止まらずに、進んでいく
「知ってたのか!? 天羽のこと!」
「そりゃね! 凜さんも用心深い人よ……私にだけ話していたと思ったら、八乙女君にも話していたなんて……」
俺と葉山は走りながら会話をする。 俺と葉月が居た場所までは車だと来れなかったので、乗ってきたタクシーは神社の更に下で待たせているとの事。 ちなみに葉山は今現在は浴衣から動きやすそうな服装に着替え済み。
葉月は浴衣のままなので走れず、葉山がおぶりながら走っている。 本来ならば場面として俺がおぶるのが正解だろうけど、葉山に「女子をおぶるとかセクハラ」と言われたので渋々だ。 そんな気無いってのに。 だって相手が葉月だぞ。
「いやでも正解だろ!? 俺にしか話してなかったら誰も凜さんに連絡取れなかったし、混乱してただろうしさ!」
「……はぁ、はぁ。 ま、そうね。 川村さんなんて泣き出しちゃうし……。 それよりムカつくのはあの女よ! 天羽羽美! 本当だったら今日の夜、問い詰めるつもりだったんだけどその前に倒れちゃうし!」
「そんな事今言ってもどうしようもないだろ! 今はとりあえず天羽のとこへ行こう! 状態は!?」
葉山は恐らく、天羽自身から言って欲しかったのだろうな。 自分の置かれている状態と、状況を。 勿論俺だってそうさ、人づてではなくて、本人の口からそれは聞きたかった。 黙っていた理由の一つにそれが含まれているのも事実だ。
「……良くは無い。 って言ってたわ。 全く……いつ倒れてもおかしくなくて、その状態で旅行に行ったり私達と遊んだり、馬鹿でしょあいつ!!」
ああ、全くだ。 全くその通りだよ。 気を遣って言わなかったのか、単に言いたく無かっただけなのかは知らないけど、少なくとも俺はショックを受けている。
凜さんに話を聞いた時。 今日の、朝の事だ。
「それで、話って言うのは……」
「ああ、お前には言って置くべきだと思ってな。 勘だけど、友達想いの奴だと思うから」
なんだ? てっきり医者と聞いて俺が「無免許か!?」って言ったことに対してだと思ったんだけど……少し、違うか? この雰囲気だと。
「誰にも言わない事と、あたしからのお願いを飲んでくれる事、守れるか?」
「前者の方は別に構わないですけど……後者の方は、話を聞かない事にはなんとも」
「そうか。 どうしてだ?」
「どうしてって……えーっと、例えば葉月と友達やめろとか、そういうお願いだと困りますし」
「……あはは! 大丈夫大丈夫、そんな事は言わないよ。 ま、とりあえず話してからにしよう。 そっちの方が裕哉も安心出来るだろう?」
「ええ、そうですね。 お願いします」
俺の言葉に快活に笑うと、凜さんは続ける。 そういう部分は姉妹そっくりといった感じだな。
「話というのは、羽美の事だ」
「羽美……天羽ですか? それってどういう」
「あいつからは多分、何も言ってないだろう。 そういう奴だからな。 だからあたしがこうやって呼び出しているって事なんだが」
凜さんはそこで一息置いて、口を開いた。
事実と、現実を。
「……実は、あいつの体は病に冒されている。 それも、結構深刻な」
「……病。 病気って、ことですか?」
「ああ、そうだ。 中学生の時だったかな、最初に倒れたのは。 それが未だに治っていなくて、今もあいつの全身を蝕んでいる」
「そんな……」
正直、最初は信じられなかった。 天羽羽美、あいつ程に元気が良い奴なんて、そうそう居ないだろ。 そんな天羽が病に冒されている? 冗談だとしても、信じ難い話だ。
「そうは見えない、といった所か? まぁ無理も無い。 昔こそずっと寝たきりだったけど、ある時突然に「外に出たい」とか言ってきてな。 それからあいつはああいう性格だ。 病の重さも、辛さも、変わらない筈なのに」
「……そうだったんですか。 そんなに大変な病気なんですか?」
「あいつより苦しんでいる奴らは沢山居る。 だから一概に大変だ、とは言えないが……そうだな。 あたしとしては今すぐにでも手術をするべきだと言っているんだが、どうにも聞かない。 それが原因で喧嘩なんてのもしょっちゅうだ。 そんな所だよ」
だから、天羽は凜さんの事を苦手だと言っていたのか? いつかぶっ飛ばしてやるとか、そんな事をあいつは言っていた気がする。
「それで、頼みというのは? 手術を受けるべきだって、言えってことですか?」
「そうだ。 そして今すぐに手術を始めるべきだと考えている。 本来なら、旅行なんてもっての外なんだよ。 それくらい、今の羽美は危険な状態なんだ」
「……でも、俺にはそれは、言えません。 あいつの想いとか、考えとか、苦しみとか感情とか、そういうのをしっかり分かってからじゃないと、俺にはそれは言えません」
「……だろうな。 分かっていたよ。 ま、今のは一人の医者としての言葉だ。 それで今から言うのは、一人の姉としての言葉だ。 そして、あたしのお願いだ」
「裕哉、もしも羽美に何かあったらすぐに教えてくれ。 それだけで良い。 具合が悪そうだとか、変な咳をしているだとか、そういう小さな事でも構わない。 何かあったら、あたしに連絡をしてくれ」
そして、凜さんは俺の目を真っ直ぐに見て言う。
「羽美は、あたしの大切な妹なんだ」
「はぁ……はぁ……とりあえず八乙女君、タクシー乗って。 あーもう! あんたもうちょっと痩せたらどう!?」
「私は41キロ。 充分軽い」
「さすがはチビね……」
「身長は150もある。 平均」
本当は148センチだというのに、何を見栄張ってるんだこいつ。
「高校1年生の平均では無いでしょ!?」
「それより葉山の方が痩せた方が良い。 見た感じだと身長は168センチで、体重は」
「うっさい黙れ!! 八乙女君! なんかこの人形饒舌になってない!? ウザいんだけど!?」
「あ、ああ。 多分お面してるからだな……」
「チッ! とっとと取れ!」
そう言って、葉山は葉月が着けている猫のお面をもぎ取る。
「……あ」
急に静かになったな……。 いや、これはこれで面白いか? って、そうじゃない。 今はそんな場合じゃなかった。
「ほら! 葉山も葉月も早く!」
「分かってるわよ! てかあんたはあんたでいつまで私の背中に乗ってるのよ! 早く降りて乗りなさい!」
「……うん」
そんなこんなで慌ただしく、俺達三人が乗ったタクシーは病院へと向かう。 十五分程の移動だったが、その車内では誰一人、口を開くことは無かった。
「着いた。 八乙女君、神宮さん、付いて来て」
「ああ、今天羽は? 病室か?」
「私は凜さんが運んで行ってからすぐこっち来たから分からないわよ。 今電話してみる」
葉山はそう言うと、すぐさまどこかへと電話を掛ける。 恐らくは、凜さんのところだろう。
「もしもし、葉山ですけど。 はい、はい。 ……ええ、分かりました。 すぐ行きます」
短い会話を終え、葉山は少し安心したような顔付きで携帯をポケットへと仕舞う。
「……どうだった?」
「今は病室だって。 場所教えてもらったから、行くわよ」
言って、葉山は歩き出す。 俺と葉月はそれを見て、その後へ付いて行く。 意識はあるのかとか、今の状況はとか、そういった物は聞けなかった。 葉山も葉山で、焦りや苛立ちのような物を募らせているだろうから。 気持ちは俺達と一緒なんだ、多分。
「ここね」
階段を上がって、通路を通って、やがて一つの病室の前へ到着。 プレートには305号室 天羽 羽美様。 と書かれていた。
「悪いな、こんな時間に」
「凜さん」
白衣を羽織り、姿勢正しく小走り気味に凜さんが姿を見せた。 少し疲れているのだろうか、今日の朝会った時よりも若干、顔付きからそんな気がする。
「今は中で寝ている筈だ。 少し落ち着いたから、一応お前達の友達には連絡しておいた。 駆けつけてくれた所、申し訳ない」
「いえそんな、俺の方こそ……頼みの事、守れないで」
「良いさ、あたしだって今日いきなりってのは予想外だったしな。 だからこそ、早めに対処しておきたい。 しかし本人がな」
「まだ、手術はしないって言ってるんですか?」
俺が聞こうとしたところで、葉山が横からそう尋ねる。
「……ああ。 自分は病気じゃないって言い張ってな。 困った物だよ。 手術自体、成功率が高いとも言えないから……それを知っている所為で、尚更かもしれない」
「……その成功率って?」
「一般的には50%。 半々ってところだな」
それを天羽に伝えた、って事だよな。 恐らくその話には俺が考えているよりももっと、二人の気持ちがあったんだろう。 何故教えただとか、聞いた天羽はどう思ったか分かるかとか、そういう言うべき事は、今この場面では言うべき事じゃ無い。
しかし天羽は確か凄腕とか言っていたし、この人ならそれよりももしかしたら……。
「凜さんでも、ってことですか?」
「一緒だよ。 だけど、これだけは言っておく。 あたしにとっては例え成功率が1%でも、それが100%成功すると思ってやっている。 だから、羽美の手術も必ず成功させる。 そう信じている」
その目は真っ直ぐとしていて、迷いは無い。 医者として、姉として、凜さんは天羽羽美の事を助けたいと思っているのだろう。 そして自分と、妹の事を信じている目。
「……すいません、失礼な事言いました。 それで……今、天羽には会えますか?」
「気にするな。 通常面会は受付を通さないと駄目なんだが……。 ま、あたしの権限で顔パスだ。 入って良いぞ」
言われて、俺と葉山は凜さんに頭を下げて、病室の扉を開く。
俺達三人の目の前に広がった光景。 それを見て、一番最初に反応を示したのは凜さんだった。
「……あの馬鹿が。 くそっ!!」
天羽が居るはずのベッドはもぬけの空。 開いた窓と、風で揺れ動くカーテン。
「あいつ……」
横で呟くのは葉山。 悔しそうとも、悲しそうとも、そしてどこか驚いているようにも見える不思議な表情。
「……思いの外、パワフルだな。 天羽」
窓から下を見ながら俺は言う。 そこから見えるのは配管とアスファルト。 落ちたら間違いなく即死だぞ、これ。
さすがに葉月の見ているアニメではあるまいし、ここから落ちて余裕ってことは無いよな。
だとすると、この配管を使ってあいつは逃げた……ってことか? まるで空き巣かその類だぞ。
「裕哉、歌音、葉月。 すまないが、もう少しだけ手伝って貰っても良いか? あいつはそこまで遠くには逃げていない筈だ。 あたしも今から車を出して探すから、協力して欲しい」
凜さんは俺達三人の前で頭を深く下げて言う。 当然、それを断る理由も意味も無い。 だって、あいつは俺達の友達でもあるのだから。
「任せて。 凜」
初めに口を開いたのは葉月だった。 普段は物凄く頼り無いというのに、その即答っぷりは格好良い。 それに、俺と葉山の意思を更に固めるのにその言葉は充分だった。
「夜遅いし、三人で固まって行動するか。 知らない土地だし逆に俺達が迷子になる可能性だってあるしさ」
「そうね。 って言っても凜さんの言う通り、さすがにそんな遠くには行ってないと思うから……とりあえずはこの周辺からしらみつぶし、って感じになるかな」
「大丈夫。 裕哉が死ぬほど走る」
「人を頼りにするんじゃない」
「いたっ。 また叩く……」
今のは葉月がいけない。 今度は謝らないからな。
「お前ら……すまない。 恩に着る」
凜さんは一度顔を上げて言って、再び頭を下げて言う。 謝られる事も、お礼を言われる事も無い。 俺達がそうするのは当たり前で、当然の事なんだ。
「頼まれたからじゃないですよ。 天羽が、天羽羽美が俺達の友達だからです。 それで、大切な部員だから。 必ず見つけます」
「ったく、あいつってばほんっと迷惑掛けるの好きね。 折角の旅行が台無し。 とっとと捕まえてとっとと病気治して、そしたら部室で説教ね。 あの馬鹿」
「裕哉の焼きそばパンを買いに行かせる」
「なんで俺のなんだよ……。 さては葉月、俺に対する当て付けか!?」
「ふふ、あはは。 良い友達を持ったよ、あたしの妹は。 さて、それじゃああたしも行くとしよう。 もし見つけたら携帯に連絡を寄越してくれ。 それと、一つ伝えて欲しい言葉がある」
「伝言、ですか?」
「ああ、まぁお前らが先に会った場合だがな」
「――――――――――――」
そうして、俺達は凜さんが言った伝言を頭の中へと入れる。 簡単な言葉で、多分その言葉は天羽にとっては……重い言葉。
「分かりました。 会ったら伝えておきます」
「頼んだ」
時刻は夜の22時近く。 さすがに別荘に戻っているとは思えないし、一応は一度倒れた後だ。 葉山が先程言っていたようにそこまで遠くには行っていない筈。
しかし状況が状況。 あまり悠長に探すわけにもいかないだろう。 いっそのこと、別荘に居る蒼汰達に連絡を取るか……?
そんな事を考えながら、俺は病院から出る。 夜風は暖かく、海の匂いが混じっている。
「裕哉、それはだめ」
「……いきなり言われるとビビるな。 どうして駄目なんだ?」
もう少し前置きをして欲しい。 いくら俺の考えている事が分かると言っても、心臓に悪いぞ。
「天羽も、凜も、余計な心配は掛けたく無いと思う。 そういう気持ち。 だから」
「分かった。 んじゃ、葉月の事を信じて俺達だけで探そう」
「……うん。 それと、裕哉。 ごめん」
「どうして謝るんだよ?」
「最初から、知ってた。 私、天羽のこと」
「知ってた? それって……」
「一番最初。 学校を案内した時。 初めて、天羽に会った時」
最初に会った時? 確かこいつは天羽の事をじっくりと見つめて、それで何か俺に言おうとしていたんだ。
その時にもう、気付いていたってことか?
「天羽は、辛そうだった。 痛いって、聞こえてくるような感じだった。 だけど、頑張ろうって思いもあって、それで、天羽は」
「葉月、良いよ。 言いたい事は分かるからさ。 葉月は天羽の事を想って黙ってたんだろ? あいつがそれを知られたくないと想っているのを知ってさ」
葉月の頭に手を乗せて言う。
「……うん」
うん、か。 こいつもこいつで優しいよな、大概。
それに今回は「気安く触るな」と言われなかった。 あまりそれで調子に乗って頭に手を乗せていると、言われた時に悲しい思いをするので、俺はさっさと手を退ける。
「だったら、葉月は正しいことをしたんだ。 俺はそれで怒ったりしない。 当然だろ?」
「……本当?」
「本当だ。 ほら、なら約束」
俺は言って、葉月に小指を差し出す。 葉月はそれをしばらく見つめて、自分の小指を絡めた。
「よし。 じゃあ天羽の事探すか。 俺達三人で探す事になるけど……葉山もそれで良いか?」
「……あー、うん」
「……葉山?」
「へ? あ、ああ。 何の話?」
「聞いてなかったのかよ……。 蒼汰とかには声掛けないで、俺達だけで探そうって話。 余計な心配掛けたくないだろうからって」
「……そういうことね。 でも、さっきはああ言ったけれど、探す必要も無いかも」
「どうして?」
「当てがあるのよ。 あいつが居そうなところの当てが」
「本当か!? ってか、なんでお前がそんなこと知っているんだよ?」
「……思い出したから。 あの子の事。 全く、遅すぎるってのよね」
……そうか、そう言えば葉山は言っていたっけ。 葉山だけじゃなく、天羽も言っていたっけか。 同じ中学だったと。 それで、葉山は天羽の事を覚えていないと。
それを思い出したってことは、つまり。
「あの子、多分あそこに居るわ。 向かいながらで良いから聞いてくれる? 私が出会った子、天羽羽美の話」
俺と葉月は葉山の後に続きながら、葉山の話に耳を傾ける。 自分が与えた影響のこと。 自分がしてしまったこと。 そして葉山にとっては、小さな小さな……忘れてしまっていた話。




