夏の夜
「それじゃ、今から取り掛かる。 お前らは……どうする? 別荘に戻っているか? 戻るならタクシーを呼ぶが」
「いえ、待ちます」
凜さんが車ですぐに駆け付けて、今俺達は病院の手術室の前。 先程から夜にしては慌ただしく医者や看護婦が動いていて、それが天羽の手術の為だと思うと、本当にあいつは大変な病気なのだと、再認識させられる。
病院を訪ねてきている人は俺達以外にはおらず、今の夜遅い時間ではさすがに静かだ。 そんな中、医者達が動き回っているので、事態は余計大きくも見えてしまう。
「……そうか。 長い手術になるから、毛布などを一応用意させておく。 ありがとうな」
凜さんは言い、俺達に背を向けて手術室の扉を開こうとする。 そんな背中に声を掛けたのは、葉山だった。
「凜さん、宜しくお願いします」
深く、深く頭を下げて。 偽るわけでも無く、本心で葉山は言っている。 そんなのはもう、考えるまでも無く分かった。
「俺からも、お願いします」
それを見て、俺も同様に頭を下げる。 隣で動く物が見えて横を見ると、葉月も同様に頭を下げていた。
「お前ら……。 ああ、分かった。 任せておけ」
そして、天羽羽美の手術は始まった。
「……」
「葉山、大丈夫か?」
「大丈夫よ。 見て分かるでしょ」
さっきからずっとそわそわしてるじゃないか。 全然大丈夫には見えないんだけど。
「葉山、気持ちは分かる。 でも」
そう言うのは葉月。 葉月自身も、大丈夫では無いのだろう。 言いながら、不安そうに手を組んでいる。
「……そうね、私も結構焦ってるのかも。 ありがとう、神宮さん、八乙女君」
「……お前が素直にお礼を言うと、気味が悪いな」
「うっさい。 私ちょっと外で風浴びてくる。 頭冷やした方が良さそう」
「ああ、分かった」
葉山は俺と葉月に軽く手を挙げて、手術室の前から去る。 一人で大丈夫だろうかと心配にはなるが、どちらかと言うと俺はこいつの方が心配だ。
「裕哉、天羽は大丈夫?」
「大丈夫だよ。 葉月も、あいつの事を信じよう」
「うん。 分かってる。 分かってる……」
葉月は辛そうに顔を伏せる。 こいつには、あいつの痛みが分かるんだ。 どれだけ辛いのか、どれだけ怖いのか、どれだけ痛いのか。 それらがきっと、分かってしまうんだ。
「俺達の友達だ。 大丈夫だよ」
葉月の頭に手を乗せて、俺は笑って言ってやる。 天羽がそうだったように。
「……うん」
葉月はその手に自分の手を重ねて、消え入りそうな声で呟く。 大丈夫だよ、絶対に、絶対に大丈夫だ。
手術は始まってからまだ一時間程しか経過していない。 一体どのくらいの時間が掛かるのか、成功するのかそれとも……。
ああ、駄目だ駄目だ。 こういう思考は良くない。
「裕哉、葉山のところに行ってあげて」
「……いやでも、葉月は」
「私は大丈夫。 行ってあげて」
「……そうか。 分かったよ」
葉月はきっと、俺のことも考えて言ってくれたんだろう。 普段は全く気の利かない奴なのに、こういう時ばかりせこい奴だよ、本当に。
「それじゃあ、ちょっと俺も外に行ってくる。 何かあったらすぐ来てくれ」
「うん。 分かった。 行ってらっしゃい」
言いながら葉月は手を振る。 一々子供っぽいよな。 なんて思いながら、俺は手を振り返して、病院の外へと向かって行った。
「大丈夫か?」
外に出ると、すぐに葉山が目に入ってきた。 玄関口の横にあるスロープ、その手すりの部分に体を預けて、葉山歌音はそこに居た。
「八乙女君か。 うんまぁ、一応はね」
「そっか。 ほら、どっちが良い? ジュースとコーヒー」
「あはは、気が効くね。 んーっと、じゃあジュース貰おうかな」
「はいはい。 ほらよ」
「さーんきゅ。 八乙女君ってコーヒー飲む人だったんだ」
「飲む人ってなんだよ……。 試験前とか、徹夜して勉強する時くらいかなぁ。 普段は殆ど飲まない」
「そか。 私はさ、一週間に一回は飲んでるよ。 日曜日の朝に」
「へえ、意外だな」
「でしょ? コーヒー飲みながら、雑誌読むの。 偽る為じゃなくて、本当に読みたい雑誌をさ」
「……なんかおっさん臭いな。 新聞が雑誌になっただけって感じだ」
「あはは! だからこれを話すのは八乙女君が初めてなんだ。 私みたいな美少女が、日曜日の朝にそんなことしてるって知ったらみんなはショックでしょ?」
「別に良いんじゃないのか? 俺だって休みの日は昼過ぎまでベッドの上から動かない時だってあるし」
「うわぁ……だらけてるね」
「良いだろ! たまにそうしたくなるんだよ! ただベッドの上で寝るわけでも無く、ずーっと天井とか壁見ながら、ぼーっとするんだ。 酷い時だと夕方までそうしてる」
「最早病気ね」
「うっさい! 俺はそれが好きなんだよ」
「あはは。 でも、良いんじゃないかな、そうするのも。 今度やってみようかなー、私もそれ」
「……想像するだけで、お前にそういうのが似合わないって分かるな」
「うるさいわね。 別に良いでしょ?」
「……ああ、そうだな」
別に良い。 本当に、それだけ。
そういう細かな趣味とか癖とか、そういった物から人は成り立っている。 性格とか、顔とか、好きな物嫌いな物。 全部を含めて、全部が自分。
「でもさ、それでも……ああいや、何でも無い」
それでも、お前と俺は友達だ。
そう言おうとして、止めた。 こいつの横顔を見たら、そんなの分かっているといった感じだったから。
「そか。 そうだ八乙女君、天羽さんの手術が終わって、退院できたら記念パーティやろうよ。 退院お祝い? って奴」
「お、良いなそれ。 部室でやるか? お菓子とか買ってさ」
「私としては、神宮さんの料理食べたいんだよねぇ。 あ! ならコンロ持ち込んじゃおうか! 窓開ければ大丈夫っしょ?」
「見つかったら指導室行きだな……」
「あはは。 良いじゃん良いじゃん。 記念パーティなんだし!」
「……はいはい。 言っとくけど、見つかった時は連帯責任だからな。 お前だけ逃げるんじゃないぞ?」
「わーかってますよ。 下手したら退学だね。 したらどうしよっか」
「さぁな! 後の事は考えない! 生きてるのは今だろ?」
「うーん……物は言い様だね、それ。 までもいっか。 その時はその時で、四人で会社でも立ち上げよう!」
「数日で潰れそうだな」
「大丈夫だって! 私さ、今ならこの四人揃ってればなんでも出来るって感じなんだよねー。 あの宮沢先生にだって勝てそうじゃない?」
「言っとくけど俺は参加しないぞ! 面倒事を何個か付けられて痛い目に遭う未来が見えるし!」
「あはは! さっき生きてるのは今ーだとか言ってなかった?」
「……言ったかもしれない」
「ま、でもそれもそうね。 けどパーティはやろう。 この前の大会の時は三人だったけど、今度は四人で。 絶対、絶対に」
「そうだな。 四人で、やろう」
俺と葉月と葉山と天羽。 部員全員で、笑ってやろう。 きっとできるさ。
「……ふう。 それじゃ私はそろそろ戻ろうかな。 あのお人形も心配だし」
「そうか。 俺はもう少し風浴びて、そしたら戻るよ。 葉月の事、少し頼んで良いか?」
「あはは。 保護者みたい。 まるで」
「……うっせ」
言われて俺も思ったよ。 良くも悪くもあいつは子供っぽいんだから仕方無いじゃないか。 放って置けないような奴だし。
「それじゃ八乙女君、また後で」
「おう、またな」
葉山は中へ戻り、残されたのは俺一人。
夜遅くに吹いてくる風には海の匂いがして、かすかに波の音も聞こえてくる。 ここは本当に良い場所だな。 天羽が来たいと強く想っていたのも、頷ける。
今年はもう厳しいだろうけど、来年にはまた、ここに来たい。 四人で旅行をしに。 色々案内してもらっていない所だってあるだろうし、遊び足りないし。
後一年後、か。 その時、今よりも更に部員が増えていたりするのだろうか? 今より騒がしくて、賑やかに。
うーん……。 あまり想像はしたくないかな。 葉山と葉月が喧嘩して、天羽が思いっきり騒いで。 で、俺がなんとなく巻き込まれて。
そんな今の関係だけど、後一年も経てば変わるのだろうか? 葉山と葉月がめちゃくちゃ仲良くなってたり。
……いや無いな。 想像できん。
だとすると、俺と葉月があろうことか、付き合ってたり。
……同じくらいありえない。 なんだその面白すぎる展開は。
「俺もそろそろ戻るか」
馬鹿な事をいつまでも考えていたって仕方無いし、そろそろ戻るとしよう。
天羽が無事に戻ってくるのも、待たないといけないしな。
「……あれ、寝たのか」
「さっきまで話してたんだけどね。 なんか疲れちゃってるみたい、今日は」
並んで座っている葉山と葉月。 葉山の肩に葉月が頭を預けて、すうすうと寝息を立てている。
「……黙って寝てる分には良いんだけどなぁ、こいつ」
「八乙女君って、私に対しても同じこと思ってそうだよね」
良く分かったな。 どっちかと言うと、葉山に対しての方が確実にそう思うだろうけど。
「ノーコメントで。 てか、お前も疲れてるだろ? さっき海に落とされたりしてたし」
「……思い出したら腹立ってきたな。 今度絶対痛い目に遭わせてやる。 あの馬鹿」
こうして、復讐は繰り返されるのか。 なるほど、その始まりに立ち会えたのはちょっと面白い。
「はは。 だから、もし眠かったら寝とけよ。 俺は起きてるからさ」
「そっくりそのまま同じ言葉返すわよ。 八乙女君の方こそ疲れてるでしょ」
「まぁな。 でも、それだけだし」
「ふん。 カッコつけちゃって。 見栄っ張りなんだから」
「言ってろ言ってろ」
それから数分経って、さすがにああは言った物の、俺が眠気に襲われいてる頃。
「……結局寝てるしな」
口ではああだこうだ言っても、葉山も疲れていたのだろう。 葉月と寄り添いあって寝ているよ。 一見すると仲がめちゃくちゃ良いみたいに見えるなぁ。
起きたら起きたで、速攻喧嘩となりそうだけど。
「しっかし、そうなると俺は寝るわけにはいかないか」
誰か一人くらい起きてないと、今も続いている手術が終わった時、すぐに対応出来ないだろう。
「……裕哉、命令」
「ん? 起きてたのか、葉月」
「……んー」
「寝言かよ……」
それにしても、夢の中ですら俺に命令してるのか。 やめろ。 今すぐやめろ。 夢の中の俺が不憫でならない。
「……こうやって二人の寝顔見てると、俺まで寝そうになるな」
少しの間、また席でも外すか。 そう思って、葉山と葉月に毛布を掛けた時だった。
手術室のランプが消え、ドアが開く。
「裕哉か。 他の二人は寝ているか?」
「凜さん! 終わったんですか? 手術」
「終わったといえばな。 一応はやれることはやった。 後は羽美の頑張り次第だよ……と、ここで話すのも二人を起こしたらあれだから、少し付き合って貰って良いか?」
「ええ、分かりました。 えっと、それで天羽は?」
「今から病室に運ぶ。 そこで経過を見ることになる。 あたしは一旦休憩だ。 だから少し付き合え。 良いな?」
「……はい」
多少、天羽の事が気になりはしたが……。 大丈夫だ、絶対に。
凜さんもやれるだけのことはやったと言っていたし、後は天羽の頑張り次第とのこと。 なら、天羽がそこで諦めるわけが無い。
俺は葉山と葉月にメッセージアプリで凜さんと少し話をするとの事を送って、一旦そこから離れる。
凜さんは一度着替えるとのこと。 それを待つ為、病院の入口で俺は待つことにした。
いつの間にか、外は少しだけ明るくなっている。 夏の日の出の早さを考えれば、時刻は四時過ぎくらいだろうか?
先程までの眠気は無くなっていて、今日の気温は低いのか、風は少し冷たかった。




