箸休め 深海紳士録 ③海の底のムール貝
番外編です。
今回のシリーズでは、深海に棲む生物に焦点を当てています。
第三回目は、海の底に蠢くムール貝たちの話です。
また我々の祖先(かも知れない)ナメクジウオに付いても語っています。
深海のビックリ生物を紹介している今回のシリーズ。
前回はクジラの骨に根付く怪生物、ホネクイハナムシを紹介しました。
実は鯨骨生物群集にとって、彼等の存在は非常に重要です。
前回紹介した通り、クジラの骨には有機物が蓄えられています。特に脂の量は凄まじく、50年近く前に作られた骨格標本からも滴るほどです。
エサの乏しい深海において、クジラの死骸は食糧庫に等しい存在です。しかし肝心の有機物は硬い骨に閉じ込められており、普通の生物には取り出すことが出来ません。
ここで救いの手を差し伸べるのが、ホネクイハナムシです。
前回紹介したように、彼等はクジラの骨を溶かす酵素を持ちます。
溶けた骨からは自然と有機物が流れだし、海中に広がっていきます。
この「おこぼれ」を食べて生活している生物は、決して少なくありません。現にホネクイハナムシがいない場合、鯨骨生物群集は多様性を失ってしまいます。
やがて有機物は腐敗し、硫化水素を発生させます。
硫化水素は硫黄と水素の化合物で、人生に疲れた方の愛用品です。そのため、毒ガスと言った印象が強いですが、深海では栄養源として機能しています。
硫化水素を発生させるようになった死骸には、また独特の生物たちが集まるようになります。「化学合成期」と呼ばれるこの時期は、何十年間も続くと見られています。
化学合成期に集まるのは、主に二枚貝やハオリムシの仲間です。
ハオリムシ類はホネクイハナムシと非常に近い生物で、やはり赤いエラを持っています。チューブ状の管に棲み着いていることから、海外では「チューブワーム」と呼ばれています。
ホネクイハナムシ同様、彼等は口も消化管も肛門も持ちません。
代わりに彼等は、体内に細菌を共生させています。
化学合成細菌と呼ばれるそれは、硫化水素を利用し、有機物を作り出す性質を持ちます。ハオリムシは彼等に住居を与える代わりに、栄養源となる有機物を差し出させているそうです。
鹿児島湾で発見されたサツマハオリムシは、最も浅い場所に棲むハオリムシです。
彼等は水深80㍍から430㍍ほどに棲息し、クジラの骨に付着することも確認されています。ハオリムシ特有のチューブは、最大で1㍍にも達するそうです。
ハオリムシ以上に器用なのが、ヒラノマクラです。
ヒラノマクラはイガイ科の二枚貝で、化学合成期を代表する生き物です。
殻の大きさは1㌢ほどで、見た目はムール貝によく似ています。クジラの骨にびっしり貼り付き、長々と水管を伸ばしているのが特徴です。
水管は乳白色の管で、呼吸に使われています。
彼等の水管は非常に長く、貝からモヤシが生えているかのようです。大群が伸ばした管によって、クジラの表面が覆われていることも珍しくありません。
ヒラノマクラもまた、エラに化学合成細菌を共生させています。やはり、この細菌は硫化水素を利用し、ヒラノマクラに有機物を提供しています。
そしてまた彼等が飼っているのは、化学合成細菌だけではありません。
ヒラノマクラのエラには、鯨骨の有機物を利用する細菌も棲んでいます。つまり彼等は、硫化水素とクジラの骨の両方から栄養を得ることが出来るのです。
なかなかやり手な彼等ですが、現在のところ、クジラの骨以外からは発見されていません。有機物も硫化水素も使えるように見えて、実際はどちらが欠けても生きていけないのでしょうか。
ちなみにムール貝と彼等が似ているのには、ちゃんと理由があります。
実のところ、「ムール貝」と言う貝は存在しません。あくまで俗称として使われている呼び名で、多くの場合、イガイやムラサキイガイを指します。
名前の通り、イガイやムラサキイガイはヒラノマクラと同じイガイ科です。もしかして深海のムール貝も、ワイン蒸しとかにして食べるとおいしいかも。
硫化水素を発生させるようになったクジラからは、ゲイコツナメクジウオも大量に発見されています。
彼等は水深200㍍付近に棲息する生物で、体長は10㍉ほどです。
見た目は細長いナメクジと言った感じで、半透明の身体を持ちます。
ホネクイハナムシ同様、彼等も人間が沈めたマッコウクジラから発見された生物です。腐った骨の下から大量に見付かり、2004年に新種として認められました。
2017年現在、日本ではゲイコツナメクジウオ、ヒガシナメクジウオ、カタナメクジウオ、オナガナメクジウオと四種類のナメクジウオが確認されています。ゲイコツナメクジウオはオナガナメクジウオ属に含まれる種で、ナメクジウオの中でも最も原始的な種です。
通常、ナメクジウオの仲間は、水深100㍍より浅い場所で暮らしています。
また水質にも敏感で、海が汚くなると姿を消してしまいます。
ところが、ゲイコツナメクジウオだけは、深海に棲み着いています。
しかも、鯨骨の周辺からしか発見されません。
死骸の周囲は汚く、硫化水素まで立ちこめています。
水質にうるさいナメクジウオどころか、普通の魚も寄り付かない場所です。
なぜゲイコツナメクジウオだけが異なる環境に棲むのか、その理由は判っていません。
ただ先に書いたように、ゲイコツナメクジウオはナメクジウオの中でも原始的な種です。このことを踏まえるなら、ナメクジウオの祖先は元々、劣悪な環境で暮らす生物だったのかも知れません。
脊椎動物の進化を考える上で、ナメクジウオは非常に重要な生物です。
わざわざ「ウオ」と名付けられた彼等ですが、魚類ではありません。
彼等は無脊椎動物で、「頭索動物」と言うグループに分類されています。
我々人間の背中には、頑丈な脊椎(背骨)があります。
同様に頭索動物の背中には、「脊索」と言う紐が通っています。
実のところ、我々人間も、母親の胎内では脊索を持っています。とは言え、胎児の形になるずっと前の話で、成長するにつれて脊椎に置き換えられていきます。
人間以外の脊椎動物も、ごく初期には脊索を持っています。稀に脊索の残る生物もいますが、生まれる前に消えてしまう場合がほとんどです。
一方、頭索動物は、生涯に渡って脊索を持ち続けます。彼等は非常に原始的な生物で、一説には脊椎動物の祖先と言われています。
第1回目に取り上げた無顎類も、進化に取り残された生物でした。ひょっとしたら、深海には進化の鍵を探る秘密が隠されているのかも知れません。
やがて有機物を使い果たすと、鯨骨生物群集は「ろ過摂食期」と言う段階に入ります。栄養のなくなった骨は沈没船のように、他の生物の住処になると考えられています。
長くなったので、今回はここまで。
次回は海の底から離れ、身近な食卓に目を向けたいと思います。
参考資料:特別展「深海 ―挑戦の歩みと驚異の生きものたち―
公式図録
国立科学博物館 海洋研究開発機構
東京大学執筆
読売新聞社 NHK NHKプロモーション発行
絵でわかる古生物学
北村雄一著 (株)講談社刊
深海生物の謎
彼らはいかにして闇の世界で生きることを決めたのか
北村雄一著 (株)ソフトバンククリエイティブ刊
JAMSTEC 海洋研究開発機構
http://www.jamstec.go.jp/j/




