僕らの日常非日常。
迷宮を出た僕らは言葉もなく、それぞれの荷物を抱えたまま、足早に赤レンガの道を急ぐ。
迷宮帰りの学生たちの多くが肩を落とし、少なくない人数が足元だけを見つめる中、いくつかのパーティーは肩を組み、じゃれあいながら闊達な笑い声を上げる。道々の露天商は盛んに声を張り上げ、串焼き、惣菜、各々の品を喧伝する。そしてその隣を、同じだけの数の学生たちが、今から迷宮に挑むまさにその彼らが輝いた、あるいはぎらついたといえる瞳の光を隠そうともせずうごめき、流れていく。いつもどおりの迷宮付近の光景。
もちろん、決してこの沈み込んだ帰参者たちの全てが迷宮に何かを置き去り、失ったわけではない――おそらく八割がたは、当初の目的を確かに達成しているはずなのだ。
それでもなお憔悴し、いかにも消沈した面持ちで歩くのは、彼らがいっぱしの探索者になった証に他ならない。
自らが今まさに宝の山を抱え、誰もがうらやむ名声のその尻尾をつかんだと声高に叫んでしまえば、そのものは即座に餌食となる。
彼らの財布の紐を合法的に開かせようと狙う露天商ならまだいい。有望な人材を捜し求めるパーティーの目に留まり、仲間の絆が引き裂かれることもまた、ある側面で見れば幸せの一つだろう。
だかしかし、この町には迷宮にもぐることなく、迷宮由来の品を商う人間が多くいる。探索者のように手に手に武器を握りながら――そして、迷宮にはびこる難事よりもはるかにたやすい獲物を求めるヒトの姿をした悪徳が。
だからこそ、いくらか迷宮稼ぎというものにこなれた人間は肩を落として歩くのだ。おびえながら、震えながら、いつかそんな卑劣な悪意など跳ね除けて、自由闊達に笑えるほどの強者になることを求めて。
もっとも、無理な演技をしているわけでもない。誰も彼もが、心も体もつかれきっているのだ。迷宮という化け物の胃の中から生還し、命をかみ締める余裕もないほどに。
僕ら三人――アクァリウス魔術学院73班も、その例に漏れず、水の詰まった袋みたいになった体を引きずって、迷宮を這い出したわけです。
あとはもう、いつものコース。目をつぶってても歩ける町並みを、ごった返す人ごみを自分でもどうやったかわからないまますり抜けて、目抜き通りの一角で裏路地に入る。
少しくすんだ真鍮の、獅子をかたどった看板を、確認することもなくドアを開く。
くぐりなれた扉を開き、見慣れた店内を軽く眺めて、いつもの席があいていることを確認する。誰ともなく歩調を合わせて席に陣取り、メニューを見ることもなく、待つ。
いつものごとく、店は常連客で埋め尽くされる直前だ。誰もが手に手にジョッキを掲げ、あるいは食卓の上に今日の戦利品を並べながら、思い思いの喧騒を奏でては重ねていく。
やがて女将がやってくる。もはや僕らは常連中の常連、顔も名前も覚えられて、直接女将が接客するレベルだ。
「いらっしゃいませ。ご注文は? お坊ちゃん方」
見慣れた女将の顔に、ようやっと僕らは生還の事実と、現実感を取り戻し、安堵する。
だからといって、いつもの、なんて気取った注文はしない。もちろんオーダーは決まっているが、たとえそれでも、自分の意思をきっちり伝えるのは客としての美意識だ。
まっすぐ女将の目を見据え、さしだされたお絞りで手を拭きながら、僕らは口々に言った。
「大食い定食チャレンジコース倍々マシマシ」
「大食い定食ベジタリアンチャレンジ、パプリカ抜きニンジンマシマシ」
「大食い定食、サドンデスコース、二つ」
「たまには金を払うそぶりくらい見せないさいと何度言ったららわかるのかしらクソガキども」
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食事処らいおん亭といえば、トートに暮らす多くの学生は即座に思い浮かべるであろう単語が二つある。
ひとつは名物夫婦。
もうひとつは、金欠の味方僕らの救世主、大食い定食早食いチャレンジタイムアタック。
むさぼるようにそれぞれに出された料理を平らげた僕たちはそろった動きで傍らの砂時計を手に取ると、半分以上残ったそれを勢いよく天にて返し、テーブルにたたきつけた。
「「「ごちそうさまー」」」
「……食後のデザートはいかが?」
「「「水ください」」」
「疲れが取れるようにお塩をたっぷり入れてあげましょうね」
「「「やったー」」」
「皮肉を解する頭もないのかしら!?」
目の前にズドン! と音を立ててなみなみと水の注がれたピッチャーが置かれる。
「「「人数分」」」
「さぁ、入店禁止会議のお時間ですわよ」
「調子に乗ってすいませんでしたー!」
「この腐れなすびヒューマンの主導です。僕は脅されたんです」
「てめぇいつも思うがいつかマジでキャンいわせるよ!?」
「アル、僕も一緒に、謝ってあげるから」
「君だけは味方だと思ってたよセキ」
「――その様子ですと、また素寒貧ですのね? まったく」
そういうと女将はコト、コト、と僕らの前にグラスを並べていく。
「いつになったらうちのお店を『卒業』してくれるのでしょうね? 未来の御大尽様方は」
「まさかぁ、僕らはおやっさんと伯爵夫人が店を閉めるまで常連さ。大ファンだからね!」
「今のところその予定はないのですけれど。厄介なお客様のせいで否応なく姿を消すかもしれませんわね」
「伯爵夫人を困らすやつは、僕が出て行ってやっつける」
「やっつけなくて良いから戻ってくるな、といっているのですよ」
やれやれ、と腰に手を当てて首を振る女将。その姿は若干古めのデザインながら、実に品のいいあでやかなドレス。
豪奢な金髪は丁寧にカールされ、まさしく屋号の獅子のごとく。(僕らみたいな客以外には)給仕の動作のひとつとっても鮮やか、流麗。口からこぼれる言葉はなんと、貴族階級向け上層共通語。常連客は知っている。彼女はなんと「オーッホッホッホ!」と笑う絶滅危惧種。
性はターシー名はポリニャック。誰が呼んだか「ポリニャック伯爵夫人」。もちろん貴族でもなんでもない、路地裏の安定食屋の若女将にして、迷宮帰りの若者たちに一目置かれる、変わり者夫婦の片割れだ。
ぶっちゃけ、魔法使いの遺跡技術並みに存在が謎の人である。
給仕兼調理手伝いの彼女と、その伴侶である獅子獣人のラインハルトのおやっさん。そして二、三人のバイトのウェイトレスさんでまかなわれるらいおん亭は、僕らの活動拠点にして、重要な栄養補給源なのだった。
ちなみに、伯爵夫人が直接注文をとってくれたのはバイトのウェイトレスさん相手に僕らがからかうと結構な確立で暴力沙汰になるからである。たいていなぜか僕が一方的にぼこぼこにされる。トートの女性は押しなべて強い。怖い。
「いつもいつも大食い早食いでは体に悪い、と言っているでしょう。たまには堅実に稼いで、ちゃんとした物を、落ち着いて召し上がりなさいな。三人とも育ち盛りの男の子にしたって、少々はしたなくってよ?」
「いやぁ、堅実に行ってるつもりなんだけどさぁ。これがなかなか」
「堅実な計画を立てれば、何の収穫物もなし、なんてことにはならないでしょうに。今度はどんな壮大な実験の果てに無一文になったのかしら?」
「いやまぁ、否定できない流れではあったんだけどさ。ちゃんとその辺は考えて、だめだったときのプランも用意してたんだよ?」
「メガネの坊やが?」
「……はい」
「おかしな話ね。あなたが考えた挽回プランでなければ今頃デザートくらい頼めていたでしょうに」
「伯爵夫人の僕への評価が正確すぎて心臓がズキっとする」
「お客様のことはしっかり理解していてよ。――で? はぐれトロールにでも出くわしたの?」
「似たようなもんかなぁ。でもね、リュックを膨らまして帰ってきたんだよ、ちゃんと」
僕はそういって、リュックサックをあさる。息より格段に重たく感じたのは間違いではなかったと再確認してから、それを取り出し、テーブルの上においた。
あの扉の向こう、マップにない部屋の真ん中に、ぽつん、とおかれていたそれ。
「伯爵夫人、これなんだかわかる?」
「――わかるもなにも」
伯爵夫人が口に出す言葉は、僕にも当然わかっていた。
「……卵?」
「そう、卵」
赤銅色に鈍く輝く、曇りひとつ、傷ひとつない、上から見ても下から見ても、見間違いようのないほどはっきりと。
まんま、人の頭程度の大きさの、卵。
それだけがたった一つ、隠し部屋の中に取り残されていたのだった。
「うちのお店は持ち込みの食材は基本的に触りませんわよ。おなかを壊しても自己責任と言うのなら話は別ですけど」
「さすがに謎生物どころか、生物かどうかも怪しいメタリック卵を食べるほどチャレンジャーじゃないです。というか、割れるかどうかも疑わしい」
と言うか真っ先に食うことを考えるあたりこの人もやっぱトートの住人だな。平常運転でクレイジー。
「あら、どなたのお子さんかわからないの?」
「親御さん見当たんなかったんすよー。社会の闇ですわ。昨今問題のネグレクトですわ。親の自覚もないのに少子化問題に取り組むとはひどい話ですわ」
「あなた方ったら、何のために学校に行っているの。こんなときに見当つけるためでしょうに」
「いや、うちの鑑定係が見つけたとたん帰る帰るって駄々こねて、そのあと口きかないもんだから。職務放棄はなはだしいですよ。いざって時にハカセ的アクション起こせないメガネとかもはやメガネ返上の刑に処すべきだと思うので賛成の方は挙手を」
静まり返る店内。
「――泣くぞ貴様ら! いい年こいた男が三歳児みたいに床の上で猛回転して泣くぞ! もっと僕に優しくしろ!」
「ほらほら、いけない坊や。いま果物を持ってきてあげましょうね」
「アル、きっと、いいことあるよ。がんばろう」
「殺せよー! いっそ殺せー!」
「うっとうしい小蝿のごとき矮小なヒューマンよ。錯乱するんじゃありません。そんなことだから迷宮内でいえないのですよ」
ギラ、とメガネに逆行を光らせながら、イードがトレードマークを指で押し上げる。いつも思うけど、なんでメガネ持ちはここぞと言うときにメガネ光らせることを可能とするんだろう。眼鏡屋さんで講習とか受けてるのかひょっとして。
十人強のイードが講師の号令でいっせいにメガネを光らせる様を想像して戦慄する僕に目もくれず、わがパーティーのドス黒知恵袋は言葉を続ける。
「初心者迷宮とはいえ、あたら迷宮内で錯乱されては僕の命まで危ういですからね。あなたのその大騒ぎ癖を考えれば、われながら英断です」
「……おいちょっと待て、僕の知る限りもっとも心のゆがんだエルフよ。なんか刺激臭かぐわしいフラグを迂闊に立てるな。心の準備と生存の算段をさせろ。具体的に言うと僕のいないところでやれ」
「残念ながらそれはできないのですよ、僕の知る限りもっとも運に見放されたヒューマンよ。ことこれに限っては私にあなただけを逃がす選択肢はありません。具体的に言うと引き金引いたのはてめぇだろうが逃がすと思うかふっざけんな」
「いや、え、イードさん言葉遣いが乱れてらっしゃる」
この一年の付き合いが告げる。
これはマジで死ねるやつや。
「いいですか、この卵は……」
「やめろ、聞きたくない、わかった、僕が責任もって捨ててくる。ちょっとひとっ走り行って町の外の森とかで鳥の巣の上に乗っけてくるよだから!」
「それさえ不可能だと言うのです」
いつしか、店中の喧騒はやみ、視線は僕らの卓に注がれていた。
静寂がまるで氷水のように耳にしみこみ、痛みを促す。
「この卵は――」
ごくり、と誰かが、生唾を飲んだ。
「ドラゴンのものです」
一瞬の、よりいっそうの、静寂。
「……え?」
「ドラゴンの卵です。孵化直前」
直後。
「わぁああああああああああああああ!? やめろおい冗談だろ冗談だって言えよ三馬鹿トリオぉおおおおおおおおおおおお!」
「おかーさーん! おかぁさぁあああああああああん! ママー!」
「なんだ、はは、ルーキーの悪い冗談か、笑えないぜ、笑えな、へ、っへへっへ、え、ああ、うぁあああああ……」
「通報ぉおおお! 警察! レスキュー隊! 軍隊だ! どれだ! だれか! だれかぁあああああ!」
「……あ、もしもし、お袋? うん、俺、ジェイムス。――ごめん、かあちゃん、ごめんよ、うう、ごべんなざい。おで、おでずっとなんにもでぎなぐでぇええええ」
テーブルをひっくり返し扉に殺到する者。何かしかにすがろうとしつつうろたえる者。笑い飛ばそうとしつつ泣き始めるもの。突如として郷里に念話具をつなぎ、耳に当てたまま崩れ落ちるもの。
阿鼻叫喚。
気丈の象徴のような伯爵夫人でさえ、固まってしまっている。
そんな中、僕は目の前のメガネの胸座をつかみあげた。
「早く言えよ迷宮にそのままポイできたろうがなに考えてんのお前なに考えてんの馬鹿なの死ぬの今ここで殺す言い残すことを五十文字以内で述べて僕の心境の空欄に適する単語を埋めなさい! 説得力のある単語でな!」
「嘘だ何だと言わないあたりまだ評価できますね」
「疑って精査する時間が命取りになるんだよ! ドラッ、おまっ、ドラゴンておまえなぁ! 説明責任果たせ!」
「残念ですが、その時間もありません」
「アル! イード! 卵が!」
セキの叫び声に目を向けると、まさしく卓上、僕の眼前でつやつやと光っていた卵には。
細やかに、余すとこなく、ひびが入っていた。