②ミスター味っ子
実は一番悩んだシーンです。
女子と一緒に料理?
そんな体験、作者にはありません。
「鶏肉に、花椒っと……」
目に全神経を注ぐ半平を余所に、ハイネは材料を揃えていく。
ふと見ると、カートには肉や野菜が山積みになっていた。
「よし、これで全部です!」
「レジ行こう!」
待望の一言を聞いた半平は、レジに走る。
一刻も早く、この拷問に等しい時間を終わらせたい。
幸い鶏肉は特売、スパイスも二割引と、考えていたより安く材料を揃えられた。
余らせたら使い道がなさそうな花椒は、麻婆豆腐や担々麺の香り付けにも使えると言う。それなら、冷蔵庫の肥やしになることもないだろう。
念のため、半平は定番のムニエルも作ることにする。
何しろ回らない寿司屋に入った途端、無言になる一家だ。高尚な中華がお口に合わないことも、大いにあり得る。
使うのは、旬のサワラ。
スーパーではなく、顔馴染みの魚屋・魚安で買う。
魚安の大将は、声が大きい。そして気はもっと大きい。
今回も奥様の渋い顔をものともせずに、ハマグリをおまけしてくれた。
「ただいまーって言っても、誰もいねーか」
半平が自宅に戻ると、リビングから廊下に淡い陽光が差し込んでいた。
フローリングの上には埃が漂い、きらきらと光を放っている。
規則的に鳴る秒針に、冷蔵庫の駆動音――。
幽かにしか聞こえないとは言え、一応は音だ。
そして家族が揃っている時には、絶対に聞こえない。
だからなのか、耳を傾けるほど、人気のない家の静けさが強調されていく。
小五以来、毎日味わってきた感覚だが、未だに慣れない。
「ご家族は?」
ハイネはドアの外に佇み、家の中を窺う。
家の人間に挨拶が済むまで、上がらないつもりなのだろうか。
相変わらず律儀と言うか、堅苦しい少女だ。
「父親は会社、かあちゃ……母親はパート。下のねーちゃんは大学と言う名の男漁り」
……待てよ?
と言うことは、二人きり?
若い男女が?
中身が判らないように配送されてくるゲームなら、嬉し恥ずかしな展開が確実なシチュエーションだ。
現状を理解した瞬間、半平の鼓動は一気に駆け出す。そりゃもう、ウサイン・ボルトばりに駆け出す。同時に手汗が噴き出し、脳内に「天国と地獄」が鳴り始めた。運動会の徒競走でお馴染みのあの曲だ。
ハイネはまだ一五だ! 何も起きない! ハプニングノー!
半平は胸をぎゅうっと胸を握り、自分に言い聞かせる。
駄目だ。自分を注意すればするほど、気になってくる。「ベッド、三日前にファブリーズしたよな?」とか。「一番近い薬局はあそこか? この時間はバイトの女の子がレジ打ってる。気まずい」とか。
確かに、ハイネはまだ一五歳だ。
しかし、日本国はハイネとたった一歳しか違わない一六歳から、女性の結婚を許可している。それはつまり、一六歳なら問題なく繁殖が可能と言うことだ。
イヤホンを装備しながら観た深夜番組でも、こう言っていた。
半数以上の女子が、一八歳までにオ・ト・ナ♡ の階段を登る――。
勿論、ハイネと特別な関係になるつもりはない。
二人きりの状況に狼狽してしまう以上、半平はハイネに恋愛感情を持っているのかも知れない。だが「好きかも」程度の相手なら、友達でいたほうが気楽だ。
悟りを開かせたのは、二人の姉。
次女の蒲子は大学生で、休肝日も設けずに合コンへ通っている。
長女の創音は、二三歳の主婦。古風な名前とは裏腹に、さっさとデキ婚し、今は実家から徒歩一〇分のアパートに住んでいる。
母親も含め、女三人。
男は末っ子の半平と、口数の少ない父親だけ。
女性陣が増長……ゴホン、発言力を強めるのは自然な流れだった。
中でも、「生理的にムリ」とか平然と抜かすお年頃だった姉たちは、ことあるごとに暗黒面を見せ付けた。当然、口答えなど出来ない。少し愚痴っただけで、ギロリと覇王色の覇気を放たれる始末だ。
「お父さんのパンツと一緒に、私の服を洗濯しないで!」
厳命するほど衛生面に厳しかった上の姉は、鼻をほじった手でポテチを摘んでいた。
男と電話する時には、ウグイス嬢のようだった下の姉。
数分後、「笑点」に贈られる笑い声は、山賊以外の何ものでもない。家中に木霊する「ガハハ!」は、いたいけな弟に何度となく金属バットを構えさせた。
恋愛には妄想が不可欠だ。
あの子の部屋はきっと、スイートピーの香りがする。
夜はモコモコのパジャマを着ているに違いない。
――とこのような世迷い言……ゴホン、期待が積み重なり、気持ちを強めていく。実際に確かめたいと言う願望が、行動に繋がることも珍しくない。尾行とか。盗聴とか。
ところが、半平は女子と言う生物の本性を熟知している。
スイートピーの香りがするはずの部屋は、バイオハザードのごとく荒れ果てている。部屋着はもこもこのパジャマではなく、中学校指定のジャージだ。
ハイネと出逢う前にも、気になる女子は何人かいた。
しかし、いざ相手を恋愛対象として見ようとすると、その前に脳裏を過ぎる。日々、目の当たりにしてきた現実が。
勿論、姉たちが特に悪質なのだと考えないわけではない。
ただ同時に、姉たちが普通なのかも知れないと思うと、どうしても恋愛する気になれない。中学の頃、何回か告白されたことがあったが、全部断ってしまった。
とは言え、半平も男子だ。
「流出」や「無修正」と言う文字には、反射的にマウスを動かしてしまう。仕方ない。「目を細めると、モザイクが消えるんだぜ」と言う都市伝説にも縋る。仕方ない。「マルサの女」に出て来る金持ちばりに知恵を絞って、部屋のあちこちにアレやコレを隠している。仕方ない。
早い話、年相応に女子への興味は持っている。
普段は気にも止めないハイネのうなじが、今はやたら視界に入る。
甘い香りは鼻を擽り、際限なく体温を上げていった。
「じゃあ、始めにキクラゲを戻して下さい」
荒い鼻息を聞いている内に、ふとハイネの声が響く。
玄関なうだったはずの半平は、いつの間にか台所に立っていた。
ピッカピッカの手と言い、フリル付きのエプロンと言い、準備は万端だ。
……ここまでの時間はいずこへ?
半平は周囲を見回し、記憶からこぼれていった数分間を捜す。
引き出しは勿論、冷蔵庫の中にも入っていない。
これはもう大人しく、料理を始めることにしたほうがよさそうだ。
「キ、キクラゲね! 了解っ!」
半平はボールにぬるま湯を注ぎ、乾燥したキクラゲを浸けた。
「戻るまで暇だし、他の作業しちゃったほうがよくね?」
「それじゃ、鶏肉の下拵えをお願いします」
ハイネの指示通り、鶏肉へ塩を揉み込み、下味を付けておく。絹さや、豆腐、タケノコは細切り、春雨はハサミでぶつ切りにする。
「よいしょっと」
ハイネは袖を捲り、料理の邪魔になる髪を結う。
あっと言う間にポニーテールが完成し、軽やかに毛先を振った。
はやっ!
ファッションよりベルトでも、やっぱ女子なんだ。
驚きとも感激とも付かない感覚が湧き上がり、半平の目をポニテに固定する。ハサミを使っている時に余所見したせいで、危うく指をぶつ切りしそうになった。
「私の顔、何か付いてます?」
じろじろと眺められたハイネは、不思議そうに半平を見つめ返す。
「い、いや、ちょっと見慣れない髪型が珍しかっただけ」
急いで目を逸らし、半平は天井に視線を向けた。
別に悪口と言うわけではないが、本当のことを話すのはやめたほうがよさそうだ。女の子に女の子っぽいと告げたところで、ムッとさせてしまうだけだろう。




