大会一週間前
「裕哉、命令」
「はいよ、何だ?」
「裕哉が持っているカードの色、教えて」
「それを教えたらゲームが破綻する。 却下だ」
「ちっ」
「舌打ちするな!」
六月の放課後のある日。 梅雨入りがつい先日発表され、本日も午後になってから雨。 ここ最近は雨続きで、ジメジメと湿った空気の中、俺達三人は部室である物を賭けた勝負をしていた。
本来ならば来週に控えている二人三脚大会の為に練習をしたいのだけど、生憎この雨である。 なので仕方なく、雨が止まないか期待をしつつ、こうして部室で暇潰しも兼ねてというわけだ。
「ほら早くしてよ。 私もう待ちくたびれたんだけど」
葉山は床にゴロゴロ転がりながら言う。 教室内でのイメージと正反対だが、俺にとってはもうこっちの方が自然な感じ。 クラスの奴らが見たら何の冗談だと顔をしかめるだろうけど。
「言って置くけど、負けた方が教室まで鞄を取りに行くんだからね。 分かってる?」
「ああ分かってるって! ちょっと静かにしてろ、今良い所だから」
ここに居る馬鹿三人は、帰り際に教室に寄れば良いと考えて、全ての荷物を少し離れた位置にある旧校舎へと置いていたのだ。 で、こっちに来てから雨が降ってきて、当然傘も教室。 それを誰が取りに行くかをこうして決めている。
「……ウノ」
「もうかよ……だけど甘かったな、葉月」
本来のルールならば葉山が一抜けした時点でゲームは終了だが、負けた一人が荷物を取りに行くとのことなので、こうして最下位が決まるまでやっている。
「おら! ドローツー! 二枚引け!」
「私のも、ドローツー」
「……」
葉月の手札は0枚。 対する俺の手札は今のドローツー重ねで10枚にまで膨れ上がった。 オーバーキルにも程がある。
「はい! それじゃ八乙女君行ってらっしゃーい」
手をパンと叩き、にこにこと笑顔で葉山は手を振る。
「……こんの! 覚えとけよお前ら!」
「……捨て台詞?」
やかましい。 俺も自分で言って、葉月が見るアニメの雑魚キャラっぽい台詞だと思ったっての。
言い返したい気持ちは山々だが、ウノの敗者である俺に断る権限なんて無く、肩を落としながら、俺は旧校舎へと足を向けるのだった。
「やっぱいくら走っても濡れるか……はぁ」
新校舎から旧校舎へ。 頑張って走っては見た物の、雨足は予想以上に強く、割りと濡れてしまった。
戻る時は傘があるから良いが、荷物を三人分ってのは結構辛そうだな……。 葉月は葉月で部室で見るアニメ雑誌とか、DVDとか、そういうのを鞄に入れているし重い。 んで、葉山は本当に女子らしく、鞄の中身は見たことが無いけれど謎の重みがある鞄だ。
今はまだ教室に向かっている段階なので手ぶらだが、既に俺の肩には得体の知れない重さがのしかかっていた。
「お、八乙女じゃん。 何してんの?」
文字通り肩を落としながら階段を上っていたところ、上から声が聞こえてくる。
「ん? ああ、相馬か。 何をしてるって言うか、パシリだよ、パシリ」
「はは! 神宮か?」
「パシリって聞いてすぐに葉月の名前が良く出てきたな……」
「いやいや、だって神宮と一番仲良いのって八乙女だろ? いっつも一緒だし、家も近いって話だし。 んで、大体パシられてる。 どうだ?」
近いというか、隣だけどな。 けど、仲が良いって言ってもそこまででは無いだろ。 あいつは多分、他に話す奴が居ないから俺と一緒に居るだけで。 俺は他にも友達は居るけど、葉月を放って置くのもあれだしさ。
「……ま、そんなところだよ。 で、そういうお前は? サッカー部はいいのか?」
「この雨で中止! ってなると思ってたんだけど、なんかミーティングするらしい。 体動かすのは良いけどさ、頭使うのってしんどいよなぁ」
「ふうん、まぁ頑張れよ。 次期エース様」
「よせよせ。 俺なんてまだまだだよ。 ていうか、八乙女も結構災難だよなぁ」
「災難? 何が?」
「いや、だって神宮と一緒に出るって言ってた二人三脚の大会? あれ、中止になったみたいだぜ」
「は? 中止!? てか、それ以前に何で俺が葉月と一緒に出ること知ってるんだよ!」
知ってるのは俺と葉月と……後は葉山くらいか? この前教室で葉山に誘われた時は、大きな声で言っていないから周りには聞こえてないはずだし。 ってことは。
「何でって、聞いたんだよ。 葉山に。 皆で応援してあげてーって言って回ってたぞ?」
やっぱりかあの性格極悪女め! 本当に余計なことを言ってくれる……。 今度葉山が部室でどんな風にしているか、ビデオにでも撮って教室で流してやろうか!?
「……はぁ。 あ、それで中止ってどういうこと?」
「知らなかったのか? なんか、市の方から声が掛かったらしい。 危険を伴うから駄目だーって。 毎年恒例で、名物でもあったんだけどな。 多分その大会を知ったどこかの誰かがちくったんじゃないか? もっともな意見ではあるけどな」
「そりゃまぁ、確かに危ないけど」
アスファルトの所とかを走ったりするからか。 普通に走る分にはあれだけど、二人三脚ともなると転倒率は高くなりそうだし。
「で、代わりに普通の競争になるらしい。 エントリーはそのまま維持されるみたいだし、ただ二人三脚じゃなくなったってだけでな。 だからま、頑張れよ」
俺の目的は当初から賞品だったので、その点が変更無ければ別に良いんだけど……。 なんか、裏がありそうな気がするな。
まぁ、とりあえずは葉月に報告か。
「ってことらしい。 だから葉月は参加しなくても大丈夫ってことになる」
荷物を取って部室へと戻った俺は開口一番、葉月に先程、相馬から聞いた話をする。
「そうなの? でも……」
「でも?」
「……でも」
「何だ? 何か言いたいのか?」
「はぁ。 でも、私が見てるだけじゃ裕哉に悪いー。 ってことでしょ? 神宮さんが言いたいのは。 まー、二人三脚が中止になっちゃったのは残念だけど、ね」
「……」
葉山の助力を得て、葉月はコクコクと頷く。
「別に良いって。 葉月はやることやったんだし、後は俺が頑張れば良いだけだろ?」
「そうそう。 男になんて勝手に頑張らせとけば良いんだって。 神宮さんは冷たいジュースでも飲んで、笑って見ていれば良いのよ」
「それをするのはお前だけだ」
「そう? 女子達って結構そういう話するよ? あの男子は馬鹿だーとか、どうしようもない男だーとか」
「……あんま聞きたくないことだな、それ」
「ま、でもそんな話をする時点で女子も馬鹿だけどね。 そんな愚痴なんて聞きたく無いっての。 ったく」
葉山は言いながら、イライラとした感情を隠そうともしない。 こいつのこういうサッパリキッパリした性格は、嫌いになれそうにはないな。
「お前もお前で苦労しているんだな……。 もしかして教室で他の女子と話してるのもそういう内容だったり?」
「全部が全部じゃないわよ。 けど、そういう話が多いってだけ。 んで、中には惚気みたいなのもあるからね。 昨日待ち合わせに相手が五分遅れてきた! とか。 マジどうでも良いっての!!」
葉山は叫ぶように言い、床をドンドンと踏みつける。 男の俺から見ても、確かにそういう話を嬉しそうにしてくる奴は面倒だと思うから気持ちは分かる。
「……裕哉、ほんとに良いの?」
「良いって。 一位取って賞品も取る。 で、葉月の部屋に飾ろう。 な?」
「……うん。 分かった」
なんとか納得してくれたようで、俺としては葉月が走って変に怪我をするより、そっちの方が楽っちゃ楽なのだ。 足でも怪我をした日には、様々な命令が飛んできそうで後が怖い。
「うーん、やっぱ仲良いよねぇ。 二人」
葉山はお茶を啜りながら、俺と葉月を見て言う。 そりゃまぁ、一応は友達だし。
「普通だ普通。 てかお前なんかおばさんっぽいな。 そうやってお茶飲んでぼんやりしてると」
「あ?」
「おい止めろ。 湯のみを振りかざすな」
今、目が本気だったぞ。 これからは発言に気をつけておこう。 下手したら学校で殺人事件が起きてしまう。
「葉山、一緒に応援しよう」
そんな光景を見ながら、葉月は唐突に口を開く。 あまりに突然の事で、一瞬の沈黙の後に、葉山が聞き返した。
「えっと……何で私が?」
「友達だから」
「私が一体いつ、あんた達と友達になったのよ……」
「え? 違うのか? 俺は普通に友達だと思ってたけど」
それには俺も言いたいことがあるぞ。 葉月同様、葉山のことは俺も友達だと思ってるしな。
「はぁ? だから、私がしたこともう忘れたの? あんなことされて友達とか、本当に馬鹿?」
「友達。 それでも、葉山は友達」
「性格悪いけど、友達」
「あーもううっさいな! なら勝手に友達だと思って置けば良いんじゃない? 八乙女君も神宮さんも、本当に馬鹿すぎ」
「失礼な奴だな……。 俺はさ、確かにお前のやった事は酷いと思うけど、正直に言って、ムカつきもしたけどさ」
「それ以上に、葉月に友達出来て嬉しいんだよ。 俺から見ても、お前って性格の割に良い奴だし」
「……はぁ。 本当に良い奴ってのは、あんなことしないでしょ」
「人気投票とか、上履き捨てたりとか、二人三脚の大会中止にさせたりとか。 そういうのした奴と良く友達になれるよね、二人共。 それに、そもそも今こうして雑談してるのだって変な話でしょ」
「それはそうかもしれないけど……ん? おい、お前今なんて言った?」
「え? 私? なんて言ったってどういう……あ」
「二人三脚の大会を中止にさせたって、言ったよなおい!」
「あ、あはは。 気のせいかな? 多分」
その後のらりくらりと躱す葉山を問い詰めた所、どうやら以前に市長へ手紙を出したらしい。 俺と葉月とぶつかり合う以前に。
最早その行動力は尊敬に値すると言っても過言では無いかもしれない。
「大丈夫。 今度、裕哉のお昼ご飯を葉山に買いに行かせる」
「何でよ!?」
「お詫び?」
「……はぁ。 分かったわよ。 言って置くけど別に私が悪いって思ってるわけじゃないから。 それにお詫びってわけでもないから。 ただ、一応はその……友達、ってことだし。 だから、私が納得する為に、一回くらいなら行っても良いかな、みたいな」
「つんでれ?」
ツンデレだな。 ここまではっきりなツンデレは初めて見た。
「だからそのツンデレって何よ……。 まぁ、良いけど。 私が八乙女君の応援に行って、お昼ご飯も今度買ってくれば良いんでしょ? 別に良いわよ、それくらい」
「いや俺の昼飯なんて買わなくて良いって。 それよりさ、葉山って走れないのか?」
「私? 走ろうと思えば走れるけど。 中学の時は変な大会で賞取ったりしてたかな。 覚えてないけど」
マジかよ。 ってことはかなり足速いんじゃないのか?
「百メートル走のタイムは?」
「いくつだったっけかな。 確か十二秒くらい?」
めちゃくちゃはええ! 普通に全国で戦えそうなタイムだな! というか、俺より速いぞ!?
「是非一緒に出てくれ! それで全部良いから!」
「嫌よ。 疲れるし汗掻くし。 それに私は運動できない女子って設定なの。 走ったら私のイメージが崩れるでしょ。 運動が出来ないちょっと天然入ったキャラ、だけどしっかり者の葉山歌音って設定だからね」
だから蒼汰に誘われた時、走るのが得意じゃないとか言っていたのか。 納得した。
「……はいはい。 ならもう俺が頑張るしかないか」
葉月を二人三脚ならともかくとして、一人で走らせるわけにはいかないだろう。 んで、葉山にも頼る事は出来ない。 ならやっぱり、俺がどうにかして一位を取るしか無いか。
一応俺もそれなりには走れると思うし、運が良ければ一位も夢じゃないかも。
「ああ、でもあの大会って結構足速い人来るみたいね。 全国レベルの人とか」
「そういうのは言わなくて良い! お前絶対わざとだろ!?」
「あはは! バレた?」
ほんっと、性格悪い奴だな。 友達にはなれるが、葉月のように毎日毎日一緒に居たら物凄く疲れそうだよ。
「あー、結局雨止んでるじゃん。 俺が荷物持ってきた意味って……」
下校時刻となり、あれからアニメを見たりお茶を飲んだりしていた俺達は新校舎から出る。 空はすっかり晴れていて、今の時間なら結構明るい。 夏が近づいてきているのだろう。
「大丈夫。 裕哉が持ってきたおかげで、階段を上らずに済んだ」
「葉月と葉山はな。 俺は何であんな勝負を振ったんだか」
「言い出しっぺが負けるってお決まりだよね。 あはははは」
愉快そうに笑うなよ。 本当に心底嬉しそうだなお前。
「……裕哉、大変」
葉山に色々言われながら下駄箱へと差し掛かった所で、葉月が俺の袖を引っ張りながら口を開く。
「お弁当箱、教室に忘れた。 机にぶら下げたまま」
それは分かった。 でもどうして俺に言う? こいつまさかとは思うが。
「……俺は取りに行かないぞ」
「だめ?」
「というか何で俺が取りに行くのが当たり前みたいな顔をしているんだよ!? 普通に自分で行け!」
「……分かった。 取ってくる」
葉月は素っ気なく言って、階段の方に駆けて行く。
少し俺が折れるのに期待してただろ。 今日はもう疲れたから階段は上りたく無いっての。
「はぁ、本当に神宮さんと八乙女君と一緒に居ると、テンポ崩れるよね。 ペースに巻き込まれてるっていうか」
「俺を一緒にするな。 俺も巻き込まれてる側なんだからさ」
「はいはい。 でもそう言いながら階段に足を掛けてるのはどうして?」
「……」
なんてことだ。 全く上るつもりなんて微塵も無かったのに、ついつい葉月の後を付いて行こうとしている。 嫌な習慣が身に付いてしまってるぞ。
「これはあれだ、流れで」
「あはは! かわいそー、奴隷根性って奴ね、それ」
「つうか、葉山もそう言いながら階段に足掛けてるぞ」
「……」
「……流れよ、流れ」
俺と葉山は結局、葉月の上って行った階段を追うように上って行くことになった。 案外、俺と葉山は似ているのだろうか。 そうだとしたらちょっと嫌だな。
「おーい、葉月ー。 あったかー?」
二階にある教室へと到着し、俺は後ろのドアから教室内に居る葉月に向けて言う。 見ると丁度、自分の机の上に鞄を置いて、弁当箱を入れているところだった。
「……裕哉。 来たの?」
「気付いたらな。 で、弁当箱は? 他に忘れ物とか無いよな?」
「うん。 両方大丈夫」
「そか。 んじゃ、帰ろう」
「うん」
葉月は言って、教室の出口まで駆けて来る。 そんな葉月を見ながら口を開いたのは葉山。
「ったく、神宮さんって真面目そうに見えてめちゃくちゃ不真面目だよね?」
「葉山よりは真面目」
「どっちもどっちだ」
二人とも、黙っていれば真面目な優等生に見えるのに。 勿体無い奴らだよ。
「あはは。 私の方が人気もあるし、頭も良いし~。 神宮さんとは比べられないかなぁ~?」
「うん。 私よりも性格悪い。 比べられない」
「はぁ? 神宮さんも性格大概でしょ!? 私だけ悪いみたいに言わないでくれない?」
「葉山はずば抜けてる。 私じゃとても敵わない」
「嫌なとこだけ低姿勢になるなッ! じゃあこうしよ、私と神宮さんでどっちが性格良いのか人気投票するの! いい案じゃない?」
「そういう考えをするから、性格が悪い」
「こんの黒髪人形……!」
おいおい。 また始まったよ。 もう帰るだけなんだから、本当に勘弁してくれ……。
それと階段を降りながら喧嘩をするな。 しっかり下見て歩かないと危ないぞ。
「八方美人に言われたくない」
「ほ、ほーう。 人形風情が良く言う」
よく飽きないよな、毎日毎日。 まぁ、それを聞いている俺も飽きないけど。 バリエーションが豊富だし。
「八方美人で、いつか四面楚歌」
「うっさい! あんたはもう殆ど四面楚歌でしょ!」
「そうでもな……」
「へ? ちょ、ちょっと!!」
急に、背後から聞こえてくる二人の喧嘩の調子が変わる。 俺はそれを不思議に思って振り返ると。
危惧していた通り、葉月が階段を踏み外して、俺の方に飛び込んできていた。
「……葉月っ!」
「……あーもう!! ほんっと最悪!!」
そして予想外のことが一つ。 葉山がまず、自分の持っている鞄を放り投げる。 で、その後に葉月の元へジャンプしたのだ。 そして、葉月を抱えるように体を包み込む。
おいおいマジかよ。 あれじゃあ今度は葉山の方が危ないじゃねえか! あのまんま床に落ちたら、普通に大怪我してもおかしくねえぞ!
「……っ!」
その後のことは良く覚えていない。 気付いたら俺の体は勝手に動いていて、葉山と葉月を受け止めて、なんとか二人は無事に済んで。
「いてて……」
「ゆ、裕哉。 大丈夫?」
「いったぁ……。 って、八乙女君? ちょっと! 大丈夫!?」
「あ、ああ。 はは、なんとか」
とは言った物の、痩せ我慢をしてみた物の、足には激痛が走っていた。
「どうだった? 足」
「軽い捻挫だってさ。 数週間で治るって言ってた」
「数週間って……それじゃあ、大会は?」
「ま、何とかなるだろ。 まだ一週間もあるし」
「……裕哉、ごめん」
あの後、俺は葉月と葉山に病院まで付き添って貰い、診断がようやく終わって再び合流。 辺りはすっかり夕暮れ時で、赤く染まっている。
「謝るなって。 誰が悪いってわけでも無いし」
「でも」
「大会のことなら心配するなよ。 頑張って何とかするからさ」
「……」
俺が言うと、葉月は俺に背中を向けてしまう。 何だよ、頑張れくらい言えないのか? 可愛くない奴め。
「……はぁ。 ばーか」
「馬鹿ってな……いきなりそんなこと言われると悲しいって。 葉山」
「馬鹿だから馬鹿って言ってるだけだし。 ま、別に良いけど」
「……はいはいそうですか。 けど、今日はちょっとお前のこと見直したな」
「は? 何で?」
「葉月が落ちた時、真っ先に体を支えようとお前も飛んだじゃん。 あんなの普通出来ないって」
「ふん。 何か私の所為みたいで癪だっただけ。 それを言うなら八乙女君だって、結果こうなるような馬鹿なことしたじゃん」
「あそこで避けたらお前らがどうなるか分からないだろ。 さすがにあの高さでそのまま落ちたら、壁に突っ込むのとはわけが違うじゃないか」
「壁に突っ込む? 何のこと?」
「……ああいや、何でも無い。 とにかく、俺は頑張ってこの足治して、大会出ないとなぁ」
俺が言うと、葉山は再びため息を吐いて、言う。
「別にそこまで無理しなくても良いでしょ」
「葉月が楽しみにしてるんだから、そうはいかないんだよ。 それに、約束しているしな」
「……そんな約束より、大事な物もあると思うけどなぁ」
「大事な物?」
「べっつにー。 分からないなら良い。 それより、私も出ることにしたから。 大会」
「え?」
「だから、八乙女君が怪我したのって、少しは私の所為って部分もあるでしょ。 恩を売ったままじゃ嫌なの。 だから、私が一位取って恩は返す。 当然、八乙女君も本気で頑張ってね」
「良いのか? 本当に?」
「……何度も言わせないでよ。 私が気に入らないってだけ。 そんなので迷惑掛けるのは嫌」
「それに……私の所為で怪我されるのは、もっと嫌。 なのに」
ふいに、葉山の表情は曇る。 どこか遠くを見たような目をしていて、独り言のように。
「……葉山?」
「へ? ああ、何でも無い。 とにかく、大会まで休んで治しなさいよ! 勿論私が出る以上、一位は私の物だからね」
「……心強いな。 助かるよ、葉山」
紆余曲折あった物の、こうして俺と葉山が出場を決めたのだった。
「いてて……はぁ。 本当に治るのかね、これ」
その日の夜、風呂から出て湿布を貼り付けて包帯を足に巻いて、その如何にも怪我してますって足を眺めながら、そう呟く。
痛い思いはしてしまったが、それ以上に良い物を見れた気もする。 葉月のことも葉山のことも、きっと二人には色々な考えがあって、色々な想いがあるのだろう。
今日の葉山が取った行動だって、多分そんな物の中の一つなのだ。 俺はそれが見れて、本当に良かったと思う。
「裕哉」
「うわっ! だっから急に来るなよ! ビビるだろ!!」
毎回毎回、本当にビビるんだって。 部屋が暗い時に来られると幽霊が出たんじゃないかと思うこともあるからな。
「足、大丈夫?」
「……まぁ、一応な。 大会までには全然治るよ」
強がってそうは言った物の、ぶっちゃけどうなるか分からない。 だけど、それを聞いた葉月が少しホッとした様子を見せてくれたので、良かったとしておこう。
「そう。 見せて、足」
「ん? ほら、別に大丈夫っぽいだろ?」
見るからに怪我って感じだけどな。 右足には包帯がグルグル巻かれていて、その中は葉月からは見えないが、いつもより一回りくらい腫れているし。
「痛そう」
「そうでも無いって」
「ごめん」
「だから、謝るなって」
「また、迷惑掛けた」
「何を今更。 いつも沢山掛けられてる所為で、今更一つ増えたって変わりやしないよ」
俺の言葉に、葉月は小さく頷きながら「うん」と言う。 そして、その後再び口を開いた。
「……そうだ。 裕哉、おまじないがある」
「……おまじない?」
「うん。 怪我がすぐ治る、おまじない」
「ふうん? それ掛けてくれるのか?」
「うん。 いつも、これですぐに治る」
「頼もしいな。 それじゃ、頼む」
「分かった」
葉月は言うと、俺の足を両手で支える。 その包帯に巻かれた足を擦って、顔を近づけて。 包帯の上から、俺の足に――――――――キスをした。
「お、おい!? なにしてんだよ!?」
「なにって、おまじない」
「だ、だけどな……その」
「お母さんが、昔やってくれた」
「……お母さんが?」
「そう。 怪我をした時、いつもこうやってくれた」
「暖かくて、痛くなくなって、すぐに治る。 ほんと」
そう言って、葉月は窓の外を見る。
何を見て、何を想うのか。 俺に分かるのは一つだけで、その一つはきっと大切なんだ。 だったら、俺が葉月に言うべき言葉。
「そっか。 ありがとう、葉月」
「別に良い」
相変わらず、無表情で素っ気ない態度だな。 でも少し嬉しそうか? なんとなく、そう見える。
「……そうだ。 葉山に、お礼を言っておいて」
「葉山に?」
「うん。 出てくれて、ありがとうって」
「直接言えば良いんじゃ……ああ、照れ臭いのか」
「……」
無言で、二回首を縦に振る。 何だかんだ言っても、こいつと葉山は仲が良いのかな。 喧嘩ばっかりでどうしようも無いけど。
「分かったよ、伝えておく。 てか、そろそろ戻って寝ろよ? 明日も学校なんだし」
「うん」
そう言って、素直に葉月は秘密の通路を使い、部屋の中へ戻ろうとする。 その途中で一度俺の方を向いて、言った。
「裕哉、おやすみ」
「ああ、おやすみ」
さて、この足は本当に間に合うのだろうか。 まぁ、間に合わなかったとしてもそれは大した問題では無いか。 俺が頑張ってどうにかすれば良いのだから。
葉月とした約束。 強引にされた約束だけど、俺も了承した約束だ。 それならそれは、守らないと駄目なんだ。 葉月では無いが、俺が我慢して頑張って賞品を取れば、葉月は喜ぶだろう。 それに、約束は破りたくない。
「……俺も寝るか」
とりあえずは寝て、起きて。 んで、大会の日になってこの足がどうなっているかだな。 やることは変わらないけど、俺は一位を取らないといけないんだし、治るに越したことはない。 全く酷い一日だったけど、こんな一日でもいつか思い出話として笑って話せる日が来るのだろうか?
皆で笑いながら、馬鹿だったとか言いながら。 もしもそうなるなら、それは面白くて楽しい物なんだろうな。
そんなことを考えながら、俺は眠りに就いた。