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③偽善者の告白

「今日はハイネの肉じゃが食べて、テンション上がっちゃったんじゃねーかな。ああ見えて、ムッツリだし」

 呆れたように笑い、半平は大袈裟に首を振る。

 いつものように笑って欲しかったが、ハイネの顔は上がらなかった。


 実際、本日のお食事会が盛り上がったのは、彼女のおかげだ。


 半平が始めて連れて来た女の子が、皆を色めき立たせたのは間違いない。

 両親にしてみれば、ほっとした部分もあったのだろう。何しろスーパーと家を往復しているだけだと思っていた息子が、新しい人間関係を築いていたのだから。


 いや、それだけで声を弾ませるだろうか。年寄りの家の草むしりをしたり、魚屋の手伝いをしたりしているのは、両親も小耳に挟んでいたはずだ。


 あれほど笑い声が飛び交ったのは、食卓を囲んだのがハイネだったからに違いない。たぶん、他の女の子を連れて行っても、今日ほど多くの会話は生まれなかった。


 童話のお姫さまのように整った容姿が、皆を沸かせたのは間違いない。

 それ以上に、ハイネには人の心をなごませる力がある。


 現にこうして彼女の横を歩いているだけで、半平の胸には安らぎが広がっていく。そして同時に――いや、安らぎを感じるからこそ、半平は自分自身に叱責される。そんな居心地のいい場所にいる資格はない、お前のやったことを思い出せ、と。


 今まではハイネが好きだから、安らぎを感じているのだと思っていた。だが家族も同じ感覚を抱いたとするなら、いよいよ彼女に恋愛感情を持っているのか怪しくなってきた。


「半平さん、高校に入り直す気はありませんか?」

 意外な言葉を口にし、ハイネは半平を見つめる。

 真剣な眼差しが苦しくて、半平はつい目を逸らしてしまった。


「私の知り合いが高校を運営してるんです。あ、入学金や授業料なら心配ないですよ。特待生制度もありますし」

 言葉をつむぐ内に、ハイネはどんどん前傾していく。

 続々と溢れる白い息には、いつの間にか大粒の唾が混じっていた。


「半平さん、色んなことに詳しくて、色んな人に優しく出来て、色んな可能性持ってる。何もしないなんて、もったいないですよ、絶対。学校に行って可能性をかす道を探せば、お父さんだって笑ってくれる」

 ハイネは早口になりかける度に、息を吸い、ペースを整えた。変に熱っぽくなって、プレッシャーを掛けないように配慮してくれたのかも知れない。


 だがだからこそ、半平はたまらなくみじめになる。落胆している彼女に気を遣わせてしまうなんて、自分はどこまで頼りないのだろう。


「……すみません、お節介でしたよね」

 唐突に声をしぼませ、彼女は唇を噛む。

 必死に肩を縮める様子は、本当に申しわけなさそうだ。もしや全く言葉を発さなくなった自分が、不快感を覚えていると誤解したのだろうか。


 確かに、余計なお世話だ。


 どこぞの教育評論家にかれたなら。


 だが一言一句同じセリフでも、ハイネが口にすると、違う感想が湧き上がる。そう、顔を真っ赤にした彼女に訴え掛けられると、「ありがとう」しか思い浮かばない。


 加齢臭のする評論家と、花も恥じらうオ・ト・メ。


 どちらが好印象かは言うまでもない。

 じっと見つめる女の子に弱いのは、男のさがだ。


 でも、それだけが理由ではない。


 ハイネは正論や一般論を語っているわけではない。

 沼津半平のことを考えて、最善のことを提案してくれている。

 その最善が道徳や常識に反しているなら、世界中を敵に回すこともいとわない。


 そう、あまりに都合のいい解釈だ。


 反面、願望でしかないはずの考察は、奇妙な説得力を持っている。


 実際問題、本当にどうでもいい相手なら、無難な会話に終始するはずだ。機嫌を損ねるかも知れない提案をし、空気を悪くするような真似はしない。


 本気で自分のことを考えてくれるのは、心底嬉しい。

 だが同時に彼女が真剣だからこそ、半平は容易に口を開くことが出来ない。


 機嫌を損ねるかも知れない提案は、ハイネに勇気を求めたはずだ。

 それを無下に断る?

 半平には出来ない。許せない。

 かと言って、まさか提案を受け入れるわけにもいかない。

 自分が人並みに学校へ通うなど、これ以上ない暴挙だ。


 首を縦でも横でもなく、第三の方向に振る回答――。


 無理難題を求められた半平を、息苦しさが襲う。

 小箱に閉じ込められたような錯覚が、徐々に唇を開いていく。

 固く結んでいた口が空くと、途端に小さなうめき声が漏れた。


 ……いっそ真実を話してしまおうか。


 自分の本性を知ったなら、さすがのハイネも優しい言葉を引っ込めるだろう。


 彼女が自分と距離を取ってくれれば、分不相応な安らぎも消える。

 資格がどうこうと、うるさい声も聞こえなくなる。

 自分から嫌われると言う罰を受ければ、思えるようになるかも知れない。

 いい加減、沼津半平を許してやろう、と。


 期待だ。


 また期待している。


 償い? 罰? 本音はただ、我が身が可愛いだけだ。

 一年以上()っても、卑怯者は卑怯者のままらしい。


 現に自分を許すことが出来ると思った途端、実行しようかどうか迷っている。

 意図的にハイネを不快にし、軽蔑を引っ張り出すと言う最悪の方法を。


 自分に甘い沼津半平のことだ。

 真実を語り、ハイネにさげすまれれば、罰を受けた気になってしまうかも知れない。

 かと言って、だんまりを決め込むのは、勇気を出してくれたハイネに失礼だ。

 話せる範囲だけでも、口に出すのが誠意だろう。


「違和感、あったんだよな」

 半平は重い唇をこじ開け、胸の内を吐き出す。


「勉強に付いて行けなかったとか、クラスの奴らと仲が悪かったとかじゃない。中退するって言った時も、みんな止めてくれたし。中間の順位なんか、トップから数えたほうが早かったんだぜ? スゴイっしょ?」

 半平は腰に両手を当て、大きく胸を張る。

 少しでも空気が軽くなればと思ったが、ハイネの表情は明るくならなかった。


「だから、すっげぇ違和感あった。俺みてぇな奴がみんなに優しくされて、成績よくするために勉強してる。将来のこととか考えてるわけ。図々しいにもほどがあるよな」


「『俺みてぇな』……って、半平さんはすごいじゃないですか!」

 ハイネは半平に詰め寄り、自分が見下されたように声を荒げる。

 ひょっとしたら、沼津半平はこの反応が欲しくて、自分を卑下したのかも知れない。我ながらご苦労なことだ。


「ゴミ拾いとか、迷子に声掛けたりとかしてっから? んなの、誰にだって出来るよ」

 半平は自分をせせら笑い、足下の小石を蹴り飛ばす。

「そんなことない!」

 本気で叫び、ハイネは半平の前に立ち塞がる。


「その誰にでも出来ることを当たり前に出来る人は、絶対に絶対にすごいです」

 大きな声を出したせいで、ハイネの息は激しく乱れている。

 真っ赤になった顔は、ラーメンを食べた時のように鼻水を垂らしていた。


「しつこいな、ハイネは」

 心底気恥ずかしくなった半平は、痒くもない鼻を掻く。

 途端に笑みが漏れ、肩を細かく揺すった。

 ゴミ拾いごときで絶賛してくれるなんて、彼女はどこまで他人に甘いのだろう。ハチの巣でも駆除した日には、表彰状を書いてくれるに違いない。


「困ってる奴を見過ごせない? 違う、違うんだ。俺は見過ごして、俺が後悔するのが怖いんだ」

 一度口を閉じ、半平は首を振る。


「ううん、そんな言い方じゃカッコよすぎる。俺が怖がってるのは、後悔じゃない。他人を見捨てた俺を、俺自身に責められることだ。そ、俺は俺自身に傷付けられたくねーんだ」


「半平さん自身に責められたくない……?」

 ハイネは鋭く息を呑み、目を見開く。

 何か思い当たるふしでもあったのだろうか。いや、純粋に正義感から誰かを助けている彼女には、半平のような人間の存在が信じられないのだろう。


「何か出来た、それなのに見ないフリした、知らないフリした、何もしなかった――そんな風に責められたくないんだ、俺自身に。最悪だろ?」

 賛同しやすいように、半平は作り笑いを浮かべる。

 返事をするどころか、彼女は口を真四角に開いている。

 よほど半平の告白に、ショックを受けたらしい。


「父親とか母親には悪いと思ってる。俺、高校に行く気なかったんだ。けど、意志弱いから担任に言いくるめられてさ。結局、二次募集で私立に入ったんだ」

 半平は夜空をあおぎ、溜息を吐く。


「入学金とか授業料とか安くなかったと思う、私立だったし。ったく、余計な金使わせちったよ、こんな最悪な奴のためにさ」

「……私も同じなんです」

 独り言のように呟き、ハイネは弱々しく背中を丸めた。

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