10:生真面目な嫉妬心―Serious and jealousy―
ライオット・ノートの朝は早い。というのも、レイジスの従者であるという事もあったが、一番の理由は食事を求める主に兵士達への朝ご飯を作るためだ。ライオット一人だけの仕事ではないが、彼女が指揮をしていることもあってか、彼女は機械時計でいうところの三時に起床する。
ライオット自身、生まれてからの従者であるため早朝に起きる事に苦はない。前日、ナウンスという行商人との交渉で計算尽くしであった彼女であったが、多少の欠伸を見せるだけでその意識はハッキリしていた。
「おはようございます、私」
ライオットは相変わらずの無表情のまま鏡に向かってそう呟く。彼女の習慣だった。
ライオットは手馴れた様子で髪を束ねて、その雪のように色気の少ない肌、その色に負けないほど真っ白な下着の上に黒いセーターと真っ白の長ズボンを着込んだ。従者でありながら従者が着る、主に言われるメイド服を着用しないのは幼い頃のレイジスが嫌がったからである。彼曰く、他の従者に混じってしまい見失ってしまうから、だそうだ。ライオットはそんなレイジスの小さな我が儘を受け入れ、現在も私服のまま彼の従者をしている。
ライオットはその上からエプロンを首にかけて、腰辺りの紐をぎゅっと絞める。このエプロンまでが現在の彼女のメインとなる姿だ。毎朝、朝食を作るために着用していたのだが、いつしか事務仕事などをしている間も着込むようになってしまっていた。セーターまでが私服だとするならエプロンはさながら仕事着というべきか。実際、これを着込むか着込まないかで集中力も料理の美味しさも変わってくる。
「よし」
いつもの自分になったライオットは早速、テーブルに置いてあったメモ帳を手に取る。本日の動きを書いたそれを数分だけ眺めてパタンと閉じると、それをエプロンのポケットの中に入れる。本日の動きは、まず台所へ向かい朝食を用意する事。特に現在はディーツとセンチェスと二か所に分かれているため、朝食を用意できる人数は通常より少ない。数をこなすために手早く動かなければならない。その後、主であるレイジスを呼びに行き朝の会合を行う。会合は食事時に行われるため、そこから片付けをして、そこから先は会合時で決まる。
ライオットはすっと自分の部屋をあとにする。センチェスの元王宮、現在はセンチェスの政治を担う者達が在住しているこの再開の拠点の廊下を歩く。まだ日は明けていないが、日の光が当たらなかったディーツに長く過ごしていたライオットにとっては慣れている暗闇であった。でも、だからと言って暗闇が好きなわけではない。暗闇は、ディーツの住民にとっては愛すべき存在でありながらも忌むべき存在であるのだから。
食堂に着いてから皆が来るまで料理の準備をする。今日のメニュー的にはあまり手間取らないだろう。パンにミルク、豆の赤色煮込みだ。自ずと用意する物も少なくなる。だから、三十分もせずに食器の準備を終えたライオットは淹れておいたコーヒーを飲みつつ、食堂のテーブルで皆を待つ。すると珍しい事に、睡魔がゆらりとやってきた。行商人から得た物などの計算で頭を使ったからか。どうにせよ、この睡魔は無視できないもので、ライオットはダメだ、と思いつつもゆっくりと目蓋を落とす。
後ろから迫る黒い影も知らずに……
◆◆◆◆
「――――ん」
自分が寝てしまった事に気が付いたライオットは、閉じていた目蓋を開こうとする。肉体はまだ少し疲れてしまっているのかその行動を阻害するように動きを遅いが、暗闇に包まれていた視界がゆっくりと開かれれゆく。
そしてその視界の先には、蝋燭で照らされた影のある人相がライオットの目の前にあった。
「きゃぁぁぁぁああああああっ!?――――むごっ!」
その突然の顔にライオットは彼女にしては珍しい幽霊でも見たような驚愕ぶりを見せながら叫んだ。真夜中の静寂に響き渡ったその声は、何者かによって防がれてしまう。
「おい、深夜だぞ」
「むごっ!? むぎゅ、むぐぐぐぅ……んっ!?」
その声に、聞き覚えがあった。というより毎日聞いている声だ。生まれてからずっと聞いてきた、ライオットにとっては安らぎすらも覚える声音だ。
それに気づいたライオットは次第に声を荒げるのを止め、その反応を見てか、防がれていた手を戻す。
「たくっ……ライオットの珍しい寝顔を見ようとしたらこれだ。そんなに嫌かよ」
「見せたくありませんよ、無防備な私なんて……レイジスの馬鹿」
悪態を吐くレイジスにライオットは主であるというのにハッキリとした悪態を吐く。レイジスが許可をしてくれているからだ。だから彼はその事には怒らない。怒るとしたら、ここにいることだろう。
「今何時だと思ってる。風邪ひくぞ」
「あぁ、いえレイジス。朝食のために起きたのですよ。そして準備をしてたら思わずうつらうつらと」
「いや待て。朝飯の集合時間は確か五時だろう? 一体何時からここにいるんだ!?」
「三時からですが……?」
そのライオットの発言にレイジスは思わず大きく溜め息を吐いた。ライオットはその溜め息の理由が解っていないが、彼女のその自分の異常を理解していない事に溜め息を吐いたのだ。レイジスは一々説明するのも何なのであえて言わないが、彼女のその変に生真面目な性格は彼女の良さであり悪さでもあった。
「毛布も持たず寝る奴がいるか。ほら、俺のローブだが被っとけ」
「いえ、それではレイジスが冷えてしまいますし……そういうレイジスこそ、なぜこの時間に?」
レイジスのローブを引き返しつつも彼がここにいる理由を探るライオットにレイジスは後ろめたそうな表情を見せる。彼は別に邪な事を考えているわけではないのだが、ライオットに起きている理由を言うのだけは躊躇われた。
だが、彼女の献身な視線には負け、レイジスは一度唇を甘噛みし彼女に事を話す。
「変な時間に起きてしまってな。ちょっと緊張しているのかもしれない」
「緊張ですか?」
「あぁ。大丈夫だ。以前のような酷い事にはならない」
ディーツで一時期あった、レイジスが精神的疲労で倒れてしまった事件をライオットは大変悔いていた事をレイジスも知っている。だからこそ念入りにそのような事ではないと告げ、レイジスは彼女に自分が今感じている感覚を話す。
「武者震いだよ。今から俺はこの世界を相手にするんだって、そう思うと震えてしまう」
「レイジス……」
「迷いはしてない。やることは解ってる。あとは……進むだけなんだ」
それが、レイジスという青年の決意ゆえであった。知っている。ライオットは彼の理想を最初から見てきた少女なのだから。誰よりも彼を知っているつもりだ。
だから――――今はちょっとだけ、従者である自分を捨てて彼に言う。
「レイジス、あなただけではありません。皆があなたと戦うんです、この世界と」
「あぁ……そうだな。そう、皆とだ。お前とも、イルニスもフィリアとも。皆で始めるんだ、戦いを」
その言葉に彼の優しさと少しの嫉妬心を覚えながら、ライオットは肯定するように首を縦に振った。
彼は小さくありがとうと言う。こういう関係だ。自分の感情はまだ潜めておく。イルニスという面倒な恋敵がいるが、彼女もまた自分にとってもレイジスにとっても大切な人なのだから。ライオットはそう感じ、そして小さく微笑んだ。