私が想う日々【3】
思い出。
私の、思い出たち。
それは時に光って、時に胸を締め付ける。 私が想うのは、そんな大切な思い出たちのひとつ。
陽射しは強く、気温は高い。 そんなひと夏の思い出を語ろう。 その時に私が何を想って、何を感じたか。 それらは今でも私の心を締め付ける。 思い出す度に、楽しかったという感情と一緒にそんなことを思うのだ。
始まりは例の如く、私のひと言からだった。
「裕哉、命令」
「待て。 ちょっと待て……。 あれ、俺がおかしいのか? たった今、本当に数秒前までアニメの話をしてたと思うんだけど、なんで俺って命令されてんの?」
場所は私の部屋。 裕哉と私は今、アニメを見終えてその感想を言い合っていたところ。 しかし、唐突に私はあることを思い出した。 アニメでもそういう描写があったから……というのが、大きかったけれど。
裕哉は腕で顔を覆い、私のベッドに倒れ込む。 当初は気にしていた素振りもあったが、今では随分と自分の部屋のように使うから困る。 そこで私は毎日寝ているのに。
「命令」
「……あーもういいや。 何だよ?」
顔だけ私の方へ動かし、言う裕哉。
二、三回程繰り返せば、大体は裕哉の方が折れてくれる。 たまに強情に内容を聞いてこない時もあるけれど、そういう場合は脛蹴り。 嘘、そんないきなり暴力は振るわない。 私が裕哉に危害を加えるのは、表情が出そうになった時だけ。 多分。
「お祭りに行きたい」
それだ。 私がアニメを見て、お祭りを楽しむキャラクター達を見て思ったこと。 アニメを見て山に行きたくなることもあれば、川に行きたくなることもあるし、海に行きたくなることもある。 そんな物だろう。
「祭り? って、この前の旅行で行ったじゃん。 そんなしょっちゅう行ったら感動が薄れると思う……うおっ!?」
チッ。 避けられた。 私の華麗なかかと落としが。
私の小さなかかとは裕哉の顔に向けて落とされたのだが、裕哉は見事な反射神経を発揮してそれをベッドの上を転がることで回避。 中々やりおる。
「あ」
そして、神様は見ていた。 ついでに言うと、私のベッドの弾力性を舐めていた。 かかとは見事に跳ね返り、その反動で私はバランスを崩す。 結果。
鈍い音と共に、頭に鈍痛。
「ははは! 罰が当たったな、葉月」
「……うるさい黙れ」
「一々反応怖いな……」
痛い痛い痛い痛い痛い。 泣きそうだ。 頑張れ葉月、堪えるんだ。
「ったく」
口では嫌々そう言いつつも、裕哉は私に手を伸ばす。
私はそれを黙って、掴む。 引き起こされて、そのまま再びベッドの上へ並んで座った。
「んで、祭りだっけ? 行きたいのか?」
「うん。 まだ楽しみきってない」
「……まあ、あの時は色々あったからなぁ」
裕哉が言う色々とは、天羽のことだろう。 あの人は、とてもとても大事なことを隠していたのだ。 けれど、私には分かる。
あの人は、私達のことを想って隠していたんだ。 だからその天羽が持っていた感情自体には、特に何も嫌な感じは受けていない。 私の周りには、そういう綺麗な感情を持った人が多い。
裕哉は勿論のこと、今言った天羽だって。 それに葉山も、性格はアレだけど良い人だ。 私のことを気にかけて声を掛けてくれることもあるし、喧嘩はするけれど……それでも葉山が持っている感情は、綺麗な物だ。
「じゃ、そうだな。 行くか、祭り」
「ほんと?」
「嘘吐いてどうするんだよ。 まだ夏休みも終わってないし、もうすぐ学校始まるしさ。 学園祭が始まると遊べる時間も減るだろうから。 葉月が行きたいって言うなら、行こう」
「分かった。 行く」
言い、私は立ち上がる。
「いや外雨降ってるからな。 今日じゃないぞ」
それもそうだ。 私は座る。
「あ、でも夕方には上がるって言ってたから……」
それを聞き、私は再度立ち上がる。
「でも夜まで続くって言ってた気もするんだよな」
……私は座る。
「けど傘差せば行けないことも無いか?」
今度は立ち上がらず、裕哉の脛を蹴り飛ばした。 私で遊ぶな。
「素足だとまだ痛くなくて助かるな。 悪かった悪かった」
「許さない」
「そこをなんとか」
「末代まで呪う」
「やっぱ怖いな葉月さん……」
実を言うと、私は裕哉に一つ感謝をしている。
裕哉はいつもさり気なく、言わないようにしていること。 裕哉を初めて家へと上げた日の、帰り際に話した時のことだ。
その時に私は裕哉に、葉月と名前で呼んでくれ、とのことを伝えたんだ。 それ以来、裕哉は殆ど私に対して「お前」と言わなくなった。 私的には別に、どちらでも良いと言えば良いのだけれど。
それでもやっぱり、そういう些細なことを気にしてくれているのは嬉しかったりする。 だから、感謝。
「なんか、不思議だよなぁ」
「何が?」
突然に横でそんなことを言うから、私は何事かと思い尋ねる。 年寄りの会話みたいだなと思いつつ。
「いや、前まで面白いことって、本当になーんも無かったんだよ。 高校もそういう風に過ごして終わるんだろうなって」
「私も一緒」
一緒。 高校でも、中学の殆どを一人で過ごしたように終わると思っていた。 一人でご飯を食べて、一人でアニメを見て、一人で学校に行って。
「葉月といるとさ、本当に楽しいんだよ。 命令ーってのはたまにおいって思うけどな。 でも何だかんだ言って、楽しいよ」
この人は、何を急に言っているのだろうか。 楽しいのは分かるけれど、そんな告白ちっくに言われても。
「それなら良い」
「おう」
目を瞑る。 この数ヶ月は、私にとって一瞬で過ぎ去ってしまった日々。 楽しいことはあっという間に終わるとの言葉を身をもって知った日々。
今まで、一人だったというのもあったかもしれない。 家族も友達も、私には居て居ないような物だったから。
「じゃ、今日のところは帰るよ。 祭りどこでやるか調べておくからさ、明日にでも話そう」
「うん。 分かった」
そして、裕哉は秘密の通路の前へと行く。 人がギリギリ通れるくらいの小さい通路。
「裕哉」
「ん? どうした?」
「また明日」
「改めて言うことかそれ。 ま、良いけど。 また明日」
裕哉は笑って私に向けて手を上げ挨拶し、部屋へと戻る。 私もつい笑ってしまいそうになったが、なんとか無表情を貫いて。
部屋には私だけが残された。 でも、今日はそこまで寂しくは無い。 どうしてだろう。
……寂しくは、無い。 本当にそれはそうなのだ。 でも、どうにも心が落ち着かない。 なんだか、そわそわとしてしまう。
胸の辺りを突かれているような、まるで心をわし掴みにされているような、そしてどうしてか、体が少しだけ熱を持っている気がする。
「……風邪?」
では無いと思う。 頭痛も無ければ、喉が痛むとかも無い。 体がだるいということも無い。 ただ、なんだか熱いだけ。
困った。 とりあえず寝よう。 まだ外は少しだけ明るいけれど、こう暑くてはアニメを見る気分にもならない。 お昼寝……かは定かでは無いが、とりあえず一旦おやすみ。
目が覚めた。 時計を見ると、午後十時。 見事に寝過ぎたようだ。
そして不思議なことに、体に熱を未だに感じる。 何か、夢を見ていたような気がするからそれの所為かもしれない。 でも悪い夢では無かったと思う。
さて、どうしようか。
外を見ると、雨は無事に上がっている。 なら、そうだ。 少し散歩でもしよう。
そう結論を出し、私は静かに家を出た。
夏の夜は、いい香りがする。 私が密かに昔から思っていること。 夜風は涼しいし、虫が鳴く音も好き。 ただ、蚊は苦手。 あれは夏の悪魔。
なので、虫除けスプレーは完璧。 出る前にしっかりと掛けておいた。 けれど、既にアキレス腱の辺りを刺されている。 悲しい。
「……飲み物」
そう言えば、冷蔵庫にはもう飲み物が殆ど無かったと思う。 買おう買おうと思って、ついつい忘れてしまう。
いつも買うのは、無糖の紅茶。 甘い物は好きだけど、紅茶だけは無糖が良い。 ちなみにレモンティーとミルクティーは甘いのが好き。 裕哉はその辺りの好みを分かっていてくれて、朝はレモンティーとミルクティーを交互に作ってくれる。
この時間だと、さすがにコンビニくらいでしか買えない。 なので、私は近所にあるコンビニへと向かって歩く。 もしも裕哉に見られたら、女子が夜遅くに一人で出歩くなと怒られるだろう。 まるで保護者みたいな友達。
だから私は反抗期。 そんな裕哉の意思に反抗する反抗期。 ちょっと楽しい。
そして、コンビニへと到着。
まず向かうのは、雑誌コーナー。 もしも私では無く葉山なら、ファッション誌を読む場面だと思う。 でも、私が読むのはアニメ雑誌。 色々なことが書いてあるから結構好き。 デジタル情報も便利だけれど、アナログ情報もやっぱり捨てがたい。
目に入ってきたのは、今期のアニメ特集。 私が最初に目を付けていたアニメがでかでかと紹介されていて、ちょっとした優越感に浸れる。 このアニメは私が一番最初に目を付けたんだ! という感じ。 実際にはもっと早く目を付けていた人が居ると思うけど。
「可愛い」
アニメのキャラクターは、本当に可愛い。 綺麗に笑うし、綺麗に泣く。 そんな彼らや彼女たちが私は好き。 私に出来ないことを一生懸命にやる、その姿が好き。
だから私は、日常系のアニメが大好きなんだ。
周りから見たら、それは悲しいし虚しいことだと言われるかもしれない。 でも仕方無い。 好きになってしまった物は、どうしようもないから。 私が好きな物は、私が決める。 それくらいは自己主張をしよう。
「……」
私たちの中で、一番アニメのキャラクターっぽい人はきっと葉山。 天羽もそれなりにはだけれど……やっぱり一番素質があるのは葉山。 あんな二重人格キャラクターは、見ていて結構面白くて好き。
勿論、そういう意味で言えば天羽のことも好き。 あの人は本当に、どんな時でも綺麗に笑う。 防波堤で見た涙も、本当に綺麗だった。 二人とも、私には無い物をしっかりと持っているんだ。
裕哉は……なんだろう。 その二人とは、何だか違う気がする。 裕哉自身がでは無くて、私が三人に感じている感情。 それが葉山と天羽の場合と、裕哉の場合では何故か、少し違う気がする。
何かは分からないけれど、とにかく違う。 そういう感じ。 一番初めに、私の趣味や性格を理解してくれたから……だろうか。
「あれ? 葉月さん?」
後ろから声を掛けられる。 私のことを名前で呼ぶ人、そしてこの場所で会うことがある人。 分かった。
「桜夜」
裕哉の妹、八乙女桜夜。 裕哉は生意気な妹と良く言っているが、結構良い子。 裕哉の家に行く機会が増えたのと同時に、私はそれなりに仲良くなっていた。
そして裕哉のことは「にぃに」と呼んで慕っている。 ラブラブ兄妹。 多分アニメが一本出来上がる。
「どうして、こんな時間?」
「あ、実はわたし、塾に通わされてて。 今はその帰りなんです」
なるほど。 それでコンビニに寄ったところで、私に会ったということか。 中学生なのに塾なんて、大変そう。 私はそういうのに通ったことが無い……というか、通おうと思っても通えなかった。 通おうとは思わなかったけれど。
けれど、裕哉は心配していないのだろうか。 妹がこんな時間に外出していると聞けば、裕哉のことだから塾まで迎えに行ってもおかしくは無いはずなのに。
「にぃにならわたしが「来ないで!」って言ってるんです。 だって、兄が迎えに来るとかなんだか恥ずかしく無いですか?」
ふむ。 そう来たか。 嫌、では無くて、恥ずかしい、と来たか。 なるほど。
「ところで、葉月さんは何を?」
「アニメ雑誌を読んでる」
「へぇええ、珍しいですね。 そういう雑誌を読むことがじゃなくて、こんな時間に外に居るなんて」
私の趣味は、桜夜も知るところだ。 桜夜は意外にもバトルアニメが好みで、日常アニメの時は興味が無さそうにしているのに、バトルアニメだと食い入るように見ている。 人それぞれの好みというやつ。
「今日は特別。 部屋が暑かった」
「夏ですしねぇ。 あ、そだ。 そう言えば葉月さん、にぃにとなんか進展ありました?」
進展? とは、何のことだろう。 私と裕哉の主従関係のことか、或いは今現在争っている『購買の太麺焼きそばパンは美味しいか不味いか』の議論だろうか。
「特には」
「……なぁんだ、残念。 けどにぃにって家だといつも葉月さんの話ばっかだからなぁ。 時間の問題かな……?」
独り言のように言う桜夜の言葉が耳に入り、私は問う。 それは少々気になる事案。
「家で?」
「そう! 家では、いつも「葉月がまた命令してきた」とか「葉月がまた宿題サボった」とか「葉月が授業中に寝ている」とか」
なんてこと。 私の悪評がそうやって八乙女家に流されているなんて。 そんな根も葉もない噂は根絶しなければ。 明日、裕哉と話し合おう。
「それと、たまーに素直になるところが可愛いって!」
「……そう」
あの人は大概、そういうのを全く何も思わずに言うから面倒。 そういうのを意識した台詞では無く、自然と出てきた言葉なのだろうから余計に厄介。
それは恐らく、桜夜も知るところだ。 私の何倍も裕哉と一緒に居るのだから、当然。
「葉月さんは、にぃにと一緒にお出かけとかしないんですか? いつも一緒ですけど」
「たまにある。 でも、裕哉だけじゃなくて葉山や天羽も一緒」
「歌音さんも美人ですよねぇ……ちょっと怖いけど。 えへへ」
桜夜は謙虚だ。 絶対にちょっとでは無く、あり得ない程に怖いが正しいだろうに。 私にとっては、ただの性格悪い人だけれど。
「それで、天羽さん……の話も少しは聞いてます。 大変だったみたいですね」
「それなりに」
……私も一緒かもしれない。 それなりでは無く、あれは結構大変だったから。 でも、多分状況は最善となって終わったんだ。 そのくらいは分かるし、実感している。
最高では無く、最善。 その差異は、もっと他に方法があったのでは無いかという思い。 天羽が何かを隠していることに気付いた私が、積極的に何かをしていればそれは最高で終わったかもしれない。
けれど、もう過ぎたこと。 終わったことはあまり考えない主義。
「あ」
一つ思い出した。 そう言えば、裕哉と約束をしていた。
「今度、いつかは分からない。 裕哉とお祭りに行くことになった」
「わお! いいなぁ、そういうのって本当に楽しそうですよねぇ。 わたしも早く連れて行ってくれる人を見つけないと……」
にこにこ笑顔で、桜夜は言う。 最早、血筋というべきなのか。 その桜夜の顔からもやはり、何も感じない。 裕哉と一緒だ。
「一緒に来る?」
「え? いやいや! それは結構です! さすがにそこまでわたしも野暮じゃないです!」
折角誘ったのに、断られてしまった。 きっと裕哉も桜夜が居れば喜ぶと思ったのに。 裕哉は口では文句ばかりだけど、桜夜のことが大好きだから。
「あ、でもでも。 でもですよ? お祭りの感想とか、葉月さんから聞きたいなぁ……とか思ってます。 えへへ」
「それくらいなら良い」
「ほんとですか!? やったぁ! それじゃあ、はい! わたしの携帯番号教えます!」
私が言うと、桜夜は目を輝かせて、飛び跳ねて喜ぶ。 感情表現が豊かな子。
「了解」
こうして、私の携帯には新たに一人の知り合いができた。 友達の妹というポジションの子。 年上の私に対しても特に気後れしている様子は無い。 それが逆に、私にとっては接しやすくもあるのだ。 ある意味では兄である裕哉にそっくりな子。
「それじゃあ、お祭り行った後に絶っ対話して下さいね! 楽しみにしてますからっ!」
「……うん」
何がそこまで楽しみなのかは分からない。 人がお祭りに行った話なんて、聞いてもつまらないだけだろうに。 不思議な子だ……実に不思議だ。 不思議で溢れている。
「それじゃ、わたしは帰りますね。 葉月さんも早く帰った方が良いですよー。 なんだか雲行き怪しいので、一雨降るかもなんで」
それだけ言い残すと、桜夜はコンビニから自宅へと向かっていった。 私はその姿を目で追って、次に視線を空へと向ける。
ガラス越しに加えて夜ということもあり、しっかりとは見えない。 けれど確かに、もう一雨来そうな空色だ。
「……帰ろ」
気付けば、体に感じていた熱っぽさも引いている。 コンビニのひんやりとした空気が効いたのか、それとも桜夜と話したおかげなのかは分からない。
そんなこんなで、私は無糖の紅茶を二本買い、雨が降る前に家へと帰るのだった。




