あたしに課せられた難題の解決方法 【4】
困ったことになった。
その困ったことというのは、ひと言で表してしまえば物凄く簡単で、物凄く単純な物。 けど、そこにあたしや歌音ちゃんの考えが入り混じることで物凄く面倒なことになる。
というか、だね。 普通あたしにそれをさせるか!? だってよだってよ、考えてみよう? あたしはこれでも八乙女くんに振られてからまだひと月程しか経っていない。 あたしはあたしなりに色々と考えて、頑張って前へ進もうとしているのだ。 それは歌音ちゃんに助けられたり、葉月ちゃんに助けられたりして、だけどね。
そんなあたしに歌音ちゃんがつい先程電話で言った言葉。
『あー、良かった起きてた。 明日九時半に八乙女君の家に来てね。 あいつらのデート見学しよ。 んじゃおやすみ』
それだけ言って、あたしが何かを言う前にさっさと切られてしまったのだ。 えぇ……マジで?
普通だったら、事情を知っている歌音ちゃんだったら、あたしを誘う!? いやでもそれが歌音ちゃんらしいといえばそうなのかもしれないけどさ……。 それにしても酷くない!? あたしは確かに気にしてはいないし、葉月ちゃんがしっかりプレゼントを渡せるのかーとか、八乙女くんも八乙女くんでしっかりリード出来るのかーとか、気になるっちゃ気になるよ? でもね、でも普通の神経であたしを誘うのか!?
むぅうううう……。 ん? あれ? あ、でもあたしが気にしていないのなら結局は良いのかな? なんだか難しいことを考えていたら頭が痛くなってきたよ……。
「羽美、まだ起きてたのか」
そう言いながら、あたしの部屋の扉を開けたのはお姉ちゃん。 天羽凜。 ここから少し離れた病院の院長をやっていて、今は毎日その病院と、この家を行き来している。 医者の仕事というだけでも大変そうなのに、それをしっかり毎日こなしているのは素直に尊敬だね。
「お姉ちゃん。 うん、まーちょっとね」
「そっか。 プリン食べるか? コンビニのやつだけど」
「おお! 気が利くねぇ。 食べる食べるっ」
「んじゃ、リビング。 先行ってるよ」
お姉ちゃんはあたしに片手を上げて挨拶すると、部屋から出て行く。 あたしのお姉ちゃんだけど、やっぱ格好良いなぁ……なんて思う。 あたしが「ふにゃっとしている奴」と良く言われるのと正反対に、お姉ちゃんは「しっかりしている」と良く言われている。 それはあたし自身も分かっていることだ。 でも別にそれが嫌というわけじゃない。 だって、姉妹で似たような性格で似たような人格だったら、それこそつまらないじゃん。
そんなお姉ちゃんの後を付いて行き、リビングへ。 お姉ちゃんは既に座っていて、テーブルの上にはプリンとスプーンが置いてある。
あたしはお姉ちゃんの向かいに腰を掛けて、笑ってお姉ちゃんの方を見た。 すると、お姉ちゃんは小さく笑ってこう言った。
「最近、少し様子がおかしいと思ってたけど……もう大丈夫みたいだな」
「……わはは」
うーむ、それには何も言えないよ。 相変わらず鋭いなぁ。 全部のことに気付いてるんじゃないの? この人。
「納得したのか? 羽美の中では」
一瞬ヒヤッとする。 八乙女くんとの間で起こったことは何一つ話していなかったからだ。 けどすぐに、質問の意図は違うことを読み取る。
「うん。 だから大丈夫だよー。 あたしの友達は超頼りになるからさ」
「だろうな。 裕哉も歌音も、友達想いの良い奴らだよ」
「わはは。 でしょ? それに葉月ちゃんもだよ。 あの子もすっごい良い子なんだ。 たまにちょーっと、めんどくさ! って思うこともあるけどね」
でもその「めんどくさ!」って部分がまた可愛いんだよなぁ。 というかまず、サイズが反則だ。 あたしもあのくらいの背丈なら可愛がられたのだろうか……。 いやでもちょっと不便かな? 不便だろうなぁ。
「葉月……あぁ、あの子は、ちょっと違うと思うよ」
「へ?」
てっきり肯定するとばかり思っていたから、素っ頓狂な声が出てしまう。 違う……違う? いやいや、違わなくない? まー確かにお姉ちゃんの前ではその部分が無かったかもしれないけど。
「そんな怖い顔するなって。 まぁ聞いてくれ」
怖い顔をしていたのかあたし……自分では意識していなかった。 あたしはどうやら、珍しくも怒っているのかな? うーん、怒るってこと自体があまりにも無くて、その感情を忘れかけている!! この前の体験学習の時に怒ったのだって、もう随分久しぶりなことだったし。
「あの子さ、なんで笑わないんだ?」
お姉ちゃんはそのまま、あたしの目を真っ直ぐに見てそう言った。
なんで。 考えたことも無かった。 葉月ちゃんは葉月ちゃんで、それ以上でもそれ以下でも無いから。 そういう無表情キャラというのが葉月ちゃんで、だからあたしは特にそんなのは気にしていなくて。
「笑わない……確かにそうだよ。 でも、楽しいとかそういうのはしっかり思ってるよ?」
だから言ってやった。 それはきっと、あたしの友達の悪口を言われた気分になったからだ。 それに葉月ちゃんも心の中では笑っているはずなんだ。
「それだよ。 良いか羽美、表情ってのはその人の心を映し出す物だ。 笑っている時は心の中でも楽しいとか、嬉しいとか、そういうことを思っている。 逆に怒った顔だって、心の中ではその表情に繋がる感情ってのがあるんだよ」
そこで、お姉ちゃんはプリンをひと口食べる。 あたしもそれを見てひと口。 甘さは控えめな、食べ心地の良いプリンだ。
「その心を顔に出せないってことは、何かの理由があるんだろう。 酷いショックを受けた、過去に何かがあった、そういう教育をされてきた。 例をあげればキリは無いけど」
「あの子の場合は多分、そうせざるを得なかったんじゃないか」
……難しい話だ。 話の内容が、という意味ではなくて、話の重さが、という意味で。
葉月ちゃんが無表情の理由かぁ。 そしてお姉ちゃんが言うには、そうせざるを得なかったんじゃないか、とのこと。 人に表情を見せなくなった切っ掛けだ。
もしもあたしが他人に向けて、表情を見せなくなるとしたら……どんな時だろう?
「……これは予想だがな。 病院に来る様々な人を見て感じた、あたしの予想だ」
お姉ちゃんは組み合わせた手の上に顎を乗せて、言う。
「それが、他者とあまり関わらない趣味にも影響を与えているんじゃないかな」
葉月ちゃんの趣味。 アニメ観賞だ。 大雑把に言ってしまえばそうだけど、フィギアやそういうグッズ類も多く持っている。
けど、趣味なんて殆どそうじゃないかな? 読書然り、音楽鑑賞然り。 1人で楽しむからこその趣味で、他者との関係に疲れたから……。
ああいや、待て待て。 趣味の大前提は……息抜き。 それが普通だと思う。 それで、葉月ちゃんの場合は。
「……見過ぎ?」
「そうだ。 お前から聞く限りじゃ、あの子はお前らと会う前は殆どの時間をそうやって過ごしていたんだろ? 今ではお前らっていう友達が出来たからその時間は減っているだろうけど」
「趣味ってのは、ストレスの解消には持って来いだからな。 で、それがあの子には人一倍必要だった。 理由は知らないが、そういうことだろう」
そして最後に、お姉ちゃんはあたしに向けて言う。 そのことについては、ずっと避けてきたことだ。
「そろそろ、そういう小さなことにも目を向けて行くべきなんじゃないかな。 余計なことだったら、すまない」
あたしは助けられた。 八乙女くんと、葉月ちゃんと、歌音ちゃんに。
それはもう半年くらい前のこと。 今では笑って話せる思い出。
そして歌音ちゃんも、助けられたんだ。 八乙女くんと、葉月ちゃんと、あたしに。
その関係は続いていく。 次に助けられたのはきっと、八乙女くん。
彼には彼なりの考えがあって、それもやっぱり尊重するべきだった考え。 けど、彼は一つの道をしっかりと選んだ。 それはきっと正しい道で、これからも続いていく道。
そうすることで、八乙女くんは救われたんだ。 助けられたんだ。
あたしも、歌音ちゃんも。 てっきりそれは葉月ちゃんが助けられた物だとばかり思っていた。 いや、そりゃ多少はそういう部分もあったかもしれない。 でも、いくらなんでもあたし達は葉月ちゃんのことを知らなすぎでは無いだろうか。
勿論、それは歌音ちゃんも一緒。 彼女だって、葉月ちゃんの詳しいことについては知らない。 あの八乙女くんだって、聞いた限りじゃそこまで詳しいことは知らない様子。
それなら。
それなら、葉月ちゃんを助けたのは一体誰だ?
葉月ちゃんは今でも、一人っきりなんじゃないか?
翌朝、朝の7時に電話が鳴り響く。 お姉ちゃんは既に家から出ているので、その所為でお姉ちゃんを起こしたりすることは無い。 お姉ちゃんを起こすことは無いけど、あたしが起きることはあるのだ。 その言葉通り、あたしは着信音によって目が覚めた。
まだ眠いと訴える目を擦りながら、手探りで携帯を掴み、これまた手探りで通話を押す。 使い慣れた携帯だからこそ出来る芸当だね。
「……もしもーし」
「お、ちゃんと起きてるわね」
……いやいや、ちゃんとは起きてないよ。 メチャクチャ睡眠中だったよ。 まだ眠いよ。
「ならとっとと準備して家から出てきて。 私今、天羽さんの家の前に居るから」
「えぇ……」
「五分だけあげる」
横暴だ……。 ていうか、歌音ちゃんは昨日の夜「明日九時半に八乙女君の家に来てね」とか言ってなかったっけ? 今7時だよ? 八乙女くんの家までは片道電車で30分だよ?
とまぁ、脳内では反論が次から次へと出てくる物の、八乙女くんの言うところの「葉山ルール」に逆らえるわけも無く、あたしはそんなメリーさん的訪ね方をしてきた歌音ちゃんの為、せっせと支度を始めるのだった。
「遅い」
「……わはは」
開口一番、おはようだとか朝早くにごめんねだとか、そういう当たり前の挨拶では無く文句を言う歌音ちゃん。 これにはもう、苦笑いをするしか無い。
結局準備には30分掛かってしまったけどね。 女子に5分を要求する歌音ちゃんが間違っているのだ! それには断固として反論をさせてもらう!
「それで、どしたの? まだ結構時間あるけど」
「んー、まぁちょっとね。 とりあえず朝ご飯まだでしょ? ファミレスでも行こっか」
「りょーかい」
そして、家からそう遠く離れていないファミレスへと移動。 今日は幸いにも晴れていて、冬にしてはちょっとだけ暖かい。
「寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒い」
……人智を超えたレベルで寒がりの歌音ちゃんには、それが分からないようだったけど。
「……あー死ぬかと思った。 私ホットコーヒーにしよっと」
それから歩くこと数分、ファミレスに入り席に案内され、座ったところで歌音ちゃんは言う。 あたしはどうしよっかなぁ。 ココアとか飲みたい気分だ。 よし、そうしよう。
「なんかさぁ」
「ん?」
暖かい場所へと来て緩みきった顔をする歌音ちゃんのことを見て、あたしはふと思ったことを言う。
「なんかさなんかさ、こうやって朝早い時間に友達と一緒ってワクワクしない?」
「何言ってんの急に。 気持ちわるっ」
酷すぎる返事だった。
「……冗談冗談。 なんとなく気持ちは分かるって。 だからこうやって特に予定も無いのに天羽さんを連れ出しているんだから」
「特に予定無かったの!? それであたしは七時に起こされて今ここに居るの!?」
「あは」
歌音ちゃんは可愛らしく笑い、運ばれてきたコーヒーをひと口飲む。 見るとどうやらお砂糖は入れていないようだ。 ミルクのみである。 美味しいのかな?
「って、笑って誤魔化すなー!! 超大事なことだよ!?」
「チッ……朝から元気ね。 まー、他にも無いわけじゃないけど」
なんて言い、歌音ちゃんはコーヒーカップをテーブルの上へ置いた。 そして肩肘を立て、その手で顔を支えながら続ける。 見た目と相まってなんだかモデルっぽい。
「神宮さんのことよ」
「……葉月ちゃん?」
大分、警戒しながら聞き返したと思う。 それは昨日の夜、お姉ちゃんとした話と同じことなのだろうかと。
タイミングがタイミングなだけに、というのも勿論あった。 でもそれ以上に、歌音ちゃんの表情が気になった。
表情は人の心を映し出す。 お姉ちゃんが言っていた言葉。 その言葉通りだとすると、歌音ちゃんはきっと怒っている。
「あの馬鹿も大概だけど、厄介なのはあいつの両親。 まぁ噂だけどね」
そう前置きをして、歌音ちゃんは言う。 歌音ちゃんがこういう言い方をするときは、大体ほぼ確実に真相を掴んでいるとき。 重要なことを話す際には根拠があるからだ。 根拠の無い根も葉もない話をこの人はしない。 そういう人なんだよ、歌音ちゃんって。
「あいつ、いつも両親は出張って言ってたでしょ? あれ嘘だから」
「へ?」
急な話題に付いて行けず、昨日の夜に引き続き、またしても素っ頓狂な声が出る。 しかし、歌音ちゃんはそんなことには構いもせずに続けた。
「なんでも父親の方がすっごいお金持ちらしくてね。 年がら年中夫婦で旅行。 気が向いた時に帰ってきて、神宮さんと家族ごっこ。 神宮さんと会うのは年に二、三回。 んで、神宮さんも素敵なことにそれを受け入れている。 どう? 理想的家族じゃない?」
皮肉たっぷりで、歌音ちゃんは言う。 いや、それよりも。
「受け入れている? それを?」
「そ。 あの子、あれでも昔はすっごく両親に懐いてたらしいわよ。 あー、今もかもね。 けど、両親の方はそうでも無かった」
「……どうして?」
「天羽さんは知らないんだっけ? 神宮さんって、人を見る目が物凄くあるのよ。 私の本性を入学式初日で見破ったくらいに」
おおう……そりゃ凄い。 あたしの場合は初っ端から本性全開だったからなぁ。
「親からしたらさぁ、そんな子が居たら気持ち悪いんじゃない? だって、自分の考えとかが読まれちゃうんだもん。 一緒に暮らすのが苦痛なんでしょうね、多分」
「そんなのは普通じゃないッ!! 自分の子供なんでしょ!?」
気付いたらあたしは立ち上がって、歌音ちゃんに掴みかかる勢いで言っていた。
「親からしたら。 そう言ったでしょ。 言っておくけど私も天羽さんと同じ気持ちよ。 そのクソ親にもムカつくし、それで納得してるあのチビにもムカついてんの。 けど、私達に一体何が出来るんだろうね」
窓の外に視線を移し、遠い目をして歌音ちゃんは言った。 その顔はとても、儚い物。
あたし達に何が出来るのか。
歌音ちゃんの言いたいことは分かる。 家庭の問題というのは、とてもとてもデリケートな問題だ。
それはあたしと歌音ちゃんの壁が出来ていた関係だったり、八乙女くんが自分の気持ちを消そうとしていた問題とはまるで違う。
それに葉月ちゃんが納得しているのなら、そこで終わってしまう問題なんだ。 それから家族3人、今までと変わらない生活を送りました。 めでたしめでたし。
そんな風に、終わってしまう問題だ。 でも、それで良いのか? 葉月ちゃんが他人に表情を見せなくなった理由はきっとそれだ。
なら、そうだとするなら……葉月ちゃんだって、苦しんでいるはずじゃないか。
そんな困っている子に、苦しんでいる子に、手を差し伸ばさなくて何が友達だ。
「何かをするんだよ。 歌音ちゃん、何をすれば良いのかじゃなくてさ、何かをするんだ」
「……それは分かるけど」
「今度はちゃんと、八乙女くんにも話そう。 彼の力が必要だよ、これは」
「まぁ……そうね。 けど、二人が三人になったところでどうしようも無くない?」
「だから違うんだって、歌音ちゃん」
あたしは言う。 当たり前のことを。
「恩返しだよ。 そうやって歩み寄り合って、助けあって、あたし達の関係なんだから。 そうだったでしょ? ずっと」
あたしの言葉に、歌音ちゃんは笑う。 やれやれといった表情で。
「……あーもうめんどくさ。 はいはい分かったわよ、やれば良いんでしょ? 何をすべきか分からないことを」
「うんっ、そうだよ」
「ったく、全部終わったらあのチビの手料理だけじゃ足りないわね。 何やらせるか考えとかなきゃ」
八乙女くんと葉月ちゃんのデート当日の朝。 あたしと歌音ちゃんは手を取り合って、そう決めた。
今度はあたし達が、葉月ちゃんを助ける番だ。




