③ニート、後悔する
本編も残すところあと一回。
その後は、恒例の怪人図鑑を公開する予定です。
そして、次回は最後の番外編。
真珠の歴史に迫ります。
「母親って、何歳になっても息子が可愛いんですよね」
「あ、そーだ! 花もらってこねーと!」
半平はこそばゆい笑みに背を向け、花屋へ逃げ込む。
それから注文していた花束を受け取り、裏通りへ向かった。
幹線道路の混雑を避けた車が、ぽつぽつと二車線の道を駆け抜けていく。
あの日、ガードレールの根元を埋め尽くしていた菊は、枯葉一枚残していない。山積みにされていたお菓子も、軒並み片付けられていた。
今、手向けられているのは、桃色の花びら。
道の両脇に満開の桜が並び、花の天蓋を作っている。
麗らかな春風は、頬を撫でる度に甘い香りを配っていく。
そよそよとさざめく枝からは、ひっきりなしに薄紅の吹雪が舞い落ちていた。
「……街出る前に、挨拶しとかねーとな」
半平はしゃがみ込み、花びらの絨毯を軽く払う。
続いてガードレールに花束を預け、彼女に手を合わせた。
目を閉じると、子供たちの足音が、エンジン音が遠ざかっていく。
代わりに近付いて来たのは、以前、この場所で耳にした雨音だった。
見る間に瞼の裏が暗くなり、雨雲を仰ぐ街を描き出す。
幾つもの水溜まりを抱えたアスファルトには、真新しい血の跡が残っていた。
重傷者八七名。
死者二名。
「不発弾」による人的被害だ。
犠牲者は二人とも、〈YU〉に襲われた。
死亡推定時刻は、半平がキモと戦っていた頃だと言う。
被害の規模に比べて、犠牲者の少なさは驚異的だ――。
評論家たちは、挙って関係各所の対応を賞賛していた。
事実、半平が〈YU〉の大群を抑えていなければ、もっと多くの死傷者が出ただろう。大怪獣を野放しにしていたら、街が残っていたかも怪しい。
「最善を尽くした」などと軽々しく口にしたら、責任逃れの言いわけと非難されるかも知れない。
実際、化け物には街中の人を救うだけの力がある。
でも、その力を発揮する方法は、二本の手だけだ。
そして、それを掴んでもらうためには、相手の目の前まで行かなければならない。
助けを求める人々が街中にいたのに対し、化け物の身体は一つ。
救えない命が出るのは、必然だった。
犠牲者の下へ駆け付けていたら、彼等の命を救うことが出来たかも知れない。
その代わり、乗用車の親子がビルの崩落に巻き込まれていただろう。
自分を責めていたハイネにも、半平は同様の内容を告げた。
被害が最小限に止まったのは、彼女が手を尽くしてくれたおかげだ。負傷者の避難誘導、応急処置が疎かだったら、もっとたくさんの犠牲者が出ていたに違いない。
確かに、ハイネには人を甦らせる力がある。
だが亡骸に〈魂〉が遺る確率は、極めて低い。
よしんば生き返ったとしても、化け物になる。
死者が出ても蘇らせればいいなどと、甘く見積もっていたとは思えない。
著しく消耗する〈操骸術〉にしろ、無様に息絶えた誰かに強いられたのだ。自分から好き好んで、人々を守れない状態になったわけではない。
そもそも、〈YU〉をばらまいたのはキモだ。ハイネが誰かを殺したわけではない。
それどころか、彼女は事後二日間、絶対安静を必要とする傷を負いながら、怪物の跋扈する修羅場を駆け回った。多くの人を救ったのだ。
消防士は自らの身を危険に晒し、燃え盛る炎に飛び込んでいる。
一人二人助けられなかったからと言って、彼等を責める声は挙がらない。
状況の許す限り、最善の行動を採った――。
冷静で頭の回るハイネなら、誰かに指摘されるまでもなく理解しているはずだ。
だが理解は出来ても、納得は出来ないらしい。
傷を治している間中、彼女はベッドの上でずっと悔やんでいた。
勿論、ハイネの採った行動に、後悔する余地がないとは言えない。
彼女が最初からキモの企みを見抜いていれば、街が炎に包まれることはなかった。
知り合いの半平を特別視し、〈操骸術〉を使ったことも、最適解とは言えない。彼女がまともに戦えていたら、負傷者の数はもっと少なかったはずだ。
半平の死にも、ハイネは責任を感じている。
つい三日前まで、顔を合わせる度に「ごめんなさい」を繰り返していた。
当の半平自身は、恨むどころかむしろ感謝している。
ハイネは自分を生き返らせてくれた。
って言うか、ドイツ産の合法ロリとチュー出来た。
完全に勝ち組だ。
レモン? ラズベリー? 青リンゴ?
初キッスのお味を憶えていないのが、無念で仕方ない。
ああ、何であの時、死んじゃってたのか。
後で聞いた話だが、ハイネは犠牲者の遺族に謝罪しようとしたらしい。
ディゲルが必死に説得し、何とか思い留まらせたそうだ。
死の原因が不発弾とされている以上、ハイネが頭を下げるのはあまりに不自然だ。
謝罪するなら、真実を話す必要がある。
だが、〈詐術〉の存在は公にすることが出来ない。
謝りたいのに、謝れない。
それどころか、死の真相さえ隠している。
そんなジレンマも、ハイネを苦しめていたようだ。
お見舞いに来た半平に、ハイネが胸の内を明かすことはなかった。街の皆か一人の命か、選択を要求した張本人に、罪の意識を味わわせたくなかったのだろう。
けれど、まばたき一つせずに犠牲者の写真を見つめる姿からは、懇願する声が溢れ出ていた。頼むから、やり直させてくれ、と。
半平もハイネと一緒だ。
最善の行動を採ったと、誰に恥じることなく言い切れる。
そのはずなのに、誰かの泣き声を聞いたりすると、犠牲者の顔写真が頭に浮かぶ。二人の犠牲者が刻んできた時間、関わって来た人たちに思いを巡らせている。
誰かにもう一度、怪獣と戦えと命じられたら?
半平は即座に断る。
なのに、ふと気が付くと、自発的に考えている。
あの日へ時計の針を戻し、違った選択肢を模索してみたいと。
あくまで半平が採ったのは、「最善」の行動だ。
自分が死なず、ハイネが街の悲鳴に専念出来て、犠牲者も出ない――。
それを奇跡と言っていいほど、「最高」の行動は採っていない。
小学校の校庭でメソメソしていた時間、あれももっと活かせたはずだ。
この先、半平は多種多様な人々に手を伸ばすことになる。
迷子の手助けや年寄りの荷物持ちなら、幾らでもやり直しが利く。
だが今後は、半平のミスが相手の死に直結することも少なくないだろう。
災害や事故を前にした時、人間はあまりに非力だ。
精一杯努力しても、いや自分の命を懸けても、他人を救えないことはある。
対して〈死外〉の手は、巨人のように力強い。
救えない人などいないはずのその手で、誰かの命を取りこぼしたら?
半平は間違いなく、自分自身から厳しい追及を受ける。
お前が上手くやらなかったからだ、他に方法があったはずだ、と。
その度、今回のように、時計の針を戻したいと言う衝動に苛まれるのだろう。
もう嫌だと惨状に背を向けても、意味はない。
テレビや新聞、ネットが一丸となり、傍観した結果を教える。
海を隔てた国の惨事。
人間を小石のように吹き飛ばす自然現象。
もう、「どうしようもない」は使えない。
卒塔婆を捨てたところで、「使える」と言う事実は永遠に追って来る。ましてや、丸腰でもレンガを砕く力がある以上、空っぽの手を見せても言いわけにはならない。
力は呪いだ。
非力だったら、「なすすべがない」と逃れられていた責任を押し付ける。
責任を果たしたら果たしたで、取り返しの付かない後悔を押し付ける。
そして最悪なことに、鬱陶しい心臓が鳴り続ける限り、この呪いは解けない。




