③怪人骸骨男
本編でもちょっと触れましたが、〈アンテラ〉のモチーフは内臓を吐いた深海魚です。
最初はザ・アンコウな姿にしようかと思ったのですが、面白くなかったので変えました。
今宵もまた猛火はビルの屋上にまで達し、貯水タンクを焼き尽くす。真紅の熱風は〈シュネヴィ〉を浚い、木の葉のように揉みしだき、ブロック塀に叩き付けた。
コンタクト型モニターに白薔薇のイラストが表示され、無惨に焼け落ちていく。
手を拱いていれば、こうなるとでも言いたいのだろうか。確かに水玉が爆発して以来、モニター右上の温度計はエラー表示を続けている。
バーナーのように炎を吹き付けられる装甲は、橙色の光を放っていた。スペースシャトルのタイル以上と謳われる耐熱性も、限界に近付きつつあるらしい。
大人しく焼かれ続けて、一秒ほど経っただろうか。
少しずつ爆炎が萎みだし、代わりにススの雨が広がっていく。
同時に残り火の裏から〈アンテラ〉が跳躍し、黒こげの車に降り立った。
忙しく〈アンテラ〉の頭が動き回り、透明な顔面に周囲の景色を映していく。
一頻り焼け野原を見回すと、〈アンテラ〉の全身がぱあっと光輝いた。
どうやら自分自身に太鼓判を押したらしい。
邪魔者は焼き尽くした、と。
確信するのも無理はない。
高温に晒されたばかりの地面は、所々赤い光を放っている。
ぶすぶすと燻る煙は、肺胞をどす黒く染め抜くような色。気管をチクチクと刺す刺激臭と言い、有毒な成分が含まれているのは疑いようもない。
今や〈アンテラ〉の周囲は、生者が足を踏み入れられる場所ではない。この瞬間、〈アンテラ〉の目に映る展望以上に、「地獄」と言う形容詞が似合う景色は存在しないだろう。
だが、〈アンテラ〉は忘れるべきではなかった。
確かに、地獄は生命の存在出来る場所ではない。
しかし亡霊にとっては、ホームグラウンドに過ぎない。
ごぉぉぉぉ……。
重苦しく唸る上昇気流が、黒煙を巻き上げていく。分厚かったススが灰が一気に薄くなると、〈アンテラ〉の顔に髑髏の仮面が映り込んだ。
そう、煙の中に佇む〈シュネヴィ〉が。
地表から立ち上る熱気が、骸骨を模した鎧を不気味に揺らめかせている。
「鎧」と言っても、全身を金属板で覆っているわけではない。
むしろ蒼白の装甲は、頭や胸などの急所、もしくは四肢の一部に限られている。しかも、それらは人体の骨格を模した「骨組み」に過ぎない。
胸当ては隙間だらけの肋骨で、腰を包むのは穴の空いた骨盤。頭を守るヘルメットですら、ひび割れた髑髏と言う有様だ。申しわけ程度に三角形のバイザーを着けたそれは、生きたまま焼かれたように歯を食いしばっている。
全身を隈無く包むのは、装甲の下に着込んだチューブのみ。
ミイラのように巻かれたそれは、黒いボディースーツを形作っている。
〈シュネヴィ〉が始めて鏡を見た時、真っ先に連想したのは腐乱死体だった。
装甲役の骨組みは、腐り落ちた部分から露出した骨。
鹿革特有の細かいシワを持つチューブは、渇きつつある筋繊維。
おあつらえ向きに背中や踝には、蕾型のノズルが生えている。ふくよかに膨らんだそれは、死体が養分の宝庫であることを物語っていた。
にしても、随分と手酷くやられたものだ。
シミ一つなかった装甲は見事に焦げ、所々黒ずんでいる。
髑髏の仮面もススに塗れ、頬骨に灰を積もらせていた。
延髄から突き出た走馬燈は、今にも消えそうに点滅している。
普段は滑らかな回転も、錆び付いた歯車のようにぎこちない。痛みに集中力を奪われたせいで、動力源となる〈発言力〉の供給が滞ってしまったのだろう。
幸い〈アンテラ〉は棒立ちになり、髑髏の仮面を凝視している。
何食わぬ顔で炎から現れた骸骨に、狼狽しているのかも知れない。
猶予を与えられた〈シュネヴィ〉は、体勢を立て直すために目を閉じた。
呼吸を整えながら、瞼の裏に思い描く。
延髄から湧き出た水が、全身を循環する様子を。
穏やかな水系が鮮明になるにつれて、喧しかった警告音が小さくなっていく。
仮面の内側に沈黙が広がるまで待ち、〈シュネヴィ〉は目を開いた。
数秒前まで点滅していた走馬燈が、活き活きと桜色の光を灯している。
回転も普段の滑らかさを取り戻し、薔薇の影絵を優雅に漂わせていた。
程なく動力炉である走馬燈から身体中に、桜色の光が流れ出ていく。〈シュネヴィ〉の隅々にまで光が行き渡ると、全身ををツギハギするような流動路がくっきりと浮き上がった。
たちまち髑髏の仮面が目を光らせ、バイザーから輝きが溢れ出す。
眩く伸びた光線は、サーチライトのように〈アンテラ〉を照らした。
て、てらぁ……!?
〈アンテラ〉は大きく仰け反り、紙テープのように触碗を放る。
瞬間、先端のカンテラが高々と舞い上がり、ビルの五階に飛び込んだ。
闇を陳列するショーウィンドーが砕け散り、ガラス片が降り注ぐ。同時にマネキンが投身自殺を図り、バラバラになった四肢が道路に飛び散った。
ずる……ずるずる……。
触碗がビルの中を這い回り、太い円柱に絡み付く。
途端、〈アンテラ〉はそれを巻き取り、自らを吊り上げ始めた。
滑車を使ったように〈アンテラ〉が上昇し、五階の穴に消える。すかさず〈シュネヴィ〉は跳躍し、くるぶしの蕾から圧縮空気を噴き出した。
爆発が起きたように空気が震え、〈シュネヴィ〉の足下から白煙が膨れ上がる。刹那、〈シュネヴィ〉はロケットと化し、一瞬にしてビルの五階に飛び込んだ。
常夜灯以外を消した洋服店は、静けさに支配されていた。
鏡の横には着飾ったマネキンが立ち、得意げにポーズを取っている。
〈シュネヴィ〉は注意深く辺りを窺いながら、壁際を歩んでいく。
色とりどりのフリースを見送ると、視界の端がギラリと瞬いた。
てらぁ!
凶暴に顔面を輝かせ、円柱の陰から〈アンテラ〉が飛び出す。
頭上まで掲げたカンテラは、どんな言葉より雄弁に宣告している。
髑髏の仮面ごと本物の頭蓋骨を砕いてやる!
「ハッ!」
〈シュネヴィ〉は軽く地面を蹴り、短く下がる。
途端にカンテラが眉間を掠め、磨き抜かれた床にめり込んだ。
大小の破片と成り果て、〈シュネヴィ〉に吹き付ける床。
そして、店内を攪拌する突風。
一枚、二枚とマネキンのスカートが捲れ、くびれすぎた腰がへし折れていく。
てらぁ!
宙を舞うシャツを掻き分け、〈アンテラ〉は正面にカンテラを突き出す。すかさず〈シュネヴィ〉は〈アンテラ〉の手首を跳ね上げ、カンテラを明後日の方向に弾き飛ばした。
続けざま〈アンテラ〉の前蹴りを肘で迎撃し、ショートアッパーを返す。伸び上がる拳は見事に顎を捉え、〈アンテラ〉の足を僅かに浮かせた。
〈シュネヴィ〉の流動路が放つ光と、毒々しく輝く〈アンテラ〉――。
二つの光が繰り広げる攻防を、無数の鏡が写し取る。自然とあちこちから淡い灯りが伸び、幾つもロウソクを立てたように店内を照らした。
儚くも幽玄な光景は、精霊流しとでも言ったところか。
その実、怪物と亡霊の激突が生んだ衝撃波は、嵐のように周囲を薙ぎ払っている。絶え間なく頭上を飛び交うのは、バラバラに裂かれたマネキン。白かった天井は、〈アンテラ〉の噴き出す消しカスで真っ黒になってしまった。
てらあ!
咆哮が空中の端布を震わせ、鞭のように触碗が奔る。瞬間、先端のカンテラが右から左に店内を薙ぎ払い、レジ前の〈シュネヴィ〉に飛び掛かった。
驚異を前にし、〈シュネヴィ〉の膝は自動的に曲がる。
必然的に身体が沈むと、頭頂部スレスレを鋭い風が横切った。
たちまち左隣のレジが粉砕され、豪快に小銭をばらまく。
少し遅れて紙幣が舞い散り、カンテラが壁にめり込んだ。