9:停滞した世界―Lost evolution world―
「大陸の事を、ですか」
ウサギ耳を垂らしながらそう聞く獣人は、何か違和感を感じ取ったようで目を細めた。レイジス側は現在、このカイアス大陸の外の世界からやってきた旅人という身分の元での交渉をしている。これはセンチェスという国が現代でどのように扱われているかが不明だからだ。しかし、蟲が蔓延っている状況や、センチェスのことを話してあまり深い反応を見せなかった事から、この獣人はセンチェスの事を深く知らない可能性がある。
勿論、仮説だ。獣人が演技をしている可能性もある。しかし、それをする必要がないのもまた真実。レイジスはまず、彼女のデメリットである条件を糧に、交渉の場の形成を行っていた。
「うぅん……解放してほしいですが……でも、確固たる信用がありませんから」
「確かに。こちらを信頼するのは難しいだろう。何せ、あんたを捕えては尋問紛いを行っているのだからな」
行商人ゆえに、信用は大きな枷となる。信用は積み立てる事によって成されるもので、そうそう瞬間的に形成されるものではない。だからレイジスは信用を使った交渉を行うなど毛頭ない。
状況を活かす。向こうは少なくとも疑念こそあれど、こちらの話を前提としている。センチェスの地下から現れたなど考えもしないだろうが。だからこそ、ここは強引にでも偽りの状況の具体的な説明をする必要がある。
「だが、仕方がないのだ。我々は元々亡国の民で、生きるためには奪う、殺すなど当たり前だった。しかし、我々とて全員がそう思っているわけではない。特にこの大陸の人々の心は温かく感じる。ヨルロに移住こそはできなかったが、良くはしてもらった。だからこそ、我々は知りたい。この大陸の事を」
嘘の中の真実はある。亡国の民であるし、ヨルロは幼少期の記憶では騎士道精神が行き届いた誠実な国であった。あのままの国風であればこの言い分は通るし、変化があっても国の規模の話では行商人程度では考えもつかない話となる。
実際、目の前のウサギ耳の獣人は唸っていた。解放条件としては悪くはないはずだ。何せ、情報を提供すれば解放してもらえる。これだけで命の危機はなくなるのだ。
だがそれだけでは押しが足りない。もう一押しさえすればこの獣人は応えてくれるはずだ。
「それに積み荷の安否を思うのであれば、我々が買い取ることも考えよう。特にこちらは金塊こそあれど食糧はない。こちらとしても食糧、もしくは娯楽などが欲しいところだ。……どうだ?」
レイジスにしては少し念を入れた。先程、話の中に置いておいた金塊をここで持ってくる。これがあるおかげで、向こうはこちらを商売できる相手だと認識する。
実際のところは、ディーツにて発見した宝石、金塊などを出すのだが、これに関しては経済担当のライオットに事を話していないので後で叱られそうではある。実際、今も背後から睨まれているのは重々承知であるので辛い。
「……解りました。まだ信用があるわけではありませんし、この件もあって憤りが収まるわけではありませんが、あなた達と商売をさせていただきます」
「ありがとう。んで、商売相手の名前を知らないわけにはいかない。名前のを教えてくれると嬉しいんだが……」
「遅れました。カイアス獣人商会ジーパ担当、ナウンス・ノビルアと言います。以後、ごひいきを」
ウサギ耳の獣人、ナウンスはキリッとした目つきでレイジスを見た。睨むというよりは、ここからどうやって商売を上手く事を進めるかを画策しているように見える。行商人の目つきというやつだ。
「ライオット、彼女に茶と自由を。同時に彼女の所持物を返してやってくれ」
「解りました。フィリア、イルニス、お茶の準備をしましょう」
ライオットに女子組を任せてレイジスは状況を見直す。
まだ嘘をついているから気は落ち着かせれない。嘘を貫き通すとすれば、少なくとも交渉が終わりナウンスが去るまでだ。精神的に辛いが、情報収集のためなら仕方がない。
ナウンスを完全に解放し、交渉の場を作っていく。レイジスは今から始まる交渉に大きな不安を憶えながらも手際よく動くライオットたちを見守った。
◆◆◆◆
「それでは、今後はあの廃墟となった国にも来るようにさせていただきます」
「あぁ、よろしく頼む」
ナウンスとの商売交渉を何とか終え、彼女を送り出す事となった。彼女との交渉はレイジスにとっては苦痛そのものであったが、どうにか終えられた事に内心ほっとする。
「レイジスさん。あなたは今後、どうするのですか?」
「我々はあの国を自分達の国として再建しようと思っている。ジーパの方々にもそう伝えてほしい」
ナウンスにこう伝えたのは、ジーパという国にそのような国が生まれるかもしれないという忠告のためであった。あくまでセンチェスの生き残りがジーパを討たなければならないのだ。
それに、先程の交渉により、ある程度の現段階での文化状況は把握できた。ジーパへの侵攻も早めに行動できそうである。
「解りました。それでは、またの機会に」
そう言ってナウンスは馬車を走らせて草原を進んでいく。取り乱したりはしていたが、本物の行商人は流石といえた。レイジスは背筋が凍る感覚を覚えた。そしてライオットは、
「……搾り取られましたね」
「搾り取られたな」
そう言ってげんなりしていた。当然である。この国の経済担当にとって行商人は天敵中の天敵。レイジスがディーツで発見した金塊は、ほとんどがこの行商で失われた。一応、金塊は国の財産の四分の一ほどであったから経済が破綻するほどではなかったが、それでも基本的に貯蓄主義のライオットには心臓に悪かっただろう。
ナウンスが見えなくなって、レイジスは東の拠点に帰り、次なる作戦について思考をする。
現代の文化は十三年前と比べてもあまり変化はしていなかった。センチェスは元貿易国であったこともあり行商の資料なども多く残されており、そこに書かれていた野菜などの食物は以前のままであった。貨幣も変化はなし。何より行商人と会話できた時点で気づくべきであったが、公用語も変化はない。
まるであれから進化が停滞したかのように感じる。娯楽には変動は少しあったが、十三年前の技術を用いればできないこともない物であった。何が原因かは大体は推測がつく。
貿易国のセンチェスを失い、各国は巨大な文化の交流の場を失った。行商人が闊歩しているが、所詮は行商人。公然とした文化の交流はほとんどないはずだ。ゆえに進化は少ない。それにしても進化がなさすぎるが。
だが、そうであればなぜセンチェスを襲ったのか。その疑問が更に強くなる。各国の王がバカであるとは思えない。ならばセンチェスをそうせざる負えない理由があったのか。しかし、レイジスにはその根拠が解らなかった。
「……ジーパに潜入し、王に会わなければならないな」
それはジーパへの侵攻を確立する事にも繋がる。恐らく争いになるであろう。こちらの疲弊もある程度は回復できたと言えるが、果たしてそれが正しい選択であるか……。
「兄様。私、少しディーツに戻ります。ノルディスに今回得た資材を渡しに行ってきます」
「頼む。俺もセンチェスの本部に戻るか」
以前まであったディーツの本部は、センチェスの本部と役割を交代していた。今後は地上での戦いが増える。そう提言したバロローグのアイデアを採用したからだ。
少なくとも十三年間育ったディーツに愛着はあったが、今後はしばらく戻る事は少なくなる。何か残念に感じるが仕方がない事だ。
レイジスはイルニス、フィリア、ライオットを連れ本部へ戻る。東の拠点はしばらくは警戒態勢を敷く以外は何もしなくてもいいだろう。当初の目的は達成したのだから。
東の国ジーパ。レイジスはどのような進行で侵攻しようか、ずっと帰る間考えていた。
【技】
・聖域で嘆く者への唄―クライフェリア―
フィリア専用技。唄を通じて魔力を伝え、広範囲に回復魔法を伝播させる。フィリアの得意技であり、フィリアだから発現できる魔法であるともいえる。
魔法の媒体は歌であるため、耳が不自由な生物には効果がない。
余談であるが、この歌はフィリアのオリジナルソングである。その歌声は、彼女がマスコットであることを除いても相応しく美しい。天使のような歌声、とはバロローグの言葉である(なお酔っぱらっていたため、たぶん本人は覚えていない)