16:湯船の中にて―Ninja―
「にーさまー! 聞こえてますかー!」
「こら、イルニス。はしたない」
「あはは! おーんせんだー!」
「……あいつら」
くぐもって聞こえる三人娘の声にレイジスは思わず頭を抱えてしまった。巨大な竹で出来た壁で女湯と男湯は別れているが、彼女達がどのように動いているかが大体解ってしまう。温泉に入るや否や、こうもはしゃがれてしまうと、同行しているこちらが恥ずかしくなるものだ。
イルニス含め、三人ともディーツでの大浴場は入っていたはずだが、ジーパの自然が溢れ、月が見える温泉には心躍るのだろう。それは解る。だがここは貸し切りではない。今は他に人はいないが、もし入ってきたらどうなるか……。
「いやぁ、いい女子の声ではないか」
「ただの連れだ。そんなにいいものでは……」
レイジスはそこまで声を返してから、ハッとしてその声の主を見た。温泉から溢れる湯気の中、男は湯船に浸かっていた。無精髭を生やし、刺々しい黒髪を湯船を囲う岩に突き刺しながら、頭に白いタオルを折りたたんで乗せている。半身ほど見えるその胸板には毛深い胸毛が見えた。
まったく気づかなかった。そう理解するや否や、レイジスは男に詫びを入れる。
「すまない。お見苦しいところを見せてしまった」
「なぁに。こちとら初々しい女子の声が聞こえてハッピーだ。気にすんな」
果たして初々しいかどうかは正しいとは言えないが、何はともあれ男は許しを見せた。レイジスはもう一度すまない、と言い三人娘には後で言っておこうと肝に銘じるのであった。
「して、あの女子らは連れと言ったが、妻であるのか? それとも愛人か?」
「……妹と幼馴染と、強いて言えば娘だ。まだ結婚はしていない」
「ほぉ~。なるほど。すると狙いは幼馴染か。いいのぉ。悪くないのぉ」
一人納得する男にレイジスはジトっとした目で睨む。陽気な男である。だからこそイラつきを覚えるが、同時に話しやすいムードを作っていると感じた。この男とは話がしやすい。そのような感じだ。
「先程の声の感じからして、妖艶な声音は妹だろうな。して無邪気な声は娘と見た。クールだが温かみを感じる声は幼馴染だろう」
「……答える義務はあるか?」
「いやいやいや。おっさんの独り言だよ」
大きな独り言があったものだ。レイジスは気さくに話す男に警戒心を抱くが、突然、その男が体中に張り付いた水滴と同時に水飛沫を上げ、立ち上がったので驚いてしまった。そして気付く。この男の体に、幾多もの傷を負っているのを。
「さーてと。では男の欲を満たそうとするかの」
「お、おい。何する気だ」
「そりゃ覗きだよ」
瞬間、レイジスが飛沫を上げながらも男を止めようとしたのは言うでもない。男のロマンであるのは認めるところだが、その対象が自分の女達であるというのなら許せるはずがない。それにこの男から感じる、欲に忠実な色欲魔人の様なオーラははあながち間違っていないであろう。
レイジスが必至に男の足を引っ張り、男はしばらく対抗したが、レイジスの必死さに思うところがあったのか、大きく溜め息を吐いてゆっくりと湯船に戻った。
「お前なぁ……」
「自分の連れをダシにされるのは許さんぞ」
「へいへい。ちぇー」
男はそう言ってそっぽを向いたが、しばらくするとまたレイジスを見てニヘラと陽気な笑みを浮かべる。この顔が恐らく男の本来の顔だろう。男ながら素敵な笑みであった。
「お前、ジーパの者ではないな。旅の者か?」
「そう言ったところだ。あんたは何なんだ?」
「こりゃ失敬。俺の名はチョウゾウ。ジーパのある集団、『忍』に属する者さ」
その言葉にレイジスは心当たりがなかった。『忍』。センチェスの資料には載っていなかった名前だ。ここ数年で生まれた組織なのか。だがこのような陽気な男が所属しているのだから、恐らくは商会か楽座であるのだろう。レイジスは一人納得し、チョウゾウに対して言葉を返す。
「俺の名はレイジスだ。連れと共に旅をしている」
「いいねぇ。女三人に男一人旅。ハーレムではないか」
「いいことなど一つもないぞ。野宿の時も、貧乏くじをひかされた」
主に食材探しや、周回散策。フィリアの外出経験が少ない事もあって、動くにも動けないのだから自ずと二倍働かなければならなくなる。特に食材探しは厄介で、ジーパ領の食べられる物かどうかをセンチェスに置いてきた資料を脳内で照らし合わせなければならない。キノコなどが顕著で、あまり満足した食事はできなかった。
そう言えば、ジーパの料理は他三国と比べて珍しい食文化から成り立っていると聞く。レイジスはその疑問への好奇心が抑えられず、詳しいであろうチョウゾウに聞く。
「話を変えるが、この国で美味しい料理屋を知らないか?」
「この宿屋の飯も十分に美味しいとされるが……そうだな、北西にある安海屋の料理は特に美味しいと聞く。いかんせん、俺も行った事がないんで確証はないが、仲間がよく行くのらしいのだ、それ相応の味があると思うぞ」
チョウゾウは、味覚が合えばいいがといらぬ心配を口にする。だがその心配は無用である。連れの一人、ライオット・ノートという女は食事係にして非常に、そう問題になるほどにグルメなのだ。
思い起こすに十四年前。センチェスの滅亡の一年前。レイジスは父の職の関係上、ヨルロに赴く機会があった。その際、従者見習いであるライオットも共について行き、彼女と共に食事処巡りをしたものだ。……当時から、彼女はよく食べる女であった。そう、巡るに巡って十三軒目。子供であったから、という言い訳もできないほど食べたレイジスが吐き気を催す中、ライオットはまだまだ行ける、という調子であった。しかも、所々で緻密な評価を上げる余裕がある。
それ以来、ライオットと共に食事処巡りはするまい、と肝に銘じていたレイジスであったが、長年地下の国で同じような飯しか食べれなかったライオットを思うと、あまりに可哀想に思える。せめて、潜入している期間だけでも彼女の欲を満たせてあげたいと思うのが、主人であるレイジスの優しさであった。
「時に、お主ら。財はどうするつもりか? 旅の者だ、不安はあるだろう」
「この宿屋に関してはサクヤという女が払ってくれているが、確か俺達に財はないな」
「だと思ったよ。まぁサクヤ様が認めたお相手だ。俺も一緒に行くから金を払ってやる。いいか?」
「頼む」
チョウゾウの提案に思わず即答してしまう。元よりレイジス自身の好奇心も強い。ライオットを口実にしているが、実際は彼もジーパという異文化を楽しみたいだけなのだ。
「長湯になりかねんな。明日、よろしく頼む」
「おぉ。俺も楽しみにしてるぜ」
レイジスがそう言って湯船から飛沫を上げて立ち上がる。チョウゾウはその様子を見て、陽気な表情を湯気に隠す。『忍』を語る男は、その猛々しい性格とは裏腹に酷く冷静な意思を覗かせていた。
◆◆◆◆
「チョウゾウ殿」
「なんだ、ツバキ」
名を呼ばれたチョウゾウは腕を組みながら仁王立ちでその声の主を見る。ツバキと呼ばれた女はその薄赤毛で碧眼を持っており、その姿は非常に軽装であるが肌はほとんど見せていない。紅、というべき色の服には何か殺気を纏っているように感じられた。
ツバキはチョウゾウに跪き、忠誠を誓うように顔を俯かせる。
「対象、三人の湯を覗かせてもらいました」
「どうだった?」
「えぇ、サクヤ様が言うほどの強者のようには見えませんでした。むしろ年相応の無邪気な少女達かと」
「お前もそう変わらんだろうが」
チョウゾウが報告するツバキに呆れて思わず突っ込んでしまう。イルニス達と同じ程度の歳である『忍』、ツバキはその『忍』の長であるチョウゾウに対して一種の子供染みた怒りを目に見せるがそれも一瞬の事であった。
「それにあの娘らは魔を扱う者たちだ。レイジスのように表立つような殺気はそうは見せんよ」
「サクヤ様が一番警戒していたあの男、どうでしたか?」
「いい男だ。思わず語らいをしてしまうほどにな」
チョウゾウは陽気に笑いを見せた。だがその笑いにも長としての貫録があるように見える。
「同じ湯に入ったと?」
「あぁ、思わずな。サクヤ様ほどの剣の腕を持つお方が警戒を抱いた者だぞ。その野心、その心意、確かめなければならない」
「それで、チョウゾウ殿から見て彼はなんでしたか?」
そのツバキの言葉に、チョウゾウは一瞬言葉を喉に詰まらせる。
「……懐かしみを覚える男であった。この懐かしみは、言うなれば過去の自分だ。野望を抱いた頃の自分だ。まだ成し遂げる事があった頃の自分だ」
それはチョウゾウの失った野心であるのかもしれない。あのレイジスという男は、彼の喪失した野心の亡霊のように感じられた。
チョウゾウの過去を知らないツバキは、しかし冷静に彼の言葉に耳を貸す。
「……今は、チョウゾウ殿」
「理想とは、いつ何時儚きものよ。だが同時に理想とは安く簡単に移り変わる。ツバキ、俺は久々に高揚しているぞ。なにせ、我が障害が立ちはだかったのだからな」
チョウゾウはその右手を強く握りしめ拳を作る。その意思、その表情は形容するなら答えを見出した幼き子供か。ツバキはそのような様子のチョウゾウを見て微笑む。
「レイジスよ。何かしらの懐かしさを覚える未知なる剣士よ。貴様が何者か、いずれその正体を知り、敵であるのならば、我が『忍』の長、ハットリ・チョウゾウが貴様の相手をしよう」
チョウゾウはそう宣言し、そして最後に、
「……戦う事になってしまえばな!」
と付け加える。ツバキはそのオチの弱さに思わず乗っていた木の枝から落ちかけるのであった。
【技】
・勇敢なる者への聖歌―ギブライトネス―
フィリアが使用できる精神回復魔法。フィリアが稀代のヒーラーと言われる由縁の魔法であり、他のヒーラーには真似ができないフィリアだけの魔法。
通常、回復魔法は物理的な回復しかできないものであるが、フィリアのこれは精神に語りかける歌を歌うことにより精神を高揚させ迷いを消すというもの。迷いを持つ者の迷いを消し去り一途にさせる魔法ともいえる。
この魔法の使用はフィリア自身に託されており、フィリアが自由に使うようにされている。
なお歌の曲調は勇ましくも壮大な歌である。タイトル通り、勇敢なる者が戦へと進み行くことを応援するような歌である。