は知的な印象しか受けないが、闇を纏った姿は何となく不気味だ。ふらふらと規則的に揺れる姿が、首吊り死体に見えて仕方ない。
「フーコーの振り子」はフランスの物理学者レオン・フーコーが、地球の自転を証明するために発案した装置だ。
以前、二階にある解説文を読んだが、三階の天井から垂らされたワイヤーは、一六.二㍍もの長さを誇ると言う。またくす玉に瓜二つの錘は、直径三八.一㌢、重さは一三〇㌔にも及ぶと言う。
折り目正しく左右する振り子は、一見すると同じ場所を行き来しているように見える。
だが実際には、地球の自転と共に少しずつ軌道を変え、環状に並んだピンを倒していく。一本のピンを倒すには約一四分五四秒、一六五本全て倒しきるには約四〇時間五八分必要らしい。
「ようこそ、ここが秘密溢れる眠りの森だ」
ふと三階の踊り場から声が響き、半平の視線を招く。太陽系の描かれたステンドグラスから月光が注ぎ、西洋人の少女を照らしていた。
真っ赤なワンピースに黒いトレンチコートと言う服装は、吸血鬼を連想させる。青白い肌を見る限り、長い間、血は吸っていないようだ。
年齢は一七、八歳くらい。身長は一六〇㌢程度だろうか。
ハイネほどではないが、外国人にしては小さいほうだ。
体付きは華奢で、胸や尻にも最低限の肉しか付いていない。反面、まっすぐに伸びた背筋は凛々しく、腿は陸上選手のように引き締まっている。
顔立ちは理知的だが、それ以上に冷たい。
ハイネ同様、整ってはいるが、話し掛けるには勇気のいるタイプだ。中でも、茶色い瞳には、心臓に狙いを合わせているような威圧感がある。
「さ~て、君はどういう感じかな」
楽しげに呟き、少女は階段を降りていく。
足早に一階までやって来ると、彼女は半平の顔を覗き込んだ。
少女の顔が目前に迫り、鼻と鼻とが幽かに触れ合う。
赤茶の髪が頬を擽ると、チョコレートの香りが半平を包み込んだ。
途端に心臓の音が大きくなり、顔中が熱くなっていく。ここまで異性に接近を許したのは、おでこで熱を測られた時以来だ。相手? 勿論、オカンだ。
「こっち来ちゃらめぇ!」
裏声の悲鳴を上げ、半平は少女を突き飛ばす。
若い娘さんが無防備に顔を近付ける?
一体全体、最近の学舎はどういう教育をしているのか。
大和撫子などと時代錯誤なことを言うつもりはないが、もう少し慎みと言うものを教えて頂きたい。男子の心臓を守るためにも。
「少しばかりチンパンジー寄りだが、なかなか」
少女は意地悪く笑い、ハイネの表情を窺う。
「相変わらず、あなたは面食いだな。ホストクラブでも開く気かね」
皮肉られたらしいハイネは、やりにくそうに笑みを浮かべる。
博物館に来るまでもそうだったように、一切、声は出さなかった。
「ま、好みは人それぞれだ。あなたの趣味にケチを付けるつもりはないさ」
急激に笑みを萎ませ、少女は半平に目を戻す。社交辞令的な反応しかしてもらえなかったのが、よほどつまらなかったらしい。
「挨拶が遅れて申し訳ない。当館の館長を務める、ディゲル・クーパーだ」
ディゲル・クーパーはお辞儀し、ワンピースの裾を摘み上げる。
「『館長』って……」
思わず呟き、半平はディゲルに疑惑の目を向ける。
高校生程度にしか見えない彼女が、重要なポストに就けるとは思えない。
「女は魔物さ。見た目では決め付けられないよ」
ディゲルはくすくすと笑い、なぜかハイネをチラ見する。
「さて、星は好きかね?」
脈絡なく尋ねると、ディゲルは半平の背中を押し始めた。
半平は強引にエレベーターへ押し込まれ、三階まで運ばれる。
午後四時の回で終了したプラネタリウムは、固く扉を閉ざしていた。
「本来は入館料や観覧料を頂戴するのだがね。今回は館長権限でサービスにしておこう」
恩着せがましく前置きし、ディゲルは映画館風のドアを開けた。
プラネタリウムの視聴には、観覧券の他に入場券が必要になる。
とは言え、目目森博物館の入館料は、たったの一〇〇円。プラネタリウム以外にも面白い展示物があるので、惜しいと感じる来館者はいないだろう。中でも昭和の民家を再現したコーナーは、なかなかの完成度だ。
「星が見たいなら、外に行きゃいいんじゃないスか?」
「まあまあ、少しばかり私に付き合ってくれたまえ」
訝しむ半平を余所に、ディゲルは薄暗い廊下を進んでいく。程なく彼女は二つ目のドアを開き、半平をドームの中に誘った。
輝きの弱い照明が、映画館程度の空間を照らしている。
半平の記憶が確かなら、座席の数は一七二個だっただろうか。ドーム状のスクリーンには、観客への注意や天体観測のお知らせが投影されている。




