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飛べない天使  作者: 紫月音湖(旧HN・月音)
第1章 天使召喚
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三つのかけら 2

 体の芯にまで響く爆音。吹き上がる大地。散っていく真白い羽根。


 闇色の衣を身に纏い、片手に魔剣フロスティアを握りしめる。彼の通り過ぎた後に草木は生えず、生命の生まれない死の大地が広がっていった。マントから零れ落ちる闇の瘴気は空気を猛毒に変え、女神の創造したものすべてを破壊し無に帰して行く。


「もうお前に私の声は届かないと言うのか」


 足元まで届く金色の波打った髪を震わせた女が、絶望したように緩く首を振った。


「お前と、殺しあわねばならぬと言うのか! ルシエルよっ!」

「こいつにお前の声は届かぬ。我が孤独の底へ引きずり込んでやった」


 魔剣フロスティアを携えた闇の塊が、低く地を這う声音を吐く。


「女神の弟と言っても所詮心は人間と同じだな。弱い、醜い、そんな人間に力を貸して何が悪い?」

「私の弟を侮辱することは許さぬ!」

「ほう。……では、止めなければどうするのだ? 殺すのか? 自分の弟を。――我を倒してもルシエルは戻らんぞ。こいつはもう我の一部だ。我が死ねばルシエルも死ぬ。どうだ? お前にそれが出来るのか?」





 はっと目を覚ました。

 改めて自分のいる場所を確認するシェリルの瞳に、セシリアとカインの姿が映る。いつのまにか階段を降り終えていたシェリルは、何もない静かで冷たい空間の中にいた。

 額に滲み出ていた汗を手の甲で拭い去り、乱れた呼吸を整えながら周りを見回したシェリルは、こっちが現実だと言いきかせるようにぎゅっと目を閉じた。その瞼の向こうにさっき見た光景が浮かび上がる。

 それは紛れもなく、天地大戦の真っ最中だった。向かい合うアルディナと、闇に心を捕えられたルシエル。顔は見えず、二人の会話だけがシェリルに届き、そしてその声音をシェリルは聞いた事があるような気がしていた。アルディナに語られる冷たい声音。そう、あれは……。


「シェリル、どうした?」


(――違う。ルシエルはアルディナ様に倒され、闇は再び封印されたはず。それなのに)


「シェリル!」


 再び名前を呼ばれて、シェリルがはっと顔を上げた。どんなに考えても今のシェリルには答えが見つからない。真実を知るのは女神だけなのだから。


「ごめんなさい。……大丈夫」


 青ざめた顔を横に振りながら、シェリルは何でもないと頷いて見せる。その動きが突然ぴたりと止まった。カインを見、セシリアを見たシェリルの瞳が捉えたものは、セシリアの後ろにある壁に刻まれた三日月の模様。それはシェリルの額にあるものと同じ印であった。今まで何かが埋め込まれていたように窪んでいる三日月の刻印を見つめながら、シェリルは知らずと自分の額へと手をあてる。


「ここはアルディナ様の眠る部屋へ続く扉」


 言いながらセシリアは後ろの壁に手をあてた。


「アルディナ様はこの奥で眠っているわ。アルディナ様に目覚めようと言う意思があれば扉は開きます。そしてそれは、落し子であるシェリルにしか出来ないと……」

「どういう事だ?」

「この三日月の横に文字が刻まれているの、見える?」


 壁を指差したセシリアにつられて近寄ってみると、掠れかかった文字が確かに刻まれている。それはルーヴァの家にあった薬瓶に貼られたラベルに書かれていた書体と同じで、シェリルには読む事が出来なかったが隣のカインは驚いたように目を大きく見開いていた。


「それじゃあ、女神は……こいつが来る事を知っていたのか?」


 何がどうなっているのかさっぱり分からずカインとセシリアを交互に見つめるシェリルに、にっこりと微笑みを浮かべたセシリアが解り易く説明を始めた。


「その壁にはこう書かれているわ。――我が目覚めは落し子の目覚め。落し子が我が力を望むなら、我もまた落し子の力を望む。……つまりアルディナ様はここを訪れた落し子により目を覚ますと、私は解釈しているの。どうしてあなただったのか、どうして今だったのか、それはまだ分からないけれど、シェリルがここへ来たからには女神の残した予言は成就されるのでしょう」

「……そんな話、初めて聞いたぞ」

「当たり前じゃない。これは極秘情報よ。天界でも知っている者は私しかいないわ」


 その言葉にぎょっと目を見開いたカインの前で、セシリアは少しも慌てる様子なくにこにこと笑っている。


「そんな重要な話を簡単に話していいのか?」

「あら、あなたたちだから話したのよ。アルディナ様に会いたいのでしょう? その決心は揺らぐものではないのでしょう?」


 もう一度確認するように静かな声音で訊ねたセシリアが、シェリルを見つめて小さく首を傾げる。


「だから私もシェリルを信じたのよ。アルディナ様が待っていた落し子ですもの」

「……あの、それじゃあ具体的に何をすれば……」


 自信のない声で小さく呟きながら、シェリルは『扉』であるはずの壁に目を向けた。不思議な模様が描かれた壁に取り囲まれた空間の中で、目を引く三日月の印。その窪んだ三日月を指差したセシリアが、くるりと後ろの二人を振り返った。


「シェリルが壁を開ける為に必要な物があります。もともとここにはひとつの水晶が嵌め込まれていたの。その水晶のかけらは全部で三つ。それを集め、もとの三日月に戻したのなら扉は開き、アルディナ様は目覚めるはず」

「かけらがどこにあるのかも俺たちで調べるのかよ。……面倒臭ぇな」


 ぽつりと呟かれたカインらしい本音に、セシリアが思わず笑みを零す。


「安心して、カイン。場所はもう分かってるわ。アルディナ様が最初に降り立った生命誕生の聖地には夢のかけら。天地大戦の最後の地、アルディナ様が闇の王となった弟ルシエルを倒した、別名『呪われた地』には涙のかけら。そして三つ目の愛のかけらは二つが見つかった時に姿を現すと言われているわ」


 セシリアの説明を聞き落とさないようにしていたシェリルは、それでも場所の特定が出来ずにカインへ助けを求める。しかしシェリルの視線を感じたカインも、肩を軽く上げて首を横に振っただけだった。

 聖地や呪われた地と言われても、下界でさえ聞いた事のない場所が本当に存在するのか、ましてやその場所を見つける事が出来るのか、様々な不安や疑問がシェリルの頭の中で渦巻き始めたその時。


「時空の波に住まう精霊たちよ。我が願いを抱き、ここに過去と現在と未来を繋ぐ道を示したまえ」


 突然、セシリアの凛とした声が辺りに響き渡った。右手を真っ直ぐ上にあげて目を閉じたセシリアの周りに風が発生し、彼女の服や髪をはたはたと揺らめかせる。風は床を流れるように滑り、そしてそこに二つの円を描き始めた。シェリルの目の前で円はそれぞれ青と白の光に包まれ、床の上に淡く光を放つ小さな魔法陣を完成させる。それは天界と下界を繋ぐあの魔法陣とよく似ていた。


「その魔法陣の中に入れば、自動的にかけらの眠る場所へ辿り着けるわ。青い魔法陣が聖地で、白い魔法陣が呪われた地」


 セシリアの言葉を聞きながら、シェリルは足元で光を放つ二つの魔法陣へと目を落とした。

 青の聖地。そこはこれから目覚めていく世界に思いを馳せた女神の心が残っているのだろう。

 そして、白の呪われた地。そこにあるのは果てしなく続く深い悲しみと……憎悪にまみれた心。




『お前まで俺を忌み嫌うのか! 俺が闇に負けたから……俺が闇になったから! だからお前は俺を殺すのか!』


 ―― 憎い! 憎いっ! 俺のすべてを奪い、俺を殺したあの女が憎いっ!




 ぎくんと体を震わせて顔を上げたシェリルは、耳に残る低い声を追い払うように強く頭を振った。


「シェリル、どっちへ行く?」


 セシリアに尋ねられ、シェリルが反射的に青い光を放つ魔法陣を指差した。呪われた地には黒い憎悪が渦を巻き、シェリルを闇の中へと引きずり込んでしまうような気がした。女神に対する怒りを向けられているような……。


「んじゃ、さっさと行って終わらせてくるか」


 真横でカインの声がしたかと思うと、シェリルの体がぐいっと引き寄せられた。腕を掴まれてそのまま青の魔法陣の中へ足を踏み入れたシェリルの目の前で、今まで静かだった光が突然大きく揺らめき始めた。一気に天井まで跳ね上がった青い光は魔法陣の中のカインとシェリルを完全に包み込み、その向こう側にいるセシリアの姿さえ覆い隠してしまう。


「気をつけて」


 視界は真っ青に染まり、セシリアの声だけが届く。


「ちょっと、カイン! 私まだセシリアさんに……っ」


 言いかけた言葉はあっという間に遠くへ飛び去り、ねっとりとした分厚い水の壁を通り抜けたような感触がシェリルの体を包みこむ。その冷たく不快な感触に思わずカインへしがみ付いたシェリルは、背中に強い力を感じながら夢のかけらの眠る聖地へと転送されていった。



 大きく膨れ上がった青い光は、今はもう見る影もなく魔法陣を形取る淡い光の線に戻っていた。しんと静まり返った空間にひとり残されたセシリアは足元の魔法陣から壁の三日月へと視線を移して、その中に眠る女神アルディナへ思いを馳せる。


 神の落し子である存在がここを訪れ、そして眠りから目覚めさせるだろうと予言したアルディナ。その通りに落し子シェリルが現れ、何らかの理由で女神との面会を望んでいる。そしてその為にシェリルは今、天使カインを連れて三つのかけらを探す旅に出たのだ。すべては女神の予言通りに。


 しかし、その意味を知る者はいない。


「アルディナ様。……あなたの目覚めにはどんな意味があるのですか?」


 壁の向こうにいるはずのアルディナへと語られたセシリアの静かな声音は、誰もいない空間にいつまでも響き渡っていた。

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