箸休め 深海紳士録 ⑥未来のクリスマスには400℃
農業や養殖は人間の専売特許のように思われています。
その実、自らの手で食べ物を育てる生き物は少なくありません。
今回紹介するゴエモンコシオリエビも、驚くべき手法でエサを養殖しています。
深海の生物を紹介している当シリーズ。
前回、前々回は身近に存在する深海生物にスポットを当てました。
第6回目は再び海に潜り、なかなかお目に掛かれない生き物たちを紹介します。
『亡霊葬稿マスタード』で語った通り、海の底には「熱水噴出孔」と呼ばれる割れ目が多数存在しています。そしてこれらの場所からは、地中のマグマによって熱せられた海水が噴き出しています。
多くの生き物にとって、熱水噴出孔は危険な場所です。
噴出孔から立ち上る海水は、時に400度にも達します。おまけにその中には、硫化水素や重金属と言った有害な成分まで含まれています。
水が約100度で沸騰するのは、小学生でも知っている話です。
しかし本編でも説明した通り、水の沸点は圧力を掛けることで上昇します。そのため、凄まじい水圧の掛かる深海では、100度を超えても気体になりません。
熱水に含まれる金属は、噴出孔の周りに「チムニー」を形成します。「チムニー」は堆積物の塊で、多くの場合、煙突に似た形をしています。
チムニーを形成した噴出孔は、煙突の先端から熱水を噴き上げるようになります。
異様な光景は、テレビやネットに取り上げられることも少なくありません。深海に興味のある方なら、一度は海底の煙突を見たことがあるのではないでしょうか。
我々の身近にある熱湯は、無色透明です。
しかし海底の煙突が噴き出す熱水は、一色ではありません。
熱水の色には、幾つかパターンがあります。
鍵となるのは、熱水の成分です。
硫黄と金属の化合物が多く含まれる熱水は、煙幕のように黒々としています。
一方、白い熱水を生み出しているのは、硬石膏や石英などです。更に2007年、沖縄で発見されたチムニーは、青い熱水を噴き出しています。
熱水にはまた、金や銀、レアメタルと言った有用な資源も溶け込んでいます。
近年では新たな「鉱山」として注目を集めており、各国が研究を進めています。海底産の指輪がブームになる日も、遠くないかも知れません。未来のヤフオク(クリスマス後)には、400℃のアクセサリーが大量に出品されることでしょう。
一部の深海生物にとっても、熱水噴出孔は掛け替えのない場所です。
確かに噴出孔の熱水には、硫化水素が含まれています。
しかし人間にとって有害な物質だからと言って、全ての生物が苦手にしているわけではありません。現に以前(当シリーズの第3回)紹介したヒラノマクラは、硫化水素を栄養にしていました。
熱水噴出孔にもまた、硫化水素をエネルギー源にする貝が棲息しています。
代表例が、沖縄に棲むヘイトウシンカイヒバリガイです。
彼等はイガイ科シンカイヒバリガイ属に分類される二枚貝で、水深1000㍍から1500㍍ほどに棲息しています。体長は11㌢ほどで、見た目はムール貝にそっくりです。
ヒラノマクラ同様、彼等もエラに細菌を飼っています。
この細菌は硫化水素から栄養を作り出し、宿主に供給しています。
彼等はまた熱水中のメタンを糧にし、栄養を作り出す細菌も共生させています。また普通の貝のように、微生物や有機物を食べることも可能です。
細菌を飼っているのは、ヘイトウシンカイヒバリガイだけではありません。
他のシンカイヒバリガイ属の貝たちも、細菌を共生させています。
とは言え、細菌の顔ぶれは様々です。ヘイトウシンカイヒバリガイは2種類の細菌を共生させていますが、どちらか片方しか飼っていない種も存在します。
一方、彼等とは違う方法で硫化水素を利用しているのが、ゴエモンコシオリエビです。
ゴエモンコシオリエビは十脚目コシオリエビ科に属する甲殻類で、水深700㍍から1500㍍ほどに棲息しています。身体は真っ白で、体長は5㌢ほどです。目は退化しており、突起だけが残されています。
ゴエモンコシオリ「エビ」な彼等ですが、姿形はカニに瓜二つです。また立派なハサミを持ち、上手に使いこなしています。
実のところ、彼等はエビのような尻尾を持っています。しかし折り畳み、腹の下に隠しているため、ほとんどの人は気付きません。
厳密に言うと、彼等はヤドカリの仲間です。確かに貝殻こそ背負っていませんが、大きなハサミはヤドカリに似ているかも知れません。
浅瀬に棲むヤドカリは、ちょこまか動き回る生物です。
ところが、ゴエモンコシオリエビはほとんど動きません。潜水艇が近付いても、逃げることはないと言います。
彼等は深海生物の中でも、知名度の高い存在です。
熱水の周辺に密集する様子は、チムニーと共によく取り上げられます。一方で彼等がチムニーに屯している理由に付いては、意外と知られていません。
端的に言えば、彼等が集まっているのはエサを食べるためです。彼等のエサになるのは糸状のバクテリアで、熱水中のメタンや硫化水素を栄養源にしています。
本編でも解説した通り、彼等は腹に毛を蓄えています。
そして件のバクテリアは、ここに棲息しています。
ゴエモンコシオリエビが熱水に近付くのは、バクテリアに栄養を与えるためです。つまり、彼等は自分の身体を使い、エサを養殖しています。
収穫の際には、毛を梳くようにバクテリアを漉し取ります。
クシの役目を果たすのは、口元にある小さな脚です。また一番後ろに生えた小さな脚も、巧みに操ります。一方、いかにも毛の手入れに使えそうなハサミは、全く使いません。
興味がある方は、YouTubeで「ゴエモンコシオリエビ」と検索してみて下さい。およそ8分間に渡り、彼等の食事風景を楽しむことが出来ます。
長くなったので、今回はここまで。
最終回となる次回は、更に熱水噴出孔の謎に迫ります。
参考資料:特別展「深海 ―挑戦の歩みと驚異の生きものたち―
公式図録
国立科学博物館 海洋研究開発機構
東京大学執筆
読売新聞社 NHK NHKプロモーション発行
深海魚 摩訶ふしぎ図鑑
北村雄一著 (株)保育社刊
深海生物の謎
彼らはいかにして闇の世界で生きることを決めたのか
北村雄一著 (株)ソフトバンククリエイティブ刊
深海、もうひとつの宇宙
しんかい6500が見た生命誕生の現場
北里洋著 (株)岩波書店刊
地球ドラマチック 「海のタイムトラベル ~生命の誕生~」
2015年7月16日放送 放送局:NHKEテレ
JAMSTEC 海洋研究開発機構
http://www.jamstec.go.jp/j/




