葉山歌音の場合
「よ。 久し振り」
「わお! ビビったぁ……。 歌音ちゃんか! それより久し振りってことは……まさかあたし、倒れてる間に何十年と時が経っていた!?」
「馬鹿。 なわけ無いでしょ」
葉山の話で聞いた天羽羽美と、今俺達の目の前に居る天羽羽美。 確かにこうして比べると、一緒の人物には思えないな。 葉山が忘れていたのも無理は無いと思うけど……まぁ、葉山の場合はそれに加えて「小さい事」として自分自身の中で処理していたってのもあるのだろう。
「八乙女君と神宮さんも居るわよ。 居るだけで、気にしないで良いけど」
「いや少しは気にしろよ……」
「わはは! まぁまぁ、仲良くやろうよ仲良く! で、どうしたのかな?」
天羽はけたけたと笑って、葉山の事を見上げる。 その姿は病に冒されていることなど、微塵も感じさせない。 健康で、顔色も悪いようには見えない。
「どうしたもこうしたも……。 分かっているでしょ、天羽さん」
それを聞いた天羽は、笑顔のまま葉山から顔を逸らした。 声の調子は幾分か低く、口を開く。
「……あははー。 その調子だと、お姉ちゃんから聞いたんだね。 あたしのこと」
「一応ね。 でも、天羽さんの口からは聞いてない」
そう言って、葉山は天羽の隣に腰を掛けた。 二人並んで、地平線を眺めている。
「参ったなぁ。 こういうの苦手なんだよ、湿っぽいというか、シリアスな感じ?」
「それじゃ、一回海に突き落として八乙女君と神宮さんの笑いでも取る?」
「わはは! それ良い案かも!」
これって、お互いがお互いの事を突き落とそうとしていないかな。 すげえ心配だ。
「……全力で止めるからな」
「黙ってろって言った筈だけど」
俺の事を睨みながら言う葉山。 ちょっと理不尽じゃないか? いやまぁ、良いけどさ。
「……で、天羽さん。 その、さ」
「良いよ、言わなくたって。 最初に久し振りって言われた時に分かったさ」
天羽は手を伸ばして、両手を月へと向けていた。 昔を思い出すように、少しだけ目を細めて。
「……ま、知っての通りあたしは病気なんだ。 今もすっごいだるいし、吐きそうだし、頭痛いし。 でもね、あたしは元気だよ」
「元気じゃない! そんなの、元気って言わないでしょ。 天羽さん、私、謝らないといけない」
「何を? 歌音ちゃんが謝ることなんてある?」
「あるわよ。 私の所為で、天羽さんはそうやって今も自分を信じているんでしょ? 私の所為で、大人しくしてればもう治っていたのかもしれないのに」
「あー、あー、あー。 そゆことか。 いやけどさぁ、だけどさ、歌音ちゃん」
「確かに、言う通りだよ。 あたしが大人しく入院して、薬飲んで寝てれば治ってたかもね。 手術だって、受けろって言われるまでになってなかったかも。 それは本当に恨んでるよ」
「……うん」
歯に衣着せぬ言い方で、天羽は言う。 その言葉はきっと、葉山の心に突き刺さった。 顔を見て、それが分かってしまった。
「本当に自分勝手だと思うし、あたしの事を本気で叩いてきたしね。 ま、そんな言葉を信じたあたしもあたしだけど」
「……」
辛そうに、今にも泣き出しそうな顔をする葉山。 こんな顔、見たのは初めてかもしれない。
それだけきっと、葉山にとっては重く、忘れてしまいたいことなのだ。 そしてそれに従い、葉山は今の今まで忘れていた。 きっとそれは、間違った事じゃ無い。
人間なんて、嫌なことはとっとと忘れて前に進もうとするだろうし、目を逸らしたい事からは勝手に目を逸らしてしまうんだ。 ただ、大勢の人間がそれを上手く出来なくて、嫌なことを引き摺って生きている。 葉山はそれが上手く出来る人間で、たったそれだけのこと。 もしもここで会話が終わっていたら、葉山はきっと一生この事を引き摺ってしまうんだろう。 もう、忘れる事はしないで。
だが、天羽は言った。 しっかりと、言ってくれた。
「おいおい、歌音ちゃん? なんで君がそんな顔をするんだい?」
「……え?」
「あたしが恨んでるのは、あの日あの時、あたしの病室に来た馬鹿な女子中学生のことだよ。 歌音ちゃんのことじゃない」
「でも、それが私――」
「違う!! あれは歌音ちゃんじゃなーーーーーい!!! あんな酷い事する馬鹿は消えたッ!! 今あたしの横に居るのは、あの日あたしの病室に来た馬鹿じゃなくて、あたしの友達の葉山歌音だぁ!!!」
「恨んでるけど恨んじゃいない! だから歌音ちゃんが悲しむ必要も無い!」
大きな声で、天羽は叫ぶ。 声が体にビシビシと伝わってくるような、そんな大きな声で。
「……そんな都合の良いこと、出来るわけ無いでしょ」
「わはは。 ま、歌音ちゃんはやっさしいからねぇ。 けどさ、そう言うなら証拠見せてよ。 証拠」
「証拠?」
「そ。 あの時の歌音ちゃんが、今あたしの前に居る歌音ちゃんだって証拠」
「そんなの……この性格見れば、分かるでしょ?」
葉山は自身の胸に手を置いて、天羽の顔をしっかり見ながら言う。 対する天羽は、未だに海の先を見ていた。
「あの時来た歌音ちゃんは、もっと酷かったよ」
「でも、私も充分酷いわよ!」
「あの時来た歌音ちゃんだったら、こうやって馬鹿な事してるあたしを探してもくれなかったよ」
「……それは、私が自分の為にやってることで」
「あの時来た歌音ちゃんだったら!! あたしの事を友達だと思ってくれなかったんだ!!」
天羽は叫ぶ。 海の先へ向けて。 その声は海の向こうにも届きそうなくらい大きくて、はっきりしていて、心が込められた声だった。
「良いかい? 歌音ちゃん。 歌音ちゃんは変わったんだよ。 あの頃から、変わったんだ」
「変わっていない。 私は私で、今も昔も一緒」
「へえ。 って言ってるけど、お二人さんはどう思う?」
頭を倒すように、逆さになりながら天羽は俺と葉月に向けて聞く。 どう思う、か。
「どうだろうな。 俺が最初に会った時は、高校の時だから……昔の事なんて知らないけどさ。 それでも、少しくらいは変わったんじゃないか? 葉月とも普通に話すようになったし」
「私も、そう思う。 葉山は性格悪いけど、良い子」
「あは! だってよ歌音ちゃん」
「八乙女君も、神宮さんも、私を知らないからよ。 いくら二人がそう思って、そう感じても……私はいつだって、嫌な事を考えてる。 天羽さんのことだって、面倒だし放って置こうとも思った! 八乙女君と神宮さんが私にさっき言ってくれた時も、うるさいなって思った! 私はそんな奴だ!」
そんな事思ってたのか、こいつ。 酷いな。
ま、だけど……。
「わはは! それだけ?」
「それだけ!? それだけの事で、私は嫌なのよ! しつこくしつこく言ってくるこいつらも嫌いだし!」
言って、葉山は俺と葉月の事を指さす。
「こんな面倒な事にしたあんたも嫌い!! 何が病気よ! そんなの私には関係無いッ!」
言って、葉山は隣に座る天羽を指さす。
そして、最後に。
「……それで、それで。 折角出来た大切な友達に対して、そんな事を思っちゃう私自身が、大っ嫌い」
涙を零して、そう言った。
「別に良いじゃん。 それが歌音ちゃんなんだし」
「良くないよ。 全然良くない。 きっと、これは治らない病気なんだ」
「……わはは。 皮肉にしては随分威力あるなぁ」
「だけど歌音ちゃん。 それを聞いて、あたしは言うよ。 きっと、後ろで聞いてくれてる二人も同じ事を思っているはずだけど」
「それを知って、あたしはまだ歌音ちゃんと友達で居たいな」
全く以てその通り。 そんなのなんて、今更だしな。 別にそんなことはどうだって良いんだ。
俺も葉月も天羽も、今の葉山と友達なんだから。 お前がどう思おうが、どう感じていようが、俺はお前と友達だ。
「……天羽さん」
だから言ったじゃないか。 大丈夫だって。 少しは信じてくれよ、お前自身が言った「大切な友達」をさ。
「それと、一応言っておくね。 これめちゃ重要な事だから」
天羽は葉山の顔を見て、続けた。
「あの日、あの時。 あたしの病室に来た歌音ちゃんにもし会ったらさ、伝えて欲しいんだ」
「君のおかげで、あたしは外に出られたんだって。 君のおかげで、あたしは最高の友達に出会えたんだって。 君のおかげで、あたしは今、ここに居ることが出来たんだって」
「もしも会ったら、そう伝えておいてくれよ。 歌音ちゃん」
「……あはは。 うん、分かった。 伝えておくよ」
全く、葉山も葉山で葉月並に厄介な奴だよ。 こいつの心に言葉を届けるのに、一体どれだけ労力が掛かるのか計り知れないって。 三人で必死に言って、ようやくこれだもんな。
「あー。 泣かないように頑張ろうって思ってたのに……無理だったかぁ」
葉山は空を見上げて呟く。 笑って、涙を流して。
「わはは。 仕返し仕返し。 泣かされっぱなしは嫌だったから」
「ふん。 私も負けってのは嫌だから、覚悟してなさいよ」
「上等! って言っても……まずは病気、なんとかしないとね。 ははは!」
快活に笑って、天羽は言う。 やはりその姿からは、病に冒されていることは感じられない。
それを見て、葉山は口を開く。 俺達では言えないこと。 葉山歌音で無ければ駄目なこと。 その言葉は重く、葉山にとっては想いが詰まった物。
「……天羽さん。 手術、受けないの?」
葉山は天羽の顔を見て、しっかりと真っ直ぐにそう聞いた。




