①ニート、高校に通う
長ったらしい物語も、ようやくエピローグです。
グダグダと非生産的な生活を続けてきたニートにも、何やら変化があったようで……。
半平は〈死外〉として、ハイネの手伝いをする道を選んだ。
無論、カカオ中毒に圧力を掛けられたわけではない。
監視と数珠の装着さえ受け入れれば、今までと変わらない生活を送れる。
そのことを半平は理解していたし、ハイネも平穏な生活に戻ることを勧めた。
悩まなかったと言えば、嘘になる。
半平は先日の死闘で、殺されそうになる恐怖を、骨を砕かれる激痛を知った。
そしてまた寝ても覚めても怪物との戦いを繰り返す毎日に、命の保証はない。明日生きていると言う確証があるだけで、今まで通りの生活は最高に魅力的だ。
最終的に半平の背中を押したのは、香苗の母親との約束だった。
ハイネに付いて行けば、否応なく行動範囲が広がる。
慣れ親しんだ街に加えて、世界中の人々を笑顔に出来る。
各地を巡り、様々な体験を重ねれば、いつかはキモに告げられる言葉も見付かるかも知れない。何より力を持つ化け物が日常に胡座をかいていても、未来の自分は笑ってくれない気がした。
決断を下したその日、ディゲルは沼津家を訪れ、半平の両親にこう説明した。
「〈ハーベイト財団〉が行っている青少年育成制度に、ご子息が選ばれました」
〈3Z〉は特撮ばりの装備を有し、報道を規制し、世界を股に掛けている。
当然、何らかの後ろ盾があるとは思っていたが、正直ビックリした。
〈ハーベイト財団〉と言えば、教科書に載るほどの国際的大企業だ。本社はオーストリアのザルツブルクにあり、長く世界第二位の売上、純利益を叩き出している。
元々は塩の交易で財を成した企業だが、現在は航空、報道、石油、自動車、金融と手広く商売を行っている。半平ご用達のスーパー「ハーベイ堂」も、財団の子会社だ。
中学時代、社会科の教師は言っていた。
彼等と関わらずに一日過ごすには、二四時間、布団に引きこもっていなければならない。当然、ネットもテレビも禁止だ。
事前に了解を求めた通り、ディゲルは真実を話さなかった。
勿論、半平も本当のことは告げていない。
半平はハイネに、「話さない」と約束した。
それに秘密を知る人間が多いほど、漏洩する危険性は高まる。
相手が家族でも、ほいほいと〈詐術〉のことを話すわけにはいかない。下手に真実を知れば、身に危険が及ぶ可能性もある。
正直、家族に嘘を吐くのは心苦しい。
ただ真実を告げても、余計な心配を掛けるだけなのは目に見えている。
何しろベーリング海だのマダガスカルだの、NHKの特集でしか聞き覚えのない土地を巡り、ダイオウイカよりでっかい怪物と戦うのだ。いかに放任主義の両親でも、さすがに平然とはしていられないだろう。
それ以上に、本当のことを話すなら、戦えるようになった理由にも触れなければいけない。
肩をぶつけただけで人を殺す化け物になり、永遠に生きなければならない――。
そんな身内の存在は、皆の笑顔を一生に渡って曇らせることになる。
そう、過大評価だ。
明らかに自分の価値を見誤っている。
涙を流し、同情する家族を思い描く度に、半平は自意識過剰な自分を嗤ってしまう。
現実問題、家族は胸を撫で下ろすに違いない。何しろ夢も職も定収入もない「穀潰し」を、体よく厄介払い出来たのだから。特に下の姉は、「あ、そ。ご愁傷さま」と手を合わせ、合コンに直行するだろう。
それでも、だ。
独りきりの部屋で眠ろうとすると、押し寄せてくる。
瞼の裏の暗闇と一緒に、明日に際限がないのだと言う実感が。
化け物として永遠に生きなければならないかと思うと、大声で叫びたくなる。
誰か、誰か助けてくれと。
それだけではない。
人間でごった返す大通りを見ると、リミッターを掛けているはずの身体が縮む。追い立てられるように歩調を速めた足は、決まって人気のない裏通りに向かっていく。
表通りから聞こえてくる四方山話は、やたら楽しげだ。
人間だった頃にはすぐ振り切れた笑い声が、執拗に化け物の背中を追って来る。
小学生の頃、いつも一緒に遊んでいた友達に突然言われたことがある。
プレステ持ってないヤツは、仲間に入れない。
皆は半平を昼休みの教室に残し、校庭に向かう。
たぶん、サッカーでもしていたのだろう。
することもなく黒板を眺めていると、窓の向こうからパスを要求する声が聞こえて来た。
皆が興奮し、声を大きくすればするほど、独りきりの教室が寂しさを際立たせていく。
近くに誰もいないのが、辛いわけではない。
すぐ側に人がいるのに、交ざれないからこそ、自分が世界一孤独に思えてくる。
半平は可能な限り窓から遠ざかり、教室の隅にしゃがみ込む。
必死に耳を塞いでいる間は、心底思った。
こんな思いをするくらいなら、最初から独りだったらよかったのに。
穀潰しに辟易としている家族が、この気持ちを共有することはないだろう。
だが僅かにでもその可能性があるなら、半平は嘘を吐き続ける。
不出来な末っ子が罪悪感を味わう程度で、今まで通り家族が笑っていられるのだ。こんなにお得な話は、なかなか転がっていない。
そう、ハイネに協力すると言う選択は、結果的に家族を騙すことになった。
とは言え、悪いことばかりではなかったのも事実だ。
半平は今後も、無職を続けるつもりだった。
いつ何時、怪人が出現する以上、すぐ動けるようにしておいたほうがいい。
しかしハイネは半平の申し出を受ける代わりに、一つの条件を出した。手を貸される側が難癖を付けるのも妙な話だが、彼女は当然のように言い放つ。
「半平さん、財団の運営する高校に編入して下さい」
「こ、高校?」
「未来の選択肢を増やすためには、色々な知識を身に着けておいたほうがいいでしょう?」
「それはまあ、そーだけど……」
確かに今のままでは、将来、自分を笑わせることは難しいだろう。
世界を回り、今までにない体験をすれば、考えも変わる。あるいは〈3Z〉とは違う場所で、皆を笑顔にしたいと思う日が来るかも知れない。
だが、今の沼津半平では駄目だ。ゴエモンコシオリエビやオハラエビの名前を知っていたところで、魚屋のバイト募集にさえ受からない。
願いを叶えるためには、知識や技術が不可欠だ。
そして専門的な分野を理解するには、最低限の学力がなければお話にならない。
大願成就の基盤を養うために、高校へ通うと言う選択肢は悪くないだろう。
そろそろ、JKの太ももも恋しくなってきた。
「俺さ、今度、高校に入るわ」
端的に告げると、父親は新聞から目を離さずに頷いた。
血縁のない人間が見たら、何の感慨もないようにしか思えないだろう。
だが、息子は見逃さない。
高校を中退して以来、消えることのなかった眉間のシワが、綺麗に消え失せている。
家族に嘘を吐いていることと、父親の表情が無関係なのは判っている。
それでも、半平の胸は少しだけ軽くなった。
半平は来週から、財団の運営する私立高校に通う。
そしてまた半平の生活には、もう一つ大きな変化が起きた。




