⑮Over sizeなアンコウ
今回も半分以上、深海絡みの蘊蓄です。
ちなみに寄生生物〈YU〉の名前は、「矮雄」にちなんでいます。
「矮雄」って何? と言う方は、本文をお読み下さい。
次回は番外編。
今回のテーマは、深海に棲む生物たちです。
本編では簡単にしか語れなかったアイツやアイツを、詳しく紹介していきます。
生物を阻むのは、水圧だけではない。
深海の上に分厚く積み重なった海水は、太陽光を遮ってしまう。
光合成が出来ない以上、植物は生きられない。
海において植物プランクトンは、食物連鎖の土台となる生物だ。それを欠く深海は、常にエサが不足した状態にある。当然、繁殖もままならない。
多くの生物は浅い場所から沈んでくるプランクトンや、魚の死骸などで飢えを凌いでいる。他の生物のフンも、大事なエサだ。
特に極端なのが、鯨骨生物群集と呼ばれるグループだろう。
驚くべきことに、彼等はクジラの死骸だけを頼りに生活している。
代表例としては、ゾンビワームことホネクイハナムシや、イガイ科のヒラノマクラが挙げられるだろうか。脊椎動物の祖先と言われるゲイコツナメクジウオも、このグループの一員だ。
一体のクジラが食い尽くされるまでには、何と数十年掛かると言う。
食糧事情の悪い深海では、まさにオアシスだ。
海底の死骸を喰う深海生物には、海の掃除係と言う側面もある。何かと人気のダイオウグソクムシや、ぬるぬるの粘液を分泌するヌタウナギも、そうやって海を綺麗にしている功労者だ。
太陽光の届かない深海は、水温も低い。
これには北極や南極を経由し、冷えた海流が流れ込んでくることも影響している。風呂でもそうだが、冷たい水は底に集まるのだ。
過酷な環境は、深海の生物に奇想天外な進化を促した。
深海魚に詳しくなって以来、半平はファンタジーを楽しめない。
ドラゴン?
ゴブリン?
所詮、既存の生物のツギハギだ。
こと非常識さにおいては、深海の怪物どもの足下にも及ばない。
例えば、スズキ目クロボウズギス科のオニボウズギス。
彼等は三〇㌢程度の小さな魚だが、身体の倍以上に胃を膨らませることが出来る。そしてこの能力を活かし、自分より大きな獲物も丸呑みにしてしまう。
大物を平らげたばかりの彼等は、ペリカンの嘴のように腹を張らせている。引きちぎれんばかりに薄く伸びた皮からは、胃の中身が透けて見えると言う。
生物の数が少ない深海では、次にいつ食事を摂れるか判らない。
食べられる時に極限まで「腹を満たして」おくのが、ベストなのだ。
深海には、熱水噴出孔と呼ばれる裂け目が幾つもある。ここからはマグマに熱せられた海水が噴き出ていて、多様な生物の住処になっている。
熱水噴出孔の住人には、ユニークな生物が多い。
特に頭がおかしいのが、ゴエモンコシオリエビだ。
彼等は「エビ」と付いているがヤドカリの仲間で、十脚目コシオリエビ科に分類されている。
熱水噴出孔から噴き出す熱水には、メタンや硫化水素と言った化学物質が含まれている。これらをエネルギー源にする細菌やバクテリアは、更に大きな生物のエサとなっている。
「化学物質」と言う単語には何となく有害なイメージがあるが、こと熱水噴出孔においては食物連鎖の基盤なのだ。
ゴエモンコシオリエビのエサになるのも、熱水中の硫化水素を栄養源にするバクテリアだ。しかも、彼等は自らの腹に生えた毛を苗床にし、エサとなるバクテリアを「養殖」する。
ちなみに「ゴエモン」の名は、「あつあつのお湯」で釜茹でにされた大泥棒、石川五右衛門に由来する。
よく似た理由で命名されたのが、同じく熱水噴出孔に棲息するオハラエビだ。彼等の名前は、「朝風呂」をこよなく愛した会津の大金持ち、小原庄助に由来する。他にも熱水噴出孔には、「ユノハナ」ガニなんてカニもいる。
チョウチンアンコウの提灯も、エサをおびき寄せるための工夫だ。
学術的には「イリシウム」と言い、背ビレから進化したものらしい。
彼等はイリシウムの先端にある疑似餌「エスカ」に、発光する細菌を共生させている。これが発光物質のルシフェリンと、酵素のルシフェラーゼを反応させ、光を放っている。
驚くのは、まだ早い。
チョウチンアンコウの属するアンコウ目には、更に異様な習性を持つ魚がいる。
何を隠そう、「メスとオスの同化」だ。
魚類最長の和名で知られるミツクリエナガチョウチンアンコウも、この習性を持つ魚だ。
彼等のメスは三〇㌢から五〇㌢ほどだが、オスは二㌢にも満たない。このように著しくメスと体格差のあるオスを、「矮雄」と呼ぶ。
彼等のオスは、フェロモンを頼りにメスを見付け出す。
それからメスの身体に食い付くと、少しずつ血管や皮膚を同化させていってしまう。最終的には完全にメスの一部となり、精子を供給するだけの「器官」になると言う。
生物の数が少ない深海では、再び雌雄が出会えるとは限らない。
そこで彼等は、一度出会ったパートナーと、永遠に離れない方向に進化した。
安定して繁殖を行うことを考えるなら、これ以上の解決策はないだろう。
自由を失うなら、一生独身のほうがいい――。
何も知らない人間たちは、彼等のオスを哀れむかも知れない。
だがその実、オスの口はメスに食い付くことに特化していて、エサを食べられない。メスと同化し、栄養を供給してもらわないと、自由どころか命を失ってしまう。
彼等の社会は一婦多夫制で、実際に複数のオスと同化したメスも発見されている。さすがに命が関わっていると、「中古」が嫌とは言えないようだ。
とは言え、一〇〇〇体を超えるオスと合体したのは、目の前の肉団子が始めてだろう。
ほげぇぇ!
街中に咆哮を轟かせ、限界まで肥大化した肉団子が這い出す。
ヨットの帆ほどもある「胸ビレ」が地面を踏む度に、アスファルトが陥没している。
最大の魚類はジンベエザメ?
最長の生物はマヨイアイオイクラゲ?
世界一目玉の大きい生き物は、ダイオウホウズキイカ?
今やそれらの常識は、過去の遺物になった。
地球上で最も大きく、最も長く、最も目玉が大きいのは?
紛れもなく、目の前の巨大アンコウだ。
いや、魚どころの話ではない。
全長三〇㍍、体重一〇〇㌧以上のシロナガスクジラでさえ、比較対象にならない。
視線を上に向けない限り、壁にしか見えない巨体は、大型船そのものだ。
ほげぇぇ!
腹を擦りながら、よちよち歩く姿は、実に危なっかしい。
カエルアンコウのように右、左と傾いては、両脇の建物を擦っている。きっと、怪獣は泳ぎが得意ではない。海に入れたら、不格好に海底を這うはずだ。
「あいつは!? キモはどうなった!?」
〈マスタード〉は怪獣の全身を眺め回し、そして絶句する。
見る見る悔しさがこみ上げ、奥歯を噛み締めさせていく。
堪らず拳を握ると、近くの塀に八つ当たりの一発が飛ぶ。
怪獣の頭から、イリシウムのように結合した〈YU〉が生えている。
疑似餌エスカがあるはずの先端には、〈アンテラ〉がぶら下がっていた。
ぽうっと点った光は、彼女の命が失われていないことを物語っている。だが怪獣の歩みに合わせ、ぶらんぶらんと揺れる姿を見る限り、意識があるとは考えにくい。
醜悪なイリシウムが生えているのは、頭だけではない。怪獣はそれこそハリネズミの毛のように、全身から無数の提灯を生やしている。
アンコウの仲間に当てはめるなら、ヒレナガチョウチンアンコウに瓜二つだ。
ヒレナガチョウチンアンコウは水深一〇〇〇㍍前後に棲息する深海魚で、ほぼ全身に毛を生やしている。毛の正体は発達した感覚器官で、水流を感知するのに役立っていると言う。
実は彼等以外の魚も、この器官を持っている。
ただ側線の中にあるため、外側から見て取ることは出来ない。
〈YU〉製のイリシウムには、もれなく人型の疑似餌が備わっている。
「人型」と言っても透明で、ゼラチン質の身体には毛も生えていない。
身体の側面にくっつけた腕は、完全に胴体と癒着している。
ピッタリと閉じた足もまた見事に結合し、膝から先がイリシウムになっていた。体表がぬるぬると光っていることもあって、一見するとドジョウかウナギのようだ。
不可解なことに、その顔には幾つか見覚えのあるものが交じっている。
もしかしたら、〈YU〉の宿主になった人々を象っているのかも知れない。




