雪降る夜に
雪が降る中、旅館を出た俺は、正確な場所が分かるわけでもなく走っていた。
……どこだ? 確か、天羽と葉山は喫茶店がどうとか言っていたよな。 それは恐らく、昼間に皆で行った喫茶店のことだろう。
そこに葉月が行ったのかは分からない。 あいつがどうしてこんな夜に外出したのかも分からない。
けれど、行かないと駄目なような、そんな気がした。 気付いたら勝手に足が動いていて、気付いたら俺は葉月を探している。 似たようなことはきっと、今に始まったことじゃない。
「てかさっむ! もっとちゃんと服着てくれば良かったな……」
今の格好。 一応スカジャンを羽織っているが、マフラー無し手袋無し、下に関して言えばジーパン一枚。 寒すぎて凍えそうだ。
このジャンパーも、しょっちゅう妹に「チンピラみたいだから止めてくれ」と言われているんだけど、着心地がよくて愛用している。 だが、さすがに北海道でこれはキツイ物があったようだ。
でも、今から戻るわけには行かないよな。 天羽と葉山が話していた内容が本当だとするなら、早く葉月を連れ戻さないと。
俺は走って、走って、葉月を探す。 あいつは大概マイペースだから、そこまで早くは動いていないはずだ。 だったらまだ、近くには居ると思う。
この辺りは旅館以外には殆ど建物が無い。 だから、見渡しは割りと良いんだけど……。
「……どこだここ」
早速、迷子になりつつある俺である。 いやだって、雪が予想以上に凄いんだもん。
視界もある程度は奪われるし、何より目印になりそうな標識だとか、でかい木だとかも、雪が覆ってしまって全然違う物のようだ。
「くっそ……!」
でも、足を止めるわけには行かない。 つくづく、夏前に走り込みをしていて良かったと思う。 ある意味葉月に感謝だな。
「――――――、――――ッ!!」
その時だった。 後ろから、声が聞こえた気がした。 雪と風の所為で良くは聞こえないが、確かに何かの声が聞こえた。
……まさか、雪女とか? いやいや、冗談じゃないぞ。 あれは液晶を通して見るから良いのに、生では決して見たくない。
俺はそんな事を思いながら、恐る恐る振り返る。 人だと願って。
「……あれは……葉月か?」
……いや、違う。 何か、懸命に叫んでいる気がする。 葉月だったら、あんな風に叫んだりは絶対しない。 ということは。
「――お――め――くんッ!!」
「やーおーとーめーくんッ!!」
「……天羽?」
その人物が誰かに気付き、俺はそっちへと駆け寄る。 あの馬鹿、こんな状態で飛び出して何を考えているんだなんて、思いながら。
「っはぁ……! っはぁ……!」
「天羽!? おい、大丈夫か?」
「わ、わはは……だ、だいじょうぶ。 ちょ、ちょうよゆー」
言いながら、ピースサインをする天羽。 めちゃくちゃ息が荒いのに、それでも強がるのは少し尊敬してしまう。
「全然そうは見えないけど……。 ってか、こんな状態なのに外に出てくるなって!」
「……はぁ、はぁ……それは、八乙女くんにも同じことが言えるよ」
……まぁ、確かに。 それを言われてしまったら、俺はもう何も言い返せない。
「ご、ごめん……ちょい待ってね……はぁ、はぁ。 息、整える」
それから、天羽は数回深呼吸をする。 そして息が整ったのか、顔をバッとあげた。 その顔付きはいつも見るような、笑顔で。
「八乙女くん。 ちょっと、お話があるんだ」
「……話? ごめん、悪いけど後でも良いか? 天羽も分かっているだろ。 今は、こんな所で話をしている場合じゃないってのは」
「すぐに終わるから。 だから、少しだけ」
「けど、何もこんな時に……」
「こんな時だからだよッ!!」
俺が言い掛けたところで、天羽は力強く言う。 いつもの様子とはとても違っていて、一瞬俺は呆気に取られてしまった。
「……こんな時だからだよ。 八乙女くん」
いつになく真剣に、いつになく気持ちを込めて、言っているように見えた。 それを無視するのは少し、難しい。
「……分かった。 聞くよ、何だ?」
俺の言葉に、天羽は笑顔で「ありがとう」と言った。 そして。
胸に右手を当てて、俺の顔をジッと見つめる。 その間は本当に少しだけだったかもしれない。 けれど、不思議なことにそれは何十秒にも、何分にも、何時間にも感じられた。
その間も終わり、天羽の口が微かに動く。 怯えているようにも見えたし、嬉しそうにも見えた。 天羽はそんな表情で、言葉を紡ぐ。
「あたしは、あたしはね、八乙女くん」
「――――――あなたのことが、好きだ」
その声はハッキリと、俺に聞こえる。 一瞬だけ、世界が止まったようにも感じた。 何を言われたのか、天羽は俺に何を伝えたのか、頭の中で整理をして。
そして、その止まった世界は動き出す。
「は!? 好きって、え……っと」
正直に言うと、たちの悪い冗談かと思った。 天羽がいつも言う、ジョークなのかと思った。
でも、天羽の顔を見て、俺の答えを待つ天羽の顔を見て、それは違うと悟る。
天羽は本気だ。 勇気を振り絞って、俺にそれを伝えたんだ。
「……俺は」
「ちょっと待った! 待ってね……待てよ!?」
「お、おう」
言われ、俺は黙る。 天羽は両手を胸の辺りに置いて、再度息を整える。
吐く息は白く、耳の辺りは赤くなっている。 そんな天羽が何だかおかしくて、俺はついつい笑ってしまう。
「……なに笑ってんのさ! むう」
「は、はは。 ごめんごめん。 大丈夫か?」
「う、んむ。 問題無い……と思う。 それでさ、答えを聞く前にお願いがあるんだよ、実は」
「……お願い?」
「うん。 これは、八乙女くんも分かっていることだと思う。 多分ね」
そして天羽は笑って言う。 大きな声で、叫ぶように。
「あたしは逃げなかったぞ! ちゃんと最後まで言ってやったんだ! だから八乙女くんも逃げないで、最後まで戦って!!」
それは。
――――――――その言葉は、葉山に言われた言葉だった。
『その、約束ってのは?』
『簡単な事。 一つだけ、守って欲しいだけだから』
『逃げないで。 ちゃんと自分と周りを見て、もう逃げるのをやめて、ぶつかって』
『……すまん、よく意味が分からないんだけど』
『分かった時で良いよ。 きっと、その内分かるから。 絶対にね』
『その時に守ってくれれば良い。 それだけだよ』
逃げないで、ぶつかれ。 自分と周りを見ろ。
俺が逃げている物。
天羽に言われて、天羽に好きだと告げられて。
俺が、怖がっている物は。
「もし、もしもだよ。 八乙女くんに他に好きな子が居るんだったら、あたしは旅館に戻るよ。 葉月ちゃん探しは、八乙女くんに任せるよ。 きっと、八乙女くんなら見つけられるから」
「それで、もしもそんな子が八乙女くんには居ないんだったら、あたしも探すのを手伝う。 一緒に、探そう」
それは、天羽が出した二つの道だった。
前に進む、細くて頼りない道。
もう一つは、後ろに進む、逃げ道。
……天羽はきっと、分かっているんだ。 全部分かった上で、こうやって俺に話をしてくれたんだ。
だったら俺も。
俺も、それにはしっかり答えないと。
俺の親友に、俺を想ってくれた親友に。
「あ、言っておくけど別に駄目でも友達だからね! 例え八乙女くんが気まずいと言っても!!」
「ああ、分かってるよ」
「今度返事するとかも無しね! あたしがそれじゃ納得出来ないから! ワガママかもしれないけど、良いよね?」
「分かってる。 それもちゃんと、分かってるから」
「わはは、なら良いんだ。 それで、聞いても良いかな。 八乙女くんの返事」
「ああ」
俺は伝える。 気付かない振りをしていた気持ちを手に取って。 見ない振りをしていた物にしっかりと目を向けて。 逃げ続けていた道を塞いで、本当の物をしっかりと見て。
そして、思いっきり背中を押して、気持ちを正直に伝えてくれた天羽に向けて。
「天羽、俺は」
「俺には、他に好きな奴が居るんだ。 だから、ごめん」
その言葉に、天羽は悲しそうな表情も、辛そうな表情もせず、ただ、笑った。 いつものように、ただ笑った。
「……うんうん。 やっぱそうだよね。 わはは!」
「天羽……」
「んーじゃ、これは餞別。 てゆか、見てるこっちが寒くなるからね」
そう言うと、天羽は自分が付けていたマフラーを俺の首へと巻く。
「……悪いな」
「ほら! そうと決まれば早く行け! あたしは旅館に戻っているからさっ!」
言って、俺を振り返らせ、天羽は背中をぐいぐいと押す。
「ちょ、ま、待てって! そんな押したらこけるって!」
「あはは! あ、そのマフラーお気に入りだから汚したら怒るからね」
「無理矢理貸しといてそれかよ……まぁ、ありがとな」
「良いって良いって。 それよりさっさ行けっての!!」
葉山のような口調になりながら、天羽は背中をぐいぐいと押し続ける。
「……てか、本当に大丈夫か? 旅館まで送って行くか?」
俺が聞くと、天羽は答えた。 その声は少しだけ、震えていた。
「……あーもう、歌音ちゃんが八乙女くんを馬鹿って言うのも良く分かるよ。 全くほんと、嫌になっちゃうって」
「八乙女くんはさぁ……八乙女くんはさ、そんなにあたしが泣いている所を見たいの? あっはっは」
天羽は笑っているつもりでも、いつものように笑顔を浮かべているつもりでも、きっとそれは。
……葉山や天羽の言う通りだな。 察しの悪い自分が、嫌になってしまいそうだ。
ここで俺がこれ以上、天羽に優しくしても、それはきっと傷付けるだけなんだ。
いつだったか、葉山に言われたっけ。
優しさが、傷付けることだってあると。 まさにそれが、今のことだ。
俺はもう、今……天羽に対して優しくしてはいけない。 こいつは一生懸命、俺の背中をこうやって押してくれている。
「天羽、また後で」
「おう! しっかり見つけて帰って来てね!」
最後に天羽は思いっきり背中を叩いて、俺に言う。
そのままの勢いで、俺は走り出す。 葉月を探して、真っ暗な中を。
ありがとう。 俺を好きだと言ってくれて、俺に気持ちをぶつけてくれて、ありがとう。
俺は嬉しいよ。 お前に好きだと言って貰えて、お前に想って貰えて、俺はこれでもかってくらい、嬉しいよ。
天羽に押された背中は、とても暖かい。 冬の北海道だっていうのに、どうしようも無いくらいに暖かい。
最後に、ちらりと見た天羽の表情は、今にも泣き出しそうな物だった。 必死に堪えているような、そんな表情だった。
それが頭に浮かんできて、思わず俺も泣きそうになってしまう。 やっぱり、人が悲しんでいるのを見るのは苦手だ。 それは俺の心にグサグサと刺さってくるから、苦手だ。
……けど、駄目だろうな。 俺が泣いてしまったら、天羽が泣けなくなってしまう。 その表情にさせてしまった俺に、泣く権利なんて無いんだ。
天羽、俺は人に好きだと言って貰えたのは初めてだったんだ。 正面からこうやって、言って貰えたのは。 だから思おう、天羽の為に。 また明日と、大切な――――――――親友に向けて。
そして、俺の背中側に居る天羽はきっと、笑っている。 いつもみたいに、笑っている。
天羽の為に、そう思おう。




