表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

24/132

③築地魚河岸三代目

 第四章は今回で終了です。

 次回は番外編をお届けします。


 色を扱うシリーズも、いよいよ最終回。

 最後の最後まで、陰陽いんよう五行ごぎょうせつなんて小難しい内容を語ってます。

「半平さん、スープはどうですか?」

「はいはい、今やりまーす!」

 何気に人使いの荒いハイネに従い、半平は鶏ガラのスープに肉を入れる。

 中火と弱火の間で一〇分以上煮るらしいが、待っているだけでは時間がもったいない。半平はアク取りをハイネに頼み、サワラの調理を始めることにする。


 まずサワラの「かま」に包丁を入れ、頭を落とす。

 前から肛門へ腹を裂き、内臓を取り除いたら、今度は血合ちあいの処理。生臭さを残したくないので、丹念にこそぎ、水で洗い流していく。


「半平さん、お魚さんさばくのお上手ですね!」

 感嘆の声を上げ、ハイネは半平の手元を凝視する。

 包丁に釘付けになった瞳は、国宝でも見るかのように輝いていた。


「消防団の訓練中に、魚安うおやすの大将が腰やっちゃったことあってさ。一ヶ月くらいかな、助っ人してた」

 半平は返事をしながら、中骨に沿ってサワラの腹を切り離していく。

 サワラは口当たりがよく、味も上品な魚だ。

 反面、注意してさばかないと、やわらかい身がすぐに崩れてしまう。


「だからいっつもオマケしてくれるんですね、半平さんが行くと」

「魚のことなら任しといて! 新鮮なサバの選び方から、深海魚の生態まで仕込まれたから!」

 威勢よく宣言し、半平は胸を叩く。

「よろしくお願いします!」

 体育会系っぽくお返事し、ハイネは深く頭を下げた。


「……ここだけの話、フグもさばけるんだよね。無免だけど」

 魚臭い手で口を覆い、半平はハイネに耳打ちする。

「そ、それは遠慮しておきます」

 ハイネはぎこちなく笑みを浮かべ、小刻みに首を振った。


「でも、たった一ヶ月でよくそこまでお魚さんに詳しくなれましたね」

「なんつーか、むかし気質かたぎな大将だからね。従業員の教育には厳しいわけ」

 骨を取ったサワラに塩を振り、脇へ退ける。

 少し置いておかないと、味が染み込まない。


「俺も元々、生き物とか好きなほうだったし。あ、理科の成績もずっと4か5だったんだぜ。まあ、自慢にはなんねーけど」

「え? 充分すごいじゃないですか」

「勉強出来ないヤツって、理科だけは得意だったりしね? 同級生が塾通ってる間中、草むら走り回ってるから」

 自分自身を笑い飛ばし、半平は手と包丁を洗う。これから野菜の処理を始める以上、きちんと魚の臭いを落としておかなければならない。


 もうすぐ四月とは言え、まだ水は冷たい。

 水流に手をさらした途端、きゅっと毛穴が縮む。


「実際、俺、九九くくも怪しいガキだったし。テストに出ない知識には、無駄に詳しかったけど」

「ちょっと違うかもですけど、私の家にもすっごく虫さんに詳しい女の子がいるんです」

「虫に詳しい女の子ぉ?」

 にわかには信じられない言葉に、半平は眉を寄せる。


「俺のクラスの女子なんて、ミツバチが教室に入って来ただけで逃げ回ってたけどな。こう、『ジェイソンが来たー!』みたいなカンジで」

 半平は般若はんにゃのように顔を歪め、ナタに見立てた包丁を振り上げる。

 鼻の近くに来た刃から漂うのは、洗剤の爽やかな香り。

 これなら、魚の臭いを野菜にうつす心配はなさそうだ。


「図鑑より上手に絵を描くんですよ」

 照れ臭そうに自慢し、ハイネは鼻の頭を掻く。

 もしかしたら、勇敢さを誉められたと思っているのかも知れない。


「……ネコさんみたいに持って来やがって、ワモンとチャバネの違いをレクチャーするのとかは、マジ勘弁ですけど」

 気恥ずかしそうに顔を赤らめていたのは、幻だったのだろうか。

 ハイネは放心したように呟き、窓の外に目を向ける。


「空、きれい……」

 青空をあおぐ瞳には、びっくりするほど光がない。

 黒光りするはねを差別しない狂人……ゴホン、博愛主義者と生活していると、心に傷を負うことも少なくないようだ。


「……そっとしとこ」

 ハイネのケアを時間に任せ、半平はニンジンの皮をき始める。慣れない作業に悪戦苦闘していると、隣から押し殺した笑みが聞こえてきた。

「お魚さんの扱いは一級品ですけど、こっちのほうはまだまだですね」

 ハイネはからかうように笑い、細かく肩を揺する。


「ニンジンさんはこうやってくんです!」

 ハイネは横から手を出し、無造作に半平の手を取る。

 それから半平に密着し、ニンジンの角度や包丁の持ち方を直し始めた。


 しなやかな指が半平の手を包み込み、ほのかな温もりを広げていく。同時に肩と肩が触れ合い、半平の肘に彼女の胸が当たり始めた。


 見ている分には、ぬりかべのように固いとしか思えなかった絶壁……。


 だがじかに触れると、真っ平らなはずのそれは微妙な柔らかさを内包している。ふわふわほんわりした感触は、マシュマロ以外の何でもない。


 ハァハァハァ……。


 先ほど以上に鼓動が駆け出し、不健全な呼吸音が溢れ出す。

 磨き抜かれたシンクには、けもののように血走った目が映っていた。


 ハンニャ~ハ~ラ~ミ~タ~♪ ハンニャ~ハ~ラ~ミ~タ~♪


 半平は心の中で合掌し、般若はんにゃ心経しんぎょうを繰り返す。

 何ならこの場で頭を丸めてでも、理性を保たなければならない。

 本能の猛攻に屈した瞬間、自分もハイネも不幸になる。


「そうじゃないです、こう!」

 ハイネは怒鳴るように指示し、より強く半平の手を握り締める。

 異性の手に触れると言えば、なかなか特別な行為のはずだ。


 しかし、ハイネの顔に恥じらいは見られない。


 むしろ豪快に浮かべた青筋は、肝っ玉母ちゃんを彷彿とさせる。彼女にしてみれば、不器用な子供を叱っているつもりなのかも知れない。


 何しろ女児向けの雑誌に、ホットドッグプレス的な特集が載る時代だ。

 男子の手を握ることくらい、最近の女子は何とも思わないのかも知れない。ちょっとしたボディタッチで動揺している自分のほうが、時代遅れなのだ。

 半平は己に言い聞かせ、呼吸を整える。

 少しずつ心音がしぼみ、火照ほてった身体が冷めていく。


「ハ、ハイネはどこで料理習ったの? 手際のよさがハンパねぇよな」

 数分ぶりに出した声は、まだ少し上擦うわずっていた。

 ハイネは半平に頼まれた通り、スープのアク取りを行っている。

 とは言え、バカ正直に鍋と睨み合っているわけではない。彼女は手が空いている間に、出来る作業をこなしている。

 しかも、早い。

 半平が一つの工程を終える間に、五つの仕事を済ましてしまう。


 調味料は既に軽量され、使う順に並べられている。キクラゲは石突いしづき――柄の底にあたる部分が取られ、細切りにされていた。


「女の子なら出来ますよ、このくらい」

 何気なく言い切り、ハイネは作業を続ける。ジェンダーフリーを盾にし、ダシの入っていないみそ汁を飲ませる奥さま方には、耳の痛い一言だ。


「いやいやいや、普通じゃねーって。ほら、調理実習とかあんじゃん? 俺の班の女子なんて、料理っつーより解剖してるみて-だったぜ」

「う~ん」

 まだ納得出来ないのか、ハイネは首をひねる。


「若い頃、定食屋さんでお世話になってたことはありますけど」

「『若い頃』って……」

 半平は苦笑し、改めてハイネを眺めてみる。

 顔は真っ白で、シミやシワは一つもない。

 外国人だから断言は出来ないが、一五歳にしては童顔なほうだ。


「今だって充分若いじゃん」

「やだあ! もおっ!」

 声を、そして全身を弾ませ、ハイネは半平の背中を引っぱたく。

 むち打ち必至の衝撃と共に、半平の目玉から飛び散る火花。同時にシンバルっぽい轟音が木霊こだまし、ご近所さんが一斉に窓を開いた。


「お世辞言ったって、なんにも出ませんよお!」

 とかなんとか言いながら、ハイネは半平の手にベビースターラーメンをねじ込む。惜しげもなくプレゼントされた大好物は、半平にある疑惑を抱かせた。

 もしかして、二〇歳くらいサバを読んでるのだろうか?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ