④ニート、前に進む
本編はこれにて終了です。
次回からは、恒例の怪人図鑑を公開します。
矢印にも似た卒塔婆は、形通りの道標。
常に苦境を指し、半平を痛みへと導く。
〈死外〉である以上、時や病が呪いから解放してくれる日は永遠に来ない。
殺してもらうにしても、今回の事件のような状況で死ねば、多くの人を巻き添えにする。
自分自身の死しか意味しない局面でも、簡単に首を差し出すわけにはいかない。足を伸ばせる場所に救える人が残っている限り、助けられたはずの命を見殺しにすることになる。それは、消極的な殺人だ。
ハイネに協力すると決めた今、半平の行動範囲は世界中に広がった。
地球上に助力を必要とする人がいる限り、死ぬことは許されない。
そう、言いわけだ。
罪だ罰だと見栄えのするラベルを貼っていても、結局は命に執着しているだけ。
往生際が悪いと言われれば、ぐうの音も出ない。
もし半平が香苗や彼女の母親だったら、絶対に命で償わせようとする。
現に怪獣のエスカが流していた血涙は、娘を殺した相手が地獄に落ちるのを望んでいた。あれこそ、香苗の母親が配慮に配慮して押し殺してくれた、剥き出しの感情だったのかも知れない。
ただ、一つだけ言うことが許されるなら、死後の世界には身を焼く業火も血の池もなかった。
あったのは、ただの闇。
そして砂漠を放浪中に、オアシスを見付けたような安らぎだった。
あの闇に身を委ねれば、何の苦痛もなく無になる。
何より、半平は自分が消滅していくことに、恐怖どころか安堵を感じてしまった。感じてしまったのだ。
なら、往生際が悪かろうが厚かましかろうが、生きる以外の選択肢はない。
恐怖も苦痛もない死を受け入れるか。
呪いの掛かったこの世で、永遠に藻掻き続けるか。
どちらが極刑かは、考えるまでもない。
それもまた結局は、いやらしいアピールなのだろう。
半平は苦しむ姿を披露することで、香苗や彼女の母親に、そして自分自身に訴えている。「こんなに自分を痛め付けているのだから、許してくれてもいいだろう?」と。
だからと言って、目を閉じてしまったら、消えようとしている笑顔を見定められない。足を失えば、手の届く距離まで行けない。
何より、ハイネは身代わりになる危険を冒して、半平を生き返らせてくれた。
半平が命を絶てば、彼女の勇気や献身を足蹴にすることになる。
例え道徳や倫理に適っていたとしても、彼女を悲しませる行為に価値はない。
彼女の顔から笑顔を奪えば、香苗の母親と交わした約束を、最悪の形で破ることになる。
そう、香苗の分も皆を笑わせると、未来の自分を笑わせると、半平は心から誓った。
それでも、迷いは付き纏ってくる。
寝ても覚めても離れないしつこさは、テスト勉強中の睡魔以上だ。
毎度毎度のウジウジっぷりには、自分でもイライラしてしまう。
反面、手首から凶器を、自分の拳を切り離したいと言う衝動は和らぐ。
こうもことあるごとに悩むなら、軽はずみに暴れだすこともないだろう。
どうすれば満足してもらえるのか、答えをくれる香苗はもういない。
最大限の誠意であるはずの死は、呪いからの救済にしかならない。
ならせめて、一番香苗を知っていた彼女の母親に、「娘が笑う」と言われたことをしようと思う。
無様でも恥知らずでもいい。
多くの人を笑わせる。
未来の自分を笑わせる。
そもそも人一人殺しておいて、格好よく生きようとするのが厚かましいのだ。
事件の数日後――。
医師から許可を得ると同時に、ハイネは街へ出た。
彼女はすぐさま〈3Z〉と合流し、街の復旧作業に加わったと言う。
半平が彼女に声を掛けられたのは、夕飯を買いに行く途中のことだった。
正直に言うと、最初は誰だか判らなかった。
何せ「安全第一」のヘルメットや汗で黄ばんだ包帯が、顔の半分以上を覆い隠している。
色白な分、日差しには弱いのか、肌は天狗のように真っ赤だった。
「事件のこと、吹っ切れたの?」
半平は挨拶することも忘れ、つい訊いてしまった。
なぜこうも無神経に、他人の傷口を触れるのか?
この時の自分を思い返すと、無性に腹が立つ。
とは言え、ハイネが吹っ切ったと思うのも無理はない。何せ溌剌と瓦礫を持ち上げる彼女は、ベッドの上で悔やむ姿とはあまりに違いすぎた。
「あ、ごめん……」
ようやく自分の過ちに気付いた半平は、粗忽な口を覆う。
途端にハイネは笑みをしまい込み、スコップを持つ手を止めた。
やはり、触れてはいけない話題に手を出してしまったのだろうか?
気まずさに身を縮める半平を余所に、ハイネは辿々しく語りだす。
一生忘れない。
ううん、忘れるはずがない。
棺桶の中には二度と笑えなくなった顔があって、たくさんの涙が流れていた。
いざとなれば、顔を知らない人を平気で見限る非情さ。
手の届く場所さえ、まともに守れない無力。
泣き声を思い返す度に、自分の底の浅さが見えて、消えてしまいたくなる。
もしかしたら、自分には皆に手を伸ばす資格なんてないのかも知れない。
でも、だからと言って部屋に引きこもってしまったら、弱い力でも出来たことが出来なくなる。部屋に閉じこもっているだけでは、強くもなれない。
資格がどうとかお利口な理由を付けても、結局は私に嫌な思いをさせたくないだけ。
後悔しながらでも、迷いながらでも、手は動かせる。
今はこれ以上、涙が流れないように、出来る限りのことをする。
「ちょっとクサかったですかね」
ハイネは照れ臭そうに笑い、汚れた手で鼻を擦る。
土埃で真っ黄色になったその顔は、普段の何倍も眩しかった。
ひっく……。ひっく……。
雨音が響くばかりだった世界に、ふと子供の啜り泣きが紛れ込む。
瞼の裏に広がる街並みが、涙に繋がる景色であることに間違いはない。
だが人々が泣き声を上げるのは、雨が止んだずっと後のことだ。
ましてや香苗の葬儀に、幼い子供は参列していなかったはずだ。
どうやら問題の泣き声は、過去から聞こえているわけではないらしい。
「人が神妙な気持ちになってるってのに、どこのガキだよ」
半平は雨の街に別れを告げ、瞼を開く。
途端、温かな日差しが降り注ぎ、曇天に慣れていた目を細くする。
「おかあさ~ん! どこ~!?」
歩道の真ん中で、瞼を腫らした男の子が立ち尽くしている。
頭上には丸く花を纏った枝が垂れ下がり、チアリーダーのボンボンのように揺れていた。もしや桜たちなりに、男の子を励まそうとしているのだろうか。
「迷子さんみたいですねえ」
ハイネはにっこり笑い、チラチラと半平を窺う。
本人的には何気なく見ているつもりだろうが、傍目には最高にわざとらしい。
「ったく、しょーがねーな。俺が出なきゃ道案内一つ出来ねーのかよ」
花束の傍らから立ち上がり、半平は前に踏み出す。
ボヤいたついでに頭を掻くと、前髪から桜の花びらが舞い落ちた。




