天羽羽美の場合
「……あー、言われた? お姉ちゃんに」
「うん。 だけど、それだけじゃない。 私自身が、そう思ってるから」
「良いよ。 知ってるしそんなの。 でもなぁ、手術かぁ」
「天羽さん。 あの時、私は自分を信じろって言った。 覚えてるよね」
「覚えてるよ。 君じゃないけどね、言ったのは」
「……そうかもね。 それでさ、今度は少し違うこと、言おうと思う」
「お? なんだい?」
葉山は天羽の手を取って、力強く言う。 真っ直ぐ目を見て、真剣に言う。
「今度は、私の事も信じて。 八乙女君や神宮さんの事も信じて。 あなたの友達を信じて」
「……わはは。 だからそういう湿っぽいの苦手なんだって、言ってるのに」
「そんなの知らない。 他人の嫌がることなんて知らないわよ。 それでも私と友達なんでしょ?」
「ずるいなぁ、歌音ちゃんはずるい。 ま、その通り……だけどね」
「で、どう? 手術、受けてみない?」
「……成功率、50%って聞いた?」
「聞いた。 高くは無い数字よね」
「その上で、言ってくるわけか。 手術を受けろって」
「そうよ。 文句でもあるの?」
「……あーあ、こういうの本当は言いたく無かったけど。 言わないと駄目かな。 やっぱり」
そして天羽は言う。 葉山の本音に対して、本音で。
「あたし、怖いんだ。 最初に言われた時は、まだここに来てない時だったから、ここに来るまでそんな手術を受けて死ぬのだけは嫌だって思って」
「それで、今はもっと怖いのがあるんだよ。 それはさ、歌音ちゃん」
「君と、君達と、お別れするってことになったらと思うと……怖くて、怖くて、怖くて、おかしくなっちゃいそうなんだ。 だから、あたしは受けたく無いんだ」
別れが怖い。 それは俺にも分かる。
俺だってそう思ったことは数え切れないくらいあるしな。 もしも俺が天羽の立場だとして、その手術を受ける気になっただろうか? 死んでしまったらもう、一生こいつらに会えないんだと思うと……。
「……はぁ。 ああもうなんか面倒ね! 良い? 天羽さん」
「天羽さんは、私達の事を信じてくれる?」
「信じるよ。 当たり前じゃん。 でも、それとは別で……」
「私も、信じてる」
「へ?」
「私も信じてるよ。 天羽さんのこと。 八乙女君と神宮さんに言われてさ、思ったんだ」
「友達ってなんだろうって。 二人は馬鹿みたいに私に友達だって言ってきてさ。 それで、最初に友達だって言われた時……」
そこで葉山は一旦言葉を区切る。 俺と葉月に一度目をやってから、深呼吸をして、再度口を開いた。
「この際だから言っちゃうけど、凄い嬉しかった。 家に帰ってからなんかニヤニヤしちゃったし。 お婆ちゃんに大丈夫かって心配されちゃったし。 で、ベッドの上でゴロゴロ一時間くらいして、やっと落ち着いて。 それで、凄く……凄くね」
「暖かかったんだ」
「……へへ。 うん。 それ、ちょっと分かるよ」
「あはは。 そっか。 でさ、それで考えたんだ。 友達ってなんなんだろうって」
「ずっと考えてたんだけど、分からなかった。 でもね、今日やっと分かったんだよ」
「……八乙女君と神宮さんは、私に友達って言う時はいつも、私の事を信じてくれているんだって。 迷いなんて無くて、まっすぐに私の事を見て、二人は言うんだよ」
「全く参っちゃうって。 私は全然そんな事思ってなかったのにさ」
「うん、うん。 良い友達だよ、二人共。 それと、歌音ちゃんもね」
「私はまだ全然。 全部が信用できるわけじゃないし。 でもね、天羽さん」
「今、今の私はあなたの事を信じてる。絶対に天羽さんなら大丈夫だって、信じてる。 だってさ、私達……友達でしょ?」
天羽はそれを聞いて、下を向く。 必死に泣くのを堪えているようにも見えて、やがて天羽は。
「わははははは!! あーっはっは!! そうだそうだ!! 友達だぁ!!」
いつもみたいに元気に笑って、大きな声でそう言った。
「あたしには友達が居る!! 歌音ちゃんに、八乙女くんに、葉月ちゃん!! 今日一緒に来た皆も友達だっ!! それだけいっぱい、あたしには友達が居るッ!!」
「そうでしょ!? 八乙女くん! 葉月ちゃん!」
笑顔で言う天羽。 その笑顔は、月明かりが反射してキラキラと光っている海よりもきっと、綺麗な物だ。
俺も自然と笑っていて、葉月は相も変わらず無表情だけど、その心中は笑っていたはずだ。
「はは、そうだな。 その通りだよ。 お前は俺の友達で、俺はお前の友達だ。 俺もお前のこと、信じているよ」
「天羽とは気が合う。 だから、協力して葉山を倒す」
「なんでそうなるのよ!? 私は敵かっ!!」
……全く。 いくら話しても、いくら分かり合っても、葉山と葉月がすぐ喧嘩になるのはそうそう変わらないか。 ま、別に良いけどな。
「んで、天羽。 凜さんから天羽に伝言があるんだ」
「お姉ちゃんから? なんて?」
これは俺が頼まれた言葉。 なら、俺が伝えるのが一番良い。
凜さんがこの場に居たとしたら、どのように伝えただろうか?
俺はそれを一瞬の間考えて、やがて、天羽の顔をしっかりと見て、口を開く。
『羽美、お前のわがままも、無茶な行動も、あたしは全部見てきた。 見て、止めようとしながらも、応援していたのかもしれない。 心のどこかでな』
『だけど、そんな無茶やわがままをいつまでも続けるわけにはいかない。 お前が毎日楽しそうに笑っていて、毎日精一杯生きていて、一生懸命に取り組んでいるのは知っている。 だがな、それだけじゃどうしようも無いことだってあるんだ。 それが現実で、お前が今生きているこの場所だ』
『だから頼む。 羽美、お前の命をあたしに預けてくれないか。 絶対に助けてやる。 絶対に治してやる。 お前は、あたしのたった一人の、大切な妹なんだから』
「……まーたか。 またそうやって湿っぽい空気にするのかぁ、あの女め! はぁ、もうほんと嫌になっちゃうよ。 二度と泣かないって決めたのに、泣いちゃいそうだ」
天羽は真上を向いて、呟く。 独り言とも、姉に向けた言葉にもそれは聞こえた。
「それと、最後にもう一つ」
そして俺はそんな天羽を見て、凜さんが最後に言った言葉を付け加える。 これは多分、天羽はもう知っているんじゃないかな。
『後、自分の友達に迷惑は掛けるなよ。 お前が毎日、あたしに自慢してきた友達だろう?』
「だってさ」
「……くそ。 くそ! 無理だよさすがに。 もう無理だって!!」
真上を見上げたままの天羽の顔。 その頬に一筋、光る物があった。
それからしばらくの間、天羽のすすり泣く声と、風の音と、波打つ音を聞きながら。 俺達四人は一緒に星を眺めていた。
ここは良い場所だな、天羽。
「あー! なんとかギリギリ泣かないで済んだ! セーフ!」
「いや泣いてたでしょ……」
「うっさい! あたしが泣いてないって言ったら泣いてないんだ! だからあたしは泣いてないっ!!」
「……ったく。 分かったわよ、天羽さんは泣いてない。 それで良い?」
「うん。 それでよし! でさ、歌音ちゃんに一つ、お願いがあるんだった」
天羽は真っ赤にした目で、隣に座る葉山に言う。 その顔はもう、これでもかってくらいに笑顔。
「なに? 出来る限り聞いてあげるわよ。 今気分良いし」
「なら良かった! それじゃさ、携帯とお財布渡して?」
「は? えっと、どうしてよ?」
「良いから良いから! あたしの事、信じてくれるんでしょ?」
「……あんたそれ都合良く使ってない? まぁ……良いけど」
言いながら、葉山は天羽に携帯と財布を手渡す。 意外とあっさり渡した事に驚いたのもそうだが、俺はそれよりも天羽が未だに超絶笑顔なのが気になっていた。 いや、いっつも笑顔の奴だけど、今この時に限っていつもの比では無いくらい笑顔なんだ。
「ねね、歌音ちゃん。 他になんか今持ってる物ってある?」
「無いわよ。 何? 身ぐるみ剥がすつもり?」
「いやいやそうじゃなくって……覚えてる? あたしがさ、病室で言った言葉」
「……えーっと。 色々言い合いしたし、そこまでしっかり覚えてるわけじゃないって」
「それは残念! それなら特別に教えてあげると」
天羽は言い、立ち上がる。 そしてそのまま葉山の後ろにしゃがみ込むと、肩に両手を置いた。
「あそうだ。 これ全く関係無いんだけどさ、歌音ちゃんって泳げる?」
「へ? うんまぁ、泳ぐだけならいくらでも」
「そっか。 なら良かった」
てっきり、何かを囁くのか? なんて思って俺は何もせずに見ていたのだが。
「おーちーろぉぉぉおおおおおお!!!!!」
天羽は言って、葉山を海に突き落とした。
「は!? え、おい!!」
俺が慌ててそれを止めようとするも、時既に遅し。 葉山は一直線に海へと落ちていく。
「きゃ、きゃぁああああああああ!!」
大きな水しぶきと葉山の悲鳴と天羽が高らかに笑う声が同時に聞こえる。 いやいや、ちょっと待て! 一体何が起きているんだ!?
「天羽!? お前何してんの!?」
「わーっはっはっは!! 仕返しだよ仕返し!! 言っただろ葉山歌音!! 絶対に仕返しするって!!」
「あ、あんたねぇ!!」
見ると、ずぶ濡れになった葉山が俺達の事を見上げていた。 長い髪が顔にへばり付いて、夜ってこともあり海の化け物みたいだな。
「あそこにハシゴあるからそれで上がっておいで。 うたたねちゃん!!」
「絶対ぶっ飛ばす!! ちょっと待ってろぉ!!」
「葉山は敵が多いんだな……」
「天羽、手を組もう。 上ってきた葉山をもう一度突き落とす」
「葉月は少し黙ってろ」
「いたっ。 酷い……」
酷くない。 葉月の考えた事の方がよっぽど酷い。
「歌音ちゃーん! 元気!?」
「元気なわけあるかっ!! またお風呂入らないと駄目じゃない! この馬鹿ッ!!」
必死にハシゴを音を立てて上りながら、葉山は天羽に対して言う。 怖いな、本当に化け物だったんじゃないか、あいつ。
「あたしさー! 手術受けるよ! 受けて! 治して! また皆と遊ぶ!! いっぱいいっぱい遊ぶ!! あたしの人生これからだっ!!!!!」
「そうよ! ちゃっちゃ治して、したらあんた海に突き落としてやる! ばっちり治ったら容赦しないからね!!」
「上等上等!! いつでも来いっ!」
不器用な天羽と、不器用な葉山。 そんな二人の友情で、そんな二人の話。 それはきっと美しい物でも、聞いていて楽しい物でも無い。
俺と葉月の関係とも少し違って、だけどそれは天羽と葉山の関係だ。 人それぞれ、人との関係なんて違う物である。
俺達の場合は……主人と召使い、と言うのが一番正しいのかもしれない。 大変遺憾だけど。
んで、天羽と葉山の場合。 この場合はどうだろう? 本人達がどう思っているのか、是非今度放課後にでも聞いてみたい物だな。
「あー、八乙女くん。 ちょっと良い?」
「ん? どした……って、おい? 天羽!?」
俺の顔を笑顔で見ながら、天羽は何かを言い掛けて、そのまま俺の方へと倒れこむ。
「……さすがに無理しすぎたかも。 悪いけど、お姉ちゃんに電話して来てもらえないかな。 あ、あはは」
「ったく……。 すぐ呼ぶよ。 もう少し頑張れるか?」
「余裕余裕! あたしを誰だと思ってるーって言っても……急いで貰えると、助かるよ」
「……それと、八乙女くん。 ありがとね、色々ありがと。 歌音ちゃんに発破掛けたのも君だろ?」
「さあ、どうだろうな」
「わはは。 分かるんだよ、八乙女くんは優しいからね。 だから、ありがとう。 恩返し、いつかするよ」
本当に無理をしていたようで、天羽は薄っすら目を開けて言うと、目を瞑る。 天羽の言った通り、急ぐに越したことはないな……この状態じゃ。
「……こんの血塗れ女! って、天羽さん!?」
「葉山。 今から凜さんに来てもらう。 多分急いだ方が良いな、結構熱あるぞ、こいつ」
「……この子、本当に無茶ばっかするのね。 周りがどれだけ心配してると思ってるのよ」
「全くだな。 葉月、凜さんに連絡取ってもらって良いか?」
「任せて」
葉月がそれから電話を凜さんに掛けて、すぐに行くとのこと。 どうやら、病院に運んですぐに手術となりそうな流れだった。
ちなみに葉月は電話を掛けた時「命令、早く来い」と凜さんに言っていたので、後でしばかれると思う。
「ほんっと、嫌になっちゃうわよ。 ばーか」
葉山は眠る天羽の頬を撫でて、小さく、本当に小さく、そう言っていた。
その言葉は、俺がわざわざ言うまでも無く、友達に向けて言った言葉だ。




