私が想う日々【5】
「こんにちは、葉月さん」
お祭りの日から数日が経ち、私は裕哉の妹である桜夜と、当初の約束通りに待ち合わせをしていた。
場所は川沿いの土手で、時刻は夕方。 未だに気温は高く、蒸し暑い。 今日は念入りに虫除けスプレーをかけてきたので、悪魔たちの攻撃は多分大丈夫だと思う。
「塾は?」
ニコニコと笑いながら、背中で手を組み私に挨拶する桜夜に向けて、そう返した。 裕哉がこの場に居たら「まずは挨拶をしろよ」とツッコミを入れてきているだろう。 居なくて良かった。
桜夜は前に会った時……確か、塾帰りで夜遅かった気がする。 なので念の為、確認。
「今日は大丈夫ですよ。 なーんにも、予定は無しです!」
大袈裟に手を広げて、桜夜は言う。 考えてみればそうか、待ち合わせということは予定が空いている日を選んでいるのだから、予定が何も入っていないのは当然だ。 不覚なり。
「暇人同士」
言いながら、私は桜夜のすぐ横に腰を降ろした。 それを見て、桜夜も私の横に座る。 近くも無く遠くも無い、居心地の良い距離。 小耳に挟んだ話なのだが、人類の中には「人との距離の掴み方」が物凄く上手い人が居るらしい。 恐らく桜夜は、その分類になる。 少なくとも私は、今の桜夜とのこの距離感がえらく気に入っている。
……二人並んで川沿いで、座って話すこの感じ。 青春である。
残念なのが、その相手が友達の妹というポジションの人物。 いやでも、これもこれでありかもしれない。 ここから始まる禁断の恋。
「それで、どうですか?」
「私にそういう趣味は無い」
「へ?」
あれ。 ああ、そうだ。 話が絡まってしまっていた。 今、桜夜と私が会っているのは「この前のお祭りの感想」だった。
「間違えた」
「えっと……はぁ」
そんな、聞いているこっちが悲しくなる返事をしないで欲しい。 間違えただけなんだから。 裕哉はいつも、この格上と思われる妹と対峙しているというのか。
「どう、というのは」
横から降り注ぐなんとも言えない視線に耐え切れず、私は話を戻す。 桜夜が今日、私に聞きたいという本題だ。
「あ、はい! にぃにと何か、進展あったのかなぁ……とか。 えへへ」
「進展」
桜夜が言った言葉を自分で言い直し、思考。
「……あった」
「お! ほんとですか!?」
私の顔とくっつきそうな程に顔を近づけ、桜夜は言う。 そんな桜夜から若干身を引きつつ、私は続ける。 さっきのは訂正だ。 何か興味があることに関しては、距離感の掴み方が物凄く下手だ、こいつ。
「裕哉の、昔の話を聞いた」
「……昔の?」
桜夜はそれを聞くと、怪訝な顔付きになる。 ということは、知っているのか。 桜夜も、裕哉の中学の時の話を。
……考えてみれば、それは当然かもしれないけれど。
「……そっか、にぃに話したんだ。 葉月さんに」
独り言のように桜夜は言い、立ち上がる。 そしてそのまま私の前へ来ると、顔を真っ直ぐに見て言った。
「葉月さん、にぃにのこと嫌いになりました?」
……どうだろう。
元より、あんな人のことは好きじゃないし。 大体、あっちの方から私に寄ってくるだけだし。 私は本当に嫌だって言っているのに、毎回毎回私のとこに来るだけだし。 私も迷惑してるし。
とまぁ、ふざけるのは頭の中だけにしよう。 私にツンデレは無理みたい。
「ならない」
そう。 なるわけが無い。 だって、そもそも昔の話じゃないか。 裕哉がどれ程昔にしたことを後悔していたとしても、私が見ているのは今の裕哉だ。 だから、今の裕哉を見ての私の答えは。
「裕哉とは、友達」
私の言葉に、桜夜は笑う。 そして再び私の隣に腰を掛けて、続けた。
「葉月さんはどう思いました? その話を聞いて」
「仕方無いとしか、言えない。 なるようになった、とも言えるかも」
「……うひぃー、葉月さんって、結構冷たいんですね」
言われて、ムッとする。 ただ私は、裕哉がした話の感想を言っただけなのに。 少なくとも、経緯と結果だけを見れば、私が先程言ったような答えになるのは確実ではないか。
それは感情を表に出さない私に限らず、他の人でもという意味で。 表面上は今言った言葉とは違うこと……もっと、感情を込めた言葉を言うかもしれない。 けれど、腹の中では今の言葉と同じことを思うのでは無いだろうか。
「でも、そうですよね。 仕方無いんですよ」
桜夜は私の心を読んだのか、或いは自身もそう思っているのか、遠くを見ながら言う。
「にぃににも、落ち度はあったかもしれません。 けど、仕方無いんですよ。 花宮さんが悪いわけでも、にぃにが悪いわけでも無いんです」
花宮。
花宮……鏡花。
私があの日、裕哉から聞いた中学生時代の友達。 大人しく、いつも本を読んでいて、物腰が柔らかくて、お淑やかで。
そんな、お嬢様みたいな人だったらしい。
そして、そしてだ。
「引っ越した理由も、にぃにに何も言わないで行ってしまったのも、仕方無いことだったんです」
「……うん」
裕哉は、その花宮という人と、ある約束をしていた。 だけれど、その約束が果たされることは無かった。
昔の話だ。 今の裕哉には、もう忘れても良いことだと思うのに。 裕哉は今でもそれを引き摺っている。
「葉月さんは、どこまで聞きました? にぃにから」
「花宮という人が転校してきて、色々あって裕哉と仲が良かったこと」
「……それと、花宮が」
いじめられていたこと。
そこまで聞いて、そこまでであの日、私は聞くのを止めた。
大体の予想が付いてしまったというのもある。 詳しく聞いて、私に何が出来るのかと思ったのもある。
けれど何より、辛そうな顔をする裕哉を見て、私はそれ以上聞くことが出来なかった。 私が裕哉にして欲しいことは、そんな顔では無いと思って。
そんな顔をさせたくて、私は話を振ったわけじゃない。 だから、止めたのだ。
「そうですか。 まぁでも、昔のことです。 あの人もきっと遠くで、幸せにしていますよ」
「どうだろう」
そういうのは嫌いだ。 居なくなった人がどうなったかなんて、私たちには分からない。 それを勝手に決め付けるのは嫌だ。
もしも転校する前よりも不幸になっていたとしたら、私たちはとてつもなく、酷いことを話しているのだから。 気軽には言えない。
「……葉月さんって、結構現実主義者ですよねぇ」
「かもしれない」
それもそうだ。 私は嫌という程、現実を知っている。 裕哉にそんな昔があったように、私にだって色々とある。 夢を見るのを止めたのは、もう何年も前のこと。
それに確定的に影響を与えてきたのが、両親の件だ。 私の母と父、彼らが私に与えた影響は、その程度。
「桜夜」
「はい、どうかしましたか?」
ゆっくりと沈んでいく太陽を見ながら、私は話す。 話す、というのとは少し違うか。 正確に言えば尋ねる、だ。
ひとつの質問。 裕哉には出来ないひとつの希望的質問。
「桜夜にとって、両親って?」
「む、両親ですか」
腕を組み、桜夜は一度唸って考え込む。 そこまで考える程のことだったのだろうか?
そしてそれを数十秒続けた後、桜夜は言う。
「厄介。 が一番近いかもしれません。 塾には通わせるし、お小遣いは少ないし……朝は叩き起こしてくるし!」
「でも、うちの両親って結構放任主義ですからねぇ。 それでもあれだって考えると、一人暮らしとか憧れますよね」
桜夜は知らない。 私の両親が常に出張と言う名の旅行に出ていることに。 いや、旅行というのは私しか知らない事情だから、少し違うけれど。 とにかく、私の両親がいないということを知らないのだ。 その辺りは裕哉が上手く、家族たちには隠しているらしい。 なので私は割りと、裕哉の家で夕飯を共にすることが多々あるのだ。 裕哉の母が作る料理は、とても美味しくて私は大好きだったりもする。
だからこそ、私は桜夜に聞いた。 もしも裕哉にでも聞いていたら、変な心配を掛けてしまいそうな台詞だと思ったので。 多少なり、私を心配しているであろう裕哉には出来ない質問だった。
「そう」
私は少し、それを羨ましく思う。 厄介とか、面倒とか、うるさいとか、ウザいとか、放っておいてくれだとか。
ただの一度も、思ったことは無かったから。
「葉月さんはどうなんですか? お父さんとお母さん」
……桜夜はどうやら、お父さんっ子だと思われる。 普通なら先に「お母さん」の方が出そうな物なのに、先に父親の方が出てきたということはそういうことだろう。
と、無駄な考えはここまでにして、桜夜の言葉の意味を咀嚼。
私にとっての、母と父。
邪魔……違う。
嫉妬……違う。
面倒……違う。
うるさい……これも違う。
ならば、寂しい……違う。
恐怖……違う。
怒り……これでも無い。
マイナスな感情では駄目だ。 さっきも思ったように、私はそういうことを一度も思ったことが無いから。 だからプラスの方向で考えよう。
優しい……違う。
暖かい……違う。
好き……好きは好きだが、違う気がする。
感謝……違う。
憧憬……これも違う。
……あれ?
「葉月さん?」
ぼーっとする私に、桜夜は心配そうな顔付きで話し掛ける。 返答が無いのを怪しがられでもしただろうか。
「……うん」
結局、私は桜夜のその質問に答えることが出来なかった。
私にとっての両親。
――――――――――彼らは一体、私の何だ?
そんな話を桜夜としたのも、今から数ヶ月も前の話。
あれからは、特に変わったことも無く私は私で過ごしている。
ああ、違う。 変わったことならひとつだけあった。
「ちょっと早いけど、誕生日プレゼント。 前にクリスマスが誕生日だって言ってただろ?」
私に、とても大切な人が出来たこと。
彼は照れ臭そうに言いながら、私に包装紙に包まれたそれを手渡す。 綺麗な包装紙。
もうそれだけで、充分だった。 それだけで私にはもう、一生分の幸せにも感じられた。 これ程嬉しいことがあるだろうか? これ程、幸せなことがあるだろうか?
そのプレゼントを私は開ける。 例えどんな物でも嬉しい。 けれどやっぱり、貰った以上は何をくれたのが気になって、恥ずかしがる裕哉の言葉を無視して私は包装を綺麗に剥ぎ取った。
「……」
出てきたのは、ブリザードフラワーが入った写真立て。 この花は確か……ヘリオトロープ、だったっけ。
「葉月?」
何も言えない私を不審がったのか、裕哉は言う。 何か言わないと、何か。
……無理。 無理だ。 というか、顔を見ることがまず無理だ。
そう思い、私は裕哉に背中を向ける。 そのプレゼントを抱き締めて。
「いつもありがとうな、葉月」
こちらこそ。
それすら言えない。 今裕哉を見てしまったら、絶対顔に出てしまう。 見なくても既に出てしまっている。 恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。
静まれ静まれ。 無理無理無理。 どうしよう? ニヤけてしまう。 こんな顔、絶対に見られたくない。 今、確実に私は変な顔をしていると思う。 いや本当に。
この人は本当に、気が利きすぎる。 そんな風にプレゼントを渡して、そんな風に優しい声でお礼を言って、一体私をどうするつもりだ!?
それにそもそもの話、裕哉はこのプレゼントの意味を理解しているのか? いや絶対してない。 間違いなくしてない。 知っていたら、多分裕哉は私にこれをプレゼントすることは出来なかっただろうから。
だとすると……葉山と天羽。 あの二人に、裕哉は恐らく相談したのだ。 私にあげるプレゼントを。 それで私も私で相談していたから……なんだか余計に恥ずかしくなってきた。
と言うか、まずヘリオトロープって。 さすがにマズイって。 裕哉には是非とも、今すぐにその花言葉を調べて頂きたい。
……はぁ。
思い出すのはあの時。 私が裕哉に告白された、あの日のこと。
あの時は不覚にも裕哉に笑顔を見せてしまった。 条件反射というか、本当に思わず笑ってしまったのだ。 それ程に嬉しかったし。 でも一回切りと決めたのだ。 なのにこの男は本当に……。
……落ち着け。 落ち着け私。 まだ私は今日果たすべきことを果たしていない。 その為にもとりあえず、この緩みきってしまった顔をどうにかせねば。
いち、に、いち、に。 よし、大丈夫か? 大丈夫、大丈夫。 私は至って平常。 今日も天気は快晴だ。
そして振り向く。
「実はさ、もう一個あるんだ。 って言っても、これは別に俺が何かしたってわけじゃないんだけど」
は!? 待て、ストップ。 不意打ちにもほどがある。 折角落ち着いたというのに、この男はこれ以上何をする気だ。 一体、私をどうするつもりだ。 もう既にボーっとしてきているというのに、これ以上の策をこの男は用意しているというのか。 なんて奴。
裕哉はジェスチャー。 どうやら下を見ろとのことらしい。
見てたまるか、そんな見え見えの策にまんまと嵌められる程、私は愚直では無い。 残念だったな八乙女裕哉。
「……私、やっぱり裕哉のことが好き」
見てしまった。 言われるがままに顔が動いてしまった。 どうやらもう、私の体は自由意志を奪われてしまったらしい。 酷いことをする人。 本当に本当に。
それからのことはあまり覚えていない。 いや、覚えてはいる。 忘れるわけがない。 けれど、何だか夢の様な時間で……私が私では無いみたいで、不思議な時間だった。
私は本当に、この人のことが好きなんだ。 今まで感じたどんな感情よりもハッキリとしていて、熱くて、宙に浮かんでしまうようなこの気持ち。
アニメを見るよりも、私は裕哉を見ていた方が幸せなんだ。 そんな馬鹿みたいなことを私は、真剣に思っていた。
いつか、私のこの溢れて溢れてどうしようも無いくらいの感情を伝えられる日が来ると、願って。




