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飛べない天使  作者: 紫月音湖(旧HN・月音)
第2章 夢のかけら
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死臭 2

「ねぇ、カイン。ディランの言っていた事は本当かしら」


 教会へ続く一本道を歩きながら、シェリルは隣を歩くカインを見上げてそう尋ねてみた。

 カザールに着くなり真っ先に船から降りたロヴァルに続き、いつのまにかディランも海賊船から姿を消していた。ディランの言葉が気にかかっていた二人はいとも簡単に海賊船から抜け出して、ロヴァルの向かった教会へと歩を進めている。


「神の落し子は世界にひとりしかいない。お前は自分が偽者だと思うのか? この俺を召喚したくせに」

「召喚は偶然よ。……私は、自分が落し子じゃなかったらよかったのにって、思ってしまうけど」


 消えそうな声で呟いて、シェリルが俯いた。両親はシェリルが落し子であった為に殺された。その複雑な心境を悟ったカインは、俯いたまま歩いていくシェリルを見つめるだけで、うまく言葉が出せずに小さく息を吐く。

 今朝カインの腕の中で目を覚ましたシェリルは案の定、昨夜の事について何ひとつ覚えてはいなかった。甘えたようにカインへ体をすり寄せてきた事も、幼い頃の辛い記憶を語った事も。あれはシェリルが酔っていたからこそ、聞く事が出来た話だ。それを口にしていいものかどうか迷っていたカインの耳に、話題を変えたシェリルの声が届く。


「あら? カインの左耳にしてあるピアス……紫色だった?」


 その声にはっとして顔を上げたカインの前で、シェリルが不思議そうに左耳のピアスを見上げて首を傾げていた。カインがピアスをしている事は前から知ってはいたが、左耳につけられたピアスは確か銀色をしていたはずである。それが今では、薄い紫色に変わっていたのだ。


「ピアス、変えたの?」

「いや、これは光の加減で色が変わるんだよ」


 そう言って少し横を向いたカインの耳元で、紫色に輝いていた丸いピアスがすうっと色を変える。


「綺麗。カインの髪と同じ色ね」


 見惚れて淡く微笑んだシェリルの表情に、カインの胸が不意を突かれてどくんと鳴る。思わず伸ばしそうになった手を慌てて引き戻し、シェリルに触れようとしていた事を悟られないよう、何気なく髪をかき上げた。その手が耳元のピアスに触れた瞬間、指先から伝わってくる黒く冷たい何かにカインの体がびくんと震えた。


「カイン?」


 急に黙り込んだカインを不審に思い、シェリルが首を傾げながら顔を覗きこむ。


「何でもない。気にするな」

「……でも、最近何だかおかしいわ」

「そんなに心配なら、今夜はずっとそばにいてくれ」


 いつもの冗談にシェリルの表情が一変する。その百面相ぶりを見て笑い出したカインに、シェリルがむっとしたまま後ろに下がった。


「そんな事しか言えないの? 人が心配してるっていうのに!」

「何だ? 昨夜はお前の方が大胆だったくせに」

「何それ!」


 カルヴァール酒に酔っていたシェリルが、昨夜の出来事を覚えているわけがない。


「俺の手を引いてどこにも行くなとか口走ってたよな。それに……」

「ななな、何それ! そんな作り話、誰がっ」


 覚えのない事を次々と暴露され、耳まで真っ赤になったシェリルが大声を上げてカインの言葉を遮った。両耳を塞いで目まで閉じながら、恥ずかしさのあまりカインから離れようとしたシェリルの真後ろで……。


「シェリル!」


 慌てたカインの声にシェリルが目を開くのと、そのシェリルの視界に黒い影が飛び込んできたのはほぼ同時だった。


「きゃっ」


 勢いに任せて前に駆け出そうとしていたシェリルは、突然現れた人影を避ける事が出来ずに思い切り衝突する。勢いよくぶつかり合って倒れそうに傾いた体は、幸い傷ひとつなくカインの腕に支えられていた。


「ちゃんと前を見ろよ」

「ごめんなさい。あの……すみません。大丈夫ですか?」


 同じようにカインのもう片方の腕に支えられていた相手が、シェリルの声に反応してゆっくり顔を上げた。


「いえ。私の方こそ……」


 泣いているのか、謝罪を口にした女性の声は少し震えている。かすかに濡れて光る女性の瞳とシェリルの瞳が重なり合った瞬間、二人を支えていたカインまでもが声を失った。

 腕に支えた二人の乙女。そのどちらの額にも三日月の刻印が刻まれていた。


「お前……」


 目の前で同じように驚きながら自分を凝視するシェリルを見つめたセレスティアが、震える指先で自分の額へと手をあてる。



『神の落し子はもうひとりいた』

『君はもう一度甦る』



 目を大きく開けたまま瞬きすら忘れて、セレスティアがシェリルを……その額に刻まれた刻印を凝視する。頭の中に、さっき聞いたロヴァルの声が木霊した。


「もしかして、セレスティア?」


 静かに尋ねてきたシェリルの声にはっと目を覚ましたセレスティアが、弾かれたようにカインの腕の中から飛び出した。


「いやっ!」


 何かに怯えるように体を震わせたまま、セレスティアが二人に背を向けて一目散に坂道を下りて行く。


「あっ、待って!」


 街へと続く道を慌てて駆け下りていくセレスティアに手を伸ばし、後を追おうと一歩前に踏み出したシェリルの体は、後ろからカインにぐいっと引き戻されていた。何が何だか分からず後ろを見上げたシェリルの瞳に、鋭い視線をセレスティアに向けたカインが映る。


「追うな」

「どうして? 今の、セレスティアでしょ?」


 わけが分からず聞き返してくるシェリルに目を向けながら、辺りに残ったセレスティアの香りを胸いっぱいに吸い込んだカインが、不快そうに目を閉じて首を振る。


「セレスティアから死臭が漂っていた」


 静かに返されたそれに、思わず言葉を飲み込んだシェリルが一瞬動きを止めた。


「……え?」

「間違いない。セレスティアは死んでいる」

「なっ!」


 突拍子もない答えに思わず叫び出しそうになったシェリルの言葉を遮って、突然ロヴァルの荒々しい声が辺りに響き渡った。


「何だと! お前、本気で言ってんのかよっ!」


 セレスティアを追ってきたロヴァルはカインの言葉を聞いていたらしく、大声で怒鳴りながら二人のそばへ駆け寄ってきた。


「あいつが死んでいるだと? だったら今さっきここを通ったセレスティアは一体誰なんだよっ!」

「ロヴァル、落ち着いて!」


 怒りに任せ思わずカインの襟首をぐいっと掴みあげたロヴァルにぎょっとして、シェリルがそれを止めようとロヴァルの腕にしがみつく。鋭い瞳で睨みつけるロヴァルを真っ直ぐに見つめ返すカインはこの状況に少しも動じず、激しい怒りをさらりと受け流して小さく息を吐いた。


「あいつの事何も知らないくせに、勝手な事言うなっ!」

「ああ、知らないね。だが、これだけは分かる。セレスティアは神の落し子なんかじゃないし、生きている人間でもない。誰かが彼女を土から呼び戻したんだ」


 冷静に語られるカインの言葉を聞いて、ロヴァルの腕にしがみついていたシェリルが小さく声をあげた。


「土から? ……まさか、黒魔術?」


 アルディナ神殿の書庫で天使召喚術の文献を探す為多くの書物を読破していたシェリルは、黒魔術に関する書物の中に書かれていた「死体蘇生法」を思い出す。

 闇の力で、既に死んでしまった者を再び復活させる暗黒の呪術。術者の能力が高ければ高いほど、死体はより生前の姿に近く甦るとされていた。もしそれが本当なら、セレスティアを復活させた術者は闇の従者としてかなりの腕を持つ事になる。


「どういう目的かは知らないが、セレスティアを甦らせた奴が近くにいるって事だ」


 つまらない争いなどしている場合ではないと目で言われ、掴んでいたカインの襟首からしぶしぶ手を離したロヴァルは、それでもカインの言葉を否定するように強く頭を左右に振った。


「セレスティアはちゃんと生きてる。藍晶石も手に入れて、やっと一緒になれると思ってたのに……何でだよ。お前はセレスティアを死人扱いして、あいつはあいつで藍晶石を神父に渡すな、って……っ?」


 悲観的に呟いていたロヴァルが、突然何かを思い出したようにがばっと顔を上げた。


「あいつだ! セレスティアが言ってた。ウォアズ神父は魔物だと!」


 大声で叫んだロヴァルの言葉を合図に、辺りの風が一気に冷気へと変化した。ひゅうっと音を立てて吹き荒れる突然の風に、シェリルが思わず肩を竦める。髪を巻き上げる風は決して強いものではなかったが、肌にじわりと染み込んでくる不快な冷気が、シェリルたちの体を金縛りにさせていく。肌に染み込み心までも侵そうとする黒い冷気に、カインが苦々しく舌打ちして、素早く周囲を見回した。その視線の先に、目には見えない瘴気に包まれた教会が映る。

 渦を巻く瘴気と、そこから漂う息も出来なくなるほど強い暗黒の闇。


「ロヴァル! シェリルを任せた!」


 そう言うなりシェリルをロヴァルへ押し付けたカインが、教会へと続く坂道を一気に駆け出していった。


「あっ、おい!」

「死にたくなかったら教会へは来るな!」


 シェリルの手を引いたまま後を追おうとしていたロヴァルを一度だけ振り返ったカインが、返事も待たずにその背中から二枚の大きな白い翼を具現させた。そしてそのまま風に乗るようにすうっと宙に浮いたカインは、下でぽかんと口を開けたまま呆気にとられているロヴァルを一瞥すると、丘の上の教会まで一気に飛び去って行った。


「は、羽っ? あいつ羽がっ……空飛んで行きやがった」

「ロヴァル! 私たちも行きましょう!」


 現実についていけず、ロヴァルの思考が混乱する。そんな彼を気遣う余裕もなく、シェリルが強引にロヴァルの手を取り、そのまま教会へ続く道を駆け上がっていった。





「まったく、余計な事をしてくれたね。ウォアズ」


 誰もいない教会に響く、冷たく澄んだ声音に神父ウォアズがぎくんと体を震わせた。

 自分以外誰もいなかったはずの聖堂に突然響いた声は、それだけでウォアズの体を金縛りにする。恐る恐る振り返った先に、冷気を孕む闇が立っていた。


「ロヴァルを聖地へ送り込むよう仕向けたのは君だろう? 彼が生きて帰ってくる確率は低いからね。そのままセレスティアに近付く奴を葬ろうと考えていたんだろうけど……甘いよ、ウォアズ。ロヴァルは女神の力の宿ったロザリオをセレスティアから受け取っていた。……そして、それを君は知っていたはずだ」


 淡々と語られる言葉が的を射ているのか、ウォアズは目の前の闇を見つめたまま何も言えずに立ち竦む。言葉は喉の奥で枯れ、体中から冷や汗が滲み出す。


「わ、私は何も。ロヴァルは聖地で石に喰われたのかとっ」


 干上がった喉からやっと言い訳を零したウォアズを、冷たい声がさらりと否定する。


「僕が何も知らないと? ウォアズ、君は落し子の力を少しでも残していたセレスティアの体を食べたかったんだろう? 落し子を喰らえば魔物の力は増大するからね。そうしてロヴァルが持ち帰った藍晶石をセレスティアの代わりにしようとした。違うかい?」

「ち、ちが……っ!」

「僕は計画が少しでも乱れる事を嫌う。愚かな手下が私欲の為に動き、仕方なくロヴァルと同行し奴を殺すという無駄な動きも好きじゃない。……でも、そのおかげで奴らに接触出来た事については君に感謝するべきかな?」


 闇の中からさらりと流れる灰青の髪を、白く細い指がかきあげた。その奥に見えたかすかな笑みに、ウォアズは自分の罪が許されるかもしれないという淡い期待を抱いて表情を明るくする。

 ウォアズの前で、白い指がすっと空をなぞった。その動きに合わせてウォアズの目の前に、赤く光る細い魔法陣が形成されていく。


「セレスティアは奴らをおびき出す為の重要な存在だった。その彼女を、君は喰らおうとした。それはつまり、この僕への反逆だと言う意味に捉えて問題はないかい?」


 赤く光る魔法陣が白い指から離れ、不気味な模様を浮かび上がらせながらウォアズへと移動し始めた。そして、それが自分の命を奪うものだと言う事に気付いたウォアズが、許しを乞おうと慌てて口を開いた瞬間。


「お前はもう用済みだ」

「お許しを……っ! ディラン様!」


 冷たい声を合図にウォアズの顔面へ飛びかかった魔法陣が、少しの隙も与えず一気に爆発した。祭壇に置かれていたアルディナ像に赤黒い肉塊がべっとりと飛び散り、床に倒れた体は端からどろどろに溶けてねっとりとした緑色の液体へと変化していく。床に残ったそれを不快そうに見つめて長い髪をかきあげたディランは、呆れたように小さく息を吐いた。


「そのバカみたいに小さな力で細々と獲物を獲ってきた君に、わざわざ力を与えてやったと言うのにね。無駄足だったようだ。――――役立たずめ」


 溜息混じりにそう言ってぐるりと周りを見回したディランは、血まみれになったアルディナ像へ目を向けて、それにシェリルの姿を重ね合わせる。


 神の落し子シェリルが女神復活の為、あの聖地を訪れる事は分かっていた。シェリルが夢のかけらを手に入れるのを阻止し、そして彼女を主の元へ連れて行く事が闇の従者ディランの目的だった。その為かつての落し子セレスティアを甦らせ、シェリルをカザールへおびき出そうとしていたディランは、しかし私欲の為に動いたウォアズのおかげでロヴァルと同行する羽目となったのだ。


 完璧主義のディランは計画が少しでも乱れる事を嫌う。

 海賊たちに術をかけ、仲間になりすましたディランは洞窟でロヴァルを殺そうとしていたが、そこへ都合よくシェリルが現れたのだった。カインと言う名の天使を連れて。


「後はシェリルを連れて行くだけか。セレスティアも用済みだな。まぁ、退屈しのぎにはなったけど」


 ぼこぼこと気味の悪い泡を浮かべながら床に広がる緑色の液体を蹴り飛ばしたディランは、楽しそうにくすくす笑いながら誰もいない教会から溶けるように消えて行った。


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