⑤アンデッド、降臨
毎回毎回、非常に考えるのがメンド臭い変身ポーズ。
でも、あったほうがカッコいい気がするんですよね。
ディケイドとか仮面ライダーSPIRITSを見てると。
「ハッ!」
ハイネはヘソの前から卒塔婆を跳ね上げ、下から首輪に差し込む。途端、卒塔婆の残像と喉元に残っていた光が交差し、一瞬、十字架を描いた。
チーン!
厳かに鳴り響いたのは、お葬式でよく聞くあの音色。
鈴と呼ばれるお碗を、鈴棒で叩く音だ。
すかさず卒塔婆の目盛りに取り付けられた横棒が、「P」から「E」に一段上がる。続いて首輪に備わった手が内側に閉じ、卒塔婆を喉元に固定した。
今のハイネを遠くから眺めたら、骸骨に首を絞められているように見えるだろう。
鎖骨の間を通り、胸に垂れた卒塔婆は、「趣味の悪いネクタイ」と言ったところか。おあつらえ向きに、横棒と言うタイピンまで付いている。
〝怨罵阿明愚 牢呪〟
二度目の読経を合図に、彼女の延髄から突き出た走馬燈が輝きだす。たちまち桜色の光が彼女を照らし、白い肌に紅を差した。
走馬燈から首輪の溝、首輪から卒塔婆の溝へと光が流れ込み、唐草模様を浮き上がらせていく。同時に盆踊りが鳴り止み、入れ替わりに木魚の音が響き始めた。
ポクポクポク……。
辛気臭いリズムを聞いたハイネは、悠然と合掌する。
それから頭上に両手を掲げ、今度は胸の前に下ろしていった。
刹那、彼女の両手が分離し、右腕が斜め上、左腕が斜め下に伸びる。
思う存分、翼を広げたような体勢は、天空を駆けるオオワシに他ならない。
すぅぅ……。
ハイネは神妙に息を吐き、力こぶを出すように左腕を曲げていく。
前後して、彼女は両手を固め、右の拳を左の拳に引き寄せた。
小さな拳に血管が隆起し、激突寸前まで両手が近付く。
瞬間、ハイネは剣のように左手を伸ばし、鋭く右下に切り払う。同時に彼女は右手を引き、腰の脇に構えた。
「……〈返信〉」
力むように呟き、ハイネは左腕を右下から左上に振り上げる。
間髪入れず、彼女は顎を上げ、ピンと背筋を伸ばした。
〝離墓怨 種根薇 喪屡幻離離憑〟
卒塔婆の横棒がチーン! と鳴り、「E」から「R」の目盛りに一段上がる。途端に延髄の走馬燈が回転を始め、花吹雪のように舞い散る薔薇を照らし出した。
〝維維 透屡 透胆 透屡沌〟
木魚が途切れ、竪琴に伴奏された読経が響き渡る。
せせらぎのように汚れなく、繊細な旋律――。
奏でているのは、オルフェウスに違いない。
オルフェウスはギリシア神話に登場する英雄で、竪琴の名手として知られている。妻のエウリュディケを甦らせるため、冥府へ向かった逸話はなかなか有名だ。
彼の演奏はまさに神業で、海の怪物セイレーンが聞き惚れるほどだったと言う。その美声で船乗りを惑わせていたセイレーンは、逆に魅了されてしまったことを恥じ、自ら命を絶ってしまったらしい。
同じ怪物とは言え、学ランの生んだそれに演奏を楽しんでいる様子はない。
だが竪琴はお構いなしに昂ぶり、一際高い音を響かせる。
瞬間、卒塔婆の唐草模様が点滅し、ハイネの足下が不気味に波打った。
がさ……がさがさ……。
固い固い舗道が妖しく蠢き、地中を這い回る音が響き渡る。
直後、彼女の足下から一組の腕が生えた。
毛。
肉。
皮。
何もない。
骨だけの腕だ。
オルフェウスの竪琴が地獄の番犬を微睡ませている間に、黄泉の国を抜け出して来たのだろうか。
次々と骨の腕が生え、生え、生え、ハイネの足下に生い茂る。あっと言う間に骨の茂みが完成し、彼女の膝下を包み隠す。
一斉に骨の手が倒れ、手の平を地面に押し付ける。
次の瞬間、曲がっていた肘が爆発的に伸び、骨の手を空中に打ち上げた。
際限なく地表が爆ぜ、爆ぜ、爆ぜ、骸骨の群れが溢れ、溢れ、溢れ出す。
そう、今まで腕だけを突き出していた亡者どもが。
長い間打ち捨てられていたのか、五体満足な骸骨は一体もない。
乱暴に飛び出す度に、黄ばんだ体躯が土埃をまき散らしている。
ひび割れた頭蓋骨からは骨片が飛び散り、小刻みに壁を打っていた。
ここは墓場か?
古戦場か?
いいや、ありふれたトンネルだ。
ましてや、周囲には弔いの花束一つない。
ハイネの足下を掘り返した程度で、骨の「鉱脈」にぶち当たるとは思えない。
あの骸骨たちは、本当に冥府から召還されているのだろうか。
背筋を冷たくする半平を尻目に、骸骨たちはハイネの身体を這い上がっていく。
妙にすばしっこく、カクカクとした動きは、ストップモーションアニメそのもの。リアルタイムで目にしていなければ、人形を少しずつ動かしていると疑わないだろう。
不気味に歯を打ち鳴らす集団は、見る見る彼女を覆い尽くしていく。
亡者の群れは格子状に絡み合い、ハイネを骨のサナギに閉じ込めた。
ふっくらした三日月型は、チョウのそれと全く同じ。とは言え、一八〇㌢オーバーの半平が見上げている以上、二㍍近くはあるだろう。
表面はくすんだ白色で、チョークに似た臭いを漂わせている。
穴だらけの骨で出来ているにもかかわらず、中身を覗くことは出来ない。
ずず……ずずず……。
地震にしては浅い揺れが始まり、半平の足裏を擽る。同時にサナギの根元から霧が這い出し、ドライアイスのように地表を覆った。
にわかにトンネル内が生温かくなり、半平を汗ばませていく。
呼応して、霧の表面が震えだし、何かの軋む音が鳴り始めた。
ぎぃぎぃ……ぎぃぎぃ……。
古い階段のように呻くのは、霧の底から浮いてくる影。
位牌だ。
化石を思わせるタッチで、一輪の薔薇が描かれている。
やにわにサナギの土台から腕が伸び、位牌を掴み取る。
すかさず始まったのは、バケツならぬ位牌リレーだった。
骸骨から骸骨へ位牌が手渡され、上に上に猛進していく。その過程で位牌はルービックキューブのように捏ね回され、三角形のバイザーに姿を変えた。
程なくサナギの左肩から骸骨が這いだし、バイザーを受け取る。刹那、骸骨は過剰に身を乗り出し、ハイネの顔面が埋まっているはずの場所にバイザーを叩き付けた。
地上最強の焼香が、サナギを木っ端微塵に打ち砕く。瞬間、盛大に白煙が噴き出し、粉々になった骨が壁に天井に半平に吹き付けた。
咄嗟に腕を顔の前に翳し、半平はハイネを窺う。
艶やかな白髪。
白い肌。
何一つ見て取ることが出来ない。
代わりに視界を占拠したのは、一匹の骸骨。
柔和な笑みを絶やさないはずの顔が、仏頂面の髑髏に取って代わられている。
とは言え、肉を脱ぎ捨ててしまったわけではない。
むしろ彼女は着込んだのだ。骸骨を模した鎧を。
「鎧」とは言っても、全身を金属の板で覆っているわけではない。スピードスケーター調のボディースーツを着た上で、要所だけに装甲を纏っている。もしかしたら、日曜朝八時のヒーローを参考にしたのかも知れない。
軽量化のためかも知れないが、装甲の数はかなり限られている。
しかも、まともに身体を守れそうなものは一つもない。
内臓の詰まった胴体を保護するのは、隙間だらけの肋骨。
フルフェイスの仮面は、額から右耳の後ろまでごっそり欠けている。
歪な形の穴からは、脳のように絡まった管が覗いていた。
墓穴から掘り起こされた死体―――。
瞬間的に抱いた感想だが、半平には断言出来る。
一〇〇年間頭を捻ったとしても、それ以上の形容詞は見付からない。
ボロボロのコートは、痛んだ死に装束。
黒いチューブで出来たボディスーツは、変色した筋繊維。
骨格を模した装甲は、腐り落ちた部分から露出した骨だ。
卒塔婆を飾る花々が、やけに鮮やかな理由が判った。死体の養分を吸い取ったのだ。
出せ! 出せ!
強く訴えるように心臓が打ち、徐々に身体の感覚が消えていく。
ふと垣間見た手は、真っ白に染まっていた。生まれてからこの方――いや、生まれる前から片時も離れたことのない体温が、身体の外に逃げ出している。
この反応は恐怖なのだろうか?
いや、骸骨を恐れる理由はない。
何しろ、中の人はハイネだ。
いかに禍々しい姿をしていたとしても、自分に危害を加えることはない。むしろ、彼女は震えるばかりの臆病者を守るために、姿を変えたのだ。
そう、骸骨は全くもって無害だ。
ではなぜ、思ってしまうのだろう。
近寄りたくない。
もし、どちらかに触れなければならないなら、迷わずに怪物を選ぶだろう。
中身はハイネだ! 命の危険はない!
どれほど自分に言い聞かせても、本能が拒絶する。
いや、嫌悪も混じった感覚は、忌避と言うべきかも知れない。
もしや沼津半平は、骸骨の姿に自分の末路を重ねているのだろうか?
確かに今の彼女は、死を体現し過ぎている。
そして死と言えば、生物にとって最も避けるべき事象だ。
無意識に安全装置が働き、近寄らせまいとしても無理はない。
「……さあ、準備はいいですか?」
髑髏の仮面から漏れる声には、曇ったエコーが掛かっていた。
男性の裏声のように低いのは、首輪に喉を絞められているからだろうか。
いや、そもそも、あの骸骨の中身は、本当にハイネなのだろうか。
ぐらあ……!
怪物は長々と唸り、骸骨を威嚇する。
牙を剥きだした姿こそ勇ましいが、その足はじりじりと後ずさっていく。
野生の勘で、感じ取ったのかも知れない。
彼女の背後にある、絶対的な死を。
「どいつもこいつもおねんねの時間です」
冷徹に宣告し、ハイネは両手を合わせる。
それから重ねた両手を頬に当て、枕にもたれるように首を傾げた。




