望まれぬ子 3
ぽーんっと投げられた小石が、見事に少年の額を直撃した。
顔を上げた先に走り去っていく村の子供たちの姿を見つけて、少年が小さく溜息をついた。ずきずきと痛む額には、真っ赤な血が滲み出している。その血の色を見る度に、少年は自分が人間であると言う事を実感していた。
『あの子は魔物だからね。近付いちゃいけないよ』
そんな陰口をもう何度も聞いた。村人たちは少年を蔑んだ目で見つめ、時には刃物で脅しさえする。泣いても誰ひとりとして、少年を助ける者などいなかった。
少年の名は、ディラン。
生まれながらにして誰からも忌み嫌われる魔物の血を引く彼は、運命に弄ばれた悲しき子供であった。
悲劇の夜から六年、涙のかけらによって命を救われたディランは七歳の少年に育っていた。
レヴェリックに成りすましていた魔物によって奪われた小さな命を救う為、涙のかけらはディランと同化する事を選び、それによって村は秘宝を失った。しかし前ほど強力ではないが村の周りには変わる事なく結界が張り巡らされ、聖水もディランがその手を水に浸すだけで作る事が出来た。
問題は魔物の血を引くディランが聖なるかけらを持っている事と、弱まった結界から度々魔物が村へ侵入する事だった。完全に遮断されていた闇の瘴気も僅かに村へ忍び込み、それが人々の心を少しずつ蝕み始めていた。
魔物はかけらを取り込んだディランを手に入れようとしていたし、ディランの中にも同じ血が流れていると言う事実が村人を一層不安にさせていた。涙のかけらを失いたくないと言う強い思いはディランへの執着と憎悪を膨らませ、それはいつしか殺意へと変わっていった。
その思いが闇の瘴気のせいだったのかどうか、今となっては真実を知る術は何もない。知ったところで意味はなかった。……悲劇は、繰り返されたのだから。
「きゃああっ!」
その叫びはフィネス村全体に響き渡り、悲劇の幕開けの合図となった。
血だまりの中に倒れた動かない子供と、その前に呆然としたまま立ち尽くすディラン。頭から被った生温かい血は辺りに濃い血臭を漂わせ、そのあまりに強烈な異臭に気を失いそうになっていたディランは、駆けつけた村人たちの声にはっと目を覚ました。
ディランの前に散らばった肉塊は鮮血にまみれ、そのうちの幾つかは未だにぴくぴくと痙攣している。獣に喰い荒らされたようなその死体。殺されたのはディランを苛めていた子供たちのひとり、シャウルという少年だった。
「……ぼ、僕じゃないよ! 魔物が突然現れてっ」
にじり寄る大人たちから無意識に後ずさりしたディランは、心の奥で感じた警告にびくんと震えて瞳を大きく見開いた。息も出来ない緊張感。肌を突き刺すナイフのように鋭い視線。それは紛れもなくディランに向けられた殺意であった。
「……ディラン……お前」
「ぼ、僕じゃないっ!」
大声で叫んで、ディランが一目散に走り出した。その様子を遠くから見ていた亜麻色の影はディランの後を追うように消え、残った村人たちは惨殺されたシャウルの遺体を悲しみながら片付け始める。
鮮やかな赤に混ざってじわりと広がった魔物の血と思われる緑色の液体、それについて口を開くものは誰もいなかった。
村にひとつしかない井戸で全身に浴びた血を洗い流してから、ディランは何とか村人の目をすり抜けて家に帰り着いた。
ディランの家は母親と二人で住むには少し広く、使っていない部屋が幾つもあった。無造作に詰め込まれた大量の薬瓶や書類、そして古びた医療器具はすべて白く埃を被り、薬品や薬草は使い物にならないくらい干からびている。それらはここがかつてどのような場所であったのかを、明確にディランに告げていた。
「……母さん?」
静かに呼びかけたディランの声は、暗い家の中に初めての音として響く。
古びたカーテンの間から覗くオレンジ色の太陽が、締め切った部屋の中に光の直線を描いていた。その光の道を目で辿ったディランの瞳に、ひとつの扉が映る。薬品や器具を詰め込んだまま一度も開かれた事のなかった扉が、開いていた。
ディランを誘うように重い音を響かせて開いた扉の向こうから、不思議な薬品の匂いが漂ってくる。
「……母さん、そこにいるの?」
扉の向こう、切り離されたような空間に呼びかけながら恐る恐る部屋を覗き込んだディランの前に、見慣れた亜麻色の影があった。
「母さん、何してるの?」
ディランの声が聞こえていないのか、エリザはディランに背を向けたまま、白い埃の空間にかちゃかちゃと金属音を響かせている。他の色が埃にかき消された白いだけの空間に浮かび上がるエリザの亜麻色と、耳に不快な金属音がディランの鼓動を意味もなく早くさせていた。
「母さ……」
「ここは小さな診療所だったのよ。あの人は……レヴェリックは誰からも信頼されていた医者だった。とても、優しい人だったわ」
「レヴェ、リック? ……僕の、お父さん?」
「お前に父親はいないわ」
夢見るように呟いていた声とは正反対に、突然冷たい声でぴしゃりと言い切ったエリザの手がぴたりと止まった。それまで途絶える事なく響いていた金属音が嘘のように消え、部屋の中に不気味な静寂が漂い始める。
「ディラン。シャウルを、殺したそうね」
「……っ! 僕じゃない! 魔物がシャウルを殺したんだっ!」
「……魔物。そう……それで、その魔物はどうしたの?」
「僕に触れた途端、溶けちゃったんだよ。ねぇ、母さんなら分かってくれるよね? シャウルを殺したのが僕じゃないって」
縋るような瞳を向けて伸ばされたディランの手を、エリザがすいっと避けて窓の方へと歩いていく。空振りした手を仕方なく引き戻したディランの耳に、エリザの白い声が届いた。
「でも村のみんなはお前を許さないと言ってるわ」
「……そんなっ! だって」
しゅんとして俯いたディランの様子を見るようにやっと後ろを振り返ったエリザが、その顔に感情のない微笑みを浮かべた。
「村の人たちは儀式場に集まっているわ。死にたくないのなら、今から謝ってきなさい。それでも許してくれないのなら……母さんがお前を助けてあげるから」
「……うん」
しぶしぶ頷いて家から出て行ったディランを窓越しに見つめて、エリザが小さく唇を動かした。
「……――――魔物」
右手に握りしめていた銀色のナイフを目線まで持ち上げて、エリザがその刃に映る自分と向かい合う。冷たい輝きを放つエリザの瞳からは、感情など既に失われていた。
「お前の内に潜む魔物はどうしようかしらね」
空に広がる暗雲とも見間違える真っ黒の瘴気が、すぐそこまで迫ってきていた。村を漂う黒い霧と、どこからともなく聞こえてくる魔物の低い呻き声。辺りは夜とは違う闇に包まれようとしていた。
犯してもいない罪を謝罪するのは嫌だったが、ディランだって死にたくはない。それに万が一許しを得られなくても、ディランには守ってくれる母がいる。そう信じて、それだけを頼りに、ディランは村人の集まる儀式場へ足を踏み入れた。
「もう限界だ」
最初に聞こえたのは押し殺した低い男の声だった。
「いつまであんなガキに怯えながら生きていかなくちゃいけないんだ」
「我が子を人質に取られたような気分だわ。六年もよっ!」
「かけらを……涙のかけらを取り戻そう」
「でもどうやって」
渦巻く瘴気が、さらに深くその色を変えた。
「あの……僕、謝りに」
か細いディランの声に反応して、儀式場に集まっていた村人全員がゆっくりとディランを振り返った。その瞳が一斉に赤く光る。
「取り出せばいい。かけらを奪った、ディランの体から」
呪いの響きを持つ声音に誘われて、そこにいた全員が武器を構え、ディランを見つめてにいぃっと笑った。




