俺と葉月が進む道【15】
あれから日は経って、学校は再び始まった。 一人で歩く通学路は前より少し、寂しくなった気もする。 家に帰っても、アニメを見ようと言ってくる隣人はおらず、なんだか気持ち的には昔に逆戻りしてしまったような感じ。
そんな毎日に戻ったある日の放課後の話。
「よっしゃ! 二番乗りっ!」
「なんだそれ。 一番で嬉しいのは分かるけど、二番でも嬉しいのか」
笑顔で元気良く部室の扉を開いたのは、天羽。 葉月が沖縄に行ったことを話したら、俺はこいつに酷く怒られたんだっけ。 なんで行かせたとかではなくて、なんでそれを教えなかったと。
「わっはっは! あたしは三番目でも嬉しいのだ!」
「なんでもありかよ。 てか、葉山は?」
腰に手を当て笑う天羽に少々疲れを感じながら俺は言う。 すると、天羽は俺のすぐ前にある椅子へと腰をかけながら答えた。
「歌音ちゃん? 歌音ちゃんならほら、委員会の方があるってさ」
あー、そういえば二年生になってからなんか言ってたっけ。 あいつもまぁ、頑張ってるな。
「そっか。 寂しくなったな、ここも」
「ん? 何が?」
「何がって、お前……」
いや、止めておこう。 天羽のその発言に何かを言ったところで、寂しさが紛れるわけでもなければ、元に戻るわけでもない。 一度変わってしまったものはそう簡単には戻らないんだ。
「あ、それよりさ、八乙女くん」
「ん?」
「決めようよ! 今年の学園祭の出し物!」
「気が早すぎるだろ!? あと何ヶ月あるんだよ!?」
半年くらいはあるぞおい。 それに天羽の性格的に、その頃にはやりたいものは確実に変わってるんじゃないか。
「六ヶ月だよ六ヶ月! それしか残されていないっ! 一年なんてあっという間だよ!」
「の前に色々催し物あるだろ。 まずはそのときに出す記事を考えないと」
「うげ……嫌なこと思い出させるなぁ、八乙女くん。 そういう面倒なことは歌音ちゃんに任せれば良いんだよっ!」
……なるほどなるほど、それはとても良い考えだ。
「そうだな、天羽は葉山をうまいこと利用するってことか」
「その通り! ああいう酷い人にはそういうことをしてもらわないとね。 いつもの罰だ、いつもの罰!」
「なんか……相当恨みが溜まってるんだな」
「そりゃ! 昨日なんて、いきなり鞄持てだよ? そのくらい自分でやれってほんと! 歌音ちゃんは馬鹿力なんだからさぁ……」
天羽は言いながら振り返る。 部室のドアのほうへ。 そして、その動きを止めた。
「……誰が馬鹿力だって? ねえ天羽さん、なんか面白そうな話してるわね。 うふふ」
「うひぃ!? や、八乙女くんっ! 居るの分かってたなら言ってよ!? 裏切ったな!?」
「人を裏切り者呼ばわりするな。 陰口叩くお前がわるーい」
といか、二年になってから葉山の怖さが増している気がする。 人はこうして成長するんだな。
「天羽さーん、お喋りしましょ。 二人っきりで」
「へるぷ! 八乙女くんヘルプミー!」
連れ去られていく天羽の冥福を祈り、俺は携帯を開く。 葉月との初デートの時に撮った写メが待ち受けになっていて、そこに表示されているのは着信ゼロと、新着メールなしの通知。 もう何度開いて確認したかは分からないほどに、俺はそれを日課のように確認していた。
「なんか、疲れたな」
窓の外を見ながら、俺は言う。 今まで頑張ってきた一年間。 葉月が居なくなってから数ヶ月が経っているというのに、俺の心にはくすぶる思いが未だにあって、それは消えそうにない。
あいつのためにも、強くならないと駄目なのに。 それは分かっていても、そう上手にことは運ばない。 居なくなって初めて分かるとは良く言ったものだな。
「ふう。 ったく、あの馬鹿女しっかりしつけておきなさいよ」
「……」
「八乙女君?」
すぐ近くで声が聞こえて、そちらに顔を向ける。 すると本当にすぐそこに葉山の顔があって。
「うわっ!」
驚いた俺は、勢い良く椅子ごと倒れるのだった。
「……馬鹿だなぁ」
「やかましい! お前が驚かすからだろ!?」
「勝手に驚いたのはそっちでしょ。 ね、天羽さん」
「え、ええ! その通りですっ!」
……しっかり躾けられてるな、こいつ。 俺の味方はやはりここには居ない。 いやもうそれは、最初からずっとだが。
「よしよし。 んで、あんたはまだ気にしてるの? 神宮さんのこと」
葉山がそう言ったその瞬間、天羽が表情を固めた。 それも土台無理のない話。 葉月が居なくなって、学校が始まってから一度も、その話題は出なかったから。 暗黙の了解とでも言えるような、そんな雰囲気のままで今日に至る。
「……かもな」
「うっわめんどくさ。 どれだけ時間経ってると思ってんのよ。 諦めろとは言わないけど、そろそろ区切り付けても良いんじゃない?」
「そうは、言われても」
話しかけてくる葉山の顔は見れない。 俺は顔をこいつから逸らし、窓の外を見たままで言う。 そんな態度が葉山の逆鱗に触れたのか、こいつはあろうことか……俺が座っている椅子を思いっきりひっくり返した。
「うおっ!? っていってぇ!! なんだよ!?」
「ねえねえ二人とも、ちょっと散歩でも行かない? 天気良いし」
何かを企んでいそうな、そんな笑顔をしながら葉山は言う。 天羽は勿論のこと、俺もその提案にはとても逆らえそうにはない。
そう思えば、今の椅子をひっくり返したっての良い脅しになっているんだな。 断ったらどうなるか分かっているだろうなという。
「……はいよ」
そして、俺たち三人は丁度五月の半ばの今日この日、葉山に誘拐……じゃなかった。 葉山のお供をすることになったのだった。
「んー、やっば今日は天気良いわね」
「そうだねぇ。 こんな日はお外でご飯食べたいくらいだ!」
俺たちが来たのは、近くの川。 辿って行けば俺の地元に辿り着く長い川だ。 この川というのも綺麗なことで有名で、夏になると小さな子供とその親が遊んでいるのをたまに見かける。
「で、目的地はここだったのか?」
「うん、そうそう」
川のすぐ手前まで降りてきている俺たちは、並んでそれを眺めて。 隣に立つ葉山はなんだか気持ちの良さそうな顔だ。 それもなんだか歪んだ顔に見えるのは、俺の心が歪んでいるからだろうか。
「今日って暑くない? 天羽さん」
「へ? うん、まぁそうだよね。 夏か!? って思うくらい暑いよー」
確か最高気温は三十度近くまで行っているはず。 葉山と天羽がそう感じるのにも無理はない。
しかし、葉山は一体何がしたいんだ? ここに来てからというもの、葉月の話だって出さないし……。 それは天羽もきっと、気になっている部分だろうに。
「そうよねぇ、そう思うわよねぇ。 こんな日って、やっぱり水遊びしたいと思わない? 八乙女君」
「水遊び? うんまぁ、したら気持ちいいだろうな」
俺がそう言ったときだった。 葉山はにたりと笑って「そっか」と言う。
……やべぇ。 なんか知らないけど絶対ヤバイ。 葉山がこう、悪い笑い方をするときはろくなことが起きないと俺たちの中では有名だ。 そんで、今のこの状態で言えば、その答えは。
「うっし! 落ちろゴミども!」
「へ!? ちょ、歌音ちゃん!?」
「おい馬鹿ッ!!」
葉山は両隣に居る俺たちの背中に手を回して、思いっきり押す。
もう一度説明しておくと、俺たちは川のすぐそばまできていて……そんなときに背中を押されたら、当然の如く。
川へと、落ちるのだ。
「あっはっは! 夢が叶ってよかったわね二人とも!」
高笑いが良く似合う奴を俺は他に知らない。 こいつは本当に安定してるな、悪い意味で。
「ぷはっ! 歌音ちゃん酷くない!? めちゃびびったんだけど!?」
「仕返しよ仕返し。 すっごい前に、天羽さんには海に落とされてるからね。 どう? 私の気持ち理解できた?」
「なら俺はどうしてだよ!? 俺なんかしたか!?」
「いや、だって一人だけ落とすのも可哀想じゃない。 ついでよ、ついで」
悪魔だ。 悪魔がここに居る。 ついでで人を川に落とす奴とか、俺が知ってる奴らの中じゃこいつくらいのものだ。
「お前悪魔だな!? 俺をなんだと思ってんだよ!?」
「んー、そうね。 いつまで経ってもうじうじしてる女男」
「……それは、別にうじうじしてるわけじゃないって」
言うも、その言葉には覇気なんてない。 そんなのは自分でも分かった。
「隙ありッ!」
と、横でそんな声が聞こえる。 何事かと思ってその声の方向を見ると、葉山の足をがっしりと掴んでいる天羽の姿が。
「へ? ちょ、あんたなにしてんのよ!?」
「わはは! あたしたちはいつでも一緒なのだ!」
で、結局川へと引きずり落とされる葉山。 ちなみに都合良く着替えているわけなんてなく、全員制服のまま。 明日も学校はあるというのに、馬鹿な俺たちだ。
「つめたっ! 何これつめたっ!! こんなところに落とすなんて頭おかしいんじゃない!?」
すごいな。 ついさっき二人もそこに落としておいて出てくる台詞ではないぞ、それ。 驚きを通り越して恐怖すら感じる。
「……はは、あはは! なんだよ、これ。 俺たち馬鹿だろ! あっはっは!」
高校二年にもなる俺たちが、学校帰りに川で水遊びだなんて。 普通やらないぞ、ほんとに。
そんなくだらないことがおかしくて、面白くて、俺は笑いが堪えられなくなる。 理不尽に怒る葉山の姿と、こんな状況でも楽しそうに笑う天羽の姿が、なんだかこれ以上ないくらいに変で。
「あっはっは! マジでなんだよ……高校生のすることじゃないだろ、 はは……」
「やっと笑ったか。 ばーか」
だって、笑うしかないだろ。 こんなに面白いことがあって、笑わずにはいられないだろ。 ああ、だから本当に、本当にありがとうと言いたい。 葉山と天羽に、思いっきり伝えてやりたい。 けれどやっぱりそれを正面から言うのは恥ずかしくもあり、照れ臭くもある。 なので少し違う方法で、そんな気持ちは伝えよう。
「……あー、気持ち良いな。 こう暑い中で川って」
「でしょ? だから言ったのに。 もっとこう、頭を擦り付けて感謝しなさいよ」
「断固拒否だ拒否! てかいつまでもこうしてたら風邪ひくし、俺は出るぞ」
言いながら、俺は川から上がる。 濡れてしまった制服はもうどうしようもないな……。 風はなく陽射しは強いから、自然に乾くのを待つしかなさそうだ。
「そこは家まで泳ぐ気合いを見せてもらいたかったよ八乙女くん。 残念だなぁ」
「残念じゃねぇ! 何が楽しくてそんなハードなことをしないといけないんだよ!?」
水着を着ているならまだしも、服だぞ服。 どれだけ疲れると思ってるんだ。 まぁ、ちょっと面白そうだとは思ったけどさ。
「てか、それよりなんで明後日の方向を見ながら話してるのよ。 人と話すときは人の顔を見ろって習わなかったの? うじうじ君」
「俺の名前を変えるなッ! それは、あれだよあれ。 なんていうか……」
非常に言いづらいが、葉山のためにも天羽のためにもここは言っておいた方が良いだろう。 そう判断して、俺は言う。
「お前らワイシャツだから、その、色々と目のやり場に困るんだよ……」
「ほう」
その後、俺が葉山と天羽によって幾度となく川に突き落とされたのは言うまでもないことである。
俺が貰えるのは、葉月からだけではない。 あいつからも沢山貰ってきたけれど、それと同じくらいに葉山と天羽からも沢山の気持ちを貰っている。 そういうことを葉山は伝えたかったんだ。 居るのは葉月だけではないということを俺に教えたかったんだ。
葉山たちにそこまでさせてしまい、申し訳ないとは思う。 だらしないなとも思う。 でも、友達って良い物なんだなと改めて俺は思うのだ。
落ち込んでいるときには話を聞いてくれて。 悩んでいるときには励ましてくれて。 立ち止まってしまったときには背中を押してくれる。
そんな強く、立派な友達を持てたことが俺は誇らしい。 俺自身には誇れるものなんてそれほどないけれど、それだけはしっかりと言える。
俺の友達は、世界中に居るどんな奴らより、立派で輝いていて、最高の友達なんだ。
この一年、色々と学んで、色々と後悔して、色々と知って、知られて。 今なら言える、最高の……最高の一年だったってな。
そうして時は過ぎていき、次の話はこの日から数年が経った後のこと。




