8:交渉―Lies and doubt―
「こちら、東方警戒部隊のライオットです。東方警戒と探索をしている最中、行商人らしき人物を発見。連行しましたので至急、センチェス東方の拠点に来てください」
ライオットに持たせた、センチェス国にとっては貴重な電気通信機からそのような情報が届いたのは、センチェス奪還から一週間後の正午であった。センチェス奪還の戦いの後、ノルディスの報告を待つ間に次の一手を打っておくという算段であったが、こうにも上手くいくとは思っていなかったレイジスは小さくほくそ笑む。
未だ復興に進めない瓦礫だらけのセンチェスを横目に、フィリアとイルニスを連れて東へ向かう。フィリアは元のセンチェスの光景を知らないが、イルニスやレイジスも全てを憶えているわけではない。九歳までの記憶など十年もすれば断片しか憶えていないものだ。それでも、夢描くのは断片に見えるセンチェスの光景である。
現在は居住区と作戦指揮の拠点の建設に力を入れている。バロローグを筆頭に作業は順調で、少なくとも作戦指揮には申し分ない環境はできている。だが、居住区は満足にはできておらず、戦う術を持たない民にはまだディーツに過ごしてもらっている。蟲が住んでいたこともあって卵や巣などの撤去に時間を割かれているのが大きなタイムロスになっているのである。蟲は殲滅せず、現在はノルディスとライオットが組み立てた小型の結界の中で蠢いているが、日に日にその数は減ってきている。ノルディスの報告が早急に済まないか、レイジスが焦りを感じているのは事実であった。だが、その焦りの中で行商人の発見と連行は少なくともレイジスの感情の泡立ちを押さえる。
「レイジスー。あれって何?」
東へ向かう中、フィリアが道の途中にある大きな建物に注目した。センチェスには様々な文化が混合して存在したが、それもまたその文化の一つであった。特にそれは無くなりつつあった女神信仰の面影であった。
教会。神聖なる神を祀る建物だが、もうその場所に神聖な雰囲気はない。あるのは廃墟となった大きな建物だけだ。蟲が巣を作っていないため他の建物と比べると使うに関しては早く済みそうだが、建物自体の老朽化を考えるとあれもまた一度壊さないとならない。
「教会、だな。神様を祀っていた場所だ」
「神様ー?」
「まぁ、女神信仰はないに等しかったが……あそこもいつかは再開発しなければな」
教会はただ神様を祀るだけの場所ではない。懺悔を聞く場所にもなるし、癒しを求める空間にも変わる。特に戦闘などの荒っぽいことをする戦士にはうってつけの空間になり得るだろう。
その際はフィリアにも協力を仰ぐ予定だ。フィリアの歌は癒しの効果もあるし、教会で歌えばそれは神聖な歌に早変わりだ。そう思いながら、フィリア達を連れてレイジスは東の拠点へ向かった。
◆◆◆◆
「んー! んーーー!!」
「うるさいですね。今、我々の代表を呼んでいるので静かにしてください、と先程から説明しているでしょう? それとも、あなたの頭に生えているこの大きな耳はただの飾りですか?」
椅子に猿轡をされて、身体も縄で完全に括りつけられている中、バタバタ暴れているウサギ耳の獣人に対してライオットは大きな溜め息をついていた。彼女自身、人生の中で拉致など初めてであったし尋問も心得ていない。ディーツにあった本の真似事で椅子に括り付けるまでが精一杯であった。
元々、ライオット自身もそこまで非情に徹せない性格だ。結果的に、気持ちは主であるレイジスにいい顔を見せたかったが、頼ることになってしまった。効率重視の彼女らしい選択であった。
「来たぞ」
「来ましたか、レイジス」
レイジスがライオットを確認してから声をかける。ライオットは振り返りレイジスを認識した。ある程度のことはライオットからレイジスには伝えられている。しかし、レイジス達の目の前にいるウサギ耳の少女を見ればどうにも複雑な心境にレイジスはなった。
行商人を狙って拉致をしろ、と命令したのはいいがこうにも早く捕まるとは思っていなかった。実際、まだ作戦会議の提案として最初に進行する国は決まっておらず、できればフェアな条件……地理的な条件や、文化体系などの調査をしてから決定をしたかった。だが猶予として一か月の調査期間を設けたつもりが、事の運びが良すぎて一週間で終わってしまったのだ。
行商人を拉致をすることは、ジーパに何かしらの違和感を抱かせることに繋がる。それが長期間となると尚更だ。もし目の前のこのウサギ耳の獣人がジーパにとって重要な行商人であるならば、場合によれば探索隊を出される可能性もある。それでは調査どころではない。
だからといって、ここで行商人を解放しても報告をされるだろう。そうとなれば最悪、争いになり得る。ノルディスに任せてある蟲部隊の運用の件もまだだ。あまりにも軍備の状況が悪い。
王としての指揮能力はまだまだだな――――と内心自嘲しつつ、レイジスは行商人に語りかける。
「待たせた。俺がこの団体のリーダーを務める、レイジスだ」
「んーーー!! んんーーー!」
「……ライオット。猿轡を外してやってくれ。彼女に申し訳ない」
その物言いにライオットと後ろに控えているイルニスがムッとしたが、ライオットは黙ってウサギ耳につけられている猿轡を外した。途端に、ウサギ耳をぴょこんと立てて獣人は大声を出す。
「何してくれてやがりますかぁっ!!」
「……すまないとは思っている」
「すまない、で済む問題ではありません! 商売とは少しの時間のロスが、信用とお金に響いてくるのですよ!!」
レイジスの謝罪にも果敢に行商人魂を振りかざす彼女は、確かに行商人の鑑である。レイジスもその魂は痛いほど解っているし、実際行商人を拉致することは将来的に致命的なダメージになることは想定済みだ。
行商人の運ぶ物の中には、果実や魚などの生ものもある。腐らせてしまったら一大事だし、顧客の信用が無くなる。そのようにもならないように行商人は最短のルートを形成し、効率よく物を運んでいる。
センチェスで貿易業を栄えさせようと努力していた幼年期で覚えた大事なことだ。だから、ここからの発言は気を付けなければならない。言うなれば、行商人との交渉、だ。
「第一。あなた達は何者ですか! 山賊……というには山がありませんが、その手の者ですか!?」
「いや、そのような下賤な輩ではない。我々は、大陸を渡り歩いている集団だ。ヨルロからここまで歩いてきた。その中で中央の国の廃墟で金塊を発見したのだ。しかし、食糧が無くなり、つい行商人を発見して捕えてしまったのだ。大変、申し訳なくは思う」
「……ヨルロから来たには消費が少なくは見えます。特に、中央の国は蟲の住処となっていたはずです。金塊を見つけるにも苦労したはず……なのに、兵士や私を縄で括りつけた女もあまり消耗していません。嘘、ですね」
そのズバリとした発言に、レイジスは内心焦りを感じていた。嘘を作ることでどうにか土台を有利に作ろうとしたが、この行商人には通じない。行商人をやっているだけはある。言葉のスペシャリストに挑んだのは間違いであったか、と早速、後悔を感じ始めていたが、ここで引き止まるのは無謀だ。一度ついた嘘は、歪めてでも現実味を帯びさせる必要がある。
「中央の国はだいぶ荒れていたが、どうやら自生している植物はいたのでな。蟲共がいるのだ。食べられないことはないわけもなく、それらを食したが……足りなくてな」
「しかし、装備などを見るに戦闘はしたのでしょうが私の予想よりも消耗は少ないです」
「実は、ここは行商人を探すための臨時の基地でな。中央の国にまだ何人もの集団が待っているのだ」
嘘ではない。大嘘の中に本物を織り交ぜて、少しでも本当であると見せかける策だ。
「ここには特に消耗の少ない兵を置いた。……信じてくれるだろうか?」
「しかし、道徳的問題は残ったままですよ? あなた達は生きるために私を襲った。ということを、悪いと感じているのならばいち早く解放してください」
とりあえずは状況を信じたようだが、行商人からすればそれだけでは済まないだろう。確かに道徳的な問題を出されてしまえばこちらも言うことも言えなくなる。少なくとも、レイジスは申し訳ない、と謝ってしまっている。
ならばどうするか。打つ手なしの中、それでも打つ手を探す。暴力に走ってもいい。しかし、それではレイジスの頭の中にある未来予想図から大きく外れてしまう。あくまで行商人とは協力関係を築きたい。そうとなればあまり無理な手は使えない。心を読む能力もこうも警戒されては使えない。
イルニスもライオットも、他の兵士達も後ろから見守っている。選択は、次の一言で決まる。だからこそレイジスは、選択肢の中にある穴を探す。嘘の中にある真実を。行商人を納得させる、唯一の方法を――――
「――――解放しよう」
その一言で、その場にいた人物のほとんどは耳を疑った。そしてレイジスに疑いの眼差しを向ける。しかし、そこには、
「だが、条件がある。我々はこの大陸の事を知らな過ぎる。だから、あんたから教えてほしい」
貪欲に、現状の打破と、情報を収集する王がいた。
【技】
・暗黒火葬―エクスプロージョン―
イルニスが得意とする暗黒爆炎魔法。新センチェス軍魔術師部隊の教官でもあるヨルディスが得意とする魔法であり、教え子たちは基本的に教えを受け継いでいる。
爆炎魔法は範囲は広く、良く言えば当たりやすいが、悪く言えば味方にも被害が及びやすい。加えて威力も高く、闇の魔力によって更に攻撃力が高まっている。そのため小隊での使用は控えるように言い渡されているが、イルニスの場合のみ制限はない。武器「ガンド」は長い鎖であるがそれ自体が魔力発生源になるため、範囲を制限させて使用することができるからである。
なお、爆炎魔法特有の消費魔力も多いままなので、連発するにはライオットのような調整魔術師がいないと厳しい。