約束
「本当はさ、あたしが言うべき言葉だったんだよ」
プリンを一口頬張って、天羽はそう切り出した。 言っているのは葉山の事か。
「天羽が? どうして?」
「親友だからね、歌音ちゃんは。 あたしから見ても、今のこの状況が良いとは思えなかったんだ。 どうにかしないと、とは思っていたんだけど……」
「結局、言えずに今日になっちゃった。 後一歩、踏み出す勇気があたしには無かったんだよ。 けど、八乙女君にはそれがあった」
「そんなの……踏み出して、踏み込みすぎちゃったよ。 俺は」
「歌音ちゃんに対してはそのくらいが丁度良いんだよ。 あの子はすぐ、他人と距離を置くからさ」
……それもそうだな。 葉山はいっつもそうだった。 他人と距離を置いて、置きすぎて。
「やっぱりなんとかしないと! って思いはするんだけどねぇ……。 本人が、あれだから」
「……葉山は本当に、今のままで良いと思ってる。 今のこの状態が気に入ってる」
葉月は俺の隣の席で、そう呟く。 こいつにはそれが分かるんだ。 葉山の気持ちが。
「問題はそこだよな。 葉山が良いと思ってるから、俺達は何もしない方が良いのかな」
葉月が今言った言葉。 葉山の気持ち。 それはなんとなくだけど、俺にも分かる気がした。
俺もこの状態、この関係が好きだから。 そんなんだから、今のこの葉山が居ない状況ってのが辛くて、心が痛い。
結局、葉山の言う通り自己満足だしな。 俺がやろうとしたことは。
「ダメだよ。 それはあくまで歌音ちゃんの気持ち。 ちゃんとしてさ、そうした方が良いなって歌音ちゃんが思えるようにするんだよ。 今よりもずっと!」
「別に自己満足で良いじゃん。 自己中で良いじゃん。 お節介でも良いし、失敗しても良いんだよ。 だから居るんでしょ? 友達が」
身を乗り出して、俺の顔を真っ直ぐに見て天羽は言う。 その目は真剣その物。
「間違えた時に支えあって、失敗したら慰めて、友達が良くない時は手を差し伸べるんだ! それを相手が掴まなくても、こっちから無理やり掴んでやれ! それで本当に怒らせたら謝れば良い! やらないで悩むより、やって悩もうよ!」
「天羽……」
「だから! 今回のはなんとかするっ! それにさ、ちょっと良くない噂もあるしね」
「……良くない噂?」
「うん。 あたし達のクラスでは無いんだけど、他のクラスの女子がね。 歌音ちゃんのこと、結構嫌ってるみたいなんだ」
「まぁ、あれだけ猫を被ってるのがバレたらな。 そういう奴も出るか」
俺の言葉に、天羽は「えへへ」と苦笑いをする。
「で、その女子達が何かするみたい。 何かってのが分からないんだけど、歌音ちゃんにきっと、何かするんだと思う」
「分かった。 天羽、その女子の名前を教えて」
「……葉月?」
いきなりそんなことを言う物だから、俺は不審に思って名前を呼ぶ。 こうやって積極的な葉月というのは、少々レアだ。
「おおう……葉月ちゃんやる気たっぷりだね。 名前は本庄真絵。 髪色が金髪の女子で、評判は……あんま良くない子だね」
「了解。 倒してくる」
「おいおいおい! 待て葉月! いきなり殴り込みはマズイって!!」
「そうなの?」
「そうだよ! 当たり前だ!」
なんとか落ち着かせて座らせた物の、葉月がここまで行動的になるってのはやっぱり珍しいな。 それだけ、葉山という友人が大切なのだろう。
自分が葉山にあんなことをされた時は、別になんとも思っていない様子だったのに。 強い奴だ。
「わはは! パワフルだねぇ、葉月ちゃん!」
「普段からこれだけ行動してくれれば良いんだけどな。 けど、実際どうするんだ? そいつの対策」
「うーん、せめて何をするのか分かれば良いんだけど」
「……あ、こういうのはどうだ?」
一つ、思い付きで口を開いてみる。
「俺がさ、葉山に無理やり命令して、葉山がそれに従ってた。 みたいな事にするんだよ。 俺があいつの弱味を握っていて……ってえ!!」
「な、何すんだよ天羽!」
思い付きを喋っていた所、天羽が俺の頭に肘打ちをかましてきた。 かなり痛い。
「ばーかばーか。 そういう身代わり行為は許さない! それやっても、歌音ちゃんは悲しむだけだよ。 本当に優しいからね、あの子も。 例えるなら八乙女くんの女バージョンだよ」
「俺とあいつが同じだとは思えないけどな……」
「いっひっひ。 まぁそういう案はこの天羽羽美が許さない! 他に無い? 良い案」
「ある」
そう口を開くのは葉月。 こいつの案って、期待して良いのか? 既に不安だぞ。
「ほほう。 聞こう!」
「本庄に聞けばいい。 何をするんだって」
「それが聞けたら楽なことこの上無いな」
「わっはっは! 全くだね!」
いやまぁ、その話は一旦置いといて。 先程からずっと気になっていること。
「天羽、悪いんだけどそろそろ椅子に落ち着いて座ってくれないか。 なんか近くて、プレッシャーを感じる」
先程から、こいつはずっとテーブルの上に身を乗り出して、俺との距離がやけに詰まっている。 それで俺に向かって話す時は真っ直ぐと見てくる所為で、凄く簡単に言うと恥ずかしい。
「……へ? あ、ああ! う、うんうんうん。 分かったよ。 かたじけない!」
「いつの時代の人だよ……」
こいつはなんというか、焦っている時の反応が一番面白いかもしれない。 普段の調子がどこかずれた感じで焦るから。
「……ん、んー。 んで! 結局どうするのさ!?」
「てか、葉山にそれを伝えるってのは駄目なのか? そういう事を考えている奴が居るってことを」
「あー、いやー、それは伝えてあるんだよ。 だけど、歌音ちゃんは「あっそ」って言うだけで……。 多分、大した事をされないとでも思ってるんじゃないかなぁ」
「葉山らしいっちゃ葉山らしいな……。 でもなぁ、それだと打つ手無しだよな。 葉山に言われたからじゃないけどさ、結局これも余計なお節介かもしれないし」
「だーかーらー!」
テーブルを叩いて、俺の方にグッと顔を寄せる天羽。 会話が白熱するとこうやるのは癖なのか。
「うおっ! 分かってる分かってる! やって悩むだろ? 分かってるよ」
「なら良し! わっはっは! というわけでまずは聞き込み調査だ!」
こうして、今日解決すべき問題は二つに纏まった。
一つ目は、葉山がクラスで浮いた存在となってしまっていること。 これに関しては後日にずれ込む可能性もある。 出来れば今日、纏めて解決したい問題ではあるけど。
で、二つ目。 どちらかと言えばこちらが本題。
葉山に何かを仕掛けようとしている女子、本庄真絵。 この女子のやろうとしている事を暴くのと、それが実行される前に阻止する事。
とりあえずの役割分担で、葉月と天羽が聞き込み調査。 俺が仲直りも兼ねて、葉山の傍で待機。 との事になった。
正直に言うと、葉山はまだ怒っているだろうし……聞き込みの方に回りたかったんだけど、どうやら何があるか分からないから、男子の方が良いとの事でこの役回りだ。
まぁ、いずれ仲直りはしないといけないし、それが少し早まったと考えれば良いか。
こうして、それぞれが目的の為に行動を開始したのだった。
「……って言っても、いきなり部屋に行って大丈夫なのか」
なんて言いながら、今は葉山の部屋の前に居る俺である。 葉山は天羽や葉月とは同じ部屋なので、多分中には葉山だけだと思うけど。
「うーん……」
それ以前に、女子のフロアである三階に男子の俺が居るっていう状況がマズイ気もする。 天羽は「余裕でしょ。 あっはっは!」と言っていたが、あいつは半分くらいその場の勢いで生きている感じがあるからな……。 実に心配だ。
「いやでもいつまでもここでこうしてるってわけには……」
「あー、だけどなぁ」
「……とりあえずノックだけしてみるか」
そんな独り言を呟きながら、ドアに手を伸ばす。
「うおっ!」
しかし、伸ばした所でいきなりドアが開き、中に倒れかかったところで、頭を押さえられた。
「なーに遊んでんのよ。 さっきから独り言うっさいんだけど」
「お、おう……さっき振り」
既にジャージに着替え、髪を後ろで一本に結んでいる。 雑誌を読んでいたのか、左手には雑誌を持った葉山。
「んで、何しに来たの? お節介さん」
この片手で頭を押さえられてる状態で話すのは見た目的にアレなので、俺は態勢を整え、口を開く。
「……あー、色々考えてたけど……やっぱそのまま正直に言うのが一番良いよな」
「仲直りしに来た」
そう言って、俺は持っていた袋を見せた。 さっきの菓子屋で買ったケーキ。 葉山が頼もうとしていた、チーズケーキだ。
「……はぁ。 とりあえず入ってよ。 今誰も居ないし、先生達もこんな時間に見回りしないでしょ」
「じゃあ……お言葉に甘えて」
葉山は辺りを一度見回して、俺を部屋の中へと入れる。 で、そのまま葉山は畳が敷いてある部屋の隅に腰を掛けた。
「……とりあえず。 八乙女君」
「ん?」
「その、さっきはごめん。 言い過ぎた」
その言葉に、俺は固まってしまった。 いや、だって葉山の方から謝られるとは、微塵も思っていなかったから。
悪いのはきっと俺の方だし、葉山は余計なお節介を言われて嫌だから、ああいう風に言っただけであって。
「ちょっと聞いてんの?」
「え? あ、ああ。 聞いてる聞いてる。 いや、俺の方こそ悪かったよ。 お前の気持ち考えてなかった」
「……よし。 じゃ早くそのケーキ渡してよ。 くれるんでしょ?」
「切り替え早いなおい」
まぁ、元よりあげるつもりだったから別に良いんだけれど、もうちょっとこう、どうにかならなかったのか。
そんなことを思いつつも、俺は葉山に袋ごとそのケーキを手渡す。 受け取る葉山は既に超笑顔。
「おお、さっすがおいしそー。 八乙女君の所為で皆で食べれなかったからなぁ~」
「……」
「あーあ、皆で食べられたら、もっと美味しかったんだろうけどなぁ~」
「……」
「折角の北海道で、皆で食べたかったなぁ~」
「うるせーな分かったよ! 明日の自由時間でまた行けば良いんだろ!?」
「やった! 奢り!?」
「……わーかったよ」
奢り奢られの関係でやっている俺達だが、最近なんだかその比率が偏ってきている気がしてならない。 葉山は時々、本当に美味しい料理店に皆を連れて行ってくれるからまだ良いんだけど、天羽の場合はコンビニだからな。 葉月の場合なんてあいつの家で飯を食うだけだ。 手料理がありえない程美味いから良いんだけどさ。
「よっしゃ! らっきぃー!」
……たまには良いか。 たまには。 たまにでは無いけど、そういうことにしておこう。
「てか葉山、それより気になってるんだけど……この部屋、汚すぎないか」
天羽のバッグと思われる物は押入れの中に突っ込んであって、口が開いて物が散乱している。 葉月のに至っては着替えとか持ってきたお菓子だとかがそこら中に散らばっている。 まともに整理されているのは葉山のバッグだけだ。
「大体想像付くでしょ。 あの二人が一緒の部屋なのよ?」
「ま……そうか」
天羽はともかくとして、葉月が食べたと思われるお菓子は口は開きっぱなしだし……。
「ああくそ!」
そんな光景を見ておられず、俺は葉月の荷物を纏め始める。 当然、男子の俺が触っても問題無さそうな物だけを。
しっかし、あいつのだらし無さは本当に酷いな。 なんで俺の方が整理整頓出来ているんだよ!?
「あはは! さすが世話係ね。 ほっとけば良いのに」
「放っておけるわけ無いだろ……」
いつものようにそう返す。 しかし、葉山から返って来たのは予想外の返事。 予想外というか、俺が初めて言われる言葉。
「どうして?」
「え?」
「どうして、八乙女君は神宮さんの面倒を見るの? ずーっと前から気になってるんだけど」
「どうしてって……ただ、なんとなくだよ。 放って置けないから、かな」
「ふうん。 もっと他の理由じゃなくて? 八乙女君」
「そんなの……」
無い、と言おうとした。 だが、不思議とそれは言葉にならなかった。
ここでそう言ってしまったら、本当に何かが消えてしまいそうな、そんな気がして。
「分かった。 こうしない? 交換条件」
「……交換条件?」
「八乙女君が、私との約束を守ってくれるならさ、さっきの話を聞いてあげてもいいよ」
「さっきのって……あれか?」
「そっそ。 クラスで私が省かれ気味なやつ。 私のことを皆に話して、なんとかするように頑張っても良い。 まぁ、八乙女君が約束守ってくれるなら、だけどね」
「その、約束ってのは?」
「簡単な事。 一つだけ、守って欲しいだけだから」
そして、葉山は俺に一つの約束を言う。 たった一言の約束を。
「……すまん、よく意味が分からないんだけど」
「分かった時で良いよ。 きっと、その内分かるから。 絶対にね」
「その時に守ってくれれば良い。 それだけだよ」
俺と葉山が交わした約束。 恐らく、何か深い理由があると思う。
だけど、それで葉山がそうしてくれるなら、俺にはもう、頷くしか選択肢は無かった。




