昔話【3】
「にぃにー、なんか最近ぼーっとしてること増えた?」
夕飯を食べ終え、リビングでテレビを見るわけでもなくぼーっとしていると、妹の桜夜からそんなことを言われる。 それはもう俺自身分かっていることだ。
そんな俺がぼーっと考えているのは、あの花宮のこと。 理由……と呼べるのかは分からないが、関わるなという約束の理由について。 そしてもう一つ、花宮が俺に出した問題についてだ。
「ん、いや。 そうでもないだろ」
と、嘘を吐く。 桜夜は結構心配症なところがあるので、心配させないようにとの思いから。 一体誰に似たのかは分からないけど、こいつはかなりのお人好しだ。
あの日からは数日が過ぎており、別にその関わるなと言った理由を知ったところで俺と花宮の関係が変わることは無いと思うのだが……どうにも、あのときの花宮の表情が気になってしまう。 俺に出した問題の答えを言ったときの表情。
……どうしてあいつは、あんなことを笑顔で言ったのだろうか?
「む、むむむ。 絶対変だよー。 にぃにもしかして、もしかすると恋のお悩み!?」
「そんなわけねえよ……」
そうだとするなら、その対象はあの花宮だろ? ないね、ありえない。 あいつの場合は容姿よりも性格が問題だ。 掴みどころのない感じと、人を小馬鹿にしてくる態度だ。
それこそ、悩んでいると言えば花宮の方が可能性はあるだろう。 俺なんて、悩みとは無縁の性格だし。
「なあ桜夜、女子が悩むときってどんなとき?」
それもありえそうだなと思いながら、俺は桜夜に尋ねる。 するとすぐに返答。
「……なんか物凄く馬鹿っぽい質問だね、それ」
妹にまで馬鹿にされている気がする。 いや事実されているんだろうけど。 やっぱりこいつに聞くべきではなかったか。
「けどね、まー」
そう言うと、桜夜は天井を眺めながら答えた。
「悩みにも色々種類があるけど、この状況でにぃにがわたしに聞いてくるってことは……にぃにの友達の女子が、何か悩んでるっぽいって感じ?」
花宮然り、俺って顔に出やすいタイプなのか? それとも、単純に分かりやすいってだけか? いやそれとも、桜夜の勘が鋭すぎるのか。
「まあそんな感じ。 で、どんなときなんだ?」
「……その子がにぃにに恋してるとか?」
楽しそうに、嬉しそうに言う桜夜。 そんな桜夜に俺は即答。
「ないな、ありえない。 そいつとは会ってからまだ二週間しか経ってない」
「二週間……あー! にぃにがプチ家出をしたときだ!! あっはっはっは!!」
うるさいなこの馬鹿。 大笑いしているのを見ていると、無性に腹が立ってきたぞ。 頭叩いてやろうか。
「あっはは……あー、そういうことかぁ。 で、その最中にその人と出会ったんだね。 感動的じゃん、傷心のにぃに」
今だから笑われても気にはしないけど、あの日は本当にかなり怒られたな……。 母さんも父さんも基本的には放任主義なのに、やることはしっかりやっておかないと怒るというのが面倒だ。
「ほっとけ。 それで本題に戻すけど……実際、その恋の悩みってわけじゃないと思うんだよ。 俺が話している限り、そういうのには興味なさそうだしな、あいつ」
俺の言葉に、桜夜は右手で両目を覆う。 悩んでいるときの決めポーズでもある。
「うーん……でもにぃに、恋に興味がない女の子なんていないよ?」
覆っていた右手を外し、隣に居る俺に顔を向け、首を傾げながら桜夜は言う。
「……いないのか?」
「そうだよ」
「そうか」
……いや、そうじゃなくて。 そうじゃなくてだな……その「恋に興味がない女の子はいない」というのはぶっちゃけどうでも良いんだ。 問題は、花宮が何か悩んでいるってことで、それも恋以外の悩みなわけで。
「また話がズレてるぞ。 油断も隙もないなお前」
「取り柄ですし」
嫌な取り柄だなおい。 今すぐにでも矯正してくれ。
「ま冗談はこの辺にしておいてー。 本題本題。 その人が悩んでるって、どうしてにぃには思ったの?」
どうして、か。 それについては靄がかかってしまっているが、なんとなくは伝えられるだろう。
「発言、かなぁ。 なんとなく、言葉の端々からそういう風に見えるんだ」
「ふむふむ。 なら具体的には……具体的っていうか、にぃにの予想かな。 予想だと、なんの悩みだと思うの?」
次は俺の予想か。 それも難しくはあるけど……答えられない質問というわけではないな。
「……あえて言うなら、人間関係?」
「うんじゃあそれだ」
こいつもしや適当に流しているのか!? 俺は結構本気で相談しているのに、なんか投げやりじゃないか!?
「……頼むから真面目に考えてくれよ」
泣きそうになりながら言うと、桜夜はそれに即答。
「いやだってさ、にぃにがそう思うならそうでしょ。 にぃにって自分では気付いてなさそうだけど、人の気持ちに敏感だからさぁ」
俺が? そうだろうか? 自覚はゼロなのだけど、桜夜が言うからにはそうなのかな。
「だから、わたしができるのは「にぃににそれを気付かせること」だけだよ。 にぃには正しい! にぃには偉い!」
「お、おう……あはは」
俺を褒める妹。 そして照れる俺。
「ついでにカッコ良い! 優しい」
「や、やめろよもう。 あ、あははは」
なんだなんだ。 今日はやけに俺を褒めるじゃないか。 良い妹を持って俺は幸せだなぁ。
「だから今度帰りにプリン買って来て! ちょっと高いやつ!」
「ったく。 仕方ないなぁ!」
そして、気づいたら妹にプリンを奢ることになっている俺であった。
「人間関係……か」
次の日。 教室での昼休み中、俺は昨日の夜に桜夜と話したことについて考えていた。
もしもそれが悩みだったとしたら、俺はどうするべきなのだろうか? 元よりあいつとは知り合ってから日にちはそこまで経ってはいない。 これはちょっと失礼な考えかもしれないが、友達としての大切さ……重要度で言えば、蒼汰の方が上である。
「……でも」
どうしてか、少ない時間ではあったが、勉強を見てもらったからなのか、どうにも花宮のことが気になって仕方ない。
教室でのあいつは、公園での雰囲気とはまるで違う。 元から少し変わった奴ではあるが、教室での態度はそれを全面的に押し出しているのだ。
具体的に言うと……寝ている。 朝の授業からずっと机に伏せて寝ている。 お前昨日ちゃんと寝たのかよってくらい、寝ている。 それも今日始まった話ではなくて、転校してきた初日からずっとそうだ。
「よー、なんか思い詰めた顔だな」
言いながら俺の席の前に座るのは、蒼汰。 そこは確か女子の席だが、怒られても俺は知らないぞ。
「そんなことは無いって。 いつも通りだ」
「ふうん。 ま、裕哉がそう言うなら俺は何も聞かないけど。 それよりさ、この前転校してきたあいつ、可愛くね?」
またこいつはそっちの話題か。 日替わりでその対象が変わっているが、よくもまぁ飽きないもんだな。 と、少し感心する俺。
そして今回の可愛い子は花宮か。 確かに顔は整っているが、性格がなぁ。 付き合い辛い奴だよ、あいつ。
「まーそうかもな。 で、用事は?」
「用事がないと話しちゃいけないのか!? 友達だろ!?」
「言っとくけど、俺はまだこの前のドタキャンを許していないからな」
「うへ……恨み深いなぁ、裕哉は」
つうかだな。 そもそもこいつがドタキャンをする所為で俺はあいつに絡まれたんだよ。 思えばこいつが原因じゃないか全部。
「まぁまぁ、実はその埋め合わせも兼ねて、今日どっか遊びいかね? って話なわけよ。 どうせ暇だろ?」
「……あー。 今日は……ごめん、用事あるんだ」
絶対に守らなければいけない用事ではないけど……昨日、妹と話したこともあって、気になってしまう。 なので今日はあいつと話をしたいのだ。
「へえ……裕哉でも用事が入ってることってあるんだな」
「お前本当に殴るぞ……」
そう言ったところで、蒼汰の頭に教科書が叩きつけられる。 ちなみに俺がやったのではない。
「ちょっと北沢、なにあたしの席に座ってんの。 邪魔だからどけゴミ」
だから言ったのに。 いや言ってはいないか、思っただけだ。
「……いてて。 これはこれはクイーン田野村様。 申し訳ありません」
言って、ヘラヘラと謝る蒼汰。 今こいつが言った田野村というのは、俺の前に座る女子のこと。 名前は田野村早織。 高圧的な態度と口の悪さ、そして切れ目で常に人を睨んでいるような顔付きから、クイーンと裏で呼ばれている女子だ。 ちなみに裏でのあだ名なので表立って言う奴は滅多にいない。 それは何故か。
「は? 死ねお前」
田野村は言い、蒼汰の足元を蹴る。 そして結果、蒼汰は見事にその場でバランスを崩す。
「うおっ! あ、あぶなっ!!」
うーむ、見事なバランス感覚だ。 あの態勢から持ち直せるとは。 将来有望だなぁ。
と思う俺と、驚いた顔をしている蒼汰。 そして、そんな蒼汰を睨みつける田野村だ。
分かってもらえただろうか。 この田野村という奴は、酷く暴力的なのだ。 その噂は結構広まっているし、俺もこうして目の前でそれを見ることだって何度もある。 止めた方が良いんだろうけど……そこまでして、蒼汰を助ける義理もないしな。 厄介事には関わらない方が無難無難。
「……んで、八乙女」
……おいおい、次は俺かよ。 マジか。
「なんだ?」
内心結構びびりながら聞くと、田野村は俺のことも睨みつけるように見て、続ける。
「この席に次座る奴が居たら退かせ。 八乙女の仕事だから」
なんで俺の仕事なんだよ!? 俺はお前の家来か何かか!?
「どうして俺が。 そんなの自分で……」
そこまで言ったところで、俺の机に思いっきり手が叩きつけられる。 あーもう……今日はツイていない日だ。
「何? そんな簡単なこともできないの?」
……こぇえええ!! 田野村さんマジで怖いな!? ガン飛ばさないでくれよほんとに!! こうなったのも全て蒼汰の所為だ! 当の本人は既に知らんぷりで自分の席に着いているけどな!!
「止めなよ」
そして、俺に絡む田野村へ向けて口を開いた命知らずは……花宮。
「あ?」
昼休みで騒がしかった教室も、距離がある二人の会話の所為で一瞬で静まり返る。 ピリピリとした空気ってこういうのを言うんだな。
「八乙女くんの言う通りでしょ。 別に田野村さんの席を八乙女くんが見張らないといけない理由はない。 皆無だね」
「へえ」
どうやら、人目の付くところで関わらないという約束は一方的な物……ってことみたいだな。 けど、呼び方は「裕哉くん」ではなくて「八乙女くん」ってところから考えると、俺と毎日のように公園で会っていることは秘密にしておきたいようにも見える。
しっかし……馬鹿かこいつは。 田野村に理屈なんて物は通用しないんだぞ。 それになんでいきなり田野村に絡むんだよ……自殺行為でしかないってのに。
「大体、自分の席に誰かが座ってたくらいで文句は言わない方が良いんじゃないかな。 その席だって学校側が決めた席ってだけで、田野村さんがお金を払って買った椅子ってわけでも無いでしょ?」
いやその通りだけどな。 それには確かに同意だけど……マズいな、この状況は。
「……」
そして、俺の心配は当たる。 田野村はあろうことか俺の席にあったシャーペンを奪い、それを花宮に向かって思いっきり投げつけた。
シャーペンは面白いような速度で花宮目掛け飛んでいき、予想していなかった出来事の所為か、それに花宮は反応できずに。
それは勢い良く、花宮の顔へと当たったのだ。
「あんたやっぱりウザいわ。 ちょっと黙ってろ」
顔を抑えてうずくまる花宮と、そんな花宮へ向けて暴言を浴びせる田野村。 騒然とした教室で、誰も動けずにことの成り行きを見ているしかできなかった。
無論、俺もそんな中の一人。 花宮のことは助けたいとは思う。 けれど、それをすれば余計に厄介なことになるのは目に見えている。 だから、俺はそれを見ているだけだった。
「おい! お前ら何をしている!!」
そうやって教師が飛び込んでくるまでの間、誰もうずくまった花宮に暴言を吐き続ける田野村を止めることができなかったのだ。




