カジュアルに迫る命の危険
魔術。
人類種の生活に欠かせない絶対的な技術であり、現代の文明を支えるもっとも古い学問の対象であり、今もなお研究の続く永遠の未知。
古代に君臨していたと言う魔法使いたちの奇跡を再現するためにひ弱な人類種たちが編み出した、か細い叡知。
魔法使いたちの起こした偉業を真似た多くの部族の儀式や伝承から発達したとされるそれは、一言で言えば、人類種を魔法使いに「作り替える」技術の総称だ。
現在主流となっている「回路魔術」等はその最たる例で、生き物の体に満ちている「命」そのものにエネルギーのラインを刻み込むことで、それぞれに対応した特殊な現象を招くことを可能にする。回路の刻み込みかたや、刻める量には種族差があり、さらにいえば個人個人の生活環境や体質によっても変動するので、あるいみでは、この上ない人生の不公平の理由でもある。
ともすれば腕の一本や二本より重要でさえある回路を、うっかり無茶をしてしまったせいでズタボロにしかけた僕は、もちろんのこと、おっかなびっくりまともに動くかどうかチェックしないといけないわけで。
「放射!」
くわんくわんと迷宮の石畳に僕の掛け声が反響して、つきだした右手の小指の先から、小石ほどの大きさの光が飛び出し、まっすぐに飛んでいった。
ボールを投げた程度の速度のそれは狙いたがわず、通路の先にいた一抱えほどの緑色の物体に突き刺さり、ぽすん、と間抜けな音をたてて消滅する。
緑の物体――迷宮最弱生物こと、スライムマンジュウは、しばらく何が起きたのか確かめるようにプルプルと震えたあと、再び落ち着いた様子で、通路のすみに寄りかかるようにわだかまった。
「うむ、いつも通りの絶好調!」
「いつも通りの哀れになってくる非力さですね」
となりの眼鏡が毒をはいてくるが気にしない。いつも通りはいいことだ。万事安定、問題無し。
セキがなにか取り繕うように「ぼ、ぼく捕まえてくるね!」と目を泳がせたままスライムマンジュウに駆け寄っていくが、きっとお腹が好いてるからだ。あれ、焼いたら美味しいからね。
「ヒューマン種は魔術適正が低いと聞いたことはありますが、あなたのそれは本当に群を抜いてますね。人並外れた人並み以下と言うのは誰に言われたんでしたっけ?」
「お前だよ腐れ外道。しょうがないでしょうがよ。エルフと違ってヒューマンは回路の受動書き込みが」
「非常に多く、通常の生活だけでも、自然界の魔力や気力の流れを無秩序にコピーしてしまい、結果自由に書き込める容量が日に日に減っていくーーそれにしても、たかが十六歳で小指の先しか余白がないとは、あなたどれだけ環境に翻弄されて生きてきたんですか」
「個人的には近くにでたらめなパーがいたのも大きいと思うんだ。身近なニンゲン種の回路もヒューマンってコピーしちゃうし」
親や周りの大人が魔術にたけていれば、自然とその「整った」回路をコピーもできたんだろうけど。魔術のまの字も知らない師匠と大陸全土を十年がかりでうろうろしていれば、素直極まるヒューマン種の「余白」なんてしっちゃかめっちゃかになってしまうのが道理でございまして。
僕の全身に満ちる「命」には意味をなさないエネルギーラインがゴチャゴチャにほつれた状態で刻み込まれてしまい、学校の先生に悲しい瞳でかたを叩かれる始末。
結局、すべての魔術の基礎となる「放射」以外に、習得することはできませんでしたとさ、ということなのだが。
「広い目で見ればそう悪い話でもないんだけどね。自然世界の流れをコピーするってことは、その環境のエネルギーの循環に高く適応できるってことで」
「ヒューマン、大陸一の生存性、あらゆる種族と交配可能、どこにでも誰とでも住み着ける究極の雑種。そこだけは評価してますよ。エルフに一番ないものですし」
「エルフの回路って受動性ゼロだっけ? 自分で書き込まなきゃどうにもならないって」
「ごくわずかには存在しますが、エルフ2000年の寿命のうちで半分埋まるかどうかですから、考えるだけバカらしい話です。氏族ごとに書き込み技術や内容が口伝されてますが、北部エルフなんかは完全に自分達の生活と土地に特化させ過ぎて、書き込んだ時点でほぼ森から出ることが不可能になりますね」
「北部のエルフってさ、ハイエルフとかエルダーエルフとか自称して、なんか森の番人とか言い張ってるじゃん。そういう使命感で引き込もってんだとずっと思ってたよ」
「まさか。どちらかと言えば森の使用人、森の奴隷ですよ。そういうのを嫌って、東部や中央に流れた氏族が、結局ホワイトエルフの主流になってるわけですし。欺瞞と虚構で塗り固めた砦で、現実に怯えて震えているだけです」
「お前ってエルフが好きなのかどうかよくわっかんないね」
「私が好きなのは私だけですよ」
役体のない会話をしているうちにスライムマンジュウを仕留めたセキが手早く分割しながらかけより、いくつかの欠片を革袋にしまってから、一切れずつ僕らに手渡した。そのままそれぞれが懐からナイフをとりだし、串刺しにして、柄のスイッチを入れる。数分もしないうちに刃が赤熱し始め、スライムの切れ端から、草餅のような香りが漂い始めた。
串刺しのまま一口むぎっと噛み千切り、もきゅもきゅっと咀嚼して、飲み込む。
……うん。
もちもちの草餅だ。そのままの味しかしない。
「……なれちゃったけど、こいつも変な生き物だよね。特に強いわけでもなんでもないし、繁殖してる様子もないのにどこの迷宮にも大抵いるし。焼いて食べたらお菓子みたいな味で腹持ちもいいから重宝するけど、それってスライムマンジュウ自身にはいいことないし」
「一応火を通さない分には何をされても生きているみたいですよ。核もないですから、いわゆるスライム種とは別の区分なんでしょう。便宜的にスライムっぽいからスライムマンジュウと呼ばれているだけで」
「たまに、マックロウルフとかが、喉につまらせて、死んでるよね」
怖っ。
「火を通さずに食べるとそうなるみたいですね」
「そのまま、死体を養分にするって、前に先生がいってたよ」
「そういう理屈で増えるんだ、こいつ」
「いえ、増えるわけでも大きくなるわけでもなく、ただ味が濃くなって滋養に富むんだとか」
「ますますワケわかんないなぁ……」
こういうところでも、古代の魔法使いの意図と言うのは不可思議な印象だけ与えてさっぱりつかめない。
究極的にはこういう小さい謎なんかも残らず解き明かすのが、人類種の目標と言うか、野望なんだろうけど。
その後もむちむちと焼きマンジュウを噛み千切りながら、石造りの通路をてくてく歩く。
初心者迷宮なだけあって、この辺の魔物なら向こうより遥かに早い段階で気づくことができるし、相手の方も実力差がわかっているのか滅多なことでは手を出してこない。楽ではあるのだけど、こうも平穏だと拍子抜けだ。獲物がいないってことは、稼ぎもないってことだし。
そもそもそういう風になったからよその迷宮に狩り場を変えたわけで、わざわざ舞い戻ったのもその上失敗したのも僕のせいなんだけれども、これはちょっと、危機感募るなぁ。
「なんかこう、ビックリドッキリな新発見とかないかねぇ」
「あるわけないでしょう、初心者向きといえ外郭迷宮の一角ですよ。未探索の深部区画ならともかく」
「何十年、がかりで、探索されてるんだもんね」
「マップもびっちりと埋まってますよ。隠し部屋だって残る余地ありません」
「おっしゃる通りですがね」
眼鏡を押し上げながら、イードが返す。
「手早く降りますよ。心配しなくても三十階以下なら適正強度です。目標はトーチカイワグモの繭玉二十個。歯応えのあるアタックですからね」
「……なぁ、おい。それってあれだよね。なんか口から酸とか毒とか五種類ぐらいピュッピュしてくる、馬みたいなでかさの、あれ」
「ええ。通路一杯にワイヤーじみた糸で陣地をはって、立て籠ったまま正確無比に狙い撃ちしてくる奴です」
「固めた糸玉くらったら板金鎧が冗談みたいな凹み方して、オーガ族の男が二メートルぶっとんだっていう話のある、あれだよね?」
「五人以上の防御か回避に自信のあるパーティーで、撤退の準備をしっかり済ませてからじゃないと決して近づくなと学校で口を酸っぱくして言われた、あれですよ」
「……プランは?」
「まず貴様を囮にして」
「お前僕をここで亡きものにするつもりだな!?」
そうするとイードは、春先の草原で雪解けの中から顔を覗かせる名もない花のように。
「アハハハ、まさかそんな。大事なパーティーメンバーじゃないですか」
「言及したくもねぇ程いい笑顔だ! チクショウ、こんなやつと一緒になんていられるか! 僕は帰る!」
「アル! だめだよそれは明確に死亡フラグだよ!」
「離してくれセキぃ! このエルフみろよ! この騒ぎのなか微動だにしない満面の笑みだぞ! 三流ミステリーの犯人の面だよこれはさぁ!」
「ハハハ。デストロイオールヒューマン」
「まじで洒落にならないよお前の場合!」
なんだかんだ、すったもんだ。
三人でじゃれあいながら、うすぐらい石造りの通路を歩いていく。
こんな事している時点で「稼げる迷宮」の適正レベルを大きく下回ってしまっているのは丸解りで、いよいよ危機感が……。
「んに?」
ふと、通路の側壁に違和感を覚えて、立ち止まる。
「んー……?」
妙な顔をしたまま立ち止まった僕をみて、なにも問わずにセキはショートソードを抜き放ち通路を警戒する体勢に、イードは僕のリュックサックのポケットから小さなツールボックスを取り出して手渡す。
多分。
いじってみないことにはなんとも言えないけど、多分、隠し扉だ。
「ここの壁、マップになんか書いてない?」
「どうでしたかね……。ちょっと待ってください」
スライム焼きを口にくわえたまま僕はツールボックスを開いた。
「変ですね、記載漏れでしょうか。この隣は別の通路が通っているはずですが」
「隠し抜け道の記載は?」
「ありません。――そういう雰囲気ですか?」
「違うと思うなぁ。なんていうのかね、ひしひしと感じるものがあるんだよねぇ
」
「……なにを?」
隠したい、秘めたい、見られたくない、暴かれたくない。
そうされるなら。
そんなことになるなら。
いっそ。
そういう空気。
「殺気」
洒落じゃないトラップの香りがする。飛礫や仕掛け弩なんて子供だましじゃなく。
「アラーム、毒ガス、広域魔術……破壊系じゃなくて、転移とか?」
「解毒煙玉はあります。私は反対施術の待機施行を、セキは――」
「撤退戦の準備、しとく」
「危ないからやめろってくらいは言いなよね。引っ込みがつかなくなるじゃんよ」
「言って聞く馬鹿なら救いもあります。さっさとやりなさい」
「信じてるよ」
「ポンコツ魔術師の肩には重たい信頼だねぇ。だけどまぁ――」
壁の一角、石造りの通路の継ぎ目のひとつに、ひときわ深い切れ込みを見つける。
「引きこもりの八つ足野郎よりかは、楽な相手さ」
ゆっくりそこに、ツールナイフを入れる――!
ガリッ。
ガリッ、ガッ、ガッ。
ガッ、ガッ、ガッ。
……ガリガリッ。
「ごめん何にもなかった」
「やっておしまいなさい」
「謝ったじゃん! 謝ったじゃん許せよ! ちょ、ま、セキ、うわすげぇお前そんな顔もできるのな怒ったら意外と迫力がごめんごめんごめんなさい許してごめんあっー!」
結構な速度で振り下ろされるショートソードを必死に交わすも、思いっきり僕は腰砕けになった。無様に尻を向けたまま、さっきまで向き合っていた当の紛らわしい壁にすがりつく。
「もう一度! もう一度チャンスを!」
「あなた、スカウト技能さえポンコツになったら本当にただのクズですから。パーティーのお荷物以外の何者でもございませんので」
「未来の大魔道師になんてことを!」
「今期の成績を述べよ」
「やめるんだ。そういう現実的な話をすると過呼吸気味になるからやめるんだ」
「アル。痛くしないから」
「マジな目つきはやめるんだマイフレンド!」
「……ごめん、ね」
アカン、これアカンやつや。
友達の目からハイライトが消えるとことか初めて見た。
とにかくせめて獲物がないとっ――!
「や、や、やらせはせんぞー!」
叫びながら、とっさに、壁につきたてたままのツールナイフに手をかける。
その瞬間。
ガギン! と。
壁が。
いや。
扉が、大きく音を立てた。
その向こうには。