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飛べない天使  作者: 紫月音湖(旧HN・月音)
第3章 涙のかけら
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死んだ村 2

『私を憎む事でお前が生きていけるのならそれでも構わない。私の命を狙い、幾度となく剣を交えてもいい。……だから――――死ぬな。どうか、苦しみ傷付いたままで逝かないでくれ』






 呪われた地の中心部にはたくさんの穴が黒い口を大きく開けていて、そのうちの幾つかは数千年経った今でも消える事のない憎悪の炎のように黒い瘴気を吹き出していた。まるで地界ガルディオスにまで通じているような、底の見えない真っ黒な穴から恨めしい声に似た音を響かせて溢れ出す瘴気は、死んでしまった大地を更に殺していく。その毒々しい瘴気が風に乗って流れつく場所に、カインの目指していた村はあった。


 こんな場所にいてよく生きていられるものだと内心驚いたカインだったが、小さな村の中はそれでもかすかに人が生活している気配が残っている。豊かでもなく、決して恵まれた土地とは言えないこの寂れた村へ一歩足を踏み入れたカインに、どこから見ていたのかひとりの男が絶妙のタイミングで声をかけてきた。


「あの……失礼ですが、お連れ様は気分が優れないのでは?」


 突然真後ろから声をかけられ、悟られないように警戒しながら振り返ったカインの前に、眼鏡をした人の良さそうな若い男が立っていた。


「お前は?」

「ああ、私はこの村で医者をしているレヴェリックという者です。良かったら家へどうぞ。もしかしたらあの毒の瘴気にやられたのかもしれませんし、そうなると命の危険が……」


 そう言うなりカインの返事も聞かず、レヴェリックと名乗った医者がすいっと前に進み出る。


「どうぞ、こちらです」


 有無を言わさずにっこりと微笑んで、レヴェリックはカインを案内するように先を歩き始めた。




 ひとつしかない木作りのベッドに寝かされたシェリルは、レヴェリックの慣れた手つきで施される治療に少しずつではあるが回復の兆しを見せ始めていた。乱れていた呼吸も落ち着き、今は体の震えも止まっている。その様子にほっと息を吐いたカインにレヴェリックが振り返って、安心させるように頷いて見せた。


「少し安静にしていればすぐ良くなりますよ。彼女は落し子であるがゆえに、あの地に残る何かを感じ取ってしまったのかもしれませんね。……あの地はただでさえ不吉な何かを感じさせる気が漂っていますから」


 そう言いながらシェリルの額の刻印から窓の外へ視線を向け、レヴェリックが遠くに見える黒い瘴気の渦巻く大地を悲しそうに見つめた。その視線に釣られて、カインも窓の外へと目を向ける。

 破れたカーテンが乾いた風に恨めしく揺れる空家や、虚しい音を立てて開いたり閉じたりしている木の扉。そんな家ばかりが立ち並ぶこの村にはまるで正気がない。唯一まともな人間レヴェリックに出会えた事は、カインの心に少しの安心感を与えた。


「しかし、この村は凄いな。よくこんな所で生きていける」

「こんな地でも女神は光を与えてくれましたから。……涙のかけらと言う貴重な光を」

「涙のかけらだと?」


 思わず大声を上げたカインが、視線を窓の外からレヴェリックへ移動させたその瞬間。



 ――――僕を、殺すの?



 どこからともなく聞こえてきた声と共に、カインの視界の片隅、崩れかけた家の間に見覚えのある灰青の影が現れた。


「ディラン!」


 ぱっと目を大きく見開いてもう一度視線を窓の外に向けたカインは、そこに確かに見たディランの姿を見つける事が出来ず、苛立ったようにぎりっと歯を食いしばった。


「どうしたんですか?」

「悪い。少しの間、こいつを頼む!」


 レヴェリックの返事も待たずに言うだけ言って勢いよく外へ飛び出したカインは、一瞬のうちに消えたディランを追って寂れた村へと誘われるように走って行った。開いたままの扉の向こう側で、崩れてしまいそうなほど悲しげな表情を浮かべたレヴェリックが、その後ろ姿を見つめていた事にも気付かずに。






 ――――お母さん。僕を殺さないで。


 乾いた風が悲鳴のように木霊し、村全体に不気味な影を落としていく。

 ディランを追いかけ村を一通り探してまわったカインは、ディランはおろか村人の姿を誰ひとり見かけなかった事に気付いてぴたりと足を止めた。

 人気のない村。荒れ果て崩れかかった家々。村の外では呪われた地から流れてくる黒い霧のような瘴気が、その形を大きな手に変えて村を飲み込もうと迫ってきていた。


(……こんな所で生きていける訳がないっ)


 最初にこの村を見た時に感じたものを、カインは今更のようにもう一度思い出していた。

 かすかに生活の匂いはしていた。だが今では、それを覆い隠すように邪悪な気が村を包み込んでいる。呪われた地の影響を受けすぎたのか、あるいは村の存在そのものがディランの魔術なのか。

 そして誰ひとりいないこの村でたったひとり存在しているあの男。都合よく現れたあの医者、レヴェリック。そこまで考えて、カインがぎくんと体を大きく震わせた。どんな事があっても、シェリルから離れるべきではなかった。


『私はこの村で医者をしているレヴェリックという者です』


 カインの脳裏に焼きついたレヴェリックの姿。華奢な眼鏡をした人の良さそうな顔立ちの男、その髪の色は誰かと同じ灰青に輝いていた。


「くそっ!」


 彼の目的がシェリルとカインを引き離す事だとしたら、カインはまんまとその罠にはまってしまった事になる。自分の失態に苛立ち、がりっと強く唇を噛んだカインがレヴェリックの家へ戻ろうと振り返ったそこに……ひとりの少年が立っていた。

 まるでカイン自身の影のように気配をまったく感じさせなかったその少年に驚いて、カインが数歩後退し反射的に素早く身構える。


「お前っ」


 死んだ魚のように虚ろな瞳。

 無感情の冷たい顔。

 そして何よりカインを驚かせたものは、悲しい色に美しく輝く少年の灰青をした髪の毛だった。


「ディランっ!」

「……――――僕、殺されたんだ」


 小さな唇から零れ落ちた、恐ろしく冷たい声音。俯いていた顔をゆっくりと上げてカインを見上げた少年の瞳が悲しく光り、そこから一粒の涙が零れ落ちる。


「お母さんに、殺されたんだよ」


 その瞬間、少年の体が砂となって崩れ落ちた。乾いた大地が水を吸い込むように消えた少年の砂は、それと同時に地面を激しく揺さぶり始める。ぼこぼこと盛り上がった土の中から次々と飛び出した赤黒い人の腕に顔を顰めたカインは、いつのまにか動く死体に取り囲まれている事に気付いてちっと舌打ちした。


「死人の村だったとはな」


 吐き捨てるように言って背中の翼を広げたカインは、右手に剣を召喚して迫り来る死人の群れを見回した。村の正体が分かった以上、シェリルをひとりにしてはおけない。ましてやシェリルは今、あの得体の知れないレヴェリックと一緒にいるのだ。こんな所で足止めを喰らっている暇はない。


「悪いが俺には時間がない。来るってんならまとめて来いっ!」


 その言葉を合図に、それまでじりじりと近寄っていた死人の群れが牙をむき出しにして、カインめがけて一斉に飛びかかった。

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