13:月下で狂う鬼―Consumer of Divine wind―
サクヤは駆けていた。眼前に見える黒い鎧を身に着けた奇怪な獣、もとい熊型の鎧獣の爪による引っ掻きを躱し、その場から迂回し次なる攻撃のチャンスを窺っていた。場は森の中の開けた場所であるがゆえ、地は土であり彼女の履いている草履では土が跳ね足に意識が向く。
「草原であればいざ知らず、草履ではなく足半にしておくべきだったか!」
そう己の浅はかさからくる文句を言いながらも獣の隙を見つけ、一瞬にして背後に映るべく右足を軸に急転換した。そして獣が未だ背後を振り返らないその様子を見て、一気に屈伸運動を利用し前進する。
風の如くか、否、疾風であるその動きを獣が捉えられるわけがなく、獣の胴体に一閃の傷が入る。しかし、その一閃を感覚で理解してもサクヤは苦い思いを覚える。
「浅いか」
刀を構えながらくるりと振り返り獣を見やる。獣を知的生命体と認めなければならない。あの一瞬、背後を切りかかった瞬間、獣は振り返る動作と同時に攻撃を躱そうとした。結果的に攻撃は背中から脇腹部に届き鎧に傷は入ったが、致命傷にはなり得なかった。
しかし得る物はあった。少なくとも自分の持つ、月之不知火はあの強固な鎧を切り裂くことができる。加えて、浅いとは言え傷を与えたがそれでも痛みを覚えずに悠然と立つ様は不気味であった。痛覚がない、それが最も妥当な判断だ。敵は痛みを覚えずに攻撃を繰り出していく。これは非常に厄介で、隙を見て攻撃をするサクヤの剣術では攻撃後の隙を狙われるかもしれないのだ。
この剣技では長期戦を強いられる。それはサクヤにとってはあまりにも辛い。元より場が悪い。攻撃を躱せるのも広い場を見つけたからであって、移動されると追わないとならない。追う者だからこそ、敵が強敵であるのはあまりにも辛い。
「――――!?」
思考が一巡しようとした瞬間、草むらが揺れ動いた。ガサッとした音が風ではないと伝えている。しかもそれが背後なのだから警戒が後方に向くのは仕方がないことで――――
「しま――――」
その一瞬が、偶然が起こした隙が獣に攻撃の機会を与えた。サクヤが後方へ一度振り返る。視線が後ろに向いた瞬間、獣はここぞとばかりに爪を突き立てて大きく振り被った。体重を前方へ移動し、サクヤを覆い被さるように攻撃を繰り出す。
この一瞬を躱すのは厳しい。躱そうとしたら躱しきれずに逆に致命傷を負うかもしれない。では刀で受け止めるか。いや、ヨルロの剣術ならいざ知らず、ジーパの剣術では受け止めることは難しい。元よりサクヤの持つ月之不知火は大太刀であり、あのような攻撃を受け止めようとすれば刀を破壊されるだろう。加えて相手は獣の爪だ。物理的に刀より強力な一撃は完全に止め切れる保証はない。
万事休すか。否。あくまで己が身の保身があるから手がないと錯覚する。しかし、その肉体を犠牲にしようとする思考はあまりにも危険だ。
どちらにせよ手がないか。せめて致命傷を避けるように避けるほかない。そう回避行動に移る数十秒間のサクヤの思考。だが、その横を通り過ぎる一つの影があった。
ガキンッ、という剣と鉱物がぶつかり合うような音が森の中を響き渡る。サクヤの持つ刀の音ではない。だからといって肉体を壊された音ではない。
眼前に見えるのは、くすんだ金髪の男と長い剣。黒の鎧に黒いマントを棚引かせている。剣は獣の爪を受け止めており、ジーパのような剣術ではない。
「大丈夫か!?」
男が後ろに目をやりサクヤを見ながらそう叫んだ。目の前の男は少なくとも自分を助けたのか、ということに気付いたサクヤは短くすまない、と言い男が後方へ退くと同時に後方へ退いた。
先程の後方の音は彼が動いた音であったのだろうか。そうであればピンチを生み出したのは彼であるが同時に助けたのも彼となる。真面目な性格であるためそこのところをきっちりとしたいのがサクヤであるが、後方からまたガサガサと音がするので思考が途切れる。
「ちょーっと、兄様ぁ! 突然飛び出すなんて何事……って、うああわぁっ!! くまー!?」
「イルニス。落ち着いて」
やってきたのは黒と紫を基調としたフリルがついたドレスを着る黒髪の少女と、赤目と白く一つに束ねた髪が特徴的な服の上からエプロンを着た少女、そしてその中でも一番背の低い白い聖職者の服を着た少女であった。
「イルニス、ライオット、フィリア。臨戦態勢だ。準備しろ!」
「ほら、イルニス。クマに襲われてトラウマを持っているのは知っていますが立ち上がってください。あなたのお兄様がピンチですよー」
「ひ、ひぃぃん……ライオットの目が怖い! でもクマはもっと怖い!!」
「ほら、イルニスー! 立ち上がってー!」
「……緊張感皆無だな」
サクヤが思わず三人組を見て呟いてしまう。もっとも、一番頭を抱えるのは飛び出してきた金髪の男である。後ろの三人組を見て大きな溜め息を吐いているところを見るに、彼がこのグループのリーダーなのだろう。なるほど、苦労人のようだ。
獣は先程攻撃を止められてからこちらの様子を窺っていた。男が殺気を見せて威圧しているおかげで攻撃には転じていないが、いやはや相手が感性に富む人間であればこれを機に仕掛けてきただろう。
「すまない。一応、俺の仲間だ」
「大方理解した。して、助力助かる。私の名はサクヤ。ジーパの者だ」
「俺の名はレイジス。旅の者だ」
レイジスと名乗った男は私を横目で見てそう返した。深くは語るつもりはないらしい。眼前の敵を倒してから彼をジーパへと招待しよう。そうすれば彼の身の上話も聞けるだろう。サクヤはそう心の中で決め、小さく頷いた。
「サクヤ、俺は前衛で敵を仕留める。イルニス、ライオットは支援、フィリアはイルニスが怖気着いたら叩き起こしてやれ」
「はーい!」
「フィリアの無邪気な態度が怖い……あぁもう! 解りました。速攻でケリを付けましょう!!」
先程から喚いている、イルニスと呼ばれる少女がやっと決心をつけたのを確認してか、レイジスはキッと獣を睨みつけた。サクヤは彼を見て、その若い風貌からは予想できないほどの戦い慣れをしていることに気付く。目に怖気がない。剣の構えも以前、ヨルロから参ったという若き騎士と模擬戦をした時の構えに酷似しているが幾つか差異が見られる。少なくともヨルロより機動性があり、ジーパよりも鍔迫り合いを行うことができる剛と柔を兼ね揃えた構えだ。
この者が旅の者と称するのを信じるなら、ヨルロの剣技から派生した我流であると言える。この男は、戦いをし、己の弱さを受け止め、変える事のできる。何かしらの覚悟があるのだろう、何かしらの意思があるのだろう。彼は今のジーパにも存在しえない、真なる剣士だとサクヤは感じた。
「サクヤ。あれの中身は人間だ。人間を斬らずに、鎧のみを斬ることができるか?」
「任せてもらおう。しかし、なぜ解る? もしや、前にもあれと戦ったことがあるのか?」
「……後で話す。ならば、俺が先陣を切る。隙を見て斬りつけてくれ」
「了解した。我が刀に誓い、敵を斬る!」
その言葉を聞いてか、レイジスはニッと年相応の笑みを浮かべ、一気に前進した。獣は動きを見せたレイジスに反応し、巨大な爪の生えた両手を振り被ろうとする――――が、今度はそれをレイジスの方向へ向けるに留まる。その違和感を放つ行動の次に起こったのは、その手から生まれ出た魔方陣であった。
「レイジ――――」
思わず名を言ようとする。しかし、その発言が終える前に動いたのは先程までイルニスの嫌味を含めて立ち上がらせようとしていた白髪の少女、ライオットであった。その手には魔法陣が展開し、そしてそれを手で押して撃ち放ったのだ。
「二重障壁」
そう言葉を発した瞬間、飛ばされた魔方陣はレイジスを通り過ぎ、獣の腕の前で発生した。魔法の壁。否、二重で重なって生まれたのはまさに障壁か。盾ではなく、ただ壁であるそれは防御力が高いわけではない。しかし二重になることによって強度が増し、壁を越えた障壁となり得る。
その障壁は獣の魔法陣から放たれる魔法を完全に遮断した。その状況を最初から理解していたようで勢いを止めない。サクヤもまた彼の行動に合わせる。
獣は攻撃を止められた事を理解した瞬間、腰を屈めレイジスに向かって突進を始めた。レイジスは宝石が埋め込まれている剣でそれに応じようとしたのかと思えば、剣を横に広げた。これでは攻撃を防ぐ事はできない。
だがその瞬間、獣は大きく仰け反る事となる。攻撃を受けたから。否、その両手両足には鎖が巻かれていた。地面から、森の木々から現れたそれを扱う者の正体を後ろの少女の声で判断した。
「ガンド! そのまま縛り付けて」
サクヤは見なかったが、イルニスのドレスの袖から伸びるその鎖は生きていた。生き鎖、ガンド。蛇のようで無機質なそれはイルニスにとっての相棒である。
完全に無防備となった獣にレイジスは剣を広げ構える。その瞬間、レイジスが何かをしたのか、刃に魔力が帯びていく。そして赤い宝石が光ったと思えば、刃が分割して動いたのだ。獣側の刃が二つに割れ、まるで鍵爪のように獣の方へ向く。そして赤い宝石を起点に、そこから魔力の波が流れだす。その形は、武器で現すなら魔力で出来た斧であった。
「アックス・ドライヴ!」
巨大な斧となった彼の剣はその咆哮と共に一層に魔力を高め、その強大なる一振りで獣の両足を薙ぎ払った。中に人間がいるのではないか、という心配を余所に彼が次なる攻撃を自分に任せた事を理解したサクヤは、愛刀を一度腰の鞘に納めて前進する。
レイジスがサクヤの動きを理解したのか横に逸れる。場は整った。レイジスが足を斬った事により、次なる狙いは定まったおかげで、何の迷いもなく奥義を引き出せる。
獣に背を向けるように回転した。一転して完全なる隙を見せたかのように見える。しかし、彼女の手には光る何かがあった。刃と共に見せる緑色の光。そして、彼女は振り被り疾風を超えた神風の斬撃を見せる。
「奥義……弐速月風ッ!!」
風の魔力を帯びた彼女の右腕はあり得ないほど素早く獣の両腕を捉える。振り被ったことにより残る彼女の右足が地に着く音。そして静寂を後に起こる風がかき消した。そしてその時にやっと、獣は腕を切られた事を悟った。そう悟った瞬間、腕は切り刻まれ獣から切り離される。
現象さえも超え行く神風なる一撃。放ち行くはかの女。名はサクヤ。ジーパの君主、カグヤの刀であり、月下で狂う鬼。そして風をも味方にする、月風流の使い手であった。
【技】
・簡易障壁―ハーフ・クリエイト―
ライオットの使用する障壁魔法。通常、ウォールという魔法が障壁魔法の名前であるがライオットが独自に改造したため、クリエイトと命名している。ウォールと違うのは魔力消費量と行程の単純化がなされている。そのため通常のウォールと比べて耐久度よりは低いが、素早く発動が可能。
また重ねがけも可能で、二重セカンド、三重サード……となっていく。二重になった場合、通常のウォールと同程度。四重になった場合、ウォールの二倍の耐久度を誇る。加えて重ねがけの場合も発動の素早さは簡易と変わらないため結果的に性能はこちらの魔法の方が良い。
なお、重ねがけにも種類があり、段階式(図:|||)、重複式(図:|<耐久UP)などがある。ライオット自身の成長もあるため、今後の進化もあり得る魔法。