②ニート、家を出る
〈国際殺人機構〉のような連中は、TPOに配慮してくれない。
これからは常識的な時間帯だけではなく、深夜に出掛ける必要も出て来る。
一度や二度の朝帰りなら、必殺の言いわけ「お年頃」も有効だろう。
しかし三度、四度と繰り返せば、さすがに怪しまれる。
あるいは「遊びたい盛りなのは判るが……」ってな感じで、家族会議だ。
そして沼津半平の名はもう、〈国際殺人機構〉に知られている。
家族の安全は、ディゲルが約束してくれた。
気付かれないように〈3Z〉の人間を配置し、警護してくれると言う。
ひとまずは安心だが、「標的」からは離れていたほうがいい。
近くにいると、流れ弾に当たるおそれがある。
諸々の不都合を解決するには、半平が家を出るのが自然だった。
引っ越し先は、ハイネの家だ。
最初は独り暮らしをするつもりだったが、彼女に説得された。
ハイネの言う通り、近くに住んでいるだけ、情報交換がスムーズになる。
固まっていれば、〈国際殺人機構〉のような連中にも手を出されにくい。
一五歳♀と同居。
一つ屋根の下。
思春期♂としては、身を乗り出さずにいられない……ゴホン、間違いを懸念せずにはいられないシチュエーションだ。営業面を考えるなら、お風呂場で遭遇的なアクシデンツは欠かせない。
――と思いきや、ハイネの家には既に何人かの「センパイ」がいるとのこと。
つーか、そもそも「家」ではなく、「寮」らしい。
風呂も男湯と女湯に分かれているそうだ。そ・う・だ! 「半平さんのエッチ!」と言う「今、平成だぜ?」的なセリフが、脳内以外にエコーすることはなさそうだ。そ・う・だ!
引っ越し先の怨寮は、表向き高校の寮と言うことになっているらしい。
娘の結婚を経験しているはずの母親は、息子の独立に目を潤ませていた。
暇を見て、顔を出そう。
涙を堪える母親を見ながら、半平は心に誓う。
幸い編入先の片故辺学園は、実家から一時間ほどの場所にある。
〈3Z〉の本部である目々森博物館にしろ、実家の近所だ。
ただ、あまり頻繁に顔を出しても、新天地で上手くいっていないのではないかと勘ぐられる。慰めるつもりで余計な心配を掛けないように、バランスを見極めなければならない。
魚安の大将。
林先生。
ヨシばぁ。
高校に入ることを街の人々に告げて回ると、誰もが歯を満開にしてくれた。
今までのように手伝えなくなるからと言って、「よかった」の連呼をやめる人はいない。
翌日から沼津家は、頻繁に佐川男子やクロネコの訪問を受けるようになった。
現在自宅の廊下は、「いいとも!」チックな花輪や、タイの尾頭付きで溢れかえっている。
例外的に表情を曇らせたのが、三人組の小学生だ。
絶好の遊び相手を失うのが、よほど寂しかったらしい。
意外だったのは、気の強いエリが号泣したことだ。
一番パシリ扱いしていたクセに、一時間以上も放してくれなかった。これは五年後辺り、美しく成長したJKが、押し掛け女房になるフラグと見た。
「ハンカチ、よし! ティッシュ、よし! スマホも持ったよな!」
旅立ちのその日。
半平は荷物の入ったボストンバッグを肩に掛け、玄関に立った。
「ちょっくら行ってくるわ」
あまりに軽い口調は、我ながらコンビニにでも行くかのようだ。
明日の今頃、生きている保証はない――。
重々承知しているはずなのに、涙や嗚咽と言った情緒は微塵もない。
恐るべき淡泊さは、さすが白身魚のナマズさんと言ったところか。
ただ、いよいよ外に出ようとすると、一六年間背中を見せてきた玄関が後ろ髪を引く。
思えば、言葉が話せるようになってから、ほぼ毎日、「ただいま」と「いってきます」を聞かせてきた。明日から離れ離れになるのが、ちょっと信じられない。
都合よくほどけていた靴紐を結びながら、目に焼き付ける。
塗装の剥げたドアを、四人分の靴が並んだ靴箱を。
小一で体得したはずの蝶結びに、今日はやたら手こずってしまう。
気が付くと、五分くらい時間が経っていた。
〈国際殺人機構〉の起こした事件から、早一ヶ月。
瓦礫の撤去や壊れた建物の修理も一段落し、街は日常を取り戻しつつある。「不発弾が爆発した」事故の取材に訪れていたマスコミも、一台の中継車を残すばかりになっていた。
休校、春休みと重なり、一時は姿を消していた子供たちも、わんぱくな声と一緒に帰って来た。
水色やピンク、黄色とカラフルなランドセルが跳ね回る姿は、マーブルチョコのようで少しおかしい。緑のおばさんは盛んに笛を吹き、車道にはみ出そうとする悪ガキ共を並ばせている。
半平はカルガモの親子のような列とすれ違い、花屋の前に出る。
途端、薔薇の甘い香りが鼻を擽り、中腰で花を眺めるハイネが目に入った。
白いワンピースに、桜色のカーディガン。
春らしい服装だが、額に貼った絆創膏が、臑の湿布が痛々しい。
〈死外〉ではない彼女は、傷の治りが人並みなのだ。
「おはようございます」
半平に気付いた彼女は、爽やかに微笑む。
「来なくていいって言ったじゃん。これ、ナビ付いてんでしょ?」
過保護なハイネに閉口しながら、半平は黄色いスマホを突き出す。
前のスマホは、持ち主ともども光弾に吹っ飛ばされてしまった。
今、手にしているのは、〈3Z〉に支給されたばかりのおニューだ。
「日本には優秀なお巡りさんもいるの。わざわざボスにご足労願わなくてもヘーキだってば」
ご理解頂けたかどうか、半平はハイネの表情を確かめる。
彼女は唖然としたように口を空き、半平の装いを眺めていた。
驚くのも当然だ。
ファスナー式の学ランも、灰色のスラックスも、片故辺学園の制服ではない。
前の高校の制服だ。
「へへ、似合うっしょ?」
半平は襟を掴み、モデルになったつもりでクルッと回る。
「一学期しか着てねーし、もったいないじゃん? それにコイツ、学校行くために作られた服だし。ちゃんと学校連れってやんねーと、可哀想だと思ってさ」
「……すごい。うん、本当にすごい」
何やら独り言を連発し、ハイネは上から下まで半平を観察する。
お行儀よく制服を着た姿が、そんなにおかしいのだろうか。
「……よくお手入れされてますね」
ハイネは唐突に目を細め、愛おしげに学ランを撫でる。
半平自身、驚いたことだが、制服にはシワもチリも付いていない。一年以上しまわれていたはずなのに、道すがらクリーニング屋から引き取って来たかのようだ。
「半平さん、お母さんは大切にしなきゃいけませんよ」
ハイネは人差し指を立て、説教臭く言い聞かせる。
「ちょっとちょっとお!」
リアクション芸人ばりに待ったを掛け、半平は前に出る。
「家族間の無関心が叫ばれる昨今、沼津さん家の半平ちゃんほど親孝行な息子はいねーよ!? もう毎日、お母さんの肩揉んであげてんだから! お小遣いもらってんだから!」
半平はあることないこと熱っぽく主張し、大きく腕を振り回す。
ここまですれば、赤くなった顔も体温のせいに出来るだろうか。
正直、母親が自分のために、制服の手入れをしてくれていたことは嬉しい。
だが、それをハイネに知られたことが、気恥ずかしくって仕方ない。一六にもなって世話を焼かれているなんて、マザコンとか思われてないだろうか。
「そんなに照れなくてもいいのに」
ハイネは過剰に温かい目で半平を見つめ、うざったく微笑む。
五××歳にもなると、思春期男子の気持ちなど手に取るように判るらしい。「亀の甲より年の功」とは、よく言ったものだ。




