昔話【1】
人には誰しも、知られたくない物がある。
例えば、葉山歌音の捻くれた性格のように。
例えば、天羽羽美が抱えていた病気のことだったり。
例えば、誰かが誰かを好きな気持ちだったり。
例えば、誰かが誰かを嫌いな気持ちだったり。
それは誰しもが持っている物で、持っていない人なんてのはきっと居ない。 生まれたばかりの子供なら、分からないけど。
だが、神宮葉月の場合はどうだろう? 俺の大切な、彼女の場合。
思えば俺は未だに知らない。 葉月が人に表情を見せなくなった理由を。 もしかすると、葉月の場合はそれがそうなのかもしれない。
いずれ、俺はその問題と対峙しなければならないだろう。 そんな予感はなんとなく、している。 けど、同時にそれが怖くもあった。 怯えているといっても良い。
それは問題に対峙することが、では無い。 それ自体はもう、この高校一年生で十分に鍛えられているからな。 葉山や天羽や葉月によって。
俺が怖いと思うのは、怯えているのは、その問題を乗り越えたその後のことだ。
もしも、葉月が抱えているであろうその問題をクリアした後に、葉月が何も変わらなかったら?
もしも、それをすることで葉月が逆に悩むことになったら?
もしも、その結果が予期せぬ物になってしまったら?
誰かを助けるということは、同時に誰かを傷付けることにもなる。 誰かを助けられなかったら、助けようとした人も傷付くことになる。
今から話すのは、そんな昔の俺の話。 俺が中学生の時に出会った一人の少女の話だ。
彼女の名前は花宮鏡花。 大人しく、口数が少なく、お淑やか。 漫画などで良く見るお嬢様といった感じの、静かな静かな少女だった。
俺がもし、知られたくない物は? と聞かれれば真っ先に答えるのは、この話だろう。
約束を守れなかった、少女を守ってあげることが出来なかった。 そんな、くだらない話だ。
「にぃにー。 中間テストどうだったー?」
「……お前、確実に俺を馬鹿にする為に聞いているだろ、それ」
中学二年生の6月。 中旬に差し掛かった今日この頃は中間試験真っ盛り。 妹の桜夜とは一個しか離れていないので、こうやってニタニタ嫌味ったらしく聞かれそうだとは思っていたが、マジで聞いてくるとは。 兄をもう少し慕え。
「良いじゃん良いじゃん。 それでどうだったの?」
「……」
無言で手に持っていた紙を差し出す。 ちなみに教科は数学。 俺が一番苦手な教科。
「うわ! すごっ! 一桁ってマジで初めて見た!! 感動物だよこれ!!」
「返せッ!!」
全く嬉しくない感想を述べる妹の手からテスト用紙を奪い取り、俺は素早くそれを鞄の中へと押しこむ。 母さんにバレたらぶっちゃけ終わるからな、これ。 最重要機密事項だ。
「えへへ~。 にぃに、それはさすがにヤバイでしょー」
ニタニタと依然、桜夜は笑いながら俺に自身のテスト用紙を見せる。 そこに書かれているのは97点という高得点。 心底厄介でウザい妹だな……こいつ。
「うるさい黙れ。 桜夜、言っとくけど俺の得意科目は他にあるんだよ。 というかな、数学とかぶっちゃけいらないから」
定番の言い訳をして、俺はさっさとリビングから離れる為に立ち上がる。 これ以上ここで桜夜と話していても、ろくなことが起きそうにないとの判断だ。
「頑張れにぃに! 負けるなにぃに!」
「……お前本当に、そんなことばかり言ってたらもう一緒に登下校しないからな」
「う……」
こういう時の必殺技。 これを言えば大体は一発で桜夜は黙る。 最終手段でもある。 兄として情けないとは自分でも思っているから、問題無し。
そして固まる桜夜を一度目で見やり、俺はそのまま自室へと入っていった。
「とは言っても……ヤバイよなぁ、これ」
元より、勉強は苦手。 そもそも苦手な人の方が多いだろう。 どうにも頭に入ってこなくなったのは、いつだったっけか。 確かあれは小学校の分数だったような……。
止めよう。 悲しすぎる事実だ。
他にもっと、面白そうなことでも考えるとするか。 えーっと、最近は何かあったっけか。
……あー、そう言えばなんか、一人転校生が来ていたっけ。 何だか大人しすぎる人。 名前は確か……花宮鏡花、だったか。
別にその人がどうだってわけじゃないが、その人に関連してあまり良くない話がある。 なんでも、花宮という少女の家は閉鎖的すぎるらしい。
いつ言っても家の電気は付いておらず、誰かが訪ねても常に居留守。 近所付き合いも皆無で、その一人娘である少女は夜な夜な町を徘徊しているとか、なんとか。
まぁ、ただの噂程度の話だが。
「……どうでも良いな」
どうせ、俺とは関わりのない話だ。 生きる上でのボーっとしながらボーっと過ごす日常は変わらない。 そうやってなんとなーく生きて、なんとなーく死ねればそれで良い。 人生無難が一番良い。
そして毎日の日課である、ベッドの上に座って窓の外を眺める状態になる俺。 しかし今日に限って、そんな日課を邪魔する存在が。
「……蒼汰か」
北沢蒼汰。 中学一年の時に知り合ってから、案外気が合うこともあり、良く一緒に居る友達。
『よ。 裕哉、暇か?』
「この上無く忙しい」
『暇ってことか。 丁度中間テストも終わったしさ、遊ぼうぜ』
……うーむ、どうした物か。 確かに、妹からからかわれ、気分は若干落ち込んでいるから魅力的な誘いでもある。 それに家に居たら、いつ帰ってくるか分からない母さんに会う時間が多少早まるだろうし……あの数学のテストはさすがに、もっと母さんの機嫌が良い時に提出したいから。
「あー、分かったよ。 今から?」
『おう、もちろん』
こうして俺は、家から逃げるために蒼汰と遊ぶことにしたのだった。
「あいつほんっと、人を誘っておいてドタキャンとか今度会ったら殴った方が良いのかな……」
待ち合わせ場所は近所にある公園。 蒼汰と遊ぶ時は決まってこの公園というのが俺達の常識でもあったのだが、その公園に着いてすぐに蒼汰から「わり! テストのことが親にバレて家出れないわ!」との連絡あり。 あいつもあいつでかなり成績が悪かったから、バレたら俺も同じようになるのかな。
しっかし、どうした物か。 さすがに今からのこのこと家へ帰る気分では無いし、かと言って一人ではすることも何もない。 こんなことなら、家でずっとゴロゴロとしていた方が良かったな……。
「ん?」
そんな暇を持て余し、何をしようかと頭を悩ませていた時だった。
この公園にはなんでも「幽霊が出る」との妙な噂がある所為で、昼間でも滅多に人が来ないのだが……いつの間にか、もしかしたら元々そこに居たのか、ブランコに座る一人の少女が居た。
……まさか、本当に幽霊か? ホラーは好きだけど、苦手なのに。 映像で見る分には良いけど、実際に体験したいとは思わないぞ。
「あれ、八乙女裕哉くん?」
そして、いつの間にか居た少女は何故か俺の名前を知っている。 ということは、どこかで知り合っている人か……まさかの本物幽霊パターンか、どちらかか。
「あっと……すいません」
俺が困惑しながら言うと、少女は口を手で覆い、笑う。 笑うというよりかは微笑むと言った方が近いだろう。 そんな笑みだった。
「ふふ、ごめんね。 わたし、この前あなたのクラスに転校してきたんだけど……覚えてないかな?」
俺のクラスに? クラスってのは、学校のあれだよな? それで転校って言うと……。
「あ! ああ思い出した! 花宮……さん、だっけ?」
「お。 良かった、覚えていてくれたんだ。 そう、大正解!」
今度はにっこり笑い、花宮は言う。 様々な笑顔をする人だなぁ、なんて思った。 妹の桜夜とは違うタイプの人間だろう。 あいつは良くも悪くも、どんな時でも裏がありそうな笑顔だからな。 そして実際に裏があるという。
「良かった。 わたしって影が薄いから、すぐに名前忘れられちゃうんだよねー。 だから八乙女くんみたいに、覚えていてくれる人はレアなんだ」
「はは……そうは言っても、俺だって忘れかけてたよ」
言ってから、結構失礼なことを言っていることに気付く。 しかし、そんな失礼な発言にも花宮はやはり、笑う。
「ふふふ。 八乙女くんって、面白いんだね。 裕哉くんって呼んでも良いかな?」
「へ? あ、ああ……別に良いけど」
「よっし、それじゃあ裕哉くんね。 あ、裕哉くんはわたしのこと、なんて呼ぶ?」
ううむ、どうしよう。 というかいきなりそんなことを言われても言葉に困るな……。 呼び方、か。
「無難に、花宮って呼び捨てで良いなら」
「ふーん、そこはなんか、面白いあだ名が欲しかったなぁ」
無茶を言う人だな……。 俺にはそんな、咄嗟にあだ名を思い付くほどの頭脳なんて無いぞ。
「わたし、苗字が花宮でしょ? それで、名前は鏡花だから……ハナハナとかどうかなって思うんだけど」
「なんか間抜けだな、それ」
「……酷いツッコミだなぁ」
いや、俺もそう思う。 けど反射的に言ってしまったのだから仕方無い。 もう癖みたいな物だしなこれ。
「なら、無難に花宮で。 それで良いだろ?」
「うん。 まぁ納得しておくよ。 それで裕哉くんはどうしてこんな幽霊公園に居るの?」
どうやら、転校してきたばかりの花宮でさえ、この公園の噂は知っているらしい。 そんなに有名だったのか、この公園。
「俺は……まぁ、あれだ。 友達と約束してたんだけど、ドタキャンされちゃって」
俺が言うと、花宮は目を細める。 そしてこう言った。
「……裕哉くんってもしかして、いじめられっ子?」
「もしかしなくても違うッ!!」
それだけでいじめられっ子認定をするなと俺は言いたい。 どれだけ人を疑っているんだこいつ。
それよりもしかして、俺はそんなオーラを出しているのか? 嫌だなそれ。
「なーんだ、違うんだ。 仲間だと思ったのに」
「仲間?」
「いーや、何でもないよ」
その発言が多少気になったものの、それ以上踏み込んではいけない気がしてしまい、聞くことができなかった。
そして、その意味に気付くのはもう少し後の話である。




