俺と葉月が進む道【3】
「よう」
「……」
見つけるのは、難しいことではなかった。 とは言ってもある程度走らされはしたけども。 それでもあの日、俺が葉月に気持ちを打ち明けたあの日に比べたら、断然楽に見つけることができた。
「久しぶり」
「久し振りってほどでもないだろ……」
精々一時間だ。 長年かけての再会みたいに言うなよ。
「私にとっては久しぶり。 長かった」
「……そりゃ悪かったな」
結構照れ臭いことを平気で言ってくるなぁ。 まあ嬉しいけどさ。
葉月が居たのは、川沿いの土手。 学園祭前に、一度呼び出されたことのある場所だ。 ただなんとなく、居るとしたらここだと思って、実際に居たのだから文句はないだろう。
「懐かしいな、ここも」
言いながら、俺は葉月の隣へと腰をかける。 葉月はチラッとだけ俺の方を見た後、真っ直ぐ前を見つめた。
「裕哉、お腹が空いた」
「あのな」
「お腹が空いた」
本当に、マイペースすぎて参ってしまう。 けれど、それもまた葉月か。
「……あー、まぁそう言うと思ったよ。 途中でお菓子買っといたから、ほら」
準備が良い俺を褒めてやりたいな。 葉月と短くはない時間を共にして、こいつの言いそうなことが大体予想できてしまうんだ。 良いこととは言えなさそうだけど……。
「さすが」
葉月は再度俺の顔を見たあとに、差し出した菓子を受け取る。
「でも、そこは必死に走って来て欲しかった」
「文句言うな。 要望を叶えられているんだから良いだろ」
「いたっ」
頭をこつんと叩くと、葉月はそう声を漏らす。 なんだかこれも懐かしい。
「んで、どういうことか教えてくれるか?」
本題だ。 葉月が抱えている問題と、それに対する葉月の気持ち。 それを知っておかなければ、何も行動ができない。
「今日は聞くの?」
「それは、前は聞かなかったからってことだよな。 まー、葉月がどうしても言いたくないなら、あれだけど」
最優先するのは、葉月の気持ち。 それだけは絶対に譲れない。 こいつの幸せが俺の幸せで、葉月の想いが俺の想い。 それは何があっても変わらない。
「ううん。 裕哉には話したい」
「そか。 それじゃあ聞くよ」
そう言うならばと思い俺が返すと、葉月は正面を向いて口を開く。 今日は曇りで、冷え込みは相当なものだ。 俺も葉月も暖かい格好はしているが、それでも葉月の頬と耳は若干赤くなっている。
「まずは、私が生まれた直後から」
「そこまで遡るのか!?」
マジか!? てっきり小学生とか中学生くらいからの話だと思ったのに、そこまで遡るとは……。
「冗談」
「……」
「いたっ。 無言で叩かないで……」
「だったら分かりにくい冗談を言うな」
無表情で言うから分からないんだよ。 こいつはいつだってそうだ。 嬉しそうにしているときも、ふざけているときも、怒っているときも、悲しんでいるときも。 ずっと、表情を変えなかった。 俺はそんな葉月を横で見て居たから多少の変化は分かるけど……。 葉月が本当に分かりやすく表情を変えたのは、俺が葉月に告白したあの日くらいのものだ。
「……私の、両親の話」
「ああ。 葉山が言うには、出張じゃないって話だったな。 あれは本当のことなのか?」
俺の言葉に、葉月は頷いた。 肯定だ。 それを見て、改めて現実と直面している気がする。
「そっか」
なんて声をかければ良いのかが分からない。 だから俺は、そう返すのが精一杯だった。
「二人は、旅行に行ってる」
「……葉月を置いて、だよな」
「うん。 お母さんもお父さんも、私のことを怖がっているから」
……怖がっている? それって、どういう意味だ?
「そういう意味。 裕哉は分かる」
葉月は俺の顔を見て、そう言った。
ああ……そうか。 そういうことか。
「そういうこと。 それの所為で、怖がられている。 二人は私のことを嫌っているの」
「嫌っているって……」
そんなことはないだろって、言おうとした。 でも、そんな無責任なことは言えない。 だって、葉月には分かってしまうのだから。 葉月の両親が葉月に対して何を思っているのかが、伝わってしまうのだから。 そしてそれが、葉月の両親が葉月を怖がっている理由なのだ。
「二人が家を開けるようになったのは、私が中学生のとき。 お母さんもお父さんも出張って言っていたけど、違うって分かった」
そんな嘘も、葉月には伝わってしまう。 どれだけ葉月に取り繕っても、こいつに伝わるのは事実だけでしかない。 そして、そんな事実は……残酷な現実だ。
「私は、それで良いと思ってた。 私の所為で二人は私のことを嫌いになって、私の所為で嫌な思いにさせているから。 無理もないことだって」
「……葉月の所為ではないだろ」
「ううん、私の所為。 私が変わっていたから、二人は私のことを嫌いになった。 私が普通だったら、二人も私のことを嫌いにならなかったと思う」
どうだろう。 たったそれだけのことで嫌いになってしまうのなら、それはもしかしたらそうじゃなかったとしても、そうなっていたんじゃないだろうか。
「それだけのことで充分だと思う」
……そうか。 そう思うのはもしかして、俺だけなのか。
「うん。 裕哉はそう。 だから、私は裕哉のことが好きになった」
葉月は俺の顔を見て、言う。 葉月でなくとも、それが嘘偽りない言葉だってのは分かる。
「いきなり言うなよ!? びびるだろ……」
心臓が一瞬止まりかけたぞ。 ここまで素直に「好き」と言われたのは、付き合い始めてから初めてかもしれない。
「裕哉好き。 好き好き」
「だ、だからやめろって! 恥ずかしいからさ!」
「……うん。 私も結構恥ずかしい」
だったら言うなよ……。 捨て身か。 顔真っ赤じゃないか。 寒さの所為とそれの所為で更に赤くなっているじゃんか。
……俺も同じかもしれないけど。
「私にヤンデレは無理みたい」
ヤンデレだったんだ。 けど無表情で言うだけで、かなりそれっぽいよな。 呪詛のように「好き」と呟いていれば、そりゃあもう完璧なヤンデレだと思う。 髪型とか顔立ちとかも含めて。 いやでもヤンデレというよりかは、何かの幽霊に近いな……ってことはホラーか。
「……失礼な人」
「……悪かった悪かった。 怒るなって」
恐らくはムッとしているであろう葉月の頭をぽんぽんと叩きながら、俺は言う。 前までなら嫌がられていたそれも、今ではすんなりと葉月は受け入れる。
「裕哉は?」
「え? 俺はって、何が?」
葉月は俺の顔を見たままで言う。 首を少しだけ傾げて、俺の目を真っ直ぐ見ながら。
「私のこと、好き?」
「は!? いや、待て待て待てよ! いきなりそんなこと言われたって……」
さすがにいきなりそんなことを聞かれて、すんなり言える奴は居ない。 さっきは葉山に対して即答していた気がするが、それとこれとは別だ。 そりゃ好意を抱いている相手にいきなりそんなことを聞かれたら、誰だって答えに臆すだろ。
「……」
そして葉月は俺の顔をじっと見続け、やがて言った。
「そう。 良かった」
若干満足したような感じを出しながら、葉月は俺から顔を逸らす。
「……ぐ」
俺の気持ちは嘘偽りなく伝わっているようだ。 良かった良かった……じゃない。 すごく恥ずかしい。 なんて厄介な奴だ。
「裕哉はどのくらい好き?」
「止めろよ!?」
再び俺の方に顔を向ける葉月。 慌てる俺。
「……そ、そう」
そして動揺する葉月。 ああ、俺の気持ちがまた伝わった。 なんの試練だよこれ!?
「……ゆ、裕哉は。 裕哉は、世界中で何番目くらいに私のことが好き?」
「やーめーろおおお!!」
最早、拷問である。 さすがにその質問に対する回答を知られるのは居ても立っても居られないので、俺は慌てて葉月の目を覆う。 放っておいたらどんどん悪化しそうだ。
「……何も見えない」
「そりゃ隠してるからな! これ以上知られて堪るかっ!」
「……分かった。 もうやめる」
「ほんとかよ?」
「本当。 私は正直者」
どの口が言うか。 まぁけど、いつまでもこうしているわけにはいかないので、俺は渋々葉月の顔から手を離す。
「死ぬかと思った」
「まるで俺が殺そうとしていたみたいな台詞だなおい」
「あのままだとアニメが見れない。 死活問題」
アニメが見れない……か。 そう言えば、葉月にはまだ聞かなければならないことがあったっけか。
「なぁ、葉月。 葉月さ、アニメを見ても楽しくなさそうにしてただろ? 前に」
一度は否定をされたこと。 学園祭当日に、俺はそれを葉月に言って、それで葉月を怒らせたんだ。 今になってようやく、そのときの葉月の気持ちに触れられそうだ。 そして今回で二度目。 それに対する葉月の回答は。
「……それは。 うん」
ほんの一瞬、葉月は言い淀む。 しかし、すぐに俺の質問に対して頷いた。 今日はどうやら、とことん質問には答えてくれるって感じか。 そして本音で答えてくれているんだ。
「あれって、やっぱり両親に何か言われたのか? あのときって、丁度葉月の両親が家に戻ってきてたときだろ?」
「大体はそう。 けど、言われたんじゃない」
言われたのではない? でも、それなら何で葉月はあんな風に怒ったんだ?
そんな俺の疑問も俺が言葉にする前に、葉月の次の言葉で解消する。
「捨てられたの。 全部」
「……は?」
「私の部屋にあった物。 学校から帰ったら全部捨てられてた。 アニメのディスクも、ポスターも、フィギアも。 私が描いてた絵も、全部ゴミ捨て場に置いてあった」
それは。
それは、大切な物だろ。 そればっかりは駄目だろ。 いくら葉月のことを放置していても、いくら葉月が怖かったとしても、いくら葉月のことが嫌いだったとしても、だ。 それは、してはいけないことだろ。
こいつが本当に真剣に取り組んでいて、その趣味に没頭しているときの葉月は活き活きとしていて。 俺に楽しそうに、嬉しそうに話してくれて。 そんな姿の葉月もまた、俺の好きな葉月で。
「ばれないように全部元に戻したけど。 それでも、見ちゃった」
「……見ちゃったって、何を?」
「私の部屋。 何もなかった」
葉月は言う。 無表情で、悲しそうにもせずに言う。
「私から趣味がなくなったら、空っぽだった」
そんなわけはないだろ。 そう言おうとして、止める。 それを言葉にしてしまったら、上辺だけの言葉になってしまいそうで、嫌だった。 そのときの葉月の顔は、それこそ葉月が好きなアニメのキャラクターのように儚い表情で。
「それで、分からなくなっちゃった。 私が大事にしている物は、呆気なく消えちゃう物で、虚しくて」
だから、葉月は趣味に没頭できなくなった。 そんな消えてしまう物を自分自身にして良いのかという、葛藤から。 人の気持ちを察してしまう葉月が見つけた大切な、大切な趣味。 そんな唯一の趣味を失ってしまったら、こいつは。
「葉月、俺は居るぞ。 ここに居る。 アニメが好きで、絵を描くのが好きな葉月を知っている」
「知ってる。 裕哉はいつも見ていてくれた。 私のために頑張ってくれた。 本当に、感謝している」
……そんなのは言うまでもないってことか。 葉月はその程度のこと、分かりきっていたんだ。 てっきりそのことで悩んでいるんだと思ってたけど……勘違いだな。
「どういたしまして」
「……裕哉、変わった?」
変わった……。 そうかもしれない。 けどそれは、葉山の言葉を借りるのなら、変わったのではなくて、俺の周り……環境が変わったということだろう。
「前の裕哉なら、何も考えずに行動してた。 私のことも、聞かなかったと思う」
「考えなしみたいに言うなよ……。 けど、そうだな。 とりあえず何か手助けができれば良いって考えて、何も聞かないでやってたからな」
その際たる例が、葉月のこと。 今日この日に至るまで、俺は葉月の抱えている事情に触れてこなかった。 様々な違和感をそういうものだと決め付けて、踏み込もうとしなかった。
「それで俺が変わったって言うなら、それはきっと葉月のおかげだよ」
「私だけじゃない。 葉山も天羽も」
「はは。 そうだな」
ここまで聞いて、色々なことが分かった。 でも、未だに分からないことはある。 重要なのは二つで、それは核心とも言えること。
「葉月、聞いて良いか?」
「だめって言ったら本当に聞かなそうだから、良い」
「そうかよ。 それじゃあ聞くけど」
今まで、一度も聞かなかったこと。 普通ならば真っ先に聞くことだったし、それこそ友達になった時点で聞かなければならなかったことだ。
「葉月が表情を作らなくなった理由、教えてくれ」
俺は相変わらず無表情な彼女の横顔を見て、そう言った。




