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飛べない天使  作者: 紫月音湖(旧HN・月音)
第2章 夢のかけら
23/83

癒しの力 1

 身も凍るような鋭い絶叫と共に迸る鮮血。

 縦にぱっくりと裂かれた背中から、ずるりと這い出したどす黒い塊。黒の中に光った赤い目と、シェリルの瞳が間近い位置で重なった。


「逃げ、ろっ。こいつはディランの呪いだ!」


 腹の底から声を絞り出して叫んだロヴァルは、耐え難い激痛にぎりっと歯を食いしばる。

 守護獣の攻撃を受け、背中に深い傷を負ったロヴァルを治療したのは、他の誰でもないディラン。おそらくその時に、ディランは背中の傷に呪いをかけていたのだろう。自分の背中からずるずると這い出してくる「それ」から、ディランと同じ黒い妖気を感じ取ったロヴァルが、悔しそうに拳をぎゅっと握りしめた。


「シェリル! 馬鹿、こっちへ来いっ」


 ロヴァルの背中から上半身だけを出した肉の塊は、辛うじて人の形を留めながら辺りをぐるっと見回して、一番近くにいたシェリルで視線をぴたりと止める。その血のような赤い目に見つめられ、シェリルは金縛りに遭ったようにまったく動けずにいた。

 目を大きく見開いて小刻みに震えるシェリルへ、ぶよぶよした触手をゆっくりと伸ばした魔物が、小さく首を傾げて口らしきものをもごもごと動かす。


「いっ……いや。来ないで」

「シェリル!」


 大きく見開いた目から恐怖の涙を零しそうになったシェリルは、その力強い声にはっと顔を上げて勢いよく後ろを振り返った。姿を確認するより先に助けを求めて伸ばされた手がぐいっと上に引っ張られ、シェリルは瞬時にカインの腕の中に移動する。


「カイン!」

「ディランの奴も凝った事をしてくれる」


 ロヴァルの背中に生えたような形となっている魔物を見て舌打ちしたカインは、攻撃してくる触手を軽々と避けながら少しずつ夢のかけらへ近付いた。


「攻撃は何とか防いでやる。お前は夢のかけらを手に入れろ」


 そう言ってカインはシェリルを左腕に抱き直すと、空いた右手で空中に素早く指を滑らせた。カインの指の動きに合わせて空中に流れた金色の軌跡は、そこに複雑な文字を連ねた魔法陣を完成させる。

 真下で蠢く魔物に向かってゆっくりと向きを変えた魔法陣を確認したカインが、右手から召喚させた剣をその魔法陣の中心に勢いよく突き刺した。


 空気の裂けた音が響き渡り、それと同時に魔法陣から金色の光が真下に向かって降り注いだ。ロヴァルの立っている床上にはカインの作り出した魔法陣と同じものが数倍大きく浮き上がり、上下から放たれる金色の光を全身に浴びた魔物が、身を焼かれる痛みに耐え切れず大声を張り上げた。


『グワアアアッ!』


 声ともつかない不気味な轟音に、シェリルがびくんと体を震わせる。そんなシェリルを横目で見たカインが、急かすように声を荒げる。


「さっさと夢のかけらと取れ! この結界は長く持たないからな!」


 ロヴァルの変貌と状況の悪化に呆然としていたシェリルが、カインの怒鳴り声ではっと目を覚ました。

 怯えている場合ではない。自分のやるべき事を思い出して、シェリルが夢のかけらへ手を伸ばした。するとそれを待っていたかのように夢のかけらは更に輝きを増し、青白い光のヴェールがシェリルの指先まで優しく包み込み始める。

 青白い光の海を漂い伸ばされたシェリルの指先が、こつんと硬い石に触れた。




『そこに、希望はあったのだ』


 シェリルの中にアルディナの悲しげな声が木霊した。かけらを包む青白い光の中にアルディナの姿を見たような気がして、シェリルは手をもっと先の方まで伸ばした。


『愛しい世界。愛しい子供たち。何があろうと私はこの世界すべてのものを護り続けよう。喜びも幸せも、そして不安と恐怖さえも存在する世界。けれど……そこに希望はあった。確かに希望はあったのだ』




「アルディナ様」


 シェリルがその名を口にした瞬間、かけらを包んでいた光が大きく膨張し、そして端からさらさらと崩れ始めた。砂のように流れ出した光の粒はまるで何かに導かれるように、シェリルの胸元で揺れる三日月の首飾りへと吸収されていく。驚いて手を引き戻したシェリルは、胸元の温かい力にアルディナの限りない優しさを感じて首飾りを静かに握りしめた。シェリルの熱を喜ぶように、三日月の首飾りが淡い紫銀の光をきらりと反射する。

 光の中心にあったはずの夢のかけらは消失し、それがさっきの光に溶け込んでいた事を確信したシェリルは、首飾りに宿った優しい力を心に直接感じながら大きく息を吸い込んだ。


「カイン、終わったみたい。夢のかけらは手に入れたわ」


 そう言ったシェリルの言葉をかき消して、魔物を押さえ込んでいた結界が轟音を上げて内側から勢いよく弾け飛んだ。間髪入れずに、真下からカインめがけて触手がぐわっと伸ばされる。素早く右へ避けたカインの動きに付いていけず、大きく揺れた体に恐怖したシェリルが、振り落とされないようにカインに強くしがみ付いた。粉砕された結界の破片がきらきらと降り注ぎ、その下でさっきよりももっと人間らしい姿を象った魔物が、怒りに燃えた赤い目をぎらつかせていた。


「あいつ、ロヴァルの命を吸収してやがる!」

「ロヴァルを助けないと」

「魔物の心臓、ロヴァルと一緒だ。あいつを殺せばロヴァルも死ぬぞ」

「そんなっ!」


 大きな二本の触手を自由自在に操りシェリルたちを叩き落そうとしている魔物の下で、今もなお体を強張らせて激痛に耐えていたロヴァルが、出せる限りの声を張り上げて叫んだ。


「……早く、行けっ。俺の事は構うな!」


 空間に響き渡ったロヴァルの言葉を拒絶するように、両側からシェリルたちを挟みうちにした触手の先端が、突然網の目のように変形してぶわりと空中に広がった。

 細かい網の目はシェリルを抱えたカインが通り抜けられるほど大きくなく、二人は触手の檻の中に閉じ込められた形となる。逃げ場を失い空中で立ち止まったカインを見上げて勝ち誇った笑みを浮かべた魔物が、網の目と化していた触手を一気に元の形へ戻した。





 目の前には、ただただ闇が続くばかりだった。その中に浮かんでは消えていくセレスティアの影に、ロヴァルはゆっくり手を伸ばす。


「……セレスティア」


 虫の音ほどのか細い声で、愛しい名前を口にする。瞳から、透明な涙が零れ落ちた。

 偽りの命を与えられ、何も知らずに短い時を刻み、最期の瞬間まで道具として扱われ死んでいったセレスティア。闇が彼女に求めたものは、ロヴァルにとって何の意味も持たない。操られた運命の中で願った夢は、夢のままで終わった。

 あの時、光に崩れ、風に攫われた乙女のように。


「……幸せを、望んだだけだ」


 闇に浮かんだセレスティアの影がゆらりと揺れて、次第に薄れていく。その影を追うように、ロヴァルが手を伸ばした。


「お前の望みは何だった? お前を追い詰めたあいつの望みは何だったんだっ」


 薄れゆくセレスティアの姿をそこから連れ去るように吹いた風が、かすかに灰青の影を形成する。

 伸ばした手に、硬く冷たい何かが触れた。


「あいつの思い通りになるのはごめんだ!」


 強く叫んで引き戻した手に握られていたのは、ロヴァルの愛用していた短剣だった。





「ちっ!」


 右手に持った剣で結界を作り出し、触手に押し潰されそうになるのを寸前のところで防いだカインが、左腕に抱えたシェリルへと顔を向けた。


「大丈夫か?」

「うん。何とか」


 そう返事をした矢先、肉の塊と化した触手が二人を押し潰そうと、更に圧力をかけ始めた。剣の輝きが作り出していた結界がぐんと狭められ、シェリルはカインに体をぎゅうっと押し付ける形となる。


「馬鹿力がっ」


 シェリルになるべく圧力がかからないよう、左腕と羽でシェリルの体を近くに抱き寄せて包み込んだカインが、結界の核となっている剣へ全力を注ぎ込む。

 カインの胸に頬をぴったりと寄せたシェリルが、そこから聞こえてくる鼓動の速さに驚いてぱっと顔を上げた。そこに、いつもの余裕に満ちた表情はない。誰かを守りながら戦うという事がこんなにも困難だという事を、シェリルは改めて思い知らされる。そして今、この状況で確実に足手まといになっているのは自分であると言う事に、シェリルは苛立ちを感じて唇をぎゅっと噛み締めた。


「カイン。……ごめんなさい」

「何だ? もしかして夢のかけらを取り損ねたとか言うんじゃないだろうな」


 冗談っぽく言いながらカインはシェリルをちらりと見ただけで、すぐに結界の核である剣に視線を戻した。


「私、足手まといになってる。……少しもカインの役に立てなくて」

「人間のお前に力なんて求めてねぇよ」

「……でも」

「俺はお前の守護天使だ。黙って俺に守られてろ」


 体を支えるカインの腕に更に力が込められたのを感じたシェリルは、胸の奥に甦った温かく懐かしい気持ちに目を閉じた。

 全身でシェリルを守ってくれるカインの力は、シェリルに無償の愛を注いでくれた両親を思い出させる。エレナやクリスとは違い、無防備のまま安心して自分のすべてを委ねられる存在だと、シェリルは心の奥で確かにそう感じていた。


「シェリル、俺から手を離すなよ」

「どうするの?」

「ここから出るんだよ」


 そう言って深く息を吸い込んだカインが、右手に握りしめた剣に気を集中させる。ふわりと髪が舞い上がり、カインの体が剣の作り出した結界と同じ淡い光に包まれた。

 触れている部分から感じるカインの強大な力の渦は、そのまま津波のようにシェリルの中へと流れ込み、所狭しと駆け巡る。細胞の奥にまで染み込んできた力の波に震えながら、それでも必死にカインへとしがみ付いたシェリルは、その強大な力の影に隠れた黒い霧のような塊に気付いてはっと目を見開いた。


『我はここにいる』


 体中に響いた黒い声音にぎくんと震え、思わず上を見上げたシェリルの瞳が、カインの左耳で光る紫銀のピアスを捉えた。

 セレスティアとの戦いで一本の罅が入った丸いピアス。それが不気味な血色に光ったかと思うと次の瞬間、シェリルの見ている前で小さな悲鳴を上げながら新たにもう一本の亀裂を走らせた。


「……っ!」


 先に入っていた亀裂と交差して罅割れた新たな亀裂は、丸いピアスに十字の傷をくっきりと浮かび上がらせる。それがもう一度赤く光り、カインの力にさっきよりも強い黒の影を漂わせた。


『我はここにいる』


 体の震えが止まらない。

 指先までがくがくと震え、カインにしがみ付いていた手に力が入らず、シェリルはそのままずり落ちてしまいそうになる。


「……カ、イン?」


 からからに干上がった喉からは掠れた声しか出す事が出来ず、シェリルの乾いた声音はカインに届く前に枯れて崩れ落ちていく。


「カインっ」


 カインが力を込める度に赤く光るピアス。

 このまま黒い霧の塊にカインが飲み込まれ、二度と戻って来ないような気がした。


「カイン、やめてっ!」


 必死になって叫んだシェリルが、カインの手の上から剣の柄を握りしめた。


「シェリルっ?」


 呪文を中断され、ぎょっと目を見開いたカインの腕の中で、片手に剣を握りしめたシェリルが縋るような目を向けて首を強く横に振った。


「手を離せ! 剣から力が暴走する!」

「嫌! 力を使っちゃ駄目っ」


 左腕にシェリルを抱え、右手に剣を握りしめていたカインは、剣からシェリルの手を離す事が出来ず、苛立ったように怒鳴り声を上げる。


「シェリル。死にたいのかっ!」

「お願い……消えないで!」


 叫んで、シェリルがカインの首に腕をまわしてしがみ付いた途端、剣に集められていたカインの力が制御主を失い狂ったように爆発した。

 二人を守るはずの結界内は激しい突風に埋め尽くされ、息をするのも困難な状況になる。言う事を聞かなくなった力の塊は次々に結界の薄い壁を突き破り、そこから侵入を許された触手が待っていたと言わんばかりに結界の壁を粉砕した。


「くそっ!」


 この機を逃さず二人を押し潰そうとしてくる触手を剣で切り裂いてはみるものの、一度切られた部分はすぐに塞がりカインに逃げ道を与えない。大きく見開かれた翡翠色の瞳にひとりで戦うカインを映したシェリルは、鋭い胸の痛みに思わず目を細めた。


(私っ。私、どうしてあんな事をっ)


 自分の取った行動を悔やみ、苛立ち、シェリルは唇をぎゅっと強く噛み締める。自分が愚かだという事は分かっていた。しかし、あの一瞬にシェリルを突き動かしたものはたったひとつの思いだけ。カインを失いたくないと言う思いだけだった。


『ヴアアアッ!』


 素早く逃げ回るカインに痺れを切らしたのか雄叫びのような声を上げた魔物に、シェリルがびくんとして目を大きく見開いた。その視界を埋め尽くしたどす黒い肉塊を覆い隠すようにして流れた、紫銀の髪。


「カ……――――」


 名前を呼ぶ間もなく、シェリルはカインに痛いほど強く抱きしめられた。息すらまともに出来ず、あまりの苦しさに顔を少しずらしたシェリルのすぐ目の前で、紫銀の髪に見え隠れしていた肉の塊が鋭い爪へと変形させた触手を勢いよく振り下ろした。

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