デート大作戦 【4】
「えーっと……」
あの日から早くも数日が過ぎ、今日は12月の中旬。 冬休みまでは、もう何日かといったところだ。 そんな約束の日が迫っている俺の、今日の行動。
いつも通りに学校へ行き、いつも通りに部活動をし、いつも通りに家に帰る。
その後はいつも通りに夕飯を食べて、いつも通りに風呂に入って、いつも通りに自室でゴロゴロ、ボーっと。
最近は少しだけ、葉月から「アニメ見るから来い」と呼び出しが来ることは減っていた。 これは付き合い始めて、お互い気恥ずかしさを感じているからでは無く、それよりも前からの話だ。
なので、俺もこの事についてはあまり深くは考えていない。 今日みたいに、することが無くてベッドの上で寝転がっている時間が増えたのは、少々暇ではあるけれど。
毎日のように「アニメを見よう」と言われていた時は、正直少しくらい一人の時間をくれと思った物の、いざこうやって放置されると、何だか物寂しさを感じなくも無い。
しかし今日に限っては、それが助かった。 葉月の前ではこれを見ることは出来ないからな。
普段とは違うサイクル。 それが、この本だ。 葉山に貸して貰っている物の、今日に至るまでなんと驚け、目を通していないのだ。 いや、だって読んだら読んだで意識してしまいそうだったから。
が、いつまでもそうやってはいられないだろうと思い、今日この日、俺はようやくその本を開いたのだ。
「……その1。 まずはさり気なく手を繋ぎましょう」
内容を声に出して読んでみる。 そういった生活音が、すぐ隣に住んでいる葉月に聞こえないかと心配したこともあったが、意外と秘密の通路を塞いでいる板は防音性に優れているのだ。
しっかし、何だこの内容は……。 さり気なく手を繋ぐって。
「……想像しただけで、恥ずかしくて死にそうだ」
いや、付き合う前は何も意識していなかったし、そうやって考える前は別に全然大丈夫だったんだけども。
こうやって改めて付き合っているということを踏まえると、何だか物凄く恥ずかしい。 手を繋ぐのを想像するだけで、めちゃくちゃ恥ずかしい。
俺が思っている以上に、俺は葉月のことを好きなのかもしれない。
「あー、駄目だ駄目だ。 次を見て気を取り直すか」
一枚捲り、次のページへ。 見やすいように装飾が施されているページは、如何にも雑誌っぽい。 というか、葉山は良くこの本を買うことが出来たな。 だって、タイトルは『彼女を幸せにするデート 初心者編』だぞ? 女子である葉山がそれを買うのに、抵抗は無かったのだろうか。
まぁ、そんなことは気にしても仕方無い。 今大事なのは、葉山がどうしてこんな本を買ったのかよりも、今度の週末にどこに行くかだ。 実はまだ、それすら決めてないからな。
「んっと、なになに……デートの決め手はさり気ない優しさ」
何だそれ。 さり気ない優しさってどんな物だ……?
疑問に思い、続きを読む。
「……褒められるというのは誰でも嬉しい物。 デート中、さり気なく「今日も可愛いね」などの褒める台詞を言ってみましょう」
「言えるわけねえだろアホかッ!!」
言って、俺は本を叩きつける。
ああ、しまった。 つい、いつもの癖で、あろうことか本にツッコミを入れてしまった。 というか、この本はそもそも借り物だったな。
けど、いきなりこんなことを言われて嬉しいのか? 葉月の場合、そんなことをしたら帰ってしまうと思うんだけどな。
「裕哉」
そんな風に一人で暴れていた所、秘密の通路から声が聞こえる。
声の主は勿論、葉月。
「お、おう!? どした!?」
慌てて葉山から借りている雑誌を隠し、葉月の方に顔を向けて尋ねる。 結構夜遅い時間だけど、一体何用だろう?
「うるさい」
「……は、はは。 それは、申し訳無い」
葉月はそれだけ言い、自分の部屋へと戻る。 髪が濡れていたので、多分風呂に入って部屋に戻った所で、俺の声が聞こえてきたのだろう。
どうやら俺の騒ぎっぷりは、優秀な防音性能を持っているこの板でも、防げなかったようだ。 そして、その前の独り言が聞こえていなかったことが、せめてもの救いである。
『んで、結局どうするつもりなのよ。 日曜日なんでしょ? デート』
「まぁ、そうだな。 一応行く所は大体思い付いたよ。 色々ありがとな」
本当に日が立つのは早く、気付けば冬休み初日の土曜日となっている。 ありえないありえない、もう明日かよ……。
なんて思っても、それが先延ばしになることは無い。 先延ばしにも、したくは無いしな。
というわけで、明日はいよいよ、葉月との初デート……。
そんな前日にも俺は呑気に家でゴロゴロと暇潰しをしていたのだが、それをどこからか見ていたかのように、葉山から電話が来たのだ。
何だろうと思いつつ取ると、開口一番先程の台詞を口にしたというわけだ。 俺もそのひと言で用件を察して、そう返事をしたのだが。
『ふうん。 なら良いんだけど、どこ行くの?』
「いや別に、そんな大した場所じゃないから」
『でも、教えてくれないと私達が付いて行けないでしょ。 良いからさっさと教えなさいよ』
「は!? 付いて行けないって何だよ!?」
『だから、天羽さんと一緒に付いて行けないでしょ? あ、当然コソコソと付いて行くから、その辺の心配はしなくて良いよ』
「そうじゃないって!! 俺が言ってるのはそういうことじゃなくて!!」
『何よ。 なんか文句あるわけ?』
……何だ。 何だ、この如何にもおかしいのは葉山じゃなくて俺だという雰囲気は。 何も変なことを言っているつもりは無いのに、葉山の毅然とした態度の所為で、俺の方がおかしいように思えてきてしまう。
ちょっと一回冷静に考えよう。 俺と葉月は明日、デートをする。 ここまでは良い。 違う意味で色々と良くないけど、主に俺の精神面的な部分で良くは無いけど、とりあえずは良い。
んで、そのデートに葉山と天羽が付いて来ると言っている。 コソコソとバレないようにと。 普通にここがおかしいだろ。
『そんで、結局どこに行くわけ? あ、でもやっぱいいや。 何時から行くの?』
と、考えている途中で葉山が話し掛けて来る。
「……行くのは朝の10時からだけど」
『おっけおっけ! 了解。 それじゃ頑張ってね』
「ん、ああ」
そして、通話が切れる。 何だ? いきなりやっぱいいとか、よく意味が分からない。
時間を知ったところで、俺と葉月がどこに行くかを知らない以上、付いて行くことも出来ないだろうに。
俺はこの時、悠長にもそんなことを考えていた。
あー、そう言えば、意味が分からないことと言えばもう一つあった。
葉山との電話を終えてしばらくした後に、葉月の部屋から何やら叫び声が聞こえてきたのだ。 恐らく、ホラーアニメを見ていたのだろう。 そんな感じの、鬼気迫る叫び声だった。
そして、次の日。
「よう」
玄関扉から出てきた葉月に、俺は声を掛ける。 と言うのも、秘密の通路を使って一緒に支度をして一緒に出てきても良かったんだけど、それだと何だかいつもと変わらない気がして、こうやってわざわざ別々に出てきたというわけだ。
「……おはよう」
眠そうにしている葉月。 今日は動きやすそうなジーンズに、フードスウェット。 外は寒いので暖かさ重視なのだろう。 長い髪は二つに分けて体の前へ回していて、頭にはフードをかぶっている。 なんとなく見た目的に強そうだ。 アニメの見過ぎかもしれないが。
……葉山もその筋があるけれど、俺も俺で人のことを言えないなぁ。 順調にそっちの道を歩み始めている気がするよ。
「んじゃ行くか。 忘れ物は大丈夫だよな?」
「うん。 平気」
俺の言葉に、葉月は頷く。 そして俺は「そうか」と返し、歩き始めた。 この集合住宅の中では並んで歩くとお互い邪魔になって仕方無いので、俺が前を歩き、葉月が後ろを歩く格好。 まぁ、最近ではこの位置がいつも通り。
「裕哉、今日はどこに行くの」
「んー? 多分、葉月が喜びそうな所かな」
「期待してる」
「……そこまで期待されると何だか不安になってくるぞ」
ゆっくりとだけど、葉月とは以前と同じように接することが出来るようになっていた。
付き合ってから関係が悪化したってのも妙な話だけど、そんなのもこれから進めていけば良いだけのことだ。 んで、今はようやく元の位置ってわけか。
今日は一体、どれだけ進められるのだろうか。 それが少し楽しみな半面、怖いという気持ちもある。
依然として、俺達四人の関係にヒビを入れたくは無いんだ。 俺と葉月だけが妙に仲良くなってしまったら、葉山と天羽はどうするのだろうとか、そういうことを考えてしまうこともある。
……あいつらに話したら、きっと激怒するようなことを。
そういうのもゆっくりと、だけどしっかりと、考えていかないとな。
「じゃ、とりあえず駅まで歩くか」
外へ出て、横に来た葉月に向けて言う。 そんな時、ポケットの中で携帯が揺れた。
「ん、わり、ちょっと待っててくれ」
「分かった」
基本的に、俺の携帯にはあまり連絡が来ない。 それ自体は本当に寂しいことだけど、逆に大事な用事の時くらいにしか鳴らないので、意外にも便利だったりする。
普通だったらデートしてる時に携帯をやるなと言われそうだが、葉月はその辺りを理解してくれているので、問題は無いだろう。
「……」
どうやらメールのようで、俺は新着メールを開く。
差出人は……葉山歌音。 もうこの時点で、嫌な予感しかしない。
えーっと、内容は。
From 葉山 歌音
Title 無題
出てくるの遅い。 寒い中待ってる私達の身にもなれ。
「待ってるって……将来ストーカーにでもなるのか、あいつ」
だからか。 だから、昨日は時間だけを聞いてきたのか。 てか、それもそうだよな……俺と葉月は隣同士なんだから、時間さえ分かってしまえば、この外に出たところで待ち伏せていれば後を付けられるというわけか。
そしてメールの文章に恐怖しながら辺りを見回すが、二人の姿は見えない。 するとメールがまた一件到着。
差出人はやっぱり葉山で、内容は「んなことしてる暇あるなら、さっさと神宮さんをエスコートしなさい」とのこと。 そりゃどうも。 俺はお前が恐ろしいよ。
「どうしたの?」
「あーいや、何でも無い。 行くか」
キョロキョロと挙動不審な俺に、葉月は言う。 それを適当にはぐらかして、俺と葉月は駅に向かって歩き始める。
「最近どうだ? 新しいアニメとか」
「普通。 面白いのはあまりない」
「そっか。 なら面白いの出てきたら教えてくれよ。 俺も、最近結構暇しててさ」
「分かった。 出てきたら教える」
「おう。 よろしく」
歩きながら、そんな他愛も無い会話をする。 これが結構好きだったりする。 基本的に、人と話すのは楽しい物だから。
それに葉月は趣味のことなら色々と話してくれるし、たまに面白いボケをしてくれるし。
「あ」
「ん? どうした?」
急に葉月は立ち止まる。 そして、しゃがみ込んで何かを確認している素振りを見せる。
「やっぱり。 裕哉、大変」
「……葉月がそう言う時って、あんま大変じゃないんだよな」
「今回は本当に大変。 見て」
そう言うと、葉月はジーンズの裾を捲る。 見えてきたのはスラっとした脚。 贔屓目なしで見ても、本当に細いよな。 良くもまぁ、この細い足であんな強烈な脛蹴りが出来る物だと、少し感心してしまう。
「どう?」
「……どうと言われても。 綺麗な脚だなとは思うけど」
「……」
よし、これはあれだ。 雑誌に書いてあった「女の子のさり気ない、褒めて欲しいアピール」に違いない。 それに返す答えとしてはほぼ完璧だろう。 ナイス俺。
しかし、葉月は黙って固まる。 そこまで嬉しかったのだろうか。
そして数秒間の間それを続けて、葉月はようやく口を開く。
「……そうじゃなくて、靴」
「靴……? ああ、そっちか!」
「そっちしかない」
「いや、てっきり「私の脚綺麗でしょう」的なことを言い出したのかと思ってさ、はは」
冗談混じりに俺が言うと。
「そんなキャラじゃない」
と、全否定。 考えてみればそれはごもっともだ。 葉月がそんなことをいきなり言い出したら、葉山が乗り移ったんじゃないかと疑うくらいだな。 いくら雑誌に書いてあったと言えど、全ての女子にそれが当てはまるわけでは無い。 良い勉強になった。
「あーっと、それで靴、だっけ?」
先程言われたことを思い出し、視線を葉月の靴へと向ける。
「……ん? 別に、普通だけど」
葉月が履いているのはスニーカー。 ファッションにはあまり詳しくないので俺の感想が正しいのかは分からないけど、カジュアル系とかそんな感じにしているのは分かる。
「そう?」
「というか、なんか強そうに見える」
そうやって率直な感想を言うと、葉月は小さくだが、笑った気がした。 もしかしたら、気のせいかもしれないけど。
「裕哉、写真を撮ろう」
「写真?」
「そう。 二人で」
「ここでか? 橋の上だけど」
「ここで良い。 はい」
言って、葉月は俺に携帯を手渡す。 まぁ自分で撮ろうとしても、身長とかの所為で上手く撮れないだろうからな。
「はいはい分かったよ。 んじゃ」
その携帯を受け取り、カメラを俺と葉月の方へ向けて、ほんの少し、身を寄せる。
「……じゃ、撮るぞ」
「……」
急にそれが恥ずかしくなり、俺は葉月に尋ねたのだが、返事は無し。
なので仕方無く、俺はそのまま一枚写真を撮った。 で、それを確認する。
「ほら、撮れたぞ」
「ごくろう」
「もっと普通に礼を言え、普通に」
「褒めてつかわす」
「おい」
一枚の写真に写っているのは俺と葉月。 俺は俺で何だか表情が硬く、葉月に至ってはフードを深くかぶり、顔が殆ど見えない。
「こんなんだけど、良いか?」
「良い。 これで良い」
「そっか。 なら、後で俺の携帯にも送っといてくれよ」
「……うん」
この今の状態を表しているような、俺と葉月の写った写真。 それが何だかおかしくて、恥ずかしくて、笑えて、それでほんの少し、嬉しくも思う。
いつか。
いつか、こうやって二人で写真を撮る時に、二人して笑って撮れる時が来ると良いな、なんてことを言おうと思ったが、それは言わないことにした。
葉月が嬉しそうに携帯を見ている横顔が目に入ってきて、それはそこまで遠い未来では無いように思えたから。
「よっし、んじゃ行くか。 って、今日何回目だ、これ言うの」
「三回目」
「……良く覚えてたな」
「勿論。 裕哉のことは」
そこまで言い、葉月は口を閉じる。 そして無言で、フードを更に深くかぶって、一人スタスタと歩き始める。
「置いてくなって! おい葉月!」
そんな葉月の横に行き、一緒に歩く。
こんな感じで、最初から色々とあったデートだが、やっと。
やっと、始まった。