好きということ
「え?」
驚いているのか、困惑しているのか、焦っているのか。 それとも、全部か。 葉月ちゃんはそんな声を漏らす。 だけど表情は無表情で、こんな時でもそれが崩れたりはしない。
「あたしは本気だよ。 決めたんだ、もう逃げないって。 いつだってあたしは全力だぁ!!」
「天羽は好きなの? 裕哉のこと」
「へ!? え、えっとそれは……なんていうか……まー、す、好き……かなぁ……?」
今さっき高らかに宣言したのに! それを聞かないでよ葉月ちゃん! 言葉が詰まりまくって恥ずかしいだろ!?
「なら」
そう葉月ちゃんが何かを言おうとした時、後ろから声が掛かる。
「誰? あんたら。 部屋の前で話されてるとチョーうざいんだけど」
振り返ると、そこには金髪の女子。 見るからに不良って感じで、いきなり喧嘩っぽく言われた事を考えると、自分の知り合いや友達以外は見下していそうだ。
「あ! ごめんよごめんよ。 えーっと、本庄さんだよね?」
「……そうだけど。 あんたは誰? あー、もしかしてあれ? 最近まで入院してたって子」
「そっそ! あたしも結構有名人なのかぁ!」
「ふうん、退院できたなら良かったね」
最初にその言葉を聞いて、あたしは「案外普通の子なのかな?」なんて思った。 けど、次の言葉でそれは違うと思い知る。
「でもタイミング良いよねぇ。 ひょっとして仮病だったり? あっはは!」
馬鹿にしたように、その子は笑う。 そう思うのは無理もない話かもしれないけど。 だけど、普通は多分、こんなことを正面からは言えない物だ。 そのくらい、世間知らずの部分があるあたしでも分かる。
「わはは。 だと良いとあたしも思うよ、本庄さん」
精々、平静を装ってあたしは言う。 別に自分のことなら、何と言われようとどうでも良いしね。
「……で、何かアタシに用事?」
「これ。 宮沢から」
あたしの隣に立っていた葉月ちゃんが横から言って、先程美希ちゃんから手渡されたノートを差し出す。 それを見た本庄さんは、舌打ちをしてそれを受け取った。
「あーあ、ホントめんどいよね。 こんなの別に捨てて良かったのに」
「え? でも書記なんでしょ? 本庄さん」
心底嫌そうな顔をする本庄さんに向け、あたしは少し疑問に思って聞いた。 だって、それを捨てるってのはさすがに無責任すぎじゃ無いだろうか。 なんて思って、聞いた。
「あはは! やりたくてやってるわけ無いでしょ? まーケド、一つ楽しみなことあるしいっかな。 そんなノリで引き受けたんだし」
「……楽しみなこと?」
「あんたらには関係無いっしょ? てゆーか、いつまでもそこに居られると邪魔なんですけど。 病弱な天羽さんに……えーっと、あんた誰だっけ?」
「私は神宮」
「……あー、いたねそんなのも。 八乙女だっけ? あいつにいっつも世話してもらってるお嬢様。 アタシ、あんたの事も嫌いだなぁ」
本庄さんは言う。 はっきりと、正面から。 あたしには多分、一生出来ないことだ。
それに、したくないことだ。
この人はきっと、他人に武器を向けるのに躊躇わない人なんだ。 そして、鎧も持ってない。 ただひたすらに武器だけを向けて生きている。 そんな感じがした。
「ま、それより今はあの女かな。 葉山歌音。 あの猫女、ほんと調子乗ってない? そういえばあんたらってあいつと仲良いんだっけ? 正気疑っちゃうよ、あっはは!」
さっきまで、あたしは別にどうでも良いかと思っていた。 あたしの悪口をいくら言われても、そんなのはどうでも良いって。 でも、目の前で友達の事を悪く言われるのだけは許せない。 葉月ちゃんのことも、歌音ちゃんのことも。 勿論、八乙女くんのことも。
「……取り消せ」
「あ?」
「今の言葉取り消せって言ってんだ! クソ金髪女!!」
言って、あたしは胸倉を掴む。 葉月ちゃんが横で何かを言った気がしたけど、そんなのは耳に入ってこなかった。
「……は、何よいきなり?」
「次もしあたしの友達の悪口を言ったらぶっ飛ばしてやる!! 葉月ちゃんのことも歌音ちゃんのことも、八乙女くんのこともだ!! 裏でコソコソ言う奴は絶対許さないッ!!」
「うっざ。 そういうの一番ウザいんだけど。 まあでも面倒だし取り消しといてあげる。 ごめんなさーい」
そう言って、本庄は掴んでいるあたしの腕を振り払って、横を通り過ぎて部屋に入ろうとする。 ああ、駄目だ。 我慢出来そうにない。 一発くらい、平手でもかまそう。
そう思って手を動かそうとしたんだけど、その腕は掴まれて、動かなかった。 その一瞬の内に、本庄は部屋の中へと入ってしまった。
「……天羽、駄目」
「葉月ちゃん」
「それをやったら、一緒になる。 天羽は違う、だから駄目」
いつになく真剣に、真っ直ぐとあたしの顔を見て葉月ちゃんは言った。 その言葉は、きっとあたしを心配してくれている言葉だ。
「……分かったよ。 ごめん」
「良い。 少し頭を冷やそう」
葉月ちゃんは言って、あたしの手を引いて歩き出す。 いつもはこんな場面を見たことは無いけれど、いざという時には凄い頼りになるかもしれない。 この子はきっと、あたしが思っているよりも強いんだな。
「大丈夫?」
「わはは。 平気平気。 ごめんよ、葉月ちゃん」
葉月ちゃんに手を引かれて、今はテラスへと来ている。 風が吹いていて少し寒いけど、熱くなった頭を冷やすのには丁度良いくらいだ。
晴れていたら更に良かったんだけど、空には生憎、雲が広がっている。 雨か、それとも雪が降るのか。
「別に良い。 天羽が、私と葉山の為に怒ったのは分かったから」
「へへへ。 けど意外と短気なのかなぁ? あたしって。 ついつい頭に血が上っちゃってさ」
「天羽が言わなかったら、私が必殺技を使ってた」
「必殺技?」
「そう。 ダイビング・スカイアタック」
「かっけえ! めっちゃ強そうだ葉月ちゃん!! どのくらい強いの!?」
「家の壁を破るくらい」
「割りと強い! 今度見せてよ! ね!」
「分かった。 裕哉の家がやりやすいから、あそこでやる」
「おお! 期待しとくよー。 あっはっは!」
こうやって友達と話していると、本当に気分が落ち着くなぁ。 それは葉月ちゃんでも、歌音ちゃんでも、八乙女くんでも一緒だ。
そんなことを思いながら、葉月ちゃんの横顔を見る。 同じ女子のあたしから見ても、相当な美人。 まるで人形みたい。
「ありがとう。 天羽」
「へ? どしたの? いきなり」
葉月ちゃんは、あたしの方に顔を向け、いきなりそんなことを言った。 何だ何だ、驚かせる作戦か!?
「天羽が言ってくれて、嬉しかった。 だから」
……どうやら、さっきの本庄との件のことか。 別に、あれはあたしが勝手にそうしただけなんだけどね。
「わはは。 お礼を言われる程の事でも無いけど……。 まー、そだね。 どういたしまして、葉月ちゃん」
「でも、結局何の手掛かりも無しかぁ。 歌音ちゃんのこと、あの人が嫌っているってのは確信したけどさー」
「手掛かりならあった。 一つ楽しみがあるって」
一つ楽しみがある……。 そういえば、本庄はそんな事を言っていた気がする。 嫌な書記の仕事を引き受けてまで、楽しみにしていたこと。
それが歌音ちゃんのことにしても、一体何がどういう風に楽しみなんだろうか? イマイチ、うまく繋がらないなぁ。
「それより、さっきの猫女ってちょっと可愛い」
「すごい話題転換だね!?」
これか! これが八乙女くんがよく言っている「後頭部をいきなり殴られる感じ」か! ビックリだよ羽美ちゃん!
「そういえば」
葉月ちゃんは言うと、服の中からお面を取り出す。 何でも、八乙女くんから貰った物らしいとは聞いているお面だ。
そして、それを付けるとあたしの方へと向き直った。
「にゃー」
「……へ?」
「ねこの真似。 にゃあ」
「……ぷ、くくく! あっはっは! どうしたのさ急に! わっはっは!」
「笑った。 裕哉もこれで、笑ってくれた」
「ぷはは! だ、だって面白いって! そんなふざけるキャラじゃないじゃん! 葉月ちゃんって!」
「笑いすぎ」
「あいてっ! うおお……これが葉月ちゃんの脛蹴りか……!」
「天羽、少し顔が怖かった」
「そうかな? あはは。 でも、そうだったかもね」
葉月ちゃんは多分、それを分かって笑わせてくれたんだろう。 まー、脛を蹴られたのは予想外だけど!
「大丈夫。 葉山も私も。 皆大丈夫」
「へへ、だよね。 とりあえず八乙女くんにさっきのことを話してさ、3人で話し合おうか? 八乙女くんの方がどうなったのかも気になるしさ」
まぁでも、あっちはきっと大丈夫だろう。 喫茶店で歌音ちゃんが帰っちゃった時、あたしの横を通る時、小さい声だったけど……確かに「ごめん」と、そう言っていたから。
「了解」
葉月ちゃんが頷いたのを見て、あたしは館内へ戻る為に歩き出す。 その背中に、葉月ちゃんは再び声を掛けてきた。
「天羽」
「んー? どったの?」
「さっきの話。 天羽が、裕哉を好きだって話」
「ぶっ! そ、それ蒸し返すのかい!? 中々良い球だね……マジで」
「一つ、教えて」
葉月ちゃんはあたしの元へ近づいて、真っ直ぐに顔を見ながら言う。
「天羽は、どうして好きだと分かったの?」
どうして、好きだと分かった?
……あー、そうか、分かっていないんだ。 この子はまだ、八乙女くんのことが好きだということを。 前の歌音ちゃんが相談を受けた時の状態から、変わっていないんだ。
「……むー、ちょい恥ずかしいけど、葉月ちゃんの為だしね。 どうしてって話だけどさ」
「あたしは、八乙女くんの事を見てたんだ。 誰にでも優しい彼を見てたんだ」
「最初は、良い人だなぁくらいにしか思ってなくて。 でも、一緒に居る内にいっぱい貰ったんだ。 彼の優しさを」
あたしの言葉をしっかり覚えていて、どういたしましてと言ってくれたこと。
頭を打った時に、撫でてくれたこと。
学園祭で、あたしを抱えて走ってくれたこと。
他にも、色々。
沢山貰って、沢山触れた。 だから今度はそれを返したい。
「気付いたら、好きになってたよ。 一緒に居たいって思って、二人でどっか遊びに行くのを妄想したり……って何言ってんだあたし!?」
「一緒に居たいって思ったら、そうなの?」
「そうだよ。 この人ともっと遊びたいとか、後は……うーん。 デートしたいとか? て、手を繋ぎたいとか。 後は……その……き、キスとか? だから何言ってんだあたし!?」
「でも、葉山とも天羽とも一緒に居たい。 それに、遊びたい。 それも好き?」
「んだね。 それも好きの一つだよ。 けどさ、葉月ちゃん」
そう言って、あたしは葉月ちゃんに顔を思いっきり近づける。 これでもか! ってくらいに。
「なに」
「どう? 今ドキドキする?」
「しない。 近くて鬱陶しい」
そこまで言わないでよ! 逆に傷付くよ!? それに全く動じないってある意味凄いな……。 あたしだったら同性だとしても、さすがにちょっとは身を引くのに。
「あ、あっはっは。 なら、今こうやって顔を近付けてるのが八乙女くんだったらどうする?」
あたしの言葉に、葉月ちゃんは数秒固まる。 お面を被ったままなので表情は見えないけど、首の辺りは少し赤くなっている気がした。
で、次の瞬間脛に激痛。
「あいったぁああ!? い、今の本気だよね!? 本気で蹴ったよね!?」
「……分からない。 全然分からない」
あたしの方が分からないって!? なんで蹴られたの今!?
「あいたたた……。 葉月ちゃん、だいじょぶ?」
痛む脛を抑えて、あたしは起き上がる。 葉月ちゃんはテラスの隅で、体を丸めて腕に顔を埋めていた。
「好きとか、分からない。 でも、今ドキドキした」
「……それが、そうなんだよ。 そうやって苦しいのが、好きってことなんだ。 葉月ちゃん」
「うう……分からない。 私、裕哉のことが好きなのかなぁ……」
初めて見た。 淡々とした喋り方では無くて、それは感情が込められた声だ。 というか待て、なんだこの可愛い生き物!? ヤバイ、ちょっと抱き締めたくなってきた。
「でも、でも裕哉のことを考えると眠れない。 話している時も、目を合わせられない。 それに苦しい」
「けど裕哉とは友達で、いつも世話して貰ってて、裕哉は私をそうは思っていないだろうし……でも、あぁああ……」
葉月ちゃんが壊れかけてる!? 良く分からない感情でいっぱいになってるから!?
「落ち着いて落ち着いて! 葉月ちゃんなら大丈夫だって!」
「……ほんと?」
「た、多分」
「でも、天羽は告白するって言った」
「う、うん。 あたしも……八乙女くんのこと、好きだしね」
「私と天羽じゃ絶対天羽だ。 嫌だよう……」
そう言って、葉月ちゃんは顔をまた埋めてしまう。 ここまでネガティブだったのかこの子!? にしても結構感情豊か……。 お面を付けてる時でも、ここまで分かりやすいのは初めてだよね?
……それほど多分、葉月ちゃんの中で八乙女くんは大きい存在なのかな。
「そんな風に思ってたら駄目だって!! ほら元気出して、いつもみたいに!」
「いつも元気では無い」
確かにその通りだ。 いつも元気なのはあたしだったよ。
「てか分からないでしょ!? だって葉月ちゃん可愛いし!」
「可愛いだけ」
可愛いのは否定しないんだ!? いや可愛いけども!
「じゃあほら! あれだあれ! 命令ってやつ! あれで八乙女くんに付き合えー! って言えば良いんだ!」
「言えるわけ無いだろう!」
葉月ちゃんは言い、何故かあたしの頭が叩かれる。
えぇ! 葉月ちゃんってこんなキャラだったのか。 それが驚きだよ!
「もう駄目……。 帰る」
「わはは! それならあたしの勝ちだ! 勝ち勝ち!」
なんとか葉月ちゃんを焚きつける為にそう言うと、葉月ちゃんはあたしの方に猫の顔を向けたまま固まる。
一秒、五秒、十秒。
やがて、肩がぷるぷると震えだした。 え!? もしかして泣いてるの!?
「わわ! 泣かないでっ! 嘘だよウソウソ!!」
「……うん」
こういう事はあまり言いたく無いんだけど、正直に言うと……面倒くさっ! 結構面倒臭いよこの子!!
「じゃあさ、葉月ちゃん。 こうしよう」
「今日の夜、あたしは告白するよ。 勿論秘密ね、秘密。 だから葉月ちゃんもそれまでに答えを出そう。 自分の気持ちをしっかり、見つけよう。 あんまり時間は無いかもしれないけどさ、そうやって焦った方が良いんだ。 だから、ね」
「それで、もう一個約束だ」
「約束?」
「そ。 何があっても、あたしと葉月ちゃんは友達。 それは絶対変わらない。 ね?」
「……うん。 分かった。 約束する」
葉月ちゃんは言うと、小指を差し出す。 なんだか子供っぽい約束だけど……こういうのも良いかもね。
「いっひっひ! それじゃ約束だ! ってわけでそろそろ中はいろ。 寒くなってきたしさ」
「了解」
良かった。 どうやら幾分か落ち着いたらしい。 いつも通りの葉月ちゃんだ。
……それにしても、あたしは一体好敵手相手に何をやっているんだろうなぁ。 まーでも、仕方ないよね、友達だし。
でも、何となく分かってしまった。 ああいや、分かっていたんだ。 この先の未来がどういう風になっていくかなんて。
少し考えれば分かることだ。 八乙女くんはきっと、葉月ちゃんのことが好きだ。 それで、葉月ちゃんも八乙女くんのことが好きだ。 そんな二人がくっ付くのはもう時間の問題で、何がどうなろうと変わらないと思う。
だけどね、それでもあたしは諦めない。 振られるまではね。 もう逃げないと決めたから、もう立ち止まらないと決めたから。
仕方無いよ。 仕方無いんだ。 どうしようも無いほど、好きになってしまったんだからさ。




