どーでもいい知識その③ 運命の出逢いは割と庶民的
事前に言っておきます。
……葛飾区民の皆さん、ごめんなさい。
次回はまたもや番外編。
色に関する蘊蓄をお届けいたします。
「はいはい、席に戻って。ふか~く息吸って。ゆ~っくり吐いて」
半平はハイネの両肩を掴み、ベンチに押し戻した。
実演も交え、深呼吸を促すと、彼女の息遣いが落ち着いていく。
「おやおや、半平ちゃんはスゴいねえ。ハイネちゃんの発作を止めちゃうなんて」
わざわざ掃除の手を止め、店内のヨシばぁが苦笑する。
口調は冗談っぽいが、割と目は本気だ。
「毎週毎週、月曜の度に付き合わされてるんだもん。嫌でも制御の仕方は判るって」
半平は店内に戻り、好物ののっちゃんイカを取る。
代金を渡すと、ヨシばぁはゆっくり首を傾げた。
「そう言えば、半平ちゃんがハイネちゃんを連れて来るようになってから、どれくらいになるかねえ?」
「半年ちょっとじゃね?」
「おや、まだ一年経ってなかったかい。あたしゃてっきり、三年くらい一緒に来てるもんだと思ってたよ。雰囲気なんか、ちょっとした若夫婦みたいだし」
「夫婦……」
咄嗟に下を向き、半平は髪を掻き毟る。
耳まで真っ赤な顔を、ハイネに見られていなければいいが。
「ボケるには早すぎでしょ、ヨシばぁ」
笑顔のヨシばぁから顔を背けると、桜の描かれたカレンダーが目に入る。確か始めて二人で来た時は、砂浜のイラストが日々を彩っていた。
ハイネと知り合ったのは、去年の夏。
正直、日付までは記憶にない。
ただ、一学期の終わりに高校を中退し、一ヶ月くらい経った頃だった。
やけに太陽が薄い日で、風鈴の音に冷たさを感じたのを憶えている。
その日、半平は行き付けのスーパーに向かう傍ら、ゴミ拾いに勤しんでいた。
「まーたこんなトコに捨てやがって……」
植え込みに空き缶を見付けた半平は、屈みながら手を伸ばしていく。
直後、どがっ! と鈍い音。
脳天に猛烈な衝撃が走り、目の中に数多の星が散る。
懐も心も貧しい葛飾区民が、鼻つまみ者のニートに石でもぶつけてきたのか?
ズキズキする頭をさすりながら、半平は顔を上げてみる。
白髪の女の子が地面に座り込み、頭の上でヒヨコを踊らせていた。ストⅡみたいに。
とりあえず謝り、事情を聞いてみると、彼女もゴミを拾おうとしていたとのこと。半平同様、地面に注目するあまり、目と鼻の先にいる相手が視界に入らなかったらしい。腰を曲げ、頭を突き出していった結果、脳天と脳天が正面衝突してしまったようだ。
「同時にゴミ拾おうとするなんて、スゲェ偶然」
「もしかして、運命の出逢いですかね? 転校生と曲がり角で激突、みたいな?」
冗談を言い、少女は愛らしく歯を覗かせる。
「ないない。俺、ニートだもん。高校に入り直す予定もないし。第一、高校生じゃないだろ、アンタ」
運命の出逢い――。
当時は笑い飛ばしたが、今思えば、的外れでもない気がする。真偽はともあれ、あの日、少女との間に何らかの引力が働いていたのは間違いない。
「んじゃ、気を付けて帰れよ。最近は不審者とかも多いし」
少女と別れた半平は、スーパーへ急ぐ。
夕日の差す店内は、主婦で混み合っていた。
相変わらず効きすぎの冷房は、無意識に腕を擦らせる。
店外からはおいしそうに見えたアイスも、すっかり買う気が失せてしまった。
特売のPOPに誘導され、半平は野菜売場へ向かう。
山積みになったタマネギに手を伸ばすと、迷子の泣き声が聞こえた。
「……混んでるのは判るけどさ、目ぇ離したら可哀想だろ」
半平は溜息を吐き、耳障りな迷子に歩み寄った
話し掛ける前にしゃがみ込み、女の子と目の高さを合わせる。
一八〇㌢以上の男が見下ろしたら、安心させるどころか怯えさせてしまう。
「お母さん、いなくなっちゃったのか?」
「お母さん、いなくなっちゃったの?」
半平の声にハモったのは、少女の声。
柔らかく透き通った声に、半平は聞き覚えがあった。
まさか……。
半平はカクカクと顔を動かし、横に向ける。
瞬間、白髪の少女と目が合い、お互いの時間が停まった。
彼女もまた聞き覚えのある声を耳にし、顔を確かめようとしたらしい。
「……またお会いしましたね」
「……奇遇っスね」
引きつった笑みに引きつった笑みを返し、半平は少女に会釈する。
ただ街中で再会しただけなら、偶然で片付けられるかも知れない。
だが二回もお節介が被ると、若干の恐怖を感じてしまう。
「……んじゃま、一緒に捜そうか」
右に半平、左に少女、真ん中には迷子――と、エイリアンを捕まえたような布陣で店内を回る。幸い広い店でないこともあって、一〇分もしない内に母親が見付かった。
「本当にありがとうございました」
「ばいばーい! おねーちゃん! おにーちゃん!」
固く手を繋いだ親子が、何度も頭を下げながらスーパーを出て行く。
「よかったですね」
「まーね」
親子を見送った二人は、二言三言無味無臭の会話を交わす。
それから簡単に別れを告げ、各々《おのおの》異なる売場に向かった。
買い物をしている間中、半平の頭の中にはある言葉が漂っていた。
二度あることは三度ある――。
そこはかとない予感は、店を出た途端に的中した。
「ふぅ~、困ったねえ」
歩道橋の下に立ち尽くしていたのは、割烹着姿のお婆さん。
両手に提げたビニール袋のせいで、階段を登れないのだろう。
「……持てる分だけ買えばいいのにさあ」
半平は小声で文句を言いながら、お婆さんに近付く。
「婆ちゃん、荷物持ってやるよ」
「お婆さん、お荷物持ちましょうか?」
左右から出た手が、同時にお婆さんの荷物を掴んだ。
……やっぱり。
半平は心の中で呟き、荷物に向けていた視線を上げる。
お婆さんの横にもう一つ、白髪頭が増えていた。
「もしかして、絵とか布団の販売?」
「えっと、幸せなら間に合ってますけど」
裏があるとしか思えない状況に、半平と少女は疑いの目を向け合う。
お婆さんはポカンと口を空け、にらめっこにしては真顔な二人を眺めていた。
実を言うと、半平は以前からハイネの顔を知っていた。
スーパーの中心となる客層は、お年寄りや主婦、弁当を買い求める作業員だ。
一五歳のハイネが豚バラやサバを山積みにしたカートを押していれば、嫌でも目を引く。特にドイツ人で白髪の彼女は、記憶に残りやすい。
ハイネはよく、他の常連客に声を掛けられていた。
満州やシベリアでの苦労話、飼い猫の自慢――。
半平ならアクビを一〇〇連発する話題だが、彼女は笑顔で相づちを打っていた。
邪険にしないのは勿論だが、やたら昔の話に詳しいのも、年寄りに好かれる理由だろう。一度、闇市の話を聞いたことがあるが、実際に目撃したとしか思えなかった。
挨拶を交わすようになったのは、三度もお節介が競合してから。
「こんにちは」は世間話に発展し、今では駄菓子屋で買い食いする仲になっている。




